温かい食卓
「笑い事じゃないよ、葉月くん」
悠紗はあたしの元に駆け戻り、「くまっく」の惨状を見て、「洗濯かなあ、これ」とやってしまったという顔になる。
「飛羽って静かだと思ったけど、単に何かしゃぶってただけだったかも」
「そういえば、いつも何かくわえてた気がする」
「まあ、飛羽はうさぎで落ち着いてそうだな。彩羽、ほら、くまはお風呂に入れてあげるから」
「おふろ……?」
「そしたら、さっぱりして元に戻るし」
それはあまり、彩羽ちゃんのお気に召す提案ではなかったらしい。ぐずってかぶりを振った彩羽ちゃんに、「お子めんどそう」と葉月さんが言い、「ガキでもしっかり女だな」と要さんも言う。その後ろで、梨羽さんがリュックから何か取り出し、それを受け取った紫苑さんが「これ」と前方のふたりに声をかけた。
「お、そうだ。ちょうど、そんなお子にみやげあるんだわ」
「え、マジ? 今、お菓子とかだとありがたい──」
「シロテナガザルだな」
要さんの唐突な言葉に、「は……?」と悠紗は変な顔になった。
「ぬいぐるみとマスコットがあるぞ」
「何──猿のケツ饅頭とかのほうが、今は嬉しいよ」
「そんなおもしろいみやげあんのかよ」
「知らないけど」
「シロテナガザルもなかなか愉快よ」
葉月さんが包みを開き、本当にシロテナガザルのぬいぐるみを取り出した。手足が異常に長い、もふもふと白い猿だ。「ええー……」と悠紗は困っているけど、あたしはそれをぶんどって、彩羽ちゃんの前でシロテナガザルの両手を広げた。
「彩羽ちゃん、くまっくはおかあさんに綺麗にしてもらうから、この子と遊んでみない?」
「これ……何」
「え、まあ……お猿さんかな?」
彩羽ちゃんはシロテナガザルを受け取り、だらんと長い手足を引っ張ったり、ぐるぐるまわしたりして、あたしを見上げた。
「ながい」
「そ、そうだね」
「彩羽、何とそいつは親だ。子もいるぞ」
葉月さんは、ぬいぐるみのシロテナガザルの腕に、マスコットのシロテナガザルをくっつけた。マスコットは手足がマグネットになっているようで、見事に親猿の腕にぶらさがる子猿になる。
すると、彩羽ちゃんは「わあ!」とマスコットの登場でやっと涙を引っこめて色めいた。
「すごい。かわいい!」
「ねー。いやー、娘は咲うとかわいいな……」
「ロリ発動すんなよ。つか、ドン引きしてる悠と違って、毬音ちゃんはあやす行動が早いな」
「いや、いきなりシロテナガザル出されてもさ」
「要さんたちが、テディベアとか出すほうが怖いでしょ……」
あたしの言葉に「確かに」と悠紗は笑い、「褒めてねえな」と要さんも苦笑いした。
「お、飛羽もこんなにでかくなったか」
要さんは「うさち」の耳をもぐもぐする飛羽を抱き上げる。
「うさ公の耳食ってんぞ、こいつ」
「そのぶん静かだから」
「食いちぎって、喉詰まらせたらやばくね」
「え、じゃあ、やっぱおしゃぶりのほうがいいかな」
「飛羽くん、食いちぎる歯がないから、吸ってるだけだと思うけど……」
あたしの言葉に「なるほどな」と要さんは納得して、「悠も昔は聖樹によく似てたけどなー」と飛羽くんを高い高いする。
「飛羽も聖樹に似てるなあ。飛羽は髪質とかだな」
「俺、とうさんに似てたかな」
「目元とか今もそうだろ」
「そう?」と悠紗はあたしを見て、あたしは首をかしげたものの、穏やかな印象は似てるかもしれないと思った。
彩羽ちゃんはシロテナガザルのぬいぐるみをつみきの玉座に置いて、その膝にマスコットを座らせている。
「おとうさんね、いつも彩羽をこうやって、おひざで抱っこしてくれるの」
「ほう。萌梨が娘を膝に置いてるとか、その図に俺は泣きそうですわ」
目頭を押さえる葉月さんの脇を、梨羽さんがすり抜けてリビングの隅に座りこむ。梨羽さんは相変わらずヘッドホンをしている。それに付き添う紫苑さんに、悠紗は「ぬい、ありがとねー」と声をかけ、紫苑さんは無言でうなずいた。
そうこうしているうちに、荷物を多く提げた千羽さんが帰宅してきた。「よっ」と葉月さんに挨拶されて、「よかった、皆さんのぶんも買ってきて」と千羽さんはほっと笑顔になる。「半分出すから言ってくれな」と要さんが言うと、ダイニングに荷物をおろした千羽さんは、「お言葉に甘えて」と要さんにレシートを渡していた。
「鍋とか食いたいなー」
葉月さんが何気なく言うと、「あ、今夜お鍋ですよ」と千羽さんは微笑む。
「聖樹さんがそうしようって言って」
「さすが友」
「さっぱりした奴でいいけどなー」
「それな。食える肉の量に限度が出てきて、俺はショックを隠せない」
「水炊きの豆腐と白菜に、醤油だけかけてひたすら食いてえ……」
神妙な要さんと葉月さんに、「白菜たくさん買ってきた甲斐がありました」と千羽さんは咲う。それからあたしを見て、「よかったら」とキッチンをしめした。
「今日の夕ごはんは、一緒に支度しましょうか。彩羽と飛羽は悠紗くんたちに任せて」
「あ、あたしでよければ。もちろん」
そんなわけで、十人ぶんくらいになる夕飯の準備を手伝わせてもらった。確かに、この人数ならあたしも手伝ったほうがよさそうだ。豆腐と白菜はもちろん、つくねや魚の切り身、もやし、えのきも用意されている。ごはんは、鶏肉としめじの炊き込みごはんと、チーズリゾットを作るそうだ。
「二種類作るんですか?」
「炊き込みごはん、たぶん足りないから。子供たちと、希望してくれる人にはリゾット」
「大人が十人ですもんね。すみません、こんなときに外食もしなくて」
「ううん、みんなで食べるの楽しいから。それに毬音さん、悠紗くんとふたりならお鍋の機会って少ないんじゃない?」
「たまに、悠のバンドメンバーが部屋に来て、食べることもありますけど……それはそれで、落ち着いて食べられないですね。みんな、どんどん肉追加って言い出すから」
「はは。じゃあ今日は、できあがったらゆっくり食べてね」
にこっとした千羽さんにこくんとして、あたしは炊き込みに入れるにんじんを千切りに、油揚げを短冊に刻んでいく。
そのあいだに、千羽さんは寄せ鍋の具材を土鍋いっぱいに詰める。それをぐつぐつと煮込みつつ、もうひとつの焜炉でチーズリゾットを作る。リゾットに使うごはんは、すでに昨日に多めに炊いておいたものだ。
あたしは千羽さんに手順を教えてもらいながら、炊き込みごはんを炊くまでに仕上げた。炊飯器にお米、調味料、水をそそぎ、鶏肉、にんじん、油揚げ、しめじと順番通りに具材を入れる。そして、炊飯スイッチを押して待つだけだ。
外の日が暮れてきた頃、萌梨さんが帰宅してきた。「さるだよー」という彩羽ちゃんの声がして、あたしは思い出して「くまっく」が飛羽くんのよだれにまみれたことを千羽さんに話す。「ああ、いつものことだから」と千羽さんは咲い、あとでこっそり手洗いしておくと言ってくれた。
「要さんと葉月さんが選んだんですか?」
萌梨さんは彩羽ちゃんを抱き上げ、シロテナガザルについて訊いている。
「梨羽がアオダイショウのぬいと迷った挙句、こっちにしてた」
葉月さんの回答に、「ええと」と萌梨さんは悠紗みたいにちょっと困っている。
「アオダイショウって、蛇ですよね……?」
「デフォルメでかわいかったぞー。緑のマフラーっぽかった」
「動物園とか行ったんですか?」
「いい歳した男四人で、動物園は行かんな」
「高速のパーキングに売ってたんだよ。パーキング、たまにおもちゃの品揃えすごいぞ」
「はあ……。あ、いや、ありがとうございます。彩羽、よかったね」
「うん!」
彩羽ちゃんが元気に返事したので、萌梨さんもやっと笑顔になる。そこに手を洗った千羽さんが顔を出し、「萌梨くん、おかえりなさい」と声をかけた。「ただいま」と萌梨さんは千羽さんに向かって笑みを浮かべる。
悠紗は仰向けになって、お腹に飛羽くんを乗せていた。飛羽くんも悠紗のお腹でうつぶせでぺたっとしている。あたしは悠紗のまくらもとに座り、「ごはん、あと少しだから」と言った。「腹減ったよー」と言いながらも、悠紗は飛羽くんの背中をとんとんとしている。飛羽くんは今はおしゃぶりをくわえている。
聖樹さんと聖乃さんも帰ってくると、大所帯の夕食になった。リビングのこたつを、あたしと悠紗、萌梨さんと千羽さん、聖樹さんと聖乃さん、要さんと葉月さんで囲む。梨羽さんと紫苑さんは、聖樹さんが取り分けたものを、室内の隅でもそもそと食べる。
「明日はリハだから、飯も外で食ってくると思う」
ほかほかと立ちのぼる、寄せ鍋のシンプルなだしの香りと、炊き込みごはんの香ばしさが食欲をそそる。チーズリゾットを希望したのは、子供たち以外では萌梨さんと千羽さん、聖樹さん、あとは梨羽さんだ。
「そう? 別に遠慮しなくていいけど」
「食ったあと、テーブルに長居して打ち合わせだしな」
「そっか。分かった」
「てかさー、毬音って、まだとうさんと萌梨くんの料理食ってなくない?」
「あ──そうかも」
「それなら、明日は聖樹さんと萌くんに何か作ってもらおうよ」
豆腐を口に運ぼうとした聖乃さんが提案して、「でも、仕事があるなら」とあたしが遠慮すると、「大丈夫だよ」と聖樹さんは微笑んだ。
「昔はよく、仕事終わってから夕飯用意してたから。萌梨くんは、明日どう?」
「僕は──明日、千羽ちゃんシフト入ってる?」
「入ってるけど、ひとりで帰ってこれるよ」
「でも……」
「じゃ、俺が千羽ちゃん迎え行くよ」
悠紗が手を挙げ、「何なら」と続ける。
「きよ姉のとこのソフトクリーム食べてほしいから、毬音も連れてくし」
「ほんと? じゃあ千羽ちゃんの帰り道は悠紗にお願いして、僕もまっすぐ帰ってこようかな」
「毬音さん、食べたいものとかある?」
聖樹さんに問われ、「えっ」とあたしは思わずとまどう。
「えっと……何だろう、あんまり自分で作らないものとか……食べたことないとか……」
「毬音は肉じゃがとか食べたことなさそう」
「ないかも……」
「和食とかかな?」
「あ、食べてみたいです」
「分かった。萌梨くんとおいしいもの作るよ」
聖樹さんはにっこりとしてくれて、「よろしくお願いします」とあたしは恐縮しつつ答える。その横では、要さんと葉月さんが具材を争奪して、「ふたりで全部食べないでよー」と悠紗が割りこむ。それに「追加あるから」と千羽さんがくすくす咲い、聖乃さんは飛羽くんにリゾットを食べさせている。萌梨さんも、息を吹きかけてリゾットを彩羽ちゃんの口に運んでいる。梨羽さんと紫苑さんは静かだけど、それでも、にぎやかだなあ、と思った。
にぎやかで、あったかい。あたしもこの輪を囲んでいるなんて、まだ夢みたいだ。でも、いつのまにかあたしは、ここにいてなごやかに咲えるようになりつつある。
ああ、ここはあたしの居場所なんだ──そう思って、柔らかく甘くなった白菜を噛みしめ、いつのまにか違和感も緊張感も感じなくなっていることに気づいた。
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