LUNA PAIN-2

 世那が家に帰っていない。家まで五分というところまで、昨日俺は一緒にいた。その五分間に何かあったのか? 昨日に限って、夜に世那と通話も何もしなかったから分からない。
 でも、朝にメッセはよこしたじゃないか。スマホが自由に使えているなら、やはり何かあって家に帰りたくないとかじゃないのか。世那の家には、幼い頃から何度も遊びに行った。そういうとき、おじさんやおばさん、弟の世津せつに嫌な感じを覚えたことは特にない。じゃあ、やっぱり何か事件に巻きこまれたのか──
 一気にそんなことを考えながら、俺はスニーカーに履き替えて校門まで走った。門は閉ざされていたけど、乗り越えられる高さなので足をかけて突破させてもらう。担任追いかけてこないな、と一度振り返って確認すると、俺はまず、この高校周辺の世那と歩いたところを探してみることにした。
 駅前のファミレス、ゲーセンやカラオケ、レンタルショップや本屋まで見てまわる。店員にも昨日の夜以降に同じ制服の男子生徒を見なかったかと問うたが、「その制服はお客さんに多いから」とか「昨日のシフトの子じゃないと分からない」とか、挙句「君は学校行かずに何してるの」と眉間に皺を寄せる奴もいた。
 学校周辺をあきらめると、休日によく遊びにいく市内に出て、モールとかカフェを巡る。もちろん、探しながら世那にメッセもたまに送っていた。そして、それに既読だけはつくのが何だか不気味だった。
 メッセは何も来ない。もちろん通話着信もない。一度俺から通話をかけてみたが、世那が出ることはなかった。
 あちこち駆けずりまわり、喉が渇いて、駅に戻ったとき自販機でスポーツドリンクを買って一気にペットボルト一本を飲んだ。いつのまにか、昼下がりを大きくまわった時刻になっていた。全身が汗びっしょりで、みぞおちの靄はいっそう黒くなっている。
 何だよ、世那。どうしたんだよ。どこにいるんだよ。既読つけるなら、何でもいい、言葉も送ってくれよ。お前、俺に何か隠すような柄じゃないだろ。
 下校時刻が近づき、俺は電車が学生で混みあう前に地元に帰った。この町の心当たりを全部見てまわったら、一度、世那の家に行こう。そう思いながら、俺は慣れ親しんだ町内を走りまわったけど──結局、世那の行方の手がかりもつかめなかった。
 がっくり肩を落とし、これほんとに何か事件なんじゃね、と冷たい背筋で感じながら、世那の家に向かおうとしたときだ。ポケットでスマホが震えた。俺は慌ててスマホを取り出し、ポップアップに目を開く。
『宮間世那さんからメッセージが届いています』
 引き攣りそうな指でポップアップをタップした。すると、俺の一方的なメッセが続いた一番下に、世那のメッセがあった。
『いつもの公園にいる』
 足を止めた。公園、って、あの雑草がすごい公園か。あそこは地元に戻って一番に捜索したが、何もなかったはずだ。
 いや、移動してきたのかもしれない。とにかく、世那がここにいるというなら行くしかない。俺はきびすを返して、世那といつもだべって過ごす公園に向かった。
 大きな夕焼けが、生い茂る雑草を赤く染めていた。ブランコふたつ、小さな滑り台と狭い砂場しかない。もちろん今日も、遊んでいる子供はいない。
「世那?」と声をかけながら、俺は草をかき分けて公園をきょろきょろする。返事はない。俺はスマホをもう一度見て、さっきのメッセを確認した。この公園のことだよなあ、と一抹不安になりつつも、もう一度公園を歩きまわろうとした。
 そのときだ。
 突然、後頭部に強い衝撃が襲って俺は前のめった。え、何──振り返ろうにも、鈍器でも降り下ろされたような打撃が脳内まで響き、ぐらりとめまいがして膝をついてしまう。
 ついで、がつっ、がつっ、と同じところを執拗に殴られた。鼓膜に頭蓋骨を殴打する音が生々しく反響する。見開いた目にやけに夕陽が焼きついた。
 頭が割れるんじゃないかと思ったときには、地面にうずくまってしまっていた。うなじにべっとりとしたものが流れ、血か、とぼやける意識で思う。荒っぽい息遣いの人影が、俺を見下ろしていた。
 ……誰だ?
 こいつ、まさか世那にも──
 そこまで思った瞬間、そいつは手にしていた煉瓦なのかコンクリなのか、何か四角いものを持ち上げ、反動をつけて俺の頭に振り落とした。
 ごつんっというひどい音と共に、俺はびくんと軆を脈打たせ、もう痛いというより目の焦点が合わないぐらつきに脱力して、そのまま、意識を失っていた。
 ──頭がずきずきする。何でこんなに痛いのか、しばらく分からなかった。
 が、不意にあの最後に見た夕陽がよみがえり、公園で誰かに襲われたことを思い出した。頭に触れようとしたら、がちゃっという音がして右手が何かにつながって持ち上がらない。何だ、と怪訝に思い、それから目視がきかない真っ暗な部屋にいることに気づいた。
 何だよ。どこだここ。
 焦ってきょときょとしていると、「……起きたか」と声がしてはっと左隣を見た。誰かが膝を抱えている。
 というか、今の声──
「世那?」
「……ん」
 身動きするときしむ音がして、俺たちがどうやらベッドの上にいることが分かった。
「何? 何だここ。すげー暗いんだけど。暑いし」
「俺にも分かんねえよ。昨日、家の前でいきなり口ふさがれて何か嗅がされて、目が覚めたらここにいた」
「……俺も、殴られて気い失ってた。え、てか何か右手つながれてるんだけど」
「俺も左手つながれてるわ。てか、俺らをここに連れてきた奴──」
 世那が言いかけたとき、不意に室内にほの暗い明かりとクーラーの冷気が射しこんだ。
 俺はそちらを見て、「話し声がすると思った」と言った人影が誰なのかに気づいて、息を飲む。
「暁戸……?」
「ごめんね、波多野くん。頭、手当てしておいたから。殴って気絶させるのは、宮間にしろって言っておいたんだけどね」
 思い設けない流暢さで暁戸は言って、後ろ手にドアを閉めた。それから、ぱちんという音で部屋にやっと明かりが灯る。
 俺たちはやはりベッドの上にいて、それぞれ俺は右手、世那は左手を手錠でベッドスタンドのパイプにつながれていた。服装はふたりとも制服のままで、暁戸だけが私服だ。
 どこの誰の部屋なのか分からないが、窓は雨戸も閉め切られて、ベッド以外には何もない白い壁とフローリングの狭い部屋だった。
「てめえが世那に何かしたのかよっ」
 俺が咬みつくと、暁戸は優雅と言えるほどの微笑を浮かべて、「まず宮間の心配なんだね」と言った。「何なんだよ」とその微笑が気持ち悪くて、俺は世那を見る。
「世那、朝には俺にメッセくれたじゃん。そのとき──」
「俺のスマホ、今あいつが持ってるから」
「は?」
「気絶してるうちに盗られた」
「ロックは?」
「暗証番号言わないと、智海のことも連れてきて目の前で殺すとか言われた」
「……そんな、」
「ねえ、僕の話聞いてくれないかなあ?」
 暁戸が割りこんできて、俺は苦々しく、世那は鬱々とそちらを見る。注目されて暁戸は満足そうに笑むと、「僕はね」と俺をじっと見つめてきた。
「羽多野くんのことが、入学したときからずっと好きだったんだ」
 俺は眉をゆがめ、昨日のこいつの理科室での告白を思い出した。
 まさか、あれはイジメでなく本気だった?
「ほんとに、すごくすごくすごく好きで、二年生になって同じクラスになれて運命だと思ったのに、羽多野くんの隣にはいつも宮間がいた。僕の場所なのに、宮間がずうずうしくそこで咲ってばかりいた!」
 脊髄に毛虫が這った気がした。何だこいつ。ホモなのか。しかも世那に嫉妬していたらしい。
 世那はすでに聞かされた話なのか、うんざりした顔をしている。
「ねえ、羽多野くん」
 俺は嫌悪のような軽蔑のような目で暁戸を見る。
「そんなに宮間が好き?」
「……お前よりかは世那がいいな」
 吐き捨てるように言うと、暁戸はなぜか蕩けるように微笑んで、「そっかあ」とポケットから何か取り出した。かちゃっという小さな音がして、同時に銀色の光が走って俺は目を開く。
 飛び出しナイフだ。世那もそれを見て、辟易していた表情をやっとこわばらせた。
「宮間も、羽多野くんを殺すって言ったときにはそうとう焦ってたよ。本当に、君たちは愛し合ってるんだね?」
 言いながら暁戸はベッドに近づき、俺と世那の足元にざくっとナイフを刺した。
「お願いがあるんだ」
 心臓が硬くなって、呼吸が浅くなる。何だよ。こいつマジでイカれてるのか。
「君たちのセックスが見たい」
「は……?」
「愛し合ってるんだよね? だから、その愛を僕に見せつけてよ」
「何、言って……」
「君たちの愛が本物だったら、僕も羽多野くんをあきらめるから」
 世那は全身が硬くなったまま、目だけで俺を見た。俺もほとんど似たような感じて世那を見た。
 愛を見せろ? セックスをしろ?
「……っざけんなよっ。俺と世那はダチなんだよっ。セックス……とか、そんなことするような仲じゃ、」
 俺が怒鳴るように言い出したとき、暁戸は一瞬にして冷え切った眼になってナイフを振り上げた。俺がとっさにすくむと、「智海、」と世那が声を上げて自由な右手を伸ばした。
 が、暁戸は当然のようにその腕をつかむと、容赦なく世那の二の腕をざっくりと斬りつける。
「っつ……」
 ぽたぽたっと鮮血が飛び散って、俺は思わず目を見開いて硬直する。世那は顔をゆがめながらも、「智海に手え出すんじゃねえ」と絞るように言う。
「お前が憎いのは俺だろっ。智海のことは──」
「そうだね。ねえ、分かるよね、羽多野くん。僕は君のことを傷つける気はない」
「……てめえ、」
「でも、僕のお願いを聞いて、正直に愛しあってくれないなら、僕は宮間を殺しても構わないんだよ」
「……狂ってんかよっ。俺と世那はっ──」
「まあ、宮間が死んでもいいなら、何もしなきゃいいけどね」
 思わず口をつぐむ。
 死んでもいい、とか、そういうのじゃなくて。何で分からないんだ、こいつ。
 俺と世那にあるのは友情だ。セックスなんて、かえってありえない。でも……友達だから、世那が暁戸に傷つけられるのを黙って見ているわけにもいかない。
 何だよ。どうすればいいんだよ。世那の腕から流れる真っ赤な血を見て、俺が動揺した目のまま「世那」とつぶやくと、「ふざけんな」と世那は俺を睨みつけて、強い口調で言った。
「絶対こいつの言うことなんか聞くな。お前とやるなんて冗談じゃねえ」
 俺はうつむき、そうだよな、とわずかに血迷いかけた自分を抑えた。
 俺だって、世那とやるなんて願い下げだ。俺たちは暁戸が思っているような仲じゃない。あくまで親友なのだ。
 ナイフについた血をハンカチで拭いながら、俺と世那のやりとりを眺めていた暁戸は、冷ややかな目のまま部屋を出ていった。明かりがまた消される。
 俺はまばたきをして何とか闇に目を慣らしつつ、「腕、大丈夫か」と世那に問いかけた。「死ぬほどじゃねえよ」と世那は答えたが、声に苦みがあって本当はかなり痛むのが分かる。

第三話へ

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