イノセンス-3

 その日は千冬さんと女子ふたりにつかまって、「ここなら七生は来れないからねえ」と女子トイレで床に突き飛ばされた。べたっと触ってしまった床に思わず身を起こすと、「汚ーい」とみんなけたけた笑う。
「洗いたいよねー。洗わせてあげるよー、もちろん。こっちで、なっ」
 腰を蹴られて、和式の個室に頭から突っ込まされる。がつんと便器に額をぶつけて、頬にひやっと溜まり水が触れる。顔を上げようとしたら、上履きに頭を踏みつけられて、誰かが洗浄ボタンを押した。
「ほら、ちゃんと顔洗えよー」
 どっと水が流れてきて、便器の微悪臭とカルキの臭いが鼻につんとして咳きこんでしまう。
「うわっ。こいつ、トイレの水、口に入れてるし」
「こいつには、トイレの水でももったいないでしょ」
「まあ確かにねえ」
 ばしゃばしゃと水が顔面を打つのが止まると、ひたひたと髪から雫が落ちる。息が切れて肩がわななく。
 生徒の掃除当番ぐらいで、清掃員が入るわけでもなく、こまやかに掃除されているトイレではない。嫌な臭いがする。
 黄ばんだ便器。石の床。用済みナプキン。
「そういやさあ、あんたってえ」
 千冬さんがくすくすと笑いを含んだ声で言った。
「マジで処女じゃないんでしょ?」
 ぎくんと心臓がこわばる。「何それ」とふたりが千冬さんに問いかける。
「何かさあ、こいつが小学生のときを知ってる人に聞いたんだけど。こいつ、義理の父親とやってたらしいよ」
「うえっ、マジで!?」
「何それ、頭おかしいんだけど」
 私は顔の水気をはらいながら、千冬さんを振り返った。
 千冬さんはくせっぽいウェーヴのセミロングに、長い前髪をピンで留めている。うっすら化粧もした綺麗な顔で、私の重苦しい表情から真実を見取る。
「へえ、その目、ガチなんだ」
「……ど、して」
「何度も言わせんなよ。お前の小学校のときの知り合いが話してた。何か、新聞にも載ったらしいよお」
 目を開いて、喉を声なく喘がせた。そんな。まだ、せめて、おじさんとおかあさんしか知らないと思っていた。
「さすがにヒくわ。父親とやるとか変態なの?」
「義理でもないよねー」
「ねえ? あんたのことだから、七生を取りこんだみたいに自分から誘ったんでしょ?」
「最低。あ、吐きたくなってきた」
「つか、トイレの臭いが普通にきつくなってきた」
 ふたりは身を引き、千冬さんは笑って私を個室の中に蹴り飛ばした。そして、ふたりを振り返る。
「もう帰ろ。ここなら、放置しても七生も見つけないだろうしさ」
「そだね。そういや、千冬って御笠とどうなの?」
「御笠、イケメンだよねー。早く手えつけたほうがよくない?」
「んー、微妙なとこなんだけど──」
 私は壁にもたれ、脱線したような脳内に血が流れるのを感じた。千冬さんがほかの人にも黙っている保証はない。真っ先に七生くんが浮かんだ。七生くんが、知ったら──やっぱり、軽蔑される?
 どうしよう。そんなわけないなんて信じられない。私は自分が汚れているのを痛感している。
 これは、男の人が女の子に対してもっとも忌む血痕だ。ダメだ。もう七生くんは私が泣いても肩を抱いてくれない。また、ひとりぼっち──……
 息が震えて、涙がこぼれてきた。痙攣する軆に、濡れた髪が揺れる。千冬さんが読んだ通り、七生くんは女子トイレにまでは駆けつけてくれない。誰かやってくる気配もない。
 私はゆっくり立ち上がり、がくがくと崩れそうな膝をこらえ、湿った制服をはらった。洗面所で手と顔を洗って、鏡の中の壊れそうな目をした自分を見た。
 ゆっくり、まばたきする。それで水分をはらう。
 おじさんのこと、七生くんだけじゃない、みんなに知られるのかな。私、それでもこの学校で生きていけるかな。行かないなんて選択肢はない。おとうさんに睨まれたくない。
 もう、死ねばいいのかもしれない。
 そんなことを思いながらふらふらと教室に戻ると、夕映えが射しこみかけた中に人影が残っていて、ドアで立ち止まる。
「……お前かよ」
 窓際のつくえに腰掛けていて、私を一瞥したのは御笠くんだった。御笠くんとは同じクラスだ。千冬さんと帰らなかったのかな、とうつむきながら教室に踏みこみ、自分の席に残るかばんを手にした。すぐ出ていこうとすると、「おい」と声変わりした低い声がかかる。
「千冬が言ってたのってマジなのかよ」
 そろそろと御笠くんを振り返る。やっぱり、ぞっとする冷酷な目をしている。
 私は答えずに席を離れようとした。すると、がたんっと大きな音を響かせて御笠くんがつくえを降りる。
「待てよ、訊いてんだろ」
 つかつかとつくえを縫ってくると、乱暴に私の手首をつかむ。
「てめえ、返事もできねえのか」
 私は眉を寄せて目をそらし、打ち身の額や腰に痛みを感じながらももがこうとした。「訊いてんだよ!」と御笠くんはいらいらと怒鳴りつけてきた。
「お前が、義理の──」
「っ、そうだよ、私はおじさんに全部、最後までされた!」
 御笠くんは私の大声に一瞬面食らったけど、苦く舌打ちすると、「マジで肉便器かよ」とつぶやく。
「……じゃあ、お前はそのへんの女よりうまいんだな」
「え……」
「うぜえんだよ、千冬が。一度寝たくらいで……フェラも下手だし、マグロだったくせに、いちゃついてくる」
「御笠……く、」
「お前が気晴らしになれよ。こんな時間なら、もう七生も来ねえだろうしな」
「わ、私──」
「早く。全部、最後まで! 知ってんだろうが、メス豚!」
 軆がこわばって動けずにいると、御笠くんは私を引っ張って前のめりにさせた。「何かくせえな」とつぶやきながらも、私をがくんとひざまずかせる。
 黒いスラックスのファスナーが目の前に来る。かちゃかちゃと御笠くんはベルトを緩めると、「しゃぶれ」と少し熱をはらみかけた性器を突き出してきた。
 私はかろうじて首を横に振った。すると、御笠くんは私の髪をつかみ、強引に口に押しこんでくる。
 口の中を強い脈拍が犯して、熱いかたちがどんどんふくらんでいく。いや、と思いながらも、私はこのときどう抵抗したらいいのかを知らない。おとなしく従い、終わらせることしかできない。
 ゆっくり口を限界まで開くと、含んで、飲みこむときの喉の締めつけで刺激を与える。初めてさせられたときは、何度も何度も耐えがたかったけど、わざとえづいて胃液で口の中をぬめらせるのは技術のひとつらしかった。舌を伸ばして血管をたどって、先端をついばむ。
「くそ……エロ女」
 御笠くんの息が荒くなって、取り留めなく声がもれる。その声で様子を窺いながら、吸いつく強さを波打たせる。
 御笠くんがだんだん硬く反り返って、喉をぎりぎりまで圧する。根元は手でしごき、先端に舌を絡みつけた。
 御笠くんは不意にうめき、「立て」と私の口から濡れた性器を引き抜く。先走った透明な液がぽたぽたと落ちる。
「わ、私、飲める……けど、」
「うるせえ、黙ってやらせろ」
「え……え、あ、」
 御笠くんは私を手近のつくえを突っ伏させると、「中で出さなきゃいいんだろ」とスカートをまくりあげる。
「だ、ダメ、分からない、そんなの」
「あ? 全部されたんだろうが」
「違う、外に出しても赤ちゃんは──」
「そしたら勝手に堕ろしにいけ」
「そんな、」
「黙れっつってんだろうがっ」
 御笠くんは私の右脚を持ち上げて下着をちぎり、脚のあいだを夕射しに晒して、入口にそのまま先端を当てた。やめて、と言おうとした。
 本当に分からない。赤ちゃんができたら、絶対におとうさんは私を捨てる。
 嫌だ。もうこれ以上は嫌だ。なのに、御笠くんは腰に腰をぐっと押し当てて、とがった性器で私を一気につんざいてきた。
 あの圧迫感と破裂しそうな痛みに目を剥いた。塩辛い味がその目から、口元へと、喉元へと流れていく。息遣いが引き攣って声が出ない。
 残暑の夕暮れの生温さが肌に沁みた。がたん、がたん、と御笠くんの動きに合わせて私が突っ伏すつくえが動く。御笠くんの手がブラウスの中に入りこんで、ブラジャーを引きずりおろして乳房を捕らえて、柔らかさを楽しむように指が食いこむ。
 痛い。痛いのに。どんな行為より痛い。なのにどうして、いつも、このときは誰も私を助けてくれないの──
 動きが早く、余裕なく、刻み方が切迫していく。私は嗚咽をもらして、でもぐったりして、突かれるたび恐怖に居すくまって、それで御笠くんを締めつける。
 御笠くんの汗がうなじを幾筋も伝う。息切れも早くなっていく。そしてついに御笠くんは声を出して、ずるっと乱暴に引き抜き、私の内腿にべったりと射精した。
 私はその場に崩れ落ちた。御笠くんはまだ息を荒げている。私はかたわらに自分のかばんが落ちているのに気づいた。
 七生くんは来なかった。当たり前だ。もう外は暗くなりかけている。
 でも、何かにすがらないとつらすぎる。私はかばんのフロントポケットを開けて、さくら色のタオルハンカチで涙をぬぐった。
「俺も拭きたいからそれ貸せ」
 私は唇を噛んで、もうひとつのハンカチを取り出してそれを御笠くんを見ないままさしだした。御笠くんは受け取って、そのへんの椅子に座って性器の後始末をする。そして私の膝にハンカチを投げ捨てた。
「ふん。どっちでもいいだろうが、汚れるなら」
「……これは大切なの」
「あ?」
「また会えるって、……会おうねって、約束してたの」
「………、」
「……御笠くんには関係ないよ」
 突然、さくら色のハンカチを握っていた手をひねり上げられた。「やめて」とさすがに鋭い声がもれた。
 でも、御笠くんはさくら色のハンカチを冷たく眺めただけで、私を突き飛ばすと立ち上がった。
「千冬には、言っといてやるよ」
「え……」
「言い触らさないように」
 目を開いていると、御笠くんは自分の席から手提げを取ってきて、教壇にあった鍵を私の足元に放ると、黙って教室を出ていった。
 どんどん暗くなっていくのに、私は腰にわだかまる重みに立ち上がれなかった。内腿で御笠くんの精液が乾いていくのが分かる。
 大丈夫かな、と黒い不安がせりあげてお腹をさする。大丈夫だよね。中では出されなかった。たぶん、大丈夫。
 つくえにつかまって立ち上がった。下腹部だけでなく、軆のあちこちの痛みもよみがえってきて、眉を顰めてしまう。
 もう部活の声さえしない。満月に近い月がひっそり浮かんで、その光の冷やかさに不安になった。私はまたこみあげる嗚咽をもらし、さくら色のハンカチで顔を覆った。

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