ホットコーヒー

 かわいいなあ、と思っている女の子がいる。瞳がぱっちりして、なのにきりっとした雰囲気がかっこよくて、逢うと笑顔で接してくれる。
 でも、すごく遠い。だって私は、彼女の名前すら知らない──そして、何より私も彼女と同じ女なのだ。
 電車に乗ったときや寝る前、よくスマホでBL漫画を読んでいたけど、実際自分が同性に惹かれているかもしれないという状況になると、名状しがたい悲鳴を上げてスマホを床にたたきつけたくなった。
 ぜんぜん違うし!
 現実って、こんな簡単じゃないし!
 何か、もっとこう、罪悪感とか不安とかぐちゃぐちゃになって、混乱すごいし!
 初めは意識なんてしていなかった。大学に入学した春、正門の隣にある喫茶店で、私は必死に復習していた。大学の勉強半端ねえよ、と雑音も無視して意味不明の参考書をめくっていたら、「おかわりいかがですか?」と不意に女の子の声がかかった。私は「あー、お願いします」とかいい加減に答えて、声の主の顔も見なかった。
 ただよったコーヒーの香りでやっと参考書から顔を上げて、その子を見た。メイドより執事っぽい制服を着こなす凛とした子だった。けれど、たぶん年下だ。高校生になってバイトデビューってとこか、と私は礼も言わずにカップを取り、「ごゆっくりどうぞ」と彼女は上品な笑顔で去っていった。
 ありがとう、せめてありがとうだろ、とあのときの私に私は蹴りを入れたい。
 とにかく、彼女は綺麗な子だったので、憶えるのは早かった。というか、彼女以外、店員の区別なんてついていない。その喫茶店に行くたび、あの子いないなあ、とか、今日はいるわ、とか、妙にチェックしている自分がいて、気づいたら何だか彼女が気になるようになっていた。
 自分は同性に惹かれる人間ではないと思ってきた。男とつきあったこともある。セックスだけの最低男だったけど。あの男のおかげで、男の劣情が面倒になった節はある。しかし、だからといって安易に同性に走れるほど、性指向は簡単なものではないだろう。
 なのに──
『話は分かった。
 で、その子と寝たいって思う?』
 こういうとき、信頼している相手ほど相談できない。私には友人がいるし、家族もいたけれど、彼女のことはぶっちゃけリアルで話せることじゃない。
 そんなわけで、無害そうな適当なメル友に相談してみたら、そんな短文回答が来て、就寝前の水分補給をしていた私は烏龍茶を噴きそうになった。
『ふざんけんな!
 思わねえよ!』
 別に怒ったわけではなく、はなから私のメールの文面は荒っぽい。それはメル友も知っていることなので、数分後の返事にびくついた謝罪はなく、やっぱり短文でこう返ってきた。
『恋かどうかは、性的に見るかどうかでしょ。
 そういうふうに見ないなら、恋じゃないと思うけど。』
 私はベッドに腰かけて、渋面でその返答を見つめ、そうなのか、と妙に冷静に思った。
 恋じゃない。恋じゃない、のか。じゃあ、なぜこんなに気になるのだろう。本当に、彼女とどうこうなりたいなんて思っていない。ただ、何というか──できれば、仲良くなってみたい。
 友達になりたいだけなのかなあ、とシーツに倒れた私は、もう返信しなかった。明日の朝、寝落ちしたと言えばいいだろう。
 友達。友達になりたいのか。まあ、それなら、彼女に迷惑をかけると限らないとは言える。
 でも、「友達になってください」なんて言えない。何だ、その告白フラグ。そんなつもりはないのに、激しくそんなつもりがあるように聞こえる。
 そんなつもりに聞こえる気持ちなら、やっぱ恋なんじゃないの? 分からない、と私は結局ひとりでかかえこむハメになっている。
 私は同性愛を否定するタイプではないし、むしろ例の元彼のせいで男にはうんざりしている。男なんて、どうせやることしか考えていない。
 別に、自分が女の子に惹かれていることには嫌悪はない。だけど、彼女のほうは分からない。たまに来ては、店にいるかどうか確認したり、勝手にそわそわ想ったり、どうやったら店以外で会えるような存在になれるのか悩んだり、そんな女が客の中にいると知ったら、彼女は……
 やっぱ、気持ち悪いって思うよな。
 瞬殺で烙印を押さざるを得ない。BL漫画みたいに、実は相手も同性を受け入れるタイプでしたなんて、現実は都合よくないのだ。
 やっぱりまずは、やべえヒカれる、と案じてしまう。相手の拒否をものともせず、押していく勇気は私にはない。異性ならまだできたかもしれないけど──。
 異性にしたいことなら、やはり恋ではないの? 仮に接触しようとして、女同士で何なんですか、とか言われたら、私はショックを受けると思う。
 友達かもしれない。私が彼女に求めているのは、友情なのかもしれない。それもありえるのは分かっている。あのメル友の言う通り、恋じゃないのかもしれない。
 私はただ、彼女と一緒に遊んで、並んで歩いてみたりしたい。別にそこで手をつなぎたいとかは思わない。彼氏がいたでいたでいいと思う。本当に、親しくなってみたいだけなのだ。
 これは恋?
 結局どうなの?
 ……分からない。
 かわいいなあ、と思っている女の子がいる。瞳がぱっちりして、なのにきりっとした雰囲気がかっこよくて、逢うと笑顔で接してくれる。
 でも、すごく遠い。だって私は、彼女の名前すら知らない──そう、せめて名前くらい知りたい。そう思うことさえ、彼女には迷惑なのだろうか。
 ため息をつく今も、私はその喫茶店にいる。彼女の笑顔は、今日も品よく輝いている。
 そして、やっぱり話しかけることもできない私は、もう夏なのにホットコーヒーを飲みほして、おかわりのポットが来るのを待つことしかできないのだ。

 FIN

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