君だけの男
そんなわけで、僕は衣装部屋で選んだピンクのミニワンピを着て、控え室のドレッサーの前に座り、ママが貸してくれたメイクセットで化粧もした。「女装辞めたわりに、ムダ毛とかぜんぜんないねえ」と聖生が感心して、「永久脱毛したしねー」と僕は仕上げのルージュを指先にすくって引く。さすがに、人のルージュを直塗りするのは良くない。
「髪、このままでいいかなあ」と僕が気にすると、聖生は一緒に鏡を覗いて「瑛瑠はショートでもかわいいけど」と言いつつ、あたりを見まわし、ドライヤーとヘアブラシとスプレーを持ってきた。それを使って、もともとくせっぽい僕の髪に空気をふくませ、ふわっと仕上げてくれる。
「よしっ、伝説の男の娘復活だ」と聖生が満足そうに僕の背中をはたき、「僕、伝説になってるの?」と首をかしげる。
「そりゃあ、店で女の客に告って、仕事も男の娘も辞めた嬢はねえ」
「……そういう意味ね」
メイクセットを片づけて納得していると、「ほら、みっちーさん待ってるよ」と聖生は急かした。「久々すぎて緊張するなー」と言いつつ僕は白のヒールを履き、立ち上がってもう一度鏡を見る。
うん、かわいい。ひとりうなずくと、聖生と並んでお店に出た。
「あれっ、もしかして瑛瑠ちゃん?」
道園さんの相手をしつつ、夜が更けて客が増えてくると、ほかにもそう言って僕に目を留めてくれる人がいた。「本日限定で復活してますー」と僕がにこにこすると、「えー、俺の席にも来てよ」と甘えるように言ってもらえる。
道園さんはあまり騒がず、キャストと一対一でゆっくり飲むのが好きな人だ。「相変わらず紳士ですね」と僕がにっこりすると、「こういう飲み方が落ち着くんだ」と道園さんははにかんで咲った。
そんな道園さんは、二十二時過ぎにこっそりチップをくれたあとに帰ってしまったけど、「瑛瑠ちゃーん!」と呼んでくる客がいて、僕は条件反射で「はーい!」と返事をして、その席にお邪魔しにいく。
しかし終電前に帰らないとやばいよな、と思っていると、昔と顔ぶれの変わった黒服が「ママが今日のお給料と帰りのタク代、出すそうです」と耳打ちしてきた。
思わずママのほうを見ると、よろしくね、と言いたげにウィンクされる。僕はちょっと笑って、「了解です」と黒服にこくんとしてみせた。
そんなわけで、その夜は数年ぶりに男の娘を楽しんだ。聖生も何だかんだでホールに出ていて、同じ席に座ったとき、「やっぱ女装はテンション上がるねー」と僕はお酒でふわふわしながら言った。「そうだろー」と聖生は客のグラスに水割りを作りながら、うんうんと首を縦に振る。
「また男の娘やれば? ときどきでも」
「んー。それはなー」
「辞めちゃってストレスとかないの?」
「別にー。伊鞠のために生きてる僕が、今の僕だから」
「ふうん」と肩をすくめた聖生に、「それって、瑛瑠ちゃんのうわさの彼女?」と客が訊いてくる。「そうですよー」と僕が笑みで答えると、「マジで彼女なのか!」「彼氏じゃないのかよー」と声をあげる客に、僕はころころ咲ってしまった。
あっという間に零時もまわり、閉店したのは午前二時が近かった。「今日は助かったわ」とママは約束通りお給料とタクシー代として三万円をくれた。「戻ってくる気になったりした?」と訊かれ、「楽しかったけど、やっぱり今の生活があるんで」と照れ咲いすると、ママは優しく微笑してうなずいた。
「写真は撮っておこうよ」と言った聖生がスマホで僕のすがたを撮って、「あ、それ僕にも送って」と僕は言う。
「伊鞠に送って、一応話しとかないと」
「そうなの? 話して大丈夫?」
「変にこじれるよりね。聖生とのツーショットも欲しいな」
「仕方ないわね、私が撮ってあげるわ」
そんなやりとりをして、聖生とママのスマホから写真を転送してもらうと、僕は着替えて化粧も落とし、「今度は飲みに来ます!」と残して聖生とお店をあとにした。
タクシーが溜まっている駅前まで、ネオンも落ちてきた歓楽街を聖生と並んで歩く。この時間帯になっても、アスファルトの照り返しがじんわり暑い。周りを歩いているのは、ラストまで働いてくたくたのホステス、あるいはアフターでまだまだ盛り上がっている客と嬢だ。
『今日は聖生と遊んで、久しぶりに女装しちゃった』
そんなメッセを伊鞠に送って、聖生とのツーショットも送信しておく。こんな時間だから既読はつかない。さすがに察して、僕はバッグにスマホをしまう。それを見守っていた聖生と目が合うと、僕は照れ咲いを見せた。
「たぶん、朝に既読つくと思う」
「今はつかなかった?」
「寝てるだろうしね」
「普通の人はそうか」
「伊鞠、かわいいのは自分の前だけにしてって言うから、ちょっと怒るかなあ」
「どうかな。森沢さんの言う瑛瑠の『かわいい』は、男の娘の瑛瑠じゃないかもしれないしねー」
「そうなの?」
「うん。瑛瑠はさー、かわいいんだよね。女装してなくても、生き物としてかわいい」
「生き物」と僕が変な顔になると、「それには多少バカっぽいとこも含まれるけど」と聖生は笑い、「むー」と僕はむくれる。
「森沢さんは、瑛瑠が自分のために男の娘も辞めるような、そういう一直線なかわいさが好きなんだろうなって思う」
「そっかな」
「うん。かわいいよ。恋してるって感じでね」
僕はおもはゆく微笑んで、「聖生も恋してるじゃん」と肘で突く。「俺はねえ」と聖生はやや複雑そうに咲う。
「もし彼が作品観たら、大丈夫かなあってあるし」
「観たいって言ってるの?」
「いや、観たくないって言うからさ。何かで観られた拍子が、逆に不安かな」
「観てほしい?」
「やりたくてやってることだし、普通に瑛瑠みたいにさ、さらっと感想述べるくらい受け入れてくれたら嬉しい」
「聖生が好きだから、男優さんに嫉妬しちゃうとかあるのかもよ」
「そうなのかな」
「嫉妬ぶつけて聖生に嫌われるよりは、最初から観ないのかもしれない」
「……そっか。あーあ、ほんとにいい人だからなあ。もっと好かれるより、嫌われない心配ばっかしちゃう」
「そこはもっと好かれるようにしよう」
「だね。また早く会いたいな。遠距離だからね」
「えっ。あ──そうか。旅館の人だから、ここからは遠いんだ」
「そう。俺が訪ねて、週末の夜に会うのが多いかな」
「彼氏さんがこっち来たら、ほんと紹介してよ」
「そのときは、瑛瑠は森沢さん連れてきてよね」
そんなことを話していると、まだ明かりの残っている駅前に到着していた。
僕と聖生は手を振りあい、別々のタクシーに乗りこむ。ドライバーさんに地元の最寄り駅を告げると、僕はふうっと息をついてシートにもたれた。
車内はわずかに煙草臭いけど、クーラーが涼しくて肌のほてりが癒される。名残るネオンが窓に映り、それを見つめながら、聖生少し酔ってたかななんて思う。
聖生はあまり、不安や弱音をつらつらと吐くタイプじゃない。聖生はとても魅力的な男の娘だし、彼氏さんが包みこんであげてくれるといいなあと思った。
帰宅したのは午前三時過ぎで、僕はあくびを噛みながらも、ぱちぱちと一階の電気をつけて、まったりとミネラルウォーターを飲んだりシャワーを浴びたりした。寝支度まで済むと、つけた明かりを消して二階の自分の部屋に向かう。
クーラーを入れて、ふとんを敷いて、日向の匂いにぼふっと倒れこむと、早くもうとうとと軆が重たくなってくる。
ああ、でもスマホは充電しておかないと。そう思ってにぶい腕でバッグからスマホを出した僕は、ランプがちかちか灯っているのに気づいた。
聖生かな、と通知バーを引っ張って、眠たかったはずの目を思わず開く。伊鞠の名前があったのだ。
「わっ」と僕は慌てて身を起こし、来ていたメッセを開く。
『やっぱり、癒はかわいいね。』
『でも、私は今の癒が好き。ごめんね。』
このメッセ──まだ十分前くらいだ。僕は急いで通話ボタンを呼び出してタップした。響くコールにどきどきしていると、ふっと途切れて『もしもし』といつものアルトの声が鼓膜をはじく。
「あ、伊鞠っ。起きてるの?」
『うん。持ち帰った仕事がけっこう多くて』
「そうなんだ。まだ終わらない?」
『ううん、終わったからシャワー浴びて、少しだけでも寝るところ。そしたら、癒からメッセ来てたから』
「そっか。お疲れ様」
『ありがとう。癒の女装、懐かしかった』
「あはは。目の保養になった?」
『そうね。お店に行ったの?』
「聖生と遊びにいったんだ。一緒に写ってたでしょ」
『あの人も男なんだから、何だかすごい』
「はは。ていうかっ、伊鞠」
『うん?』
「さっきのメッセで、『今の僕が好き、ごめんね』って」
『ああ──やっぱり、女装してる癒は楽しそうだったから』
「楽しいけどさっ! いいんだよ、今の僕を伊鞠が好きって言ってくれるの、すごく嬉しい。だって、今の僕は伊鞠のための僕だから」
『癒──』
「ごめんねなんて言わなくていいんだよ。僕は好きで男の娘を辞めて、男になるのを選んだ。伊鞠のためなら、何だってするって告白のとき言ったでしょ?」
『……そうだったね』
「伊鞠に愛されるためだから。僕も今の僕が好きだよ」
伊鞠の含み咲いがして、『ありがとう』と優しさのこもった声が聞こえた。僕も「えへへ」と咲ってから、「深夜テンションと、あと酔ってるかもしれないけど」と言い添える。
「嘘はついてないよ」
『癒はいつも正直でしょう』
「そうかなあ」
『そういうところが、かわいくて好き』
「ふふ、伊鞠もけっこう深夜テンションでしょ」
『そうかもしれない。……変なこと言ってる?』
「ううん。でも、休まないとね。また一緒にごはん食べよう」
『うん。おやすみなさい』
「おやすみ。ゆっくり眠ってね」
伊鞠との通話を終えると、僕は天井を向いて大きく息を吐いた。何だか、いつもより伊鞠がデレてくれた気がして嬉しい。
そう、伊鞠のために僕は変わった。男の娘だったことは捨てて、ただの男になると決めた。
伊鞠だけの男。だから、伊鞠は僕に謝ったりしなくていい。君だけのものになった今の僕を、君が愛してくれているなら、僕はそれでいい。
スマホをワイヤレス充電器に置くと、明かりを落としてふとんに寝転がる。エアコンの冷風が軆にこもった微熱を冷ましていく。静けさに夏の虫の声が透き通っていて、心がなだらかになる。
明日もかき氷がんばりますか、と睫毛を伏せると、そのまますやすやと僕は眠りに落ちていった。
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