コーヒー&ミルク-6

明日にも君がいる

 沙霧さんがおにいさんにカミングアウトして、無事受け入れてもらえたのは、九月に入ってまもなくのことだった。
 それから、例の芽留さんとつながりがある親戚と共に、沙霧さんがこちらにやってくることになった。「一緒に来るの?」と俺がきょとんとすると、『芽留さんって、天鈴町に出没するらしくて』と言われて「マジで!?」と俺はまた驚いた。
 しかも、俺が働いているテアトル街に遊びにくることもあるらしい。映画に関わる人には、このテアトル街はおもしろくてたまらないだろうけど、まさか芽留さんがそんな近所にいるとは。
 思わずその情報をオーナーに話すと、「友達とこれ置いていった子だろ」とぺらっとした紙をさしだされた。〔こもりうた〕と題されたペーパーで、けっこうえぐい内容の小説が掲載されていた。
「え、芽留さん、この店に来たんですか……?」と根本的なことを俺が訊くと、「天海智生の未発表作品のビデオを譲ってくれたんだよなあ」とオーナーはひとり静かにうなずいた。
「未発表作品って、何ですかそれ。俺も観たいです。棚にあります?」
「棚には置いてない。商品にしないって約束だったしな」
「えーっ。俺は観てもいいじゃないですか、スタッフだし」
「俺が死んだときに、部屋から持ってけ」
「いや、オーナーが死んだらこの店が」
「お前が継ぐ」
「そうなんですか?」
「当たり前だ」
 そうなのか、と神妙になっても、もちろん嫌じゃない。オーナーが亡くなって、つぶしてしまうのはもったいない店だ。俺が引き継いでこのショップの息が続くのなら、力になりたい。
 沙霧さんがこちらに来るのは、十月下旬の土曜日ということになった。オーナーはあっさりその日をオフにしてくれた。昼まで親戚と共に芽留さんやその友達と会い、その後、沙霧さんだけ俺のところに抜けてきてくれるらしい。
「芽留さんとゆっくり話さなくていいの?」と気にすると、『俺のメインは真砂くんに会うことだから』と言われて、照れそうになった。
 沙霧さんがこっちに来るなら、俺がゆっくり話せる場所を見つけておかないと。そう思って、落ち着いたカフェを探した。俺の部屋に来てもらってもいいのだけど、まあ、初めて会っていきなり部屋には来ないだろう。
 飲食街をうろつき、軽食もあるカフェに目星をつけておくと、すぐに十月になり、やりとりするメールの内容もお互いそわそわしてきた。前日の夜には、電話もした。『会えるの楽しみ』と沙霧さんは言って、「俺、緊張して変かもしれないけど」と俺が断ると、『それは俺もだから』と沙霧さんは咲った。
 沙霧さんが訪ねてくる土曜日、俺は朝からシャワーを浴びて昨夜決めておいた服を着た。プリントロンTにタータンチェックのシャツを羽織り、ちょっとルーズなジーンズ。沙霧さんにかわいいと言ってもらえた目印だから、前髪はヘアピンで留めておいた。
 おかしくないよな、と洗面台の鏡で何度も自分のすがたを確認していると、十二時が近づいてくる。約束の場所は、例の目星をつけたカフェにしておいた。「よしっ」と気合をこめて言うと、俺はケータイや財布を入れたリュックを手にして、自分の部屋を出た。
 週明けにさっと台風が一過してから、晴天が続いている。今日も秋晴れだったのでほっとして、速足でカフェに向かった。冷気を帯びてきた風が頬をかすって、羽織ったシャツの裾をなびかせる。
 沙霧さんに会えるんだな、と改めて思うと、鼓動が速くなってくる。会うことになって以来、大事に保存しているあの交換した写メを見ては、どきどきする毎日だった。沙霧さんは、俺と会うことに少しでもどきどきしてくれてるのかな。そうだったら嬉しい。
 先にカフェに到着したのは、俺だった。「待ち合わせなので」と言うと、ウェイトレスは笑顔でゆったりできる四人がけのテーブルに案内してくれた。窓際の席で明るいのもありがたい。
 ケータイを確認すると、『今、芽留さんたちと別れて、そっち行ってる』というメールが来ていた。結局沙霧さんと芽留さんは大丈夫だったのかなあ、なんてまだそんな心配をしながら、俺はカフェオレを注文して、『俺は着いたから窓際の席で待ってる』と送信した。
 しばらくSNSでも見て時間をつぶした。十三時を少しまわったことに気づいて、迷ってないかなあと心配になったとき、からん、と入り口のドアベルが響いた。俺はそちらを見て、「あっ……」と声をもらす。
 さらさらの髪。長身で綺麗な骨格。優しい色合いの瞳。
 俺の視線を感じたのか、その人も俺を見た。そして、安心したように微笑んでくれて、一瞬、ふわりと重力を失くしたみたいに全身が甘く痺れた。
 その人はウェイトレスに断って、俺のいる席に来ると、「ええと」と照れ咲いしてから、「真砂くんだよな」と確認する。俺が何度も首を縦に振ると、「初めましてでいいのかな」と彼は手をさしだす。俺は慌ててそれを握り返し、「初めまして」と答えた。
「沙霧さん、だよね」
「うん。ごめん、十三時過ぎちゃって」
「ううんっ。俺こそ、もっと迎えとかすればよかった」
「大丈夫だよ。このカフェ、よく来るの?」
「いや、落ち着いて話せるとこ探して見つけた」
「そっか。座っていい?」
「もちろん。何か食べる?」
「喉渇いたから何か飲む。コーラとかあるかな」
 沙霧さんはメニューを手に取り、目を通したあと、コーラは見つからなかったのかコーヒーを注文していた。
 俺は沙霧さんの容姿を見つめ、やっぱかっこいい、と再確認して搏動が駆けてくるのを感じる。沙霧さんも俺を見て、「ヘアピン、やっぱかわいいな」と言ったので、そう言ってもらえるのを期待していたとはいえ、頬が熱くなる。
「変じゃない?」
「うん。そうしてるから、すっきりしてるし」
「そっか。これしてないと、前髪で暗い奴に見えるから」
「真砂くん、目がくっきりしてて綺麗だからそうしてたほうがいいよ」
「そ、そかな。じゃあ、普段からヘアピンしようかな」
「普段はしてないんだ?」
「映画ヲタクで、実際明るくはないかも」
「あー、真砂くんの映画の知識はすごいよな。俺もすっげー影響受けてる。それまでは、ゲームばっかだったけど」
「俺も昔はぜんぜんだったよ。高校生のとき、『水空』にすごくはまってさ」
「天海監督な。俺も観たよ。暴力とかあんまり分からないんだけど、何だろ、ああいう弱さは分かる気がした。俺もヤケになった時期あるしさ」
 こうして会えて、やっぱり沙霧さんは穏やかに感じるものの、中学時代にはずいぶん荒れたという話を聞いている。
「自分が受け入れられなかったんだよな。真砂くんはそういう時期なかった?」
「俺は、ずっと親友のことが好きで。その気持ちが申し訳なくて、そいつに彼女できても喜べないのがつらかったりした」
「その親友とは、今は?」
「絶縁状態かな。現状とか、何も分からない」
「打ち明けたのに、そういう反応来るときついよな」
「うん……。あ、沙霧さんはおにいさんのことおめでとう。俺もほっとしちゃった」
「兄貴、かなり驚いてたけどな。でも、話してくれてよかったって言ってもらえた」
「いいなあ。俺も妹なら軽蔑はしないかなとは思うんだけど。理解してくれるかは分かんなくて。言えないや」
 そんな話をしていると、沙霧さんの注文したコーヒーが運ばれてきた。ゆらりと香気がただよい、沙霧さんはブラックのまま口をつける。
「あ、……えと、沙霧さん」
「ん?」
「芽留さんに、会ったんだよね」
「さっきまで、話相手してもらってた」
「どうだった?」
「いい人だったよ。天海監督の話とか、おかあさんの話もしてくれた」
「芽留さんの母親って、女優だったような」
「春日麻里佳。引退してるけどな」
「また……会うとか、そういう約束もした?」
「それは別に。あ、そうか、俺が約束してたら今度は真砂くんとも会ってもらえたのか。ごめん──」
「ううん、違くて。その……沙霧さんかっこいいから、芽留さんもまた会いたいって言うかなって」
 沙霧さんは俺をまじろいて見つめたのち、「芽留さんは脚本書くのが楽しいって言ってたから」とくすりとする。
「今は、恋愛より書くことだと思うよ」
「そ、そうかな。でも、沙霧は芽留さんのこと──」
「ないよ、そういうのは。芽留さんと別れて、ここに来るあいだのほうがどきどきしたし」
 俺は沙霧さんを見つめた。沙霧さんは微笑みながらもちょっとおもはゆそうにして、コーヒーを飲む。
「沙霧……さんは、今も、つきあってる人いない?」
「いないよ。真砂くんは?」
「いない……かな。誰かとつきあったことがない」
「この街で、クラブとかイベント行かないの?」
「え、怖いじゃん」
「怖いって。まあ、俺もそういうとこあんまり合わないけど」
「行ったことあるの?」
「あるよ。簡単にホテル直行なのが何か違って、最近は行ってない」
「そうなんだ……」
「………、真砂くんは?」
「えっ」
「真砂くんは、俺のことここで待ってて、何というか……」
「す、すごくどきどきしてた。今も、してる」
 俺の言葉に沙霧さんは微笑み、「よかった、俺ばっかじゃなくて」と手を伸ばして俺の頭をぽんとしてくれた。どきんと大きく心臓が跳ね、熟しすぎたみたいに蕩ける。
 俺に、どきどきしてくれてるんだ。俺と同じように、沙霧さんも──
「……沙霧さん」
「うん?」
「もし、俺が沙霧さんのこと……好きになったら」
「……うん」
「つ、つきあう……とか、そういうのって」
「………、ちょっと早すぎてイメージ湧かないかも」
「そ、そっか……ごめん」
「いや。でも、真砂くんを誰かに取られたらショックかもしれない」
「え……っ」
「今、一番、俺に近いのは真砂くんだから」
 俺は沙霧さんの瞳を見つめた。優しいまなざしが照れてうつむく。「俺も、沙霧さんが誰かとつきあったら……つらいかも」と俺がぼそぼそと言うと、沙霧さんは俺を見つめ直して、「じゃあ、もっとお互いのこと知っていこう」と言った。
 俺はこくんとして、「話したいこといっぱいある」と顔を上げた。「俺も」と沙霧さんはにっこりして、それから、俺たちはいろんな話をした。俺は泰人のことから高校中退のこと、沙霧さんも家庭内のことや学校とそりが合わなかったことを語ってくれる。
 とめどなく話していたら、時間はあっという間だった。十八時には帰りの新幹線に乗る駅に着いておかなくてはならないそうで、カフェの店先で「駅まで送っていい?」と訊くと、「真砂くんがよければ」と沙霧さんはうなずいてくれた。
「あとさ、俺のことは『沙霧』でいいよ」
「えっ」
「何か、慣れないんだよな、さん付けとか。俺も真砂でいい?」
「うんっ。もちろん、いいよ。ぜんぜん」
「よし。じゃあ、真砂──また、ゆっくり会いにくるから」
 俺がこくりとすると、「行こうか」と沙霧が歩き出して、隣を歩く。
 ああ、もうお別れしちゃうんだ。もっといたかったな。話したかったな。
 でも、また会いにくるって言ってくれた。それを信じて、甘えるのはぐっとこらえる。
 駅前で、沙霧の親戚の男の子に挨拶した。その子が沙霧のおにいさんの息子なのは、カフェでの話の中で聞いていた。俺のみっつ年下だそうで、おとなしそうだけど礼儀正しい子だった。
 広い駅で人も経路もごちゃごちゃしているので、俺はふたりを中央改札まで案内する。「じゃあまた」と沙霧は俺を見つめて微笑し、「またメールとかもして」と俺も沙霧をじっと見つめた。沙霧はうなずいて、「向こうに無事着いたら、連絡する」と約束すると、親戚の子と一緒に改札を抜けていった。
 俺はふたりを見えなくなるまで見送り、ひとりになると急速に寂しくなったけど、沙霧とはこれが最後じゃないんだ、と思って心を温めた。

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