バレンタインは乙女の聖戦と聞くが、男にとっても戦だったりする。
通学中からそわそわしている。靴箱や引き出しを、平静を装いながらいちいちチェックする。昼休み、クラスの野郎が呼び出されていると、戦果をあげやがったかと歯軋りする。午後にさしかかると、そろそろ絶望感が襲ってくる。
今年も、俺はゼロなのか。朝に妹から「バレンタインおめでとー」とか言われながら、二十円のチョコはもらったが、そんなもん男のプライドにかけてノーカンだ。
そして、放課後──結局、チョコをもらうどころか、女子と会話することすらなかった俺は、席を立ち上がれずに灰になった。
「お前、いくつもらった?」
仲のいいクラスメイト数名が声をかけてきて、俺は厳かに顔を上げる。
「お前は、いくつももらったのか?」
「彼女からの一個だな」
いきなりボディーブローか。本命からの一個。男がどれだけ憧れる勲章か。
「僕は今日はもらわなかったなあ」
「あ? 『今日は』って何?」
「おととい、カテキョのおねえさんにもらった」とそいつはしれっと述べる。年上から貢がれそうな顔はしている。
「それは義理じゃね」
「いや、手紙が本気っぽくて……」
「手紙つきチョコだと!?」
攻撃力高すぎるだろ。バレンタインチョコに添える手紙なんて、ラブレターしかありえないじゃないか。この時世に手紙というのもぐっとくる。
「じゃあお前、そのカテキョとつきあうのかよ」
「んー、僕は年下しかつきあったことないし」
「ちょっと死んでいいよお前」
「で、お前は……もらったのか?」
最後のひとりに顔を向けると、「俺はなー」とそいつは腕を組む。
「花崎からもらいたかったのに、くれたのは新藤だった」
「えと……花崎の親友だっけ?」
「そんなんなあ、欲張るなよ。もらえただけ──」
「興味ない女子のチョコは、ただの黒い塊なんだよ」
「で、お前はどうだったんだよ。はぐらかすなよ」
「……すが、何か」
「は?」
「ゼロですが、何かっ?」
三人は顔を見合わせ、遠慮なく爆笑した。「どんまい!」と肩をたたかれても嬉しくないし、「来年があるだろ」と言われても来年の二月は大学受験だし、「彼女作ればいいって」と留めまで刺される。
舌打ちして、何だよ俺ばっかり、と頭を抱えた。そのときだ。
「先輩」と言いながら、綺麗な女子生徒が小走りに近づいてきた。一瞬どきっとしたが、淑やかそうな彼女は俺の横をすりぬけ、後方の席の野郎に「よかったら、もらってください」と小さな紙ぶくろをさしだす。「はあ……」とそいつは困ったような笑みを浮かべ、それでも一応受け取っていた。
「今年もバレンタイン王子は仲瀬だなー」
「あいつ、今日だけでいくつもらってんの?」
「気がつけばもらってたよな」
口々に述べる友人たちに混じらず、俺は仲瀬を眺めた。
さすが、我が校トップクラスの美少年。しかし、仲瀬はその地位にあぐらをかいているわけではない。だから、その後輩が立ち去ったあと、もらったチョコの整理を始めたのも、けして非モテ野郎への当てつけではないだろう。
分かっている。分かっている──けども!
「高そうなのもらってんなー」
「本命相手には、手作りより高いのって感じだよな」
「手作りは正直食いたくないな、俺……」
「そう? 彼女の手作り嬉しいじゃん」
「彼女ならな? よく知らねえ女に手作り渡されたら、ただ怖いわ」
盛り上がっている友人は置いといて、俺は席を立ち上がった。「帰んの?」「下校中にもらえるか賭けとく?」という声は無視して、俺は仲瀬に歩み寄った。
「仲瀬」
「えっ? あ──」
「俺の気持ちだ」
そう言って、俺はスラックスのポケットに入れたままの二十円チョコを、仲瀬のつくえに置いた。
「分かるか」
「え……と、」
「妹からのチョコしかない、俺の気持ちがお前なんかに分かるかあっ」
俺はくずおれて泣き出した。それはもう、悔しかった。男の戦に惨敗した絶望感がひどかった。本日の王者である仲瀬に、嫌味のひとつくらい言わせてほしい。
「お前、何やってんだよ……」
「逆怨みの方向がおかしいぞ」
「ごめんなー、仲瀬」
友人たちは、おいおいと泣いている俺を引きずっていこうとした。が、「あ、待って」と仲瀬は立ち上がり、俺の名字を呼ぶ。しかし、ふてくされて顔も上げずにいると、仲瀬はしゃがみこんで、俺の耳元にささやいた。
「ありがとう。すごく嬉しい」
は?
「絶対、お返しするね」
俺はようやく顔を上げた。仲瀬ははにかんだ笑みを浮かべ、心なしか頬も染めている。
いや。いやいやいや。
そうじゃなくて。そういう意味じゃなくて。
嫌がらせなんですけど!? ごく陰湿な冗談なんですけど!?
仲瀬はにっこりしたあと、「妹さんからでもいいじゃないって言っておいた」と友人共にはごまかす。「だよなー」とみんなうなずき、俺ひとりだけ頭をぐるぐる混乱させる。
お返しって。何を返されるんだよ。嫌がらせを倍返しされる? いや、でも、嬉しいって言ったし。やっぱり、ホワイトデーのこと……だよな。
「え……待って、俺は──」
俺がやっと蒼ざめた声を取り戻しても、仲瀬はしれっと席に着いて、チョコをエコバッグに整頓していく作業を再開する。「とりま帰るぞー」と俺は友人たちにスクールバッグを押しつけられ、引きずられながら教室をあとにする。
──このときの俺はまだ、仲瀬にあんなにほだされて、挙句つきあうことになるとは思っていなかった。
FIN