戻ってきた面々
悠紗もよく眠れた様子の翌日、僕は昼前から千羽ちゃんの家にお邪魔して、一緒にレポートをした。クーラーのきいた千羽ちゃんの部屋で、ひと通り協力して片づけたかったぶんが終わると、悠紗が帰ってきたこと、来週の木曜日に紗月さんたちに会うことを話した。
千羽ちゃんは壁のカレンダーを見て、「十二日ならぎりぎり大丈夫」と予定はありそうな口ぶりで言った。
「何かいそがしい?」
「その週末は、おとうさんの実家とおかあさんの実家に行くの」
「あ、お盆か。千羽ちゃんの帰省って長いよね」
「おとうさんとおかあさん、大学で出逢ったから出身がぜんぜん違うんだよね。先におとうさん、後におかあさんって、飛行機で遠距離移動して帰るの」
「大丈夫? 十二日はあんまり無理しないほうがいいかな」
「私も紗月さんに会ってみたいから、頑張る。それに、聖樹さんにも聖乃さんにも会えるし、悠紗くんも帰ってきてるんでしょ。行かなかったら、後悔するよ」
「でも、大変だね。僕はお盆は、おじいちゃんとおばあちゃんが近くにいるからなあ」
「たまに会うくらいだと、お小遣いもらえるからいいよ。高校生のあいだはもらえる約束」
「はは。ただ、そしたらEPILEPSYには行けないね」
「悠紗くんがギター弾くとこは、また見たかったな。でも、ライヴハウスって空気すごくて。私は部屋でCD聴くほうが好きかも」
千羽ちゃんは苦笑し、僕も教科書をたたみながら咲う。千羽ちゃんもXENONのライヴに行ったことはあって、そのとき僕たちは、メンバーにつつかれながらも祝福してもらえたっけ。
僕を見つめた千羽ちゃんは、「萌梨くんが嬉しそうだから、私はそれで嬉しいよ」と微笑んでくれる。僕も千羽ちゃんを見つめて、小さくうなずくと、少し身を乗り出して「ありがとう」と千羽ちゃんを軽く抱きよせた。
十八時が近づいてきた頃、ご両親に挨拶して千羽ちゃんの家を出た。濃いオレンジ色の夕焼けが蕩けるように空を包んでいた。伸びる影法師に、ひぐらしの声が重なって、夕食の匂いがたまにかすめる住宅街を進んでいく。熱気はまだ停滞している。
駅に出て電車に乗ると、聖樹さんと悠紗に、それぞれ今から帰るとメールを送った。悠紗からすぐ返事が来て、『今みんなも来てるよー!』とあった。みんな。といえば、もちろん──聖樹さんからもメール着信がつき、『よかったら、要と葉月におつまみ買ってきてあげてください。』と書いてあった。つい笑いをこぼしつつ、『了解。』と答えておく。
そっか、と思っても、電車の中なので笑顔はこらえる。XENONの四人が来ているのか。何を買っていこうか。ふたりにはおつまみだけど、梨羽さんにはチョコレートだろう。もちろん紫苑さんにも何か買って帰る。四人に会えるの久しぶりだなあ、とわくわくしながら地元に到着すると、スーパーでおみやげを用意して、自宅に急いだ。
「うおーっ、萌梨やっと帰ってきた!」
「ただいま」と僕がリビングに現れると、すぐに駆け寄ってきてわしゃわしゃと頭を撫でてきたのは、葉月さんだ。
「来たらいないから、ちょっとへこんだぞ」
「あ、千羽ちゃんと勉強する約束してたので」
おもはゆい笑顔で言うと、「憎いねえ」と葉月さんはにやにやする。床に座ってビールを飲んでいる要さんも、「萌梨も順調みたいだな」と言って、僕はうなずいた。葉月さんは僕の手からビニールぶくろを取り、「つまみ到着ですぞ」と軽快な足取りで座卓のほうに戻っていく。
聖樹さんはキッチンで夕食の用意をして、悠紗はポータブルゲームに熱中している。紫苑さんは壁際で相変わらずギターをそばに置き、梨羽さんはヘッドホンをかぶって膝を抱えていた。
「お、チータラ。飲まないにしてはなかなかのセンス」
「からあげとだしまきはあっためましょうか」
「よろしく」
「いくらだった? 金返さねえと」
「いや、そんな額でもないですし」
「うん、それでも返さないと聖樹が睨んでくるんだよな」
僕は笑ってしまい、「あとでもらいます」と言っておくと、からあげとだしまきをキッチンに持っていった。今夜はスパイスが香ばしさからしてカレーだ。聖樹さんは野菜をひと口大に切っていて、「野菜カレー?」と訊くと、「これはオリーブオイルでグリル焼き」と返ってくる。「そっか」と僕はからあげを電子レンジに入れた。
「あ、これ。からあげ終わったら、だしまきもあっためてくれる? 僕、荷物置いてくる」
「分かった。というか、そんなに買ってきてくれたの? ごめんね、勉強してきたところに」
「平気だよ。みんなが食べてくれそうなの選ぶの楽しかった」
僕の言葉に聖樹さんは微笑み、「ありがとう」と言ってくれる。僕は咲い返すと、自分の部屋にリュックを置きにいった。わいわいとにぎやかな話し声がここにも届いている。
悠紗も。XENONのみんなも。やっぱりみんながいると嬉しい。僕がこうなのだから、聖樹さんはもっとそうだろう。聖樹さんもみんなとゆっくり話せるように、僕がこまめに家事とかを引き受けよう。そんなことを思いながら取り出したリュックの中身を整理すると、よし、と部屋を出て明るく温かいリビングに戻った。
それから一週間、XENONは悠紗も交えてスタジオに行ったり、聖樹さんは頼まれたら四人のぶんまで夕食を作ったり、千羽ちゃんと聖乃さんはどうやらふたりで服を買いにいったり、みんな騒がしく過ごした。僕は家に誰もいないとき、『ハンドメイド』をDVDで観直した。
主人公がクラスメイトにいたぶられる冒頭は、いまだに観るのがつらい。けれど、そこに自分を気にかけて守ってくれる先輩が現れる。男の先輩。好きになっちゃいけない。好きになったらみんなの言う通りになってしまう。違う。同性愛なんかと自分は違う。でも、取りついた先輩に抱きしめられると嬉しい。先輩は言う、セックスとレイプは違う。だからゲイであることは悪ではない。そこに現れる、もうひとりのゲイの少年。図らずもふたりの関係が揺らいでしまう。失いかけて、失くしたくないと焦る主人公は、やっと再会できた先輩に想いを告白して──雪が降りしきるその映像を見ると、涙が勝手にこぼれる。この物語が実際の体験に基づいているなんて、なんて切ないのだろう。そして僕はもうすぐ、その人に会える。
もしかしたら、僕は紗月さんには絶対会いたくなかったかもしれない。千羽ちゃんがいなかったら、自分がみじめでつらかったかもしれない。ハンドメイド。手作り、という直訳でなく、つながった手から生まれる温もり、そんな意味だ。その温もりを、僕も僕なりに知っているから、会いたいと思えた。それだけでも、僕の心の成長なのかもしれない。
十二日の木曜日、千羽ちゃんからの電話で目が覚めた。『今日だね』と千羽ちゃんは言って、「うん」と僕は答えた。『今から支度していくね』と千羽ちゃんは言って、電話はいつも通り短く切られた。けれど、会えるんだ、とベッドから床に降りると、心臓が躍りはじめた。
聖樹さんも、一日早めにお盆休みをもらって家にいた。一緒に朝ごはんの支度をしていると、「おはよー」と悠紗が八時頃に起きてくる。ベーコンと目玉焼き、マーガリンを塗ったトーストの朝食を三人で取った。
聖樹さんはお茶やお菓子の用意をして、僕もリビングにコロコロを転がしたりする。悠紗もそわそわとケータイに連絡が来ないかチェックしている。やがて、千羽ちゃんが聖乃さんの家に立ち寄ったそうで、ふたりは一緒にやってきた。千羽ちゃんは初めて見る柔らかいオレンジのパイル生地ワンピース、聖乃さんは白生地に黒のクロスプリントがあるシャツとデニムのスカートだった。
十時半をまわった頃、悠紗のケータイに電話着信がついた。みんな悠紗が通話ボタンを押すのを見守る。悠紗は相手に「お疲れ様です」とか「すぐ迎え行けます」とか言っていて、ちゃんと敬語を使えているところに聖樹さんと僕は感動してしまう。やがて通話が終わると、「よしっ」と悠紗は立ち上がった。
「芽留さんと紗月さん、無事着きましたっ。迎えに行ってくるね」
「悠ひとりで大丈夫?」
「まっすぐここに来るだけだから大丈夫だよ。とうさんこそ、ふたりの好きなドリンク憶えてる?」
「芽留くんはココア、紗月くんはミルクティー」
「そっ。じゃ、いってきますっ」
言い残した悠紗は、元気よく家を出ていった。
「天海芽留とかマジかー」と聖乃さんは天上を仰ぎ、「緊張しちゃいますね」と千羽ちゃんもその場に座り直す。聖樹さんはキッチンで飲み物の用意を始めて、僕も食器棚からカップを取り出して並べた。
聖樹さんは僕に咲い、「悠がしっかりしてることにびっくりした」と言う。僕はうなずきつつ、深呼吸をして努めて落ち着く。
大丈夫だ、と思った。嫌なことがあるわけじゃない。僕が会いたいと言い出した。聖樹さんたちもいる。ちゃんと話せる。仮にバカみたいに口ごもっても、誰かがつないでくれる。大丈夫。
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