「君、もしかして雪月くん」
「雪月です」
「ちょっと千晶に話聞いてるわ。こんな奴の親友なんて、大変でしょう」
「ほかの人よりいいです」
「俺がマシみたいな言い方だな」
コントローラーを持って、方向感覚の狂う砂漠のフィールドを進む俺に、「そういう意味じゃないけど」と雪月は煎餅を噛む。
「マシなのよね」
「千晶はほかの人と違うんで、特別に仲良くできるんです」
「雪月、こんなんに敬語使わなくていいよ」
「あんたが言わないでちょうだい。──ま、あたしは敬語なんて柄ではないし」
「でも年上さんなんですよね」と雪月は咀嚼を飲みこむ。
「ふたつしか違わないわ」
「ふたつってでかいよ」
「あんた、うるさいのよ。おとなしくゲームやってなさい。特別に仲良くって、千晶のほかに友達いないの」
「んー、男の友達は千晶だけです」
「敬語」
「だけ──だよ」
「うん。じゃ、ほかはもしかして女」
「僕、女の子のほうが気が合うんで。楽なんです。千晶は男だけど、ほかの男とは違うんで友達」
「違うかしら」
「怖くないし」
「んー。分かるかも。あたしもあんまり男って得意じゃないのよね。千晶ならいろいろ話突っこめるわ」
「男の人、嫌いなの?」
「嫌いじゃないけど、ま、追っかけるほどでもないわ」
「くたびれてる」と俺がつぶやくと、「そいつのことはたいて」と梨佑香は雪月に言う。樹立した友情と発芽した友情に挟まれた雪月は、「女の子をイジメちゃダメだよ」と俺に言うのを選ぶ。
「俺には、そいつ女じゃないもん」
「でもお」
「いいのよ。そいつは六年間のうちにすっかりすれちゃったわ」
「千晶にとって女じゃなくていいの?」
「あたしにも千晶は恋愛対象じゃないもの」
「千晶はそれでいいの?」
「そうじゃなきゃぞっとする」
「あんた、ひと言多いのよ」
「お前だって、俺に好かれたらぞっとするだろ」
「するわ。あんた女にモテないわよ」
「えー、千晶ってけっこうモテるよ」
「顔でしょ。性格は醜男以下ね」
「千晶は、ちゃんとつきあったら深いよ。情が深いんで、簡単ににこにこしないの」
「深い人って博愛じゃないかしら」
「それは、ただのばら売り九十八円」
梨佑香は雪月を見て、雪月は梨佑香を見返す。梨佑香は噴き出し、「おもしろいのね」と組んだ脚を崩した。
「かわいい顔してシャープ。うん、いいじゃない。気に入った。雪月くん、ね」
「梨佑香さんだね」
「よろしく」
「です」
にっこりとしあうふたりを、俺は横目で観察する。
やはり雪月は、女とはあっさり友人になってしまう。この機微な年頃に、男女の香りを意識させずにするりと異性と親しくなるのはむずかしい。雪月の場合、女が好きなのだからちょっとぎこちなくなるのもありなのに──
自分が偏見されないよう、けっこう膜をはっているのだろうか。雪月と梨佑香の共通の話題は俺なので、ふたりは俺のうわさで相手の感触を味わう。俺の幼少期やら私生活やら、話が悪乗りしてくると、「こら」と俺は睥睨し、次第にふたりは噛みあった調子でやりかえすようになった。
「けっこう楽しい人じゃない、梨佑香さんって」
後日の曇り空の元での登校中、マンションの群衆と住宅街が隣接する通りで落ち合った俺に雪月はそう言った。六時間ぶんの教科書に重たい通学かばんを引きずる俺は、「そうか?」と首をかしげる。
「お話してて弾むもん」
「お前は誰とでもそうじゃないか」
「まあ、そおだけど。何か特別なの。千晶の幼なじみだからかな。リズムが合うんだね」
ご満悦な雪月が提げるのは、通学かばんでなく手提げだ。雪月のクラスでは、教科書を置いておくのが許されている。俺のクラスでは禁止だ。どういう基準かといえば、担任の頭の硬軟だ。
「何で千晶、梨佑香さん嫌いなの」
「嫌いではないよ。でも──分かるだろ」
「揶揄ってるの、本気じゃないと思うよ」
「本気でも冗談でも、やりにくいんだよ。あいつといると、気を抜けば口喧嘩になる」
「幼なじみみたいだね」
「幼なじみだもん」
「梨佑香さん、千晶のこと好きだと思うよ」
「弟分としてだろ。年上って意識しないけど」
「梨佑香さんが、千晶の幼なじみでよかったなあとか思うの。じゃなかったら、知り合えてなかったもん」
「そんなにお気に入り」
「うん。クラスの女の子たちと違うし。クラスの子たちが嫌ってわけじゃないよ。クラスの子たちの女の子の感覚以上に、言葉とか口調の感じが男女抜きにした僕に近いんだよね」
買いかぶり、と思ったものの、俺も自分と人の視点が同一ではないのは知っている。自分の梨佑香への見方を雪月に押しつけようとは思わず、「ふうん」と周囲に増えはじめる同世代の制服すがたに目をやった。春の彩りも散りはじめ、この薄暗い曇り空が明ければ初夏となるのだろう。
「千晶と仲良くなれたのだって、梨佑香さんのおかげなんだよね」
「え、何で」
「千晶が僕と会った頃に内気だったのって、それまで梨佑香さんに守られてぬくぬくしてたせいなんでしょ」
「………、うん」
「へへ。こんなふうに知り合えたのを感謝できるのって千晶以来だな。そういう人と知り合えるのって、生きてく意味だよね」
「大げさ」
「んなことないよ。僕ってさ、もしかしたら自殺願望持ちながら陰気に生きてたっておかしくないじゃん」
俺は男物の制服を着た雪月を見おろし、「まあな」と肩に食いこむかばんをかけなおす。
「なのに、こんなにのんきなのって、千晶と知り合ってたからだよ」
「俺」
「そお。千晶みたいに、知り合えてよかったなあって思わせてくれる人が、これからも現れるんだろうなあって、そう思ったら生きてるのが悪くなくなったの。僕、自分の未来がそんな簡単に明るくならないの分かってるよ。でも、そういう人を増やして心の支えにしたら、軆を取り返す力になる」
「………、」
「千晶はすごいんだよ。僕の人生の方針を決めちゃったんだ」
言いながら照れ咲う雪月以上に、俺のほうが決まり悪く、「梨佑香もそういう奴になると思うんだ?」と話をそらす。
「うん。そんな感じ」
「じゃ、梨佑香にいつか自分のこと話すの」
「そんな単純でもないよ。ま、話したいって思えるようになれればいいなあとは思う」
「そっか。なれるといいな」
「うん」と雪月がにっこりしたところで、一角に俺たちの通う公立中学校がある車道沿いの通りに出る。
派手な非行はなくても陰湿なイジメはある、普通の中学だ。そろそろ生け贄が決まる教室で、女の子とばかりいる雪月が男に妙な反感を買っていないか俺は心配する。「僕は股間に蹴り入れてやりかえすよ」と雪月は痴漢に立ち向かうように断言し、「そうですか」と俺は素直に納得しておいた。
俺の交遊は、現在は雪月に限られてはいない。雪月が女の子たちと出かけたりするように、俺もクラスの男連中とたむろしたりする。そういうときは、ゲームセンターに行ったり、どこかの店先に溜まったり、やはり雪月と過ごすのとは違う感じで遊ぶ。
今度のクラスでも、俺は劣等感をなだめる適度なコツで友人を作れた。麗容が単純な利になるのは、もうちょっと大人になってからだろう。その日も友人たちと街を出歩き、夕暮れ時に帰途についていると梨佑香に逢った。
家が近が近いマンションの合間の脇道だった。女であるのを放ったシャツにジーンズの梨佑香は、スーパーの名前が入ったビニールぶくろを提げている。橙色は現れない蒼ざめた夕刻を頬に映す梨佑香は、「どっか行ってたの?」とリュック連れの俺を眺めた。
「友達と遊びにいってた」
「雪月くん?」
「クラスの野郎共」
「雪月くん以外に友達いるのね」
「いないように見える?」
「下手に妬かれそうだわ」
「妬かれないようにしてつきあうんだ。お前が思ってるほど、俺は嫌われ者じゃないよ。人気者でもないけど」
梨佑香は肩を竦め、ビニールぶくろを持ち直す。口は男に負けないずぶとさのくせに、その腕は俺より細くて変な感じだ。
「買い物?」
「まあね。見切り品買ってたの」
「おばさんみたいだな」
「るさいわね。かあさんがそうしなさいって言ったの。このへん、だいぶ変わってて慣れないわ」
「そうかな」と生まれてこのかたここに暮らす俺は首をかしげても、六年もの空白があれば気づく変化もあるのかもしれない。
「あんたも、ずいぶん変わっちゃってさ」
梨佑香は歩き出し、どうせ途中まで同じ方向の俺は並行する。こう並ぶと、やはり俺のほうが背が高い。空は灰色だけど、闇に包まれるにはゆとりがありそうだ。
「お前は変わってないな」
「だって向こうで止まってたもん」
「止まってた」
「グレてたって言ったでしょ。売りとかに走ってたわけじゃないけどさ」
涼む風になびく梨佑香の茶髪を見る。それは梨佑香は男勝りだと思うが、グレるとかそういうすさんだにおいはしない。
「向こうのあたしには、裏と表があったのよ。裏が止まってるの」
「あんまりそんな感じしない」
「あんたには裏表いらないもの」
「口説いてるんですか」
梨佑香は素早く俺のふくらはぎを蹴った。前のめりかけた俺は、「暴力女」と毒づく。
「あんたはいいね。学校の友達を友達と思えて」
「お前、学校に友達いないの」
「いるわよ。プライベートな存在にはできないの。休日まで捧げようとは思わないわ」
「で、見切り品お買い物」
「雪月くんみたいな子だったら、私生活預けてもいいんだけどな」
梨佑香を向いた。梨佑香も俺を見る。
今日の梨佑香は、眉を描いて口紅をひいているだけで素顔に近い。
「雪月」
「うん」
「興味あんの」
「おもしろい子よね。あんたの友達が、あんな子とは思わなかったわ」
「どんなのと思ってた?」
「何かくだらないの。ゲームとかアイドルとかばっか追いかけてるような」
「それ、俺に対する偏見だろ」
「もっとかわいらしい泣き虫に成長してるかと思ったら、あんたは期待はずれな普通の少年になってた」
「俺はゲームはしても、アイドルは追っかけてないよ」
「好きな芸能人いないの?」
「………、いないことはないけど」
「雪月くんはテレビとかに騒ぎそうじゃないわね」
雪月を想う。確かに雪月は、俺と女の子の話はしても、それはけして芸能人の話ではない。芸能人はあくまで目安だ。
「女の話とかはするよ」
「あの子、恋人いるの」
「おばさんは相手にされないと思うよ」
「次は引っぱたかれたいみたいね」
「年上のおねえさんにはとまどうと思うよ」
「何であの子、あんたなんかと親友やってるのかしら」
「妬きもち?」
「あともう一回何か言ったら、今度は臑を蹴るわね」
何だか、子供の頃を思い出す。梨佑香は俺をよく守った。守ったが、俺がぐずぐず泣いていると頭をはたきもした。少なくとも俺は、暴力で幅をきかす女とは恋愛しない。
「雪月、お前のこと気に入ってはいるよ。お世辞じゃなくて、こないだ言ってたもん」
「ほんと」
「俺以来に波長が合うんだってさ。さっきの嘘だよ、雪月は喜んでお前の相手する」
「そっ。あたしも、あんなに気兼ねいらなかったのあんた以来だわ。あたし、男友達のが向いてるのかしら」
雪月は女なのだけど。雪月もああ言っていたし、勝手に吹聴するのはよそう。
しかし、それは梨佑香より俺にあてはまる。雪月に梨佑香、俺は女とのほうがきちんとした友情を結べるのか。そんなタイプとは自分では思わないが。
「のんびりしてそうで、深く分かってる子よね」
「あいつなりにいろいろあるし」
「いろいろ」
「仲良くなって自分で訊いてください」
梨佑香は俺を見上げた。臑を蹴られるかと思ったが、「そうするわ」と梨佑香は買い物ぶくろを持ち直す。「そんなの重そうにしたら女みたいだよ」とつい言ってしまい、結局、俺は臑を蹴られて地面にしゃがむハメになった。
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