行ってみた住宅地の先は、やはり少し整備が始まっていたけど、まだ地面にコンクリが引かれたくらいで人気はなかった。
それでも、「もっと奥のが安心かな」と俺がやや鬱蒼とした林を見やると、急に矢口が抱きついてくる。炎天下でほてった軆が重なり、腰に腰を押しつけられ、矢口がすでに硬くなりかけていることに気づいた。「もうここでいいだろ」と矢口は焦れた声で俺の耳元にささやく。
「どうせ人来そうもないし。土で軆が汚れるよりここがいい」
「かなり明るいけど」
「俺は構わないよ」
俺は矢口の顔を覗きこみ、「けっこうそっちもやる気じゃん」と息がかかる距離で笑ってしまう。矢口は答えずに俺の唇に唇を重ね、熱い舌をさしこんでくる。
俺もそれに応じて、腕に抱いた矢口の乳首を服の上からさする。矢口の腰が俺の腰をこすりながら動いて、敏感な熱が集まっていく。蝉の声があふれる中でも、キスの水音は生々しく耳に触れた。
やがてその場にくずおれても、強い日射しでコンクリが熱いから、服は脱がずに互いの軆をまさぐる。ゆっくり股間を揉みあわせ、薄いシャツの上から矢口の乳首を舌で転がすと、矢口はうわずった声をもらして息を蕩けさせる。手が自然と相手の脚のあいだに伸びて、かたちや硬さを確かめる。汗の匂いと俺の香水が絡みあっていく。
矢口は身を起こし、俺のジーンズのジッパーを歯で下ろした。そして勃起した俺を両手で包み、先走った先端から口に含んで深く飲みこむ。俺は声を我慢して、矢口のさらさらの黒髪に指を通した。
俺のことをそうしながら、矢口は我慢できない様子で自分のものを取り出してみずからしごく。後ろも自分の指でほぐして、スラックスを膝まで下げて尻を俺に向ける。俺はコンドームをつけてから膝立ちになってから、矢口の腰を引き寄せて柔らかくなったそこに突き立て、ぐっと先端を押しつけた。
亀頭が入れば、あとは微妙に腰を揺すりながら奥まで沈んでいく。矢口は敏感に震えて、俺は後ろからその軆を抱き寄せて、服の中に手を入れて乳首をつまんだ。矢口は大きく息を吸って声をもらし、たぶん無意識に自分のものをつかんで手のひらでこする。俺のものも矢口の中に収まって、軽く突くぐらいのリズムを刻みながら、矢口の耳から首筋を舌でたどる。
うわごとのように俺の名前を呼んで、首を捻じって潤んだ瞳でかえりみてくる。俺は矢口に口づけて、喘ぐ舌を交差させる。少しずつ腰の動きが強く、深く、速くなっていく。それに合わせて矢口も自分のものを手で刺激して、先端から垂れる透明が太陽できらきら輝く。
矢口はうめき声をもらし、「いく」「もういく」と切なく訴える。俺は矢口の腰をつかんで、乱暴なくらいつらぬいた。その荒々しい動きに矢口は痙攣しながら声を出し、ついで、コンクリに白い飛沫が飛んだ。
どくん、どくん、と矢口の体内が伸縮し、それに取りこまれて俺も濃いものを射精した。
「あま……や、」
「……あー、やべ。よかった」
「くらくらする……」
「俺も。水分摂らないと死ぬな」
俺は矢口から引き抜いて、コンドームをいつも通り縛ってジッパー袋に入れる。矢口はぐったりコンクリートに倒れこみ、息を切らして視線を投げている。
「大丈夫かよ」と覗きこむと、「ちょっとめまいがやばい」と返ってきて、俺は前開きを正してから立ち上がった。
「何か飲み物買ってきてやるよ。お茶とジュースとコーヒー、どれがいい?」
「お茶かコーヒー」
「了解。動けたら木の陰でも行っとけよ」
「んー」
生返事の矢口に肩をすくめ、俺はコンクリの更地からアスファルトに出て、コンビニは遠いよなあ、とあたりを見まわした。
すると、家並みが始まる角に自販機があった。ラッキー、と駆け寄って財布を取り出し、ついでなので脇のゴミ箱にジッパー袋を捨てようとし、初めて気づいた。
自販機に添えられたゴミ箱の陰に誰かしゃがみこんでいる。
何だ、と首を伸ばし、はっとした。かすかに息遣いを震わせ、放心した目で膝を抱えている人。その目は丸っこく、この暑さなのに肌は蒼白になっているその人は──
「茉、麻」
俺の名前を呼ばれて、きしんだ音でも立てそうにぎこちなく、茉麻が俺を見上げた。動揺でまばたきも失い、じっと俺を見つめてくる。
その様子で、俺は事態をすぐに悟った。
「あ、あの俺──」
「何、で」
「えっ」
「ど、して。あんなの……」
「……あ、」
「千幸ちゃん……う、嘘、だよね。あんなの、違うよね?」
「………、」
「あの人に弱みとか握られてるんでしょ? そうだよね、千幸ちゃんが男同士なんてないよね」
「……俺、は」
「そんなのありえないよっ。気持ち悪い……あんな、どうしてあんなこと! 千幸ちゃんがやるわけない、男とあれをするわけない、ねえ、そうでしょ?」
「茉麻、俺は──」
「やめてよっ、気持ち悪い……あんな気持ち悪いの、千幸ちゃんじゃない!」
俺は茉麻に手を伸ばそうとした。が、それを激しく振りはらわれて、茉麻は泣き出しながら頭を左右に振る。
「千幸ちゃんが……そんな。あんなこと。何で。嫌だよおっ……」
「茉麻、」
「気持ち悪いよっ。千幸ちゃんなんか気持ち悪い、もう絶対僕に触らないで、大嫌いっ」
アスファルトに手をついて、よろめきながら立ち上がった茉麻は駆け出して行ってしまった。
何で茉麻が、と思ったけど、俺の家の玄関ですれちがっているし、俺抜きで百里と話す勇気が出なくて、あとでもつけてきたのかもしれない。茉麻はいつも何かと俺のあとをついてきたからありうる。
それで、茉麻は見てしまったのか。俺が男とやっているところ。茉麻を苦しめた行為に耽っているところ。頭の中がどんどん冷たくなり、吐き気がこみあげてくる。
絶対、これは、茉麻だけには、知られてはいけなかったのに──
茉麻を追いかけたかった。でも何を言う? あるのは真実だけで、弁解する嘘などない。矢口を熱中症で死なせるわけにもいかず、俺は視界を砂嵐のように覚えつつもアイスコーヒーを買って、茉麻を追いかけずに更地に引き返した。
俺の様子が明らかにおかしいので、矢口は怪訝そうに顔を窺ってきた。俺は今にも泣きそうだった。
茉麻に嫌われた。確実に嫌われた。最悪のかたちで、傷に傷をつけて、信頼を裏切ってしまった。
「何か悪いことした?」と心配そうな矢口には、何とか笑って「駅まで送る」とその手を引いた。アイスコーヒーを飲んだ矢口は、とまどいながらもうなずいて立ち上がり、俺に駅まで送られると「またな」と改札を抜けていった。
帰宅すると、百里がリビングでスマホをいじっていた。俺の死んだ顔にぎょっとして、「何?」と眉を寄せる。
俺は虚ろに百里を見てから、自分のスマホを取り出して茉麻の連絡先を表示させた。そのスマホを突き出され、受け取って画面を見た百里は、「こういうの本人から聞くし」とすぐ突き返してくる。
「じゃあ、ちょっと茉麻の家に行ってくれよ」
「何で。喧嘩でもしたの?」
「お前なら茉麻は話すと思うから」
「話すって、」
「俺からは勝手に話せないんだ。あいつから聞いて、分かってやってくれ」
百里は訝しむ顔をしていたものの、俺の雰囲気でただごとではないのは察したのか、「茉麻くんの家ってお隣だよね」とソファを立ち上がる。俺はうなずき、「おふくろはいないのか」とやっと気づいて問うと、買い物に行っているそうだ。「留守番、代わりによろしくね」と言うと、百里は俺の家を出ていった。
俺は重苦しい息をついて、クーラーをつけた自分の部屋に引きこもって、ベッドで毛布をかぶった。汗と香水が混ざった匂いに気分が悪くなる。死にたい、と思って、それ以上の感情はなかった。
そうして、秒針の音だけが規則正しく落ちていった。漠然と、おふくろが帰宅した音とかも聞こえた気がした。レースカーテン越しの光が赤みがかってきた頃、百里が俺の家に戻ってきて、そのまま俺の部屋に入ってきた。
ぱたん、ときちんとドアを閉めてから、ベッドに歩み寄ってきて俺の頭を小突く。毛布をかぶったまま動けなかった俺は、何とか顔を出して百里を見上げた。百里は俺ときちんと瞳を重ねてから、ベッドサイドに腰かけて首をすくめた。
「で、あんたはゲイなの?」
俺は百里の背中を見つめ、「うん」と小さな声で答えた。百里はふーっとため息をついて、「じゃあ」と俺ともう一度目を合わせる。
「別に、あんたが悪いっていう話じゃないでしょ」
「……悪いだろ」
「強いて言えば、隠してたのは悪いかも」
「………、」
「男を好きになって、男とそういうことやるのは、自由な話だよ」
「茉麻の昔のこと──」
「聞いた。だから、強いて言ったけど隠したくなる気持ちも分かる」
俺は視線を下げ、そのまま泣きそうになった。
悪くない。俺の自由。
しかし、きっと肝心の茉麻はそう思ってくれない。泣くのをこらえる俺に、百里はいつになく優しい声で言った。
「しばらくは茉麻くんも混乱してるだろうから、距離置いたほうがいいかもね」
「……もう俺は、茉麻のそばにはいられないんだよな」
「さあね。簡単に『戻れるよ』とはちょっと言えないかな。茉麻くんの事情も根深いだろうから」
「それならそれでいい──」
「いいの?」
「……よく、ないけど。でも、もう俺は茉麻を怯えさせるし。その、百里は無理か」
「は?」
「百里が、茉麻の支えになってやってくれないか」
百里はゆっくりまばたきをして、「その約束はできないなあ」と脚を伸ばした。
「もう帰るから?」
「いや、あたし彼氏いるしね?」
「えっ」
「あんたみたいに、茉麻くんを優先して考えてあげるなんて、できないよ」
「彼氏……」
「どうせ、あんたが好きなのは茉麻くんなんでしょ」
「……ん」
「正直、その気持ちは打ち明けないほうがいいかもね。そういう対象として想われることは、あの事情ではきついでしょ」
俺はシーツに顔を伏せって、引き攣った息を吐くと、「茉麻のそばにいてあげたかった」と壊れそうに絞り出す。
「あんなことがあって、俺には心開けて、……なのに、俺がこんななんて。安心できる、友達でいてあげたかった」
喉がぎゅっとつまって、いよいよ涙がこみあげてくる。百里の手が俺の頭を撫でる。
そうだ。そばにいる。友達でいる。そんな日常さえ俺は砕いてしまったのだ。
もう俺は茉麻のそばにいられない。友達として慕ってもらえるなんてこともない。そんなのは都合がよすぎる。俺がゲイだったからといって、茉麻がむごい傷をあっさり乗り越え、それでも俺と親しくしてくれるなんて、そんなふうには思い上がれない。
いくら大事な友達でも、痛ましい傷口に綺麗ごとは通用しない。やっぱり俺は、茉麻にとって、気持ち悪い、嫌悪する、傷をかきむしる存在になってしまったのだ。
越えられない一線は、やはり越えられない。今まで障害物ではっきりしなかった視界だったが、ついに茉麻は俺のすがたを鮮明に見てしまった。
束の間、障害が途切れて遮断機が開くが、茉麻は俺の立つほうに渡ってきて、改めて親しくなるなんて絶対に選んでくれない。
まもなくまた遮断機は降りて、俺たちはさえぎられて、そのまま茉麻は俺との踏切の前から立ち去ってしまう。
こちらに来て一週間、「あんたはあんたでいいんだよ」と残して百里は予定通り帰っていき、やがて夏休みも終わって、俺は二学期も相変わらず適当なセフレと過ごしていた。
茉麻とは、家が隣なだけに顔を合わせないということはなくも、会話もなくすれちがうようになってしまった。そのたび、俺の息は穿たれて苦しくなった。このまま、俺は茉麻とは他人になってしまうのだろう。もう部屋に遊びに来てもらうことも、名前を呼ばれることもないのだろう。
こんなに好きなのに──好きだから、俺と茉麻はつながれなかった。踏切はとうぶん閉ざされたままだ。いつか不意に遮断機が上がっても、そこにとっくに茉麻のすがたなどない。
茉麻に拒絶された現実を見たくなければ、俺も踏切を離れてしまえばいいのに、やっぱり、どうしても、茉麻が好きで。俺はけして踏み出せない踏切の前で待っている。
好きになってもらえるなんて思ってない。また仲良くできるとさえ思わない。ただ、もしかしたら、その深い傷が癒えたら、せめて俺のことを認めてくれるかな、なんて。信じているのか、未練がましいのか、よく分からないけど。
まだ俺は、かんかんと鳴り響く踏切警報機の下で、そんな片想いをしてたたずんでいる。
FIN