突然の電話で
聖樹さんに、今から帰るというメールを送信すると、少ししてから、『夕食用意しておきます。』と返事が来た。聖樹さんは聖乃さんに会わなかったのかな、と思いつつ電車に揺られて、窓の向こうがほの暗くなりながら、いつもの景色に移り変わっていくのを眺める。乗り換えも交えて地元に到着する頃には、十九時が近かった。急いで家に帰って、「ただいま」とドアを開けると、「あ、」と声がして、見ると玄関にはちょうど帰ろうとしている聖乃さんと、見送ろうとしている聖樹さんがいた。
「あ、萌梨くん。おかえり」
微笑んだ聖樹さんに「うん」と返しつつ、「聖乃さん、帰っちゃうんですか」と僕は靴を履いている聖乃さんを見る。
「夕食作るあいだ、店番をやれと母上からメールが来まして」
「そっか、聖良くんはお隣に行っちゃいましたもんね」
「お隣にいるんだから、使えばいいのにねー。でも、そうすると絶対すずながくっついてくるな。うざっ」
「まあまあ。新婚のふたりに、そう言ったら悪いよ」
聖樹さんがなだめると、「新婚旅行に行ったまま、帰ってこなくてよかったのに」と聖乃さんはふくれて、わりと暴言なことを吐く。
聖良くんというのは聖乃さんの弟で、すずなさんというのは聖乃さんの幼なじみだ。長年仲が良いカップルだったふたりは、聖良くんが二十歳になったのをきっかけに結婚した。そして現在、聖良くんは実家のソフトクリーム屋でなく、そのお隣であるすずなさんの家の八百屋を手伝っている。
ちなみにすずなさんには、なずなさんというふたごの姉がいる。なずなさんは八百屋を絶対継ぎたくないということらしく、ホステスをやっている。
「じゃあ聖樹さん、また夜にメールするね」
「うん。悠の話ばっかりしてごめん」
「会えるのが楽しみなのは、よく伝わってきました。私も会いたいな、悠くん」
「もしここに来れなくても、チケットは取り置きしておいてもらうから」
「というか、夏だからあの子はうちに来るかな」
「はは、絶対行くと思う」
「だよね。じゃあ、萌くんもまた今度。千羽ちゃん連れてきて会わせてね」
「はい。気をつけて」
「ほんとに送らなくていい?」
「大丈夫。来ると、うちで食べていきなさいっておかあさんがまたうるさいよ」
聖樹さんはおかしそうに笑い、「今度、萌梨くんも連れて顔出しますって伝えておいて」と言った。聖乃さんはうなずくと、笑顔で手を振って、僕と入れ違いに鈴城家をあとにした。
ドアを閉めて聖樹さんを見上げると、「お昼から来てもらってた」と聖樹さんは照れながら咲う。その笑みに僕もつい咲い、「そうしてるといいなと思ってた」と家に上がった。おいしそうな匂いが流れてきている。「聖乃さんに手伝ってもらって、ごはん用意できてるから」と聖樹さんは言い、僕はうなずいて一緒に家の中に入った。
翌日の日曜日は家でゆっくり過ごし、月曜日にはまた聖樹さんは「いってきます」と出勤していった。僕は例によって、食器を洗ってから洗濯機をまわしはじめ、そのあいだ、そろそろレポートでもしようかと部屋に向かった。レースカーテン越しにも強く射しこむ日射しにクーラーをつけ、一学期の終わりに回収してきたレポートをつくえに広げる。
今日も蝉の声がすごい。勉強は音楽聴きながらやろうかな、と思いつつ解答できそうな教科を選んでいると、突然ケータイが鳴った。手に取ると電話着信で、サブウィンドウには『悠紗』──慌ててケータイを開いて、通話ボタンを押す。
「もしもし?」
『あ、もしもし萌梨くん。おはよっ』
「おはよう。どうかしたの?」
『ちょっと話そうかなって。今、電話してよかった?』
「うん、大丈夫」
電話の向こうでは何やら話し声がしている。XENONのメンバーも何かしているようだ。僕はレポートが散らかったつくえをいったん離れ、ベッドサイドに腰かけた。
『萌梨くんには、早めに言わなきゃと思って。俺、昨日会ってもらったよ』
「モデルの人?」
『そうそう』という悠紗の声ははずんでいて、その時間が楽しかったのが察せる。
『芽留さんもいてくれてさ。紗月さん──あ、紗月さんっていう人だったんだけど、その人もすげえ優しかった』
「サヅキさん」
『うん。歳はねー、萌梨くんの一個上』
「え、そうなの」
『四月生まれって言ってた。小説とか書いてるんだって。仕事ではないよって言ってたけど、読ませてもらったのすごかった』
「小説」と僕は反芻する。何をしている人なのか見当もなかったけど、文章を書いている人なのか。
『うちのことも話した。萌梨くんが会いたいって話、紗月さん、「僕でよかったら会いましょう」って言ってたよ』
「ほんと?」
『あと、芽留さんも萌梨くんたちに会いたいって』
「えっ、いいの?」
『芽留さん、おもしろいよ。ただ、俺はもう、今日の昼にこの街離れるんだよね。今、みんなも後ろで荷物まとめてんだけど』
「そうなんだ。まあ、ひとりで会いにいくのかなとは思ってたから」
『でも、この街って場所によっては物騒だし、ひとつ考えたんだ。ふたりとも、とうさんにも会いたいって言ってたから、ふたりがそっちに行くのはダメかな?』
「え……いやっ、そこまでしてもらうのは悪いよ」
『いいじゃん、芽留さんたちも萌梨くんたちに会いたいんだし。てか、もうそれを話してるんだよね。そしたら、萌梨くんたちがOKなら自分たちが行くってふたりとも言ってた』
「あ……えと、僕は、もちろん構わないけど。聖樹さんも断らないと思う」
『よしっ。じゃあ、芽留さんに伝えておくね。EPILEPSY観たいって言ってたから、その頃に行くのかも。それなら、ちょうど俺もいるしさ』
「そ、そっか。何かごめん」
『謝らなくていいよ。俺もまた芽留さんと紗月さんに会えるなら嬉しいし。じゃ、来月だ!』
そのとき、電話の向こうで何やら声がした。『あー、はいはい』と悠紗はそれに答え、『ごめんごめん』と僕との会話に戻る。
『葉月くんが売店で弁当買ってこいって。また、電話かメールするね』
「うん。あ、悠紗」
『ん?』
「その──紗月さん、と芽留さんがこっちに来るなら、千羽ちゃんも会うときにいてもいい?」
『千羽ちゃんならいんじゃない? きよ姉もいいと思うよ』
「よかった。千羽ちゃんも会えたらいいなって言ってたから」
『そうなんだ。一応、芽留さんにも言っておくね』
「よろしく。じゃあ、お弁当買いにいっておいで」
『了解。じゃ、またねっ』
僕はケータイを下ろし、息をつきながら通話を切った。
胸がどきどきする。本当に会えるのか。『ハンドメイド』のモデル。紗月さん。天井を仰いで、どんな人だろうと思う。
聖樹さんの予想通り、『ハンドメイド』の主人公のような人だろうか。悠紗が優しい人だったとは言った。いずれにしろ、ひとりで会うわけでもないから安心だ。聖樹さん、千羽ちゃん、それに聖乃さんも同席できる。
千羽ちゃんにそのこと電話しようかな、と通話ボタンに指先を迷わせたけど、一応、悠紗が芽留さんに話してからにしておく。聖樹さんには、今夜話そう。きっとびっくりするよな、とケータイをベッドスタンドに置く。
紗月さんと芽留さんがこちらに来てくれる、とは考えなかった。僕はひとりで遠出するなんてないし、方向感覚も優れているわけでもない。悠紗がいてくれるならいいんだけど、なんて甘えたことを思っていたから、こちらで会えるのはありがたい。EPILEPSYと重なり、結果的に悠紗もいてくれることなるのも心強い。
紗月さんは、僕とひとつ違いなのか。『ハンドメイド』の年齢設定では、主人公は十四歳だった。聖樹さんに出逢って、あんな仕打ちが僕だけじゃないというのは心を支えてくれたけど、同じ年齢のときそうだった人というのも、貴重な気がした。
それから僕は、聖樹さんたちに紗月さんと芽留さんがこの町に来るのを伝えた。聖樹さんはともかく、千羽ちゃんと聖乃さんは初め遠慮したけれど、こういう機会もあんまりないということで、一緒に会ってくれることになった。
どんな話をすればいいのだろう。緊張せずに、ちゃんと話せるだろうか。そんなことを考えてそわそわしているうちに八月になり、EPILEPSYを一週間後にひかえたXENONと悠紗が、ひと足先にこの街に帰ってくる日になった。
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