コンパスをつかんで-6

未来を見て

 その日は朝から、僕より聖樹さんのほうが落ち着かない感じだった。EPILEPSYが巡ってきたのはけっこう久しぶりで、悠紗に会えるのは昨年末の別のイベント以来だ。
 お昼前にふとドアを開ける音、ついで「ただいまー」という声がして、僕と聖樹さんは顔を合わせた。すぐさま「おかえり」と言いながら立ち上がって出迎えると、そこには最後に会ったときより髪も背も伸びた悠紗が、ギターを背負って荷物を下ろしていた。
「あー、暑っつー。クーラーついてる? ついてないとちょっと怒るよ?」
 聖樹さんも僕も、悠紗のノリがどんどん要さんと葉月さんに近づいていることに噴き出す。「リビングについてますよ、お坊ちゃん」と聖樹さんが悠紗の荷物を持ち上げる。汗を流す悠紗は、薄いTシャツの胸元をはためかせて、何とか熱を逃がそうとする。
「腹減ったあ」
「お素麺の用意ができてるよ」
 僕が言うと「夏だねえ」と悠紗はスニーカーを脱ぐ。
「素麺とか家庭的なの、ぜんぜん食えてないや。ほぼコンビニ弁当」
「野菜ジュースでもいいから飲んでる?」
 悠紗が帰ってくると、聖樹さんはとりあえず野菜や栄養の心配をする。悠紗が細身に育っていくからだろう。
「たまに。でも基本は烏龍茶」
「お酒はちゃんと飲んでないね?」
「俺さ、とうさんよりは強いと思うんだけど」
「それでもひかえなさい。みんなは?」
「ベッドで寝たいってラブホ行った。男四人でラブホってさ、けっこうすごいよね? 何だと思われるんだろ」
「………、まあ上がりなさい」
「はーい」と悠紗はドアマットに上がり、「素麺食うー」と言いながらギターを背負いなおして、涼しい家の中に入っていった。
 複雑そうにしている聖樹さんに、僕は笑いをこらえてしまう。あの四人と行動を共にしてるとそうなってくるよな、と僕は納得だけど、父親の聖樹さんにしたら、若干哀しい成長なのかもしれない。
 リビングでギターも下ろした悠紗は、クーラーの下で背伸びをしていた。XENONは全国を転々としてライヴ活動をしているから、ホテルなどのときもあるけど、要さんか葉月さんが運転するバンで休む日もある。成長期の悠紗には、やっぱり狭いだろう。聖樹さんは悠紗の荷物をリビングに置いて、キッチンで昼食の用意を始める。「髪また伸ばしてるんだね」と僕は悠紗のかたわらに行った。
「うんっ。もう女には見えないし」
 冷風にさらさらと髪を揺らしながら、にこっとする悠紗を眺め、さすが聖樹さんの息子だなあとしみじみしてしまう。まだ小学生の年齢だけれど、中学生と言っても通じそうな美少年だ。僕の視線に、「えっ、女に見える?」と言った悠紗に僕は首を振る。
「ちゃんとかっこいいよ。昔はかわいかったけど」
「昔はいいよ」と悠紗はむくれたあと、「萌梨くんもかっこいい感じだよね」とこちらを見上げる。
「そ、そうかな」
「芽留さんとか紗月さんに較べたら。芽留さん、癒し系だったな」
「来る日は決まった?」
「来週の木曜にこっち来て、夜どっか泊まって、金曜日のEPILEPSY観て帰るって。芽留さんの車で来るみたい」
「どこで会う? 聖樹さん、プライベートな話するなら、ここに来てもいいよって言ってくれてるんだけど」
「マジで? じゃあ、駅前の駐車場まで俺が芽留さんたち迎えにいって、ここに連れてくる感じでいっか。あとでメールしとく」
 そう言ってポケットからケータイを見た悠紗は、汗が引いてくるとその場に腰を下ろし、僕もその隣に座った。「EPILEPSY終わるまでは、ここでゆっくりできそう?」と訊いてみると、悠紗はうなずいて「やっと体力ついてきたよ」とジーンズの脚を伸ばして背後に手をつく。
「みんなについてまわりだした最初の頃は、俺って引きこもってる体力だったじゃん。ほんときつかった。重いの運ぶのも大変でさ」
 悠紗の半袖の腕を見て、「筋肉もついてきたね」と僕が言うと、「たぶん梨羽くんよりある」と悠紗は笑う。
「ギター弾く時間はもらえてる?」
「それはもらってるよ。紫苑くんがそばで教えてくれてて、それもでかいなあ」
「曲も書いてる?」
「うん! 曲ばっかできて、歌詞はぜんぜんないけど。梨羽くんは紫苑くんの曲じゃなきゃ歌詞書けないし」
「悠紗が自分で歌詞書いて歌ってみるっていうのは?」
「それはなー。何か照れる」
「じゃあ、歌う人探さないとね」
「頑張って探す。バンドメンバー見つかったら、みんなからは抜けて活動したいんだ。紗月さんたちがいる街でやりたい。いいバンド輩出してるとこだし。サイコミミックとかBazillusとか」
「僕でも知ってる」
「でしょ。また芽留さんと話もしたいし。芽留さんは別の町に住んでるんだけど、よく紗月さんに会いにきてるみたいで」
「そういえば、紗月さんと芽留さんは親友なんだよね」
「そだよ」
「じゃあ、『ハンドメイド』の恋人になった先輩のモデルって──」
「あっ、弓弦ゆづるさんのこと話してなかったっ。そう、モデルいるよ。すごいんだ、いろいろ。俺は結局まだ会えてないんだけど、話だけでもすごいかっこいい」
「そ、そうなんだ。男の人だよね」
「だね。俺は平気だけど、萌梨くんは受け入れづらいかな」
「そんなことないよ。あっていいものだと思う」
 悠紗は僕を見つめ、何やら嬉しそうに咲った。「何?」とまばたくと、「萌梨くんのそういうとこ、いいなあって」と悠紗はにっこりする。僕も咲ってしまう。そういう、僕を認めてくれるときの悠紗の笑顔の穏やかさは、幼い頃から変わっていない。
 同性愛に関しては沙霧のおかげなんだけどね、と思って、そういえば、よく考えたら沙霧も芽留さんに会いたいだろうかと気づく。でも、沙霧もゲイだから、と僕が言ってしまうのはたぶん良くない。沙霧は芽留さんにずいぶん勇気をもらっているから、いずれ会ってほしいなあとは思うけど。
 悠紗と僕がそんな話でくつろいでいるうちに、聖樹さんが三人ぶんの昼食を座卓に整えてくれた。お素麺だけでなく、昨日僕が買ってきておいた惣菜の天ぷらもある。
 悠紗は髪を後ろに縛って、「いただきますっ」と箸を取って、まずエビ天にかぶりついた。「僕のもあげるからゆっくり食べなさい」と聖樹さんは苦笑しながら、悠紗の皿に自分のエビ天を移す。そう言われても、すぐ尻尾まで食べてしまった悠紗は、「ありがとっ」と聖樹さんに笑顔で言って、今度は氷水に浸されたお素麺をたっぷり汁につける。
 聖樹さんと僕も「いただきます」と言ってお素麺を箸ですくって食べはじめる。こうやって三人で食事ができるのは嬉しいな、と思う。
「千羽ちゃんときよ姉は元気?」
 しばらくもぐもぐと食べていた悠紗は、お素麺のお代わりをもらったところでようやく息をつき、聖樹さんと僕に問うてくる。
「聖乃さんは相変わらずだよ。あとでお店行っておいで」
「そだね。何味食べよっかなー」
「千羽ちゃんも元気にしてるよ。悠紗に会いたいって言ってた」
「聖乃さんも言ってたよ。なかなか帰ってこないねって」
「へへ、そっか。結婚はまだしないの?」
「えっ? いや、……萌梨くんは?」
「ぼ、僕より、まず聖樹さんじゃないかな」
「一緒に結婚式やったらいいのに! いいじゃん、そういうの」
「一緒に──かあ」
「僕は先に仕事とか決めないとって思うんだけど」
「萌梨くん、やりたい仕事あるの?」
 悠紗は蓮根の天ぷらをかじり、僕は「何をするかはまだ分からないけど」とお素麺を汁に浸す。
「千羽ちゃんと暮らしていける程度のことはしたい」
「そっか。とうさんはもう仕事してんじゃん。いいじゃん、きよ姉」
「いいじゃんって、軽く言うけどね。聖乃さんの家は自営業だから、いろいろ僕も考えるんだよ」
「あ、とうさんがソフトクリーム屋継ぐんだ。にーちゃんのほうは、確か結婚したよね?」
「聖乃さんは、隣なんだから適当にバイト雇って、ついでに実家も継げって聖良くんに言ってるしなあ。どうなんだろ。ちゃんとそのへんご両親とも話し合わないといけない」
「さくっといかないね。俺だったらとりあえず一緒に住みたい」
「え、悠もそういう子いるの?」
「まあいつかできるじゃん」
「悠紗の彼女って、どんな子かな」と僕が口を挟むと、「音楽やること分かってくれる子」と悠紗は必須条件を述べる。
「悠ってあの四人とずっと一緒にいるけど、みんな、いまだに誰にも恋人できてない?」
「いないねー。みんなそれなりにモテるんだけど、梨羽くんと紫苑くんはうざったそうだし、要くんと葉月くんはじゃあ軆だけもらっときますねって感じだし」
 悠紗がさらりと生々しい話題を述べると、「はあ……」と聖樹さんがまた複雑そうな顔になって、僕はついに噴き出してしまう。「萌梨くん」と聖樹さんに軽くむすっとされて、僕は謝りつつ「やっぱ親だね」と笑いを抑える。
 悠紗はそんな聖樹さんと僕をぱちぱちまばたいて眺めてから、「音楽はみんなのことすごいと思うけど、恋愛はとうさんとか萌梨くんみたいのがいいな」と言う。「そうしてくれると嬉しい」と聖樹さんはやっと安心した様子で悠紗に咲った。
 悠紗は聖樹さんにも紗月さんや芽留さんのことを話しはじめ、やがてそれが、参加したイベントとかのお土産話になって、僕も耳をかたむけながらお素麺をすする。
 悠紗自身も、悠紗の話に登場する人も、みんな何か見つけている。僕は将来に何も見つからない。何をすればいいのだろう。何をしたいと思うだろう。分からないけど、そろそろつかんでいかないといけない。音楽とか映画とか小説とか、そんなすごいことじゃなくていいから、僕にもできることを探して、見つけて、叶えたい。
 そしたら、それは僕は一番の夢につながる。千羽ちゃんと暮らす。大好きなあの娘を幸せにする。今、僕たちの朝は電話越しだけど、いつか、目覚めると同じふとんの中で隣にいるようにしたい。聖樹さんも聖乃さんとのことを後継ぎをどうすべきとかちゃんと考えているのだし、僕ももっと未来を見るようにしよう。
 それを祝福してくれる人が、今、僕の周りにはたくさんいる。

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