イロチガイ

 どこにいても、自分が場違いな気がしてたまらない。学校。塾。家庭だって。俺は誰にも自分のことを話していないから。
 話したところでどうなる? 同性に惹かれることを打ち明けたって、そうしたら今度は迫害されるだけだろう。
 連休の明けた初夏、放課後にはいつも通り校庭に向かう。少し頭がおかしいような青空は暑く、階段に腰を下ろすと、ペットボトルのスポーツドリンクで水分補給する。
 学校は、毎日十六時半くらいに終わる。そして、十八時から二十一時までは塾がある。塾は高校最寄りから二駅のぼるだけで、わりと近い。徒歩の時間も入れて三十分あればたどりつけるので、一時間、俺の時間は毎日余ることになる。ちなみに、地元は高校最寄りから七つくだるので、いちいち帰らない。
 部活にも入っていない俺は、余った一時間は、さもヒマそうにこうして校庭への階段に腰をおろしにきて、運動部の練習の声を聴きながらスマホで漫画を読む。たまにぼんやり校庭を動きまわる奴らを眺める。
 俺がいつも座る階段は決まっていて、サッカーゴールのそばの階段だ。サッカー部の奴らはもちろんその周辺で練習やトレーニングに励んでいて、その中に芽森めもりがいる。
 芽森めもり修平しゅうへい。一年生のとき、同じクラスだった。別に仲良くはなかった。見ているだけの片想いだった。クラスが変わったら気持ちも薄れるかと思ったけれど、結局二年生になってもその部活すがたをこうして盗み見ている。
 軽く毛先が遊ぶ髪、凛々しい眉、涼しげな目元。首や肩、腕はがっしりとあり、性格は寡黙だ。今のところ彼女はいない。
 一年のときからサッカー部で活躍する芽森は、いつも女子にきゃーきゃー騒がれて部活を見守られている。それに対して、芽森は厄介そうにため息をつくから、かっこいいなあ、となんてまた思ってしまう。
 かっこいい、なんて。男の俺に思われたって、きっと芽森は気持ち悪いのだけど。
 手の中のスマホをスワイプしてページをめくり、運動部のかけ声を聞きながら漫画を読む。
 ずいぶん日が長くなり、まだ空は明るく淡い雲が風に揺蕩っている。汗ばむ軆に水分を補いながら、塾かったるいなあ、と膝に頬杖をついたときだった。
南緒みなお瞬一しゅんいちくん」
 突然名前を呼ばれて、俺ははっと振り返った。そこには、長髪を後ろに束ねて、妙に睫毛がぱっちりした男子生徒がいた。男子……だよな。いやに華奢で色白だけど。男子制服を着ているし。
「……何」
 俺がぼそっと返すと、「隣、いい?」とそいつは俺の隣にしゃがむ。
「え、ああ」
「よかった。話すの、初めてだよね」
 そいつは俺の隣に腰かけ、こちらに首を曲げるとにっこりする。俺は引き攣った笑みしかできない。
 何だ、こいつ。
「僕、二組の宝賀ほうがさとるっていうんだけど」
「ホウガサトル……え、知り合いだっけ?」
「初対面」
「だよな」
「僕はずっと南緒くんに気づいてたけど」
 俺は変な顔になって宝賀を見た。宝賀はにこにこしてから、校庭に目をやる。
「かっこいいよね」
「は……?」
「芽森くん。僕も好きだなー」
「え、いや……え?」
「僕も男の人が好きなんだ。だから、ずっと南緒くんも気になってた」
 え。……え?
 男が好き。男なのに。俺と同じ?
「ほんとに?」
「嘘ついても仕方ないでしょ」
「そう、だけど」
「南緒くん、いつもひとりじゃん。寂しくないの?」
 寂しい──もちろん、寂しいけれど。ふとした拍子にゲイだとばれて、軽蔑されるよりはいい。
 それをぼそぼそと言うと、「じゃあ」と宝賀は手をさしだした。
「僕が友達になるのはいいでしょ? 同じなんだから」
 同、じ──。思いがけない言葉に、心臓が揺れた。
 だって、ずっとひとりだと思っていた。男なのに男に惹かれて。それを隠すしかできなくて。自信の欠片もない。
 こんな俺にも、友達ができていいのか。恐る恐る、宝賀の手を握り返してみる。宝賀はまたにっこりして、「よろしくねっ」とつないだ手をぶんぶん振った。
 それから、宝賀のほうが押しかけてくるので、俺は彼と仲良くなっていった。弁当を一緒に食ったり、ノートを貸し借りしたり、放課後には芽森を眺めたり。
 宝賀は、女子の友達が多かった。宝賀の髪はほどくとさらさらで、女子がしょっちゅう結ったり編んだりで遊んでいる。俺とはどちらかといえば女子は苦手だったから、宝賀といて女子が混ざってくるのは内心気まずかった。
 宝賀に合わせて女子と過ごしていると、何とも言えない違和感がある。けれど彼女たちは宝賀の友達なのだし、文句みたいなことは言えない。ただし、放課後に芽森を遠巻きに見つめるときは、ふたりきりだった。
「やっぱかっこいいね、芽森くん」
 その日も階段に宝賀と並んで、サッカー部のトレーニングを眺めていた。もちろん芽森も混じっていて、サッカーゴールのそばに溜まる女子たちは、どれがマネージャーなのか分からない。「そうだな」と俺は芽森のたくましい筋肉に見蕩れる。
「いいなあ、女の子は。お弁当さしいれたりさあ、『頑張ってね』って話しかけたりさあ」
 俺は宝賀の遠い瞳をちらりとして、何でだろう、と思った。
 俺は別に、芽森に弁当をさしいれたいとかは思わないけれど。近づきたいとは思うが、話しかけて部活の邪魔はしたくない。
「ねえ、南緒くん」
「ん?」
「南緒くんって、放課後は毎日塾だよね?」
「まあな」
「土日もそうなの?」
「いや、週末は休み」
「じゃあ今週末、僕がたまに遊びに行く店に来てみない?」
「店って」
「バーなんだけどさ。似たような人ばっかで楽しいよ」
「………、未成年いいのか」
「お酒飲まなきゃOKだよ」
「じゃあ、まあ、いいけど」
「ほんと? わあい、みんな南緒くん連れてきなよって言っててさ」
「すごいな、そういう店行ったりしてるんだ」
「高校卒業したら、そういう店で働きたいし」
「……ふうん」
 高校の卒業後なんて俺は考えてないなあ、と膝に頬杖をつく。大学に行っているとは思うが、何を専攻したいか、何のビジョンもない。
 天を仰ぐと、梅雨をひかえた空は灰色がかっていて、風には蒸した匂いがこもっている。梅雨が始まったらサッカー部も室内だろうし、しばらく芽森を見れなくなる。
 そのまま芽森をあきらめられたらいいのに。どうせ叶わない恋だ。宝賀とそういう店に行ったら出逢いがあるかなあ、とちょっと期待してしまう。本当に、新しい出逢いでもないと、芽森を卒業まで引きずってしまいそうだ。
 土曜日、俺は親を言いくるめて夕方に家を出て、市内の駅の宝賀との待ち合わせに向かった。ちょうど雨も降っておらず、週末の夜の駅は混んでいたが、宝賀が目敏く俺を見つけてくれて、「行こっ」と楽しそうに腕を引っ張ってきた。
 二十時が近く、ざわめく駅を出ると、空は暗いがきらきらとネオンが降っていた。ビルの群れに入ると、どの雑居ビルにもいっぱいスナックやバーが入っていて、独特の雰囲気がある。
 歩いている人も、水商売の女やら見るからにホストの男、あるいはキャッチ、どこの客なのか歩き煙草のおっさんとすれちがうと、その煙たさに慣れなくて咳きこみそうになる。
 宝賀は慣れた足取りでビルとビルのあいだを進み、「ここだよー」と周りと変わりなく見えるビルに入ってエレベーターに乗った。少し緊張してしまうと、「みんな僕たちと同じだから大丈夫だよ」と宝賀は咲った。
 みんな同じ。みんなゲイってことだよな、と増えていく数字を見上げる。ずっとひとりだと思っていたのに、少し踏み出しただけでそれが変わるなんて──
 相乗りもなく八階に着いて、宝賀に引っ張られてエレベーターを降りる。扉が四つくらい雑居していて、宝賀はその中のひとつを「おはよー」と言いながら押し開けた。
 おはよう。夜なのに、と思っていると、「さとちゃん、いらっしゃい」と中から声がした。
すいママ、南緒くん連れてきたー」
「あら、やっと連れてきたのね」
 ……のね? 語尾に首をかしげつつ、宝賀のあとに続くと、カウンターの中にいたのは女だった。いや、ドレスから見える腕の太さとか首の筋肉とかは男だが。でも、雰囲気で分かる。たぶんこの人を男と呼んではいけない。これはいわゆるオカマ、もといニューハーフ──
 ん? と俺は宝賀を見た。
「南緒くん、この人、翠夜すいよさん。ここのママだよ」
「えー……と、女?」
「やあねえ、どう見たって女子でしょ」
 いや、声はけっこう男だが。
「僕も着替えていい?」と宝賀はカウンターに身を乗り出し、「好きなドレス着なさいな」と翠夜さんはクローゼットをしめした。「わあい」と宝賀はそこを開けてドレスを物色しはじめて、え、と俺は翠夜さんを見る。
「あの、すいません」
「みなちゃんも着てみたら」
「みなちゃ……いや、別に、そういうのは俺、興味ないっていうか」
「あら、そうなの? さとちゃんがお仲間って話してたからてっきりそうかと」
「え、宝賀ってゲイですよね? ここはゲイバーという場所ですよね?」
 翠夜さんは俺を見つめて、「ああ!」とぱんと手を打った。
「あなた、ゲイの男の子なのね?」
「え、それ以外にないですよね」
「じゃあ、ここは違うわねえ。ここはニューハーフのお店なのよ」
「………、女になりたい男」
「心は女、軆は男ね。ゲイは心身共に男でしょう?」
「そう、ですね」
「違うのよ、ニューハーフとゲイ。あたしたちは女として男に惹かれるけど、ゲイの方は男として男に惹かれるわよね。むずかしいけど、それぞれ違うのよ」
 俺はドレス選びに夢中になっている宝賀を見て、ああなるほど、と思った。
 宝賀といて、何となくあった違和感。同じはずなのに、微妙な感覚のずれ。
 そういうことかよ、と息をついてしまう。
「ややこしいわよねえ。セクシュアルマイノリティは、レインボーで象徴されるくらいひとりひとりの色があるのよ。なかなか同じ人を見つけるのはむずかしいくらい」
「……そうですね。でも、何か納得しました。ときどき、宝賀の感覚が分からないときがあったんで」
「ふふ、同じ性別に惹かれるから、さとちゃんがお仲間と思っちゃったのね。許してあげて。さとちゃんもみなちゃんを見つけて嬉しかっただけだと思うの」
「……みなちゃん」
「あ、ごめんなさい。南緒くん?」
「はい」
「これからも、よかったらさとちゃんのお友達ではいてあげてね」
 俺は苦笑しつつもうなずき、ドレスと一緒に化粧室に入る宝賀を見た。いろいろあるんだな、と思った。
 でも、そうだ。女友達が多いとか、髪を結って遊ぶとか、そのへんが俺にはどうも理解できなかった。
 簡単な話、俺は男で、宝賀は女だったのだ。芽森への気持ちにも、うまく言えない違いがあった。好きだという気持ちは同じでも、俺は男として、宝賀は女として、芽森を見ていた。だから、何だか違和感があったのだ。
 やがてエメラルドのマーメイドドレスを着て、化粧もした宝賀が戻ってきた。「かわいいじゃん」と言うと、「南緒くんは化粧とかしないの?」と宝賀は隣に座る。
「俺はゲイだから」と言うと宝賀はきょとんとまばたきした。そして「さとちゃん、南緒くんはオカマではないわよ」と翠夜さんに言われた宝賀は、「えーっ!?」と声を上げた。
「嘘っ、えっ? 何? じゃあ、こういう店ってもしかして南緒くんには違った?」
「……ん、まあ。ここにいるの、女だろ」
「南緒くんは違うの? 心は乙女じゃないの?」
「乙女ではない」
「わ……うわっ、ごめんね? ゲイ? ゲイってことは、えーっと、男のまま男が好きなのかっ」
「そうですね」
「うわあ……ごめん、南緒くん。完全に仲間だと思ってた……」
「いや、俺も宝賀をゲイだと思ってたから気にするなよ」
 宝賀はしゅんとうつむいていたけれど、「あの」とふと上目遣いをしてくる。
「南緒くん」
「ん?」
「よかったら、仲間じゃなくても、友達ではいられる?」
「え」
「せっかく、しゃべるようになったんだし」
 俺は宝賀を見つめて、軽く噴き出すと「おう」と答えた。すると宝賀はぱっと表情を輝かせて、「よかったわねえ」と翠夜さんに言われて嬉しそうにうなずく。
 そんな宝賀に、俺はやっと見えなかった壁を崩せた気がした。
 俺も宝賀も、男に惹かれる。でも俺は男として、宝賀は女として。同じようで、違う色。
 それが分かって、宝賀の隣がやっと居心地よくなった。宝賀は初めて、俺の誰にも打ち明けられなかったすがたを知って、それでも友達でいようと言ってくれた。
 大事にしよう。色は違っても、認め合えば、いくらでも誰かとつながれる。
 そしていつか、自分と同じ色の人を見つけて、居場所にすることだってできるのだ。

 FIN

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