野生の風色-8

家族はむずかしい

 土曜日は、雨はやんでも陰った雲や強い風がなずんでいた。けど、日曜日にはようやく雲も退散し、突き抜ける水色が空一面に現れた。ひと足先に四月ぶんの小遣いをもらった僕は、空の本でも買いにいこうと駅前に出かけた。
 近所の商店街にも本屋はあるけれど、大きい本屋なら駅前に出ないとない。オムライスの昼ごはんを食べた昼過ぎ、メタリックな紫の自転車のかごにリュックを放りこむと、陽光をまとって晴天に流れる春風を切って大通りに下りた。
 一週間も鬱していた空は、快晴がとりわけ鮮やかに映る。太陽はまばゆく、そよぐ風も暖かかった。人や電柱をよけて自転車を漕ぎ、風を切り抜ける中では心地よい冷たさがあっても、角で止まると陽射しの温もりが分かる。
 道端や小売店の花壇のさまざまな花も、色彩を開いて春を彩っている。そういえば子供の頃、つつじを摘んで蜜を吸ったりしていたけれど、昨今の植物ではそんな無防備はできないのだろうか。そんなことを思って、日向の光に目を細めていると、あたりの景色は次第に市街地へと様子を変えていく。
 都会とはいえなくても、大都市のあれこれが凝縮した場所だ。住宅地は消え失せ、団地は高層マンションになり、車も人もあふれて雑音や排気ガスの濃度が重くなる。ファーストフードやショッピングセンターの密集に混雑が広がり、駅前近くになると、伸びてきた高速道路や線路の鉄橋が天にかかって、日陰が散らばる。
 僕は路地に折れ、雑居ビルが主になる裏通りに出た。そして、人通りはあっても表通りほど騒がしくもないそこから、目的地の百貨店の敷地内に自転車ごとすべりこむ。そして、敷地をかこむ花壇に沿った屋根もある駐輪場に自転車を停めた。鍵をかけると、リュックを肩にかけて店内に入る。
 十階建てのこのモールは、当然ながら専門店もたくさんかかえている。食料品や衣類はもちろん、ゲームセンターや飲食街、休憩所も完備されて僕たちの年代にはいい遊び場だ。実際、春休みも手伝って、同年代がうろうろしている。
 本屋も大きいところが何軒か入り、マイナーな本も置かれている。文房具店をまわって、ポストカードになった写真を探すのも楽しい。時間をかけて本屋をはしごしたのち、異国の島の一日の空をたどった本が目に留まって購入した。厚みがあって値段も張ったそれをリュックにしまうと、十六時が近い時刻を確かめ、缶ジュースでひと息つく。
 それにしても、僕と遥は、ずっとこのままでいくのだろうか。関わるなと言われて、望むところだと思っても、優柔不断なのかまじめなのか、僕は冷酷になりきれずに遥の拒否について考えている。
 遥に嫌われたままでいいのだろうか。無理に好きにさせることはないだろうが、せめて無関心にはできないものか。空気悪くなるんだよなあ、と家の雰囲気をやりきれなく思う。
 僕の態度が悪いのだろうか。でも、すべて僕から始まっているわけでもない。僕の態度のいくらかは、遥の態度の反射だ。遥には僕と仲良くなろうという気がない。過去がある、と意識してつきあうのもいやらしいとはいえ、偽善と気遣いが違うのも分かる。僕なりに気遣おうとしてきたのだ。けれど、やっぱり遥について何も分からないのが、どんな気遣いも的外れにしてしまう。
 遥が何を考えているのか、ぜんぜん読めない。表情がなくて、目も死んでて、しかしそういって、分かったふりするのはもっとも卑しい。初めは訳有りだと意識し、どうしたら傷つけないか、と思っていた。今は、簡単に同情したくないと思う。他人が察せる環境ではなかったと思うのだ。心を閉ざしていることで、ゆいいつそれは分かる。
 同情のほかに、どんな接し方が自然にできるかも、手がかりがなくて見つからない。仲良くするには拒まれるし、拒否するには決定的な溝もない。
 両親は、比較的当たり障りなくやっている。僕がそれをしたら、逃げになると思う。当たり障りなくできてるから急がなくていいと延期を重ね、結局、遥に関わる日は来なくなる。たぶん、それは、心をさらしてもらえない疎外感を与え、遥を何より傷つける。
 いろいろ考えているのだけど、答えは出なくて、闇の中でおろおろするように遥への態度は模索的にぎこちなくなる。それが遥の気に障ったのだろう。
 僕は人の行き来を眺め、このまま嫌われるしかないのかな、とプルリングを開けて甘すぎる紅茶をすすった。
「それって、進歩なんじゃないの」
 翌日、春休みなので偶数週の訪問とは別に希摘の家を訪ねた。遥に言われた拒絶の言葉を繰り返すと、ゲームをする希摘は、ベッドサイドに腰かける僕には突拍子なく思える感想を述べた。
「進歩?」
「進歩じゃん」
「悪化ですよ」
「それはね、テストみたいなもんだよ」
「テスト」
「そういう人間の言葉を、まともに受け取ったらいけません。悪い意味じゃなくてさ、かえって傷つけて取り返しつかなくなるよ」
「………、何で」
「何つうのかな、落胆させるというか。そういう奴はさ、トゲに惑わされずに自分をきちんと見てくれる相手を、本能でよりわけてるんだよ。ぼろぼろだろうし、そうやって見極めて信じられた奴にしか心に触れさせたくないんだろ。悠芽はトゲを出されたんだ。試されてるんだよ。いとこくんが自覚してるかはともかく、試してみようって思わせたんじゃないかな」
 思いがけない意見に面食らい、そうなのか、とかたわらのポテトチップスをかじる。
 そんな理屈も成り立つ。けれど、あの遥の態度を思い返すと、胡散臭くもある。いや、そういうふうに相手を試す人もいるだろうが、果たして遥にそんな裏があるのか──
 いまいち合点がいかず、僕はうすしおのわりにきつい塩味を噛んで唸る。
「ま、精神的に弱った人間とつきあうのは、機微が読めなきゃ根気がいるよな。ずるずるしてると、逆に関係悪くなったりするし」
「そうなったら」
「見切りです。悠芽なら望みあると思うよ。だって、こんな引きこもり野郎とつきあえてんだぞ」
「希摘は、心開くときはいさぎよく開くじゃん。ほかの人には分かんなくても、僕には気兼ねない友達だよ」
「へへ。じゃあ、いとこくんも家族と思ってみれば」
「え。……家族」
 口ごもって首をかしげる僕に、「家族はもともとむずかしいもんな」と希摘は笑って、戦闘が発生した画面を向いた。僕は膝に頬杖をつき、主人公たちが綺麗なCGで敵を倒していくのを眺める。
 家族はむずかしい。その通りだ。僕の家庭はそれをあまり実感せずに済んでいても、ときどき、些細なことが噛みあわなくて、嫌いになったりする。友達のほうがまだ簡単だったろうに、僕と遥は難儀な「家族」としてつきあわなくてはならない。
 僕と遥ってどうなってくのかな、と眉間に皺を寄せたが、ここにいるあいだは信頼できる親友で心を休息させておくとした。

第九章へ

error: