夢に抱かれて
あたしの夢は、好きになった人と、愛情のある家庭を作ること。
きっと、こんな夢はいまどき失笑されるし、バカにだってされるのだろう。実際、あたしのパパは皮肉っぽく嗤って、どうせお前は娼婦になって死ぬだけだと吐き捨てた。
そんなことを言って殴るパパと、顔も憶えていないママ。そんなふたりから生まれた。だからあたしは、復讐のように思ってきたのだ、大人になったら絶対に幸せになってやると。
来月、あたしは十九歳になる。「毬音は誕生日に結婚したら、ジューンブライドだね」と言った彼氏の悠紗は、まさに誕生日に結婚式を挙げたおにいさんのお祝いで、今、実家に帰っている。
昨日が結婚式だったはずだから、そろそろ部屋に戻ってくるはずだ。ワンルームのガラス戸は、レースカーテン越しに夕暮れを部屋に溶かし込んでいる。
あたしは今夜もウェイトレスの仕事だけど、深夜勤なので、まだ時間がある。何かごはん作ろう、と手持ち無沙汰にいじっていたスマホを置くと、電気をつけてキッチンに立った。
料理は一応できる、と思っている。今の喫茶店でも、ウェイトレスになる前はキッチンスタッフだった。
その前は、インスタントや冷凍食品、ろくなものを食べていなかったけれど。仮に何か作ったって、食べるのがあのパパだったのだから、ちっとも嬉しくない。
冷蔵庫を覗くと空豆があったので、これをコロッケとたまごとじにしようと決めた。それと──玉ねぎをスープにたっぷり使おう。もちろんお米も炊く。
献立が決まると、材料をシンクに並べた。空豆と玉ねぎはもちろん、じゃがいもやたまごも。まず無洗米を炊飯器に仕込み、コロッケを揚げるだけまでに仕上げる。
玉ねぎはみじん切りにしたものを炒めて、じゃがいもは蒸かしてつぶし、空豆は灰汁抜きも兼ねて塩茹でする。それをボウルで一緒にしたら、マヨネーズや胡椒で味つけ。手のひらでひと口大くらいのかたちにして、あとは小麦粉、たまご、パン粉にまぶして、いったん終わり。
次は空豆の残りを、鍋で煮立ってきたみりんや醤油の中に入れる。沸騰したら溶きたまごを流し込み、蓋をして蒸らすとお皿に。
ふんわりとたまごの匂いがただよう中、最後にスープを作る。皮を剥いた玉ねぎを電子レンジで加熱して、フライパンで焦げ目をつけ、鍋に移すと水でひたひたにしてコンソメを入れて煮こむ。
そのあいだに、さっきのコロッケも揚げていると、あっという間に十九時もまわっていた。
悠紗は、昼は中古CDショップの店員、夜はライヴハウスのホールスタッフとして働き、さらにギタリストとしてバンド活動もしている。でも、帰郷のあいだは全部オフにしていたから、どこに寄ることもなく帰ってくると思うけど──
そんなことを考えていると、不意にかちゃっと玄関で音がした。
「ただいまー」
そんな悠紗の声が続き、あたしは素早く手を洗うと、「おかえり」と彼を出迎えた。大きな旅行バッグを肩にかける悠紗は、「おみやげ渡せる人に渡してたら遅くなったー」と言ったあと、「腹減る匂いがする」と首をかたむける。
「夕飯できあがるから」
「よっし! 腹減った!」
「すぐ用意する」
「俺、何かする?」
「ゆっくりしてていいよ。疲れたでしょ」
「まあ、夜行バスがなー。結婚式はすごくよかった! てか、結音いてびっくりした」
「え、何で結音?」
「俺の兄貴と紗月さんが友達だった」
「そうなんだ。じゃあ弓弦も?」
「いたいた。スーツかっこよかった」
「悠もスーツだったんだよね」
「あー……写真見たい?」
「見せたくないの?」
「いや、XENONもスーツ着ててさ。めちゃくちゃかっこよくて。俺は、ちょっと……あれかもしれない」
あたしは悠紗を見つめて、「見せたくないならいいけど」とキッチンに戻ろうとした。すると、「笑わないなら見せたい!」と悠紗はあたしを引き留めた。
「笑わないよ、たぶん」
「たぶん」
「笑わない」
「ほんと?」
「うん」
悠紗は荷物を下ろすと、ジーンズのポケットからスマホを取り出した。画面に指をすべらせ、「あ、待って。これ、俺のとうさんと兄貴」と先にその写真を見せてくれた。
そこには、白いタキシードが凛と似合っている男の人がふたりいた。そう、悠紗にとっては、おにいさんの結婚であり、おとうさんの再婚でもあったのだ。
「ふたりともかっこよくてさー。あ、もちろん花嫁さんも綺麗だった。これこれ。このふたり」
悠紗は言いながら画面をスワイプし、純白のウェディングドレスがまばゆい女の人ふたりの写真を表示させた。そして、「わりと俺いないなー」と言いつつまだまだスワイプして、ようやく自分を発見したようで、「これだね」とスマホをさしだした。
今、悠紗は肩くらいまでの髪をおろしているけれど、写真の中ではポニーテールにまとめて、タイも締めた黒いスーツを着ていた。その隣に、あたしは面識程度のXENONのメンバーもいる。
あの四人がスーツを着こなしているのは意外だったけど、かといって悠紗が「あれ」ということはなかった。「ちゃんと似合ってるよ」と言うと、「そうかなー?」と悠紗は眉を寄せ、首を捻って写真を眺める。
「何か、足りない感じあるんだよなー。何だろ?」
「あたしはいいと思うけど」
「あっ、もしかして毬音かな?」
「は?」
「そうか、毬音が足りないんだ。これ、隣に毬音がいたらかっこよかった」
何やら納得した様子で、悠紗はうなずいているけれど、あたしは「そっか、そうだね!」と調子に乗れる性格ではない。気恥ずかしくなって頬に微熱を感じ、「ごはん用意するから」と悠紗の背中を部屋の中に押しやる。
けれど、「あ、ちょい待って」と悠紗はその場に踏みとどまり、急にあたしを抱き寄せた。
どきんと一瞬硬くなったけど、悠紗の体温や匂いにほっとして、泣きそうになるから唇を噛む。悠紗は耳元で「ただいま、毬音」とささやいて、目を合わせるとにっこりした。
それから優しく軆を離すと、ようやく荷物を持ち上げて部屋に入っていく。心臓が、きゅうっとするくらい苦しく高鳴って、全身がじわりと温かく痺れる。
愛されている。あたしは、今、しっかりと悠紗に愛されている。子供の頃、ひと雫ももらえなかったものを、なみなみになるくらいそそがれて、満たされている。
「俺も毬音のこと紹介したいなー」
どさっとフローリングに荷物を置き直し、悠紗はこちらににっと笑う。あたしはその笑顔を受け取るのが決まり悪くて、「あたしなんか、受け入れてくれるかな」とつぶやいてしまう。悠紗は少しむすっとして、「『なんか』って言わない」といつものように言った。
そう、その言葉で悠紗はあたしに巣食っている自嘲を取り除いてくれる。あたしがやっと素直にこくんとすると、悠紗はすぐに笑顔になった。
「マジでいつか会ってね? とうさんにも、兄貴にも」
「ん、分かった」
あたしがそう言うと、「よっしゃ」と悠紗はこちらに腕を伸ばし、もう一度あたしをぎゅっとしてくれた。ほんとに、あたし、愛されている。結局、パパもママもあたしをこんなふうに抱きしめなかったけど、今、悠紗がいるから、悠紗がこうしてくれるから、それでいい。
「悠」
「ん?」
「あたし、悠となら夢が叶う気がする」
「夢?」
「好きな人と、あったかい家庭を持つの」
悠紗は、あたしの長い栗色の髪を撫でながら、「それ、プロポーズじゃん」と言った。「ダメ?」とあたしがほんのわずかに甘えた声で言うと、「ダメじゃないけど」と悠紗はあたしの髪に頬を当てる。
「俺からも言いたい」
あたしは小さく咲うと、「じゃあ言って」と悠紗にしがみつく。悠紗はしばし考えていたけど、とっさに思いつかなかったのか、代わりにキスをした。その行動にまた咲ってしまうと、「毬音」と悠紗は瞳を覗きこんでくる。
「俺はさ、何というか……バンドマンだから」
「うん」
「あんまり、いろいろ言っても、軽く聞こえるかもしれないけど」
「……うん」
「毬音を幸せにするよ」
あたしは、悠紗の黒い穏やかな瞳をじっと見つめる。悠紗は照れ咲いを浮かべると、「そのためにも」とあたしの視線を自分の胸に伏せさせた。
「音楽、頑張るね」
あたしは悠紗のTシャツを握って、うなずいた。
知ってる。それは知ってる。悠紗にはおとうさんがいて、おにいさんがいて、誰よりもってわけじゃないかもしれない。それでも、悠紗が頑張ってきたのを知っている。頑張っていくのを信じている。
あの日から、ずっと、悠紗が音楽と生きているのを、あたしは見守ってきたから──。
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