男の娘でした。-9

一夜の復活

 七月に突入して、いよいよ八月末日までのかき氷期間が始まった。
 僕の細腕が右だけ発達するかとも思ったけど、実際に氷を取り出してペンギンでごりごりと削りだすと、子供たちは身を乗り出してきた。
 ふわとろになったお値段高めのかき氷しか見たことがない子たちには、目の前でざくざくのかき氷ができあがっていくのは物珍しかったらしい。そして、「それやってみたい!」「自分でまわしちゃダメなの?」と言い出す子もいた。
 なるほど、時代はセルフだ。「自分で削ってくれたら十円引き」という制度を勝手に導入したら、ますます子供たちは食いついた。途中で「疲れた。十円はらう」と言い出す子もいたけど、それだけでも覚悟していたより腕はがたがたにならなかった。時代よ、ありがとう。
 夏休みが近づくその日も、放課後タイムになって「やりたい」だの「まわしたい」だの言われていると、「すっごい言葉が聞こえる」という声がふと割りこんできた。ペンギンに氷を仕込んでいた僕は、顔をあげてまばたきをする。
 その台詞の発想でだいたい想像はついたけど、駄菓子屋に入ってきたのは聖生だった。聖生の台詞の意味が分からないらしく、子供たちは現れた美人をきょとんと見て、「姫の友達?」と首をかしげる。「友達だけどね、僕は姫ではないからね」と言っていると、「瑛瑠、相変わらずかわいいねー」と綺麗なおねえさんにしか見えない聖生が、にやにやと歩み寄ってくる。
「かわいいのはどうしようもないからね」
「だね。ブスは化粧も整形もできるけど」
 思わず噴き出しつつ、「はい、まわして」と僕が言うと、子供たちは聖生よりペンギンに夢中になる。「うわ、懐かしい奴だ」と聖生も氷がペンギンのお腹に降り積もっていくのを覗きこむ。
「どうしたの? 今日オフ?」
 僕がそう尋ねると、「そう」と聖生は梳かれたセミロングを耳にかける。一緒に働いていた頃より、いちいち色っぽい。
「あと、新作が出たから持ってきた」
「マジか。待って、あとでもらう。お子たちの前ではちょっと」
「ん。俺も何か買おっかなー。カード使える?」
「一万円札でも困るよ。五百円玉が好き」
「えー。硬貨は持ってないな」
 店内にいる子供たちの何人かが聖生を振り返り、「『俺』?」「何か声……」とざわめく。
 が、何だかんだで僕が男なのは分かっている子ばかりなので、仲間らしいと察して、聖生にぶしつけな言動を取る子はいなかった。
 やがて、古時計が五回鳴って十七時を告げる頃、高校から帰宅した姫亜に、「妹ちゃん、瑛瑠借りてもいい?」と聖生は声をかけた。聖生がここに来るのは初めてではないので、ふたりは顔見知り程度ではある。
 そして、姫亜も友達と過ごして帰りが遅くなることはあるから、そこまでカミナリ様ではない。こちらを一瞥し、サボりたい僕が言わせているわけではないのを見取ると、「どうぞ、ゆっくりしてきてください」と聖生ににっこりとした。
「よし、瑛瑠、お茶行こうぜ」と聖生に言われて、「このままでいい?」と僕はTシャツとジーンズという自分のラフな格好を見下ろす。「男ならいいんじゃね?」と聖生は言って、そんなもんか、と納得した僕は、いったん部屋に財布と鍵を取りにいき、あとはスマホを軆に巻きつけるショルダーバッグに入れて家を出た。
 外はまだ夕暮れも迎えていなくて、青空が広がって蝉の声がこだましていた。風はほとんどなくて、空気が肌にまとわりつくように暑い。アスファルトからの照り返しには、夏にただよう匂いがした。
 駅までの坂道をくだりながら、「暑っつい……」と無駄につぶやいてしまう僕に、「瑛瑠、森沢さんとは順調?」と艶やかに黒髪をなびやかせる聖生が訊いてくる。
「うん! 昨日一緒にごはん食べたよ」
「意外と続くね」
「『意外と』って何」
「性の不一致をどう乗り越えるんだろうと思ってたけど、瑛瑠がタチって……」
 言いながら笑っている聖生に、「僕もタチくらいできるよ!」と僕はふくれる。
「えー、男にもー?」
「男にはしないけど」
「でも、たまに森沢さんにやってもらうでしょ」
「何をとは訊かないけど、やってもらってません」
「それで満足なの?」
「僕は伊鞠のためならタチになる男なの」
「ふうん。俺は掘られないとかやだ」
「あ、新作見せてよ。何系?」
「いちゃあま新婚系」
「いいねえ。こないだの鬼畜陵辱系はちょっと怖かった」
「あれ、カメラまわってないときは、普通にみんなで恋バナとかしてるんだけどね」
 からからと笑いつつ、聖生は肩にかけるバッグからDVDを取り出して僕にさしだす。
 聖生のエプロンすがたのケースの表にちゃんとサインが書いてあって、裏のスチルではキッチンやリビングで男優さんと絡んでいる場面がある。
「やっぱ、オムライスのシーンってあるねー」
「瑛瑠も森沢さんに作ってもらった?」
「伊鞠、オムライスってイメージではないかな……」
「何か作ってもらったことないの?」
「………、な、ないだと……?」
「ないのかよ」
「いや、だって僕も伊鞠も実家だし。泊まるならホテルだし。そういう機会がないというか」
「料理できないのかな」
「できるよっ、たぶん。もしできなくても、僕が作ればいいし。僕、お菓子は得意だよ」
「菓子で生活はできないだろ。オムライスの作り方、教えようか?」
「聖生って料理すんの?」
「俺は得意だよ。彼氏にも作ってあげるし」
「彼氏いるの?」
「うん」
「いるの!?」
 びっくりして二度聞きすると、「こないだできたよ」と聖生はしれっと答える。
「マジか。どこで知り合ったの?」
「その新作、最後の絡みが新婚旅行先の旅館って設定なんだけど、その旅館の板前さん」
「え、こういう旅館ってセットじゃないの? AV撮影をOKしてくれるの?」
「してくれるとこもあるよ。慰安兼ねて泊まってきたからさ、彼の料理も食べたんだけどめちゃめちゃおいしくて」
「ほう」
「おいしかったですって女将さんに伝えておいたら、夜に彼が訪ねてきて『ありがとうございます』って言ってくれたんだけど、やっばいの! 童顔だけどかっこよくて。豆柴系というか」
「そのままたらしこんだ感じですか」
「その場はスタッフいたから、連絡先だけ渡しておいて、あとでプライベートでごはん行って。夜には激しく」
「相手、ゲイだったの?」
「ストレートじゃないの? でも俺、女にしか見えないからOKだったみたい」
 淡いブルーのワンピから長く肢体を伸ばし、黒のレースカーディガンを羽織る聖生をちらりとして、確かに綺麗なおねえさんだもんな、と思う。
「板前さんに料理作ってダメ出しされない?」
「んー、自分が作るんじゃなくて、作ってもらえるの嬉しいって言ってくれるかな」
「いい人そうだね」
「いい人だよー。機会あれば紹介するね」
「うん。聖生の仕事は理解してくれてる感じ?」
「そこは説明してるよ。作品観ようとは思わないみたいだけど」
「何気に、聖生に彼氏できるの久しぶりじゃない?」
「そうかも。デビューして、仕事頑張ってきたからなー」
「お店には顔出せてる?」
「たまにねー。けっこうメンツ変わっちゃったけど、ママは相変わらずだから、瑛瑠の話もするよ」
「ママかー。会いたいなー」
「会いたいの?」
「お店は辞めたけど、ママのことは好きだよ」
「じゃあ、今夜遊びに行く?」
「えっ、いいの」
「いいでしょ。瑛瑠、辞めて以来なかなか遊びにこないから、ママも寂しがってるよ」
 僕は一考し、「じゃあ行っちゃおうかな」と聖生ににっとした。「よしっ」と聖生は僕の肩をたたき、その頃には人が行き交う駅前に到着していたから、僕は手にしていた一応いかがわしいDVDをバッグにしまった。
 改札へと歩いていく聖生の背中は、華奢でしなやかで凛としている。ミニスカートがひらりと揺れて、ヒールがかつんと小気味のいい音を立てる。
 ああ、やっぱり女装っていいなあ、と思ってしまう。彼氏ができても男の娘を続けている聖生が、ちょっぴりうらやましい。僕も、女装を飽きたり倦んだりで辞めたわけではない。一生かけて続けていくものだとさえ思っていた。
 でもやっぱり、かっこいい伊鞠の隣に立てる男でいたい。男らしさとか女らしさとか、そういう「らしさ」なんてくそくらえだけど、僕はただ、女の子の伊鞠をエスコートできる男を目指したいのだ。
 電車に乗って街に出ると、開店する二十時半まで、お店の近くの喫茶店で聖生と無駄話をしていた。クーラーとそれぞれのドリンクで涼みつつ、聖生は彼氏のことはもちろん、撮影の裏話もぽんぽん話してくれる。
 僕も伊鞠のことやら、かき氷の愚痴やらをしゃべる。「右腕くたくただよー」と言うと、「筋肉ついてきちゃった?」と聖生は僕の右腕を触る。そして「んー」と唸ったあと、「手コキにはまだまだだなあ」と言っていた。
 ふたりともドリンクを飲み終えた頃には、二十時をまわっていた。「行きますか」と立ち上がった聖生と共に、僕は「どきどきするー」と言いながら、夏の熱気が絡まるネオンと喧騒の中を歩く。
 そして、懐かしく感じるオカマや男の娘が集まるクラブに到着した。
「おはようございまーす」
 挨拶しながら聖生が先に店に踏みこむと、笑い声や話し声でにぎやかな中から、「聖生、オフじゃなかった?」とママの声がした。入口にすでに煙草がただよっていて、ああお水の店の匂いだなあと思い出す。
「お客さん連れてきました」と聖生が言い、僕はその背後からひょこっと顔を出してみる。すると、「あら」とちょうど入口に一番近いテーブル席に着いていた着物のママは、相変わらず淑やかに微笑んだ。
「瑛瑠じゃないの。久しぶりね」
「お久しぶりですー」
「元気にやってる?」
「おかげさまで、伊鞠とも仲良くしてます」
「よかったわ。相変わらず聖生とも仲がいいのね?」
「もちろんです! サイン入りの新作ももらいました」
「私も一色さんに伺ったわ。というか、ずいぶん色気のない格好してるわねえ」
「えー、もう男ですから」
「男も服装ぐらい考えないとダメよ? ねえ、道園みちぞのさん」
 ママが苦笑してスーツを着た席の客に振り、「わあ、みっちーさんお久しぶりです!」と僕はその客を憶えていたので笑顔になる。道園さんはびっくりしたようにまばたきをしていたけど、「僕のこと憶えてるの?」と喜んでくれる。
「憶えてますよお。よく指名してくれましたし」
「はは、そうだね。瑛瑠ちゃんと飲むの楽しかったから」
「瑛瑠が辞めてから、道園さん、いまだにお目当てが決まらないのよ。だから、私がお相手させてもらうことが多いの」
「そうなんですか。えへへー、ちょっと優越感」
 道園さんはマナーのある客で、僕も慕っていたので嬉しくなっていると、「瑛瑠、どうせなら今日は道園さんにおごってもらえば?」聖生が肘でつついてくる。「え、キャストじゃないからダメだよー」と僕が素で遠慮すると、「僕は構わないよ?」と道園さんが言う。
「それなら」とママがぱんと手をたたいた。
「瑛瑠、あなた、今日は久しぶりにお洒落しなさい」
「お洒落」
「衣装は貸すわ。メイク道具も私の使いなさい」
「いいじゃん! 瑛瑠の女装、俺も久しぶりに見たい」
「えー、でも」
「たまには息抜きで女装するくらい、森沢さんも分かってるくれるでしょ。道園さんも、瑛瑠の女装子見たいですよねー」
 聖生が訊くと、「ま、まあ、やってくれるなら」と照れながら道園さんはうなずく。僕は唸って考えたものの、別に嫌じゃないし、伊鞠も僕に女装を禁止しているわけではないし。
 少しなら、いいかな? カラオケも始まったお店の雰囲気にのまれて思ったので、「じゃあ、今夜だけね」と肯諾すると、「よしっ、服選ぼうぜ」と聖生は楽しそうに僕を引っ張った。

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