「あんたみたいな子は、ソープでも行って、股開いておくほうがいいんじゃないの」
高校を卒業して、すぐに始めたのは水商売だった。若さだけで即採用されたのはいいけど、これが完全に向いていなかった。
客と同じ話題がないし。カラオケの選曲は時代錯誤だし。水割りおいしくないし。何より、店の外で食事してまで、店に連れてこいって何?
うんざりしたのは、あたし以上にママだったみたいだ。入店して三ヶ月経っても、テーブルを盛り上げることができないあたしに、そう言い放ってものすごい皺を眉間に刻んだ。ゴキブリを見るみたいな目だ。
それからさらに三ヶ月、ママの嫌味にもいい加減に耐えられなくなって、その店は飛んだ。けど、給料は所得税や雑費で天引きされまくっていたし、家出できそうな資金なんてろくに作れていなかった。半年、無駄にしただけだった。
巻き返すには、悔しいけど本当に風俗しかないのかもしれない。あたしは四月生まれで、二十歳までにはこの家を出たくて、十月の今から数えたら半年もない。
『あなたにぴったりのお店をマッチングするよ!』
スマホで開いた、きらきらした風俗の求人サイトには、そんな適性診断があった。とりあえず、それに年齢やら何カップやらを入力し、診断結果として表示されたお店の求人を眺めた。
ちなみに、ひとりでスマホを見ているここは、あたしが育った場所のベランダだ。背後の家の中では、家族が夕食を食べている。あたしのぶんがないわけではない。でも、きっと邪魔しないほうがいい。
冷たく暗い空で、うっすら嗤うような三日月を見つめていたけど、迷惑かけないためにはやらなきゃ、とマッチングAクラスのお店の電話番号をタップした。
翌日の夕方、ラブホテル街の中にあるホテヘル事務所の個室で、あたしは面接を受けた。一対一で面接を担当した、三十代ぐらいの男のスタッフさんは、「処女でしょ」と言った。あたしは少し考えたのち、「どうせなので処女も売ります」と答えた。すると、そのスタッフさんは楽しげに笑い、「処女は売れないよ」と言った。
「でも、そこまで覚悟があるなら、せっかくの初体験を研修に当てることはできるね?」
「研修ですか」
「とりあえず、今ここで、僕のをしゃぶれたら考えるよ」
あ、変な店当たった。そう察しつつも、特に逃げたくなったり泣きたくなったりはしない。「分かりました」とあたしはパイプ椅子を立ち上がると、淡々とスタッフさんの足元にひざまずいた。
「お金が欲しいの?」
「家を出たいだけです」
少し脚を開いたスタッフさんのベルトに手を伸ばし、不器用に緩める。
「じゃあ、うちは寮もあるから」
「そうなんですか」
「僕らに拘束されやすくなるけどね」
「……家にいるよりマシです」
かちゃかちゃとベルトを外すと、その下のジーンズのジッパーをおろす。
「何かわけあり?」
「小学生のときに引き取られた、親戚の家なんです」
「実の親は?」
こんな色気のない話の最中なのに、スタッフさんは黒いボクサーの中できちんと硬くなっている。
「父親は死にました。まあ、普通に過労で」
「普通なのかな」
「母親がそれで頭おかしくなって。淫売みたいなことやりながら、シャブ中になってました」
ボクサーをずらすと、勃起が現れる。あたしにとっては、ほとんど初めて見る男性器だ。
「今これを舐めて、口に入れられたら、雇ってあげる」
「……口だけでいいんですか? この仕事でやることって──」
「そりゃ、素股もアナル舐めもパイズリもやるよ。でも、そういうのは雇うって決めてから教える」
ほんとに雇ってもらえるのかな、と思いつつも、根元に手を添えて先端に唇を触れさせる。あったかいけど、かすかに汚臭がする。
「おかあさんは生きてるの?」
あたし首を横に振ってから、口を開いて、ぱくんと勃起を頬張った。「あ、歯が当たると痛いから」とスタッフさんは苦笑した。
「唇で歯をおおって、硬いのは当たらないようにして」
眉を寄せながらも、口をもごもご動かして唇の内側に歯を隠す。
「そっか、それで親戚の家で肩身が狭いわけだね」
うなずきながら、何とかそれをなるべく深くのみこむ。顎、けっこうつらい。あと、唾液が足りない。
「親戚に意地悪はされてるの?」
そのうち口の中で陰毛がざらざらして、さすがにいったん口を離した。
「されてないですよ」
言いながら、舌の上を引っかいて縮れた毛を剥ぎ取る。
「でも、叔母さんにとってのあたしは、イカれた姉が押しつけた荷物だと思います」
「叔父さんには何もされてない?」
「ないです。かわいいのは、自分の娘ばっかみたいですけど」
「あ、従姉妹いるんだ」
「タメのほうは大学行ってます。中学生は内気なんで、実の姉の陰にいる感じですね」
そして、もう一度口に含もうとしたら、「いいよ、根性座ってるのは分かった」とスタッフさんはあたしの肩を柔らかく押し返した。さらに、するっと勃起状態を終わらせて片づけたから、男ってそんなことができるのかとまばたいてしまう。
「ひとつ、確認しておきたいんだけど」
「はい」
「おかあさんがやってたこと、淫売って言ったね」
「はい」
「風俗ではなく?」
「あれは……違いますね。やらせてただけで」
「確かに、風俗はマニュアルに添ってやることだしね。でも、どっちもメンタルは削れるよ」
「……そうでしょうね」
「だけど、君はクスリに走ったりしないね?」
あたしはスタッフさんを見つめて、「入手方法が分からないので」と正直に言った。スタッフさんはおかしそうに噴き出してから、「だとしても」と立ち上がる。
「悪い客が勧めてきたりするからね。断れる?」
「……母のことは軽蔑してます。なので」
「そう。ならよかった」
あたしたちは、狭い個室から応接間に出る。そこには、ほかのスタッフさんや出勤らしい女の人も出入りしていた。
「おかあさんのこと、嫌いなんだね」
「嫌いっていうか……そんな壊れるほど、父を愛してたのはすごいのかなと思いますけど」
「そういう恋、君はしたことない?」
「したことないし、できる気もしません」
「いやー、恋は突然来るからねえ」
「ちなみに、彼氏作るのは禁止ですか?」
「彼氏と寮に住んでもいいよ。あ、希望の源氏名ある?」
「別に、何でも……本名でもいいし」
「君の本名、あんまりかわいくないからなあ」
「じゃあ、春生まれなので『春』とか」
「いいね。かぶる名前の嬢もいないし、それでいこう。このあとも時間大丈夫なら、寮の手配とか、もろもろの手続きをさっそくやれるけど」
「お願いします」
「よし。じゃあ春ちゃん、これからよろしく」
そんなわけで、私はそのホテヘルで働くことになった。仕事内容は、客とは周りにあるラブホの部屋で落ち合い、そこで致して、お金をもらったら、いったん事務所に帰るという仕組みだ。
寮に入ったので、家はすぐ出ていった。仕事は明かさなかったし、寮の住所も適当にごまかして教えなかったけど、別に追及されずにあっさり出ていくことができた。
ちなみに、ソープではないから本番は禁止だったけど、しつこく入れようとする客はいた。本強が執拗な客は、店にチクれば何とかなる。けれど、生理前とかいらだってどうでもいい気分のとき、無気力のまま中出しされるときもあった。事務所までの道をのろのろ歩いていると、内腿をつうっと生温かい精液が流れていく。妊娠するわけにはいかないので、アフターピルを口に放りこんだ。
確かに、あたしには水商売よりこっちのほうがいいかもしれない。若いお客さんもいるから、話の合う人もいるし。演歌に歓声を上げて拍手しなくていいし。おいしくないお酒をにこにこ飲む必要もないし。店外で会うのは、推奨どころか禁止だ。
気づけば、クリスマスもお正月もバレンタインも、風俗嬢として過ごした。季節は春になろうとしていた。スタッフさんたちはもちろん、常連になってくれたお客さんも、「春生まれだから『春』」というあたしの単純な源氏名はよく知っていて、「もうすぐ誕生日が来るね」と言ってくれる。
「春ちゃん、僕、店舗移動することになったよ」
あの面接したスタッフさんが、二月があと数日で終わる早朝、仕事を終えてきたあたしに、事務所でそう声をかけた。
「え、マジですか」
「マジだよ。今度は店長。どう? ついてこない?」
「引き抜きOKなんですか?」
「ある程度、僕自身が見込んだ子は連れていくよ」
「そっか。寂しくなりますね」
「それ、ついてこないってことだね」
「そうですね」
「初めての男にひどいなあ」
「最後まではしてないですよ」
「そう教えたのに、最後までさせてるときあるでしょ」
「……ばれてましたか」
「まあね。ダメだよ。好きな人ができたときに後悔する」
「好きな人なんて──」
「春ちゃん、まだギリギリ十代なんだからさ。そこは春が来ることを夢見よう」
「………、そう、ですね」
「そうそう。そして、幸せになって、必ず風俗からも足を洗うんだよ」
スタッフさんは、励ますようにあたしの肩をぽんとたたくと、PCの設置されたデスクに歩み寄り、何やら作業を始めた。その日はそれで上がることにしたあたしは、「お疲れ様でした」と言い置いて事務所を出る。
寒風が蒼ざめた冷気を裂く、寮までの五分間を歩く。この時間帯は、まだ芯まで軆が凍りそうで、息も白い。
この仕事を辞めるほどの幸せ。確かにそれは、やはり恋なのだろうか。いや、一生遊び暮らせる宝くじ一等が当たってもいいと思うけど。
あたしにも、春が来るのなら。その春が、あわよくばおかあさんを理解できるほど狂おしい恋なら。深く積もった雪のような過去を許し入れるためにも、早く来たらいいなと思う。
気がふれるような春。それはどんな気持ちなのだろう。そう思うから、こんなあたしにも、春よ来い。もうすぐ射しこむようになる、温かい陽光のように、早くあたしの心を溶かしにこい。
FIN