これが恋なら
やっと頭がはっきりしてくると、つながりをほどいてシーツに寝転がる。すると、梨斗は俺の腕に腕を絡めてきた。俺は梨斗を見て、目が合うと一緒にちょっと咲ってしまう。
「気持ちよかった?」
俺がそう訊いて髪を愛撫すると、梨斗はこくんとして「美晴は?」と訊いてくる。「俺もよかった」と答えると、梨斗は嬉しそうに咲い、「ちゃんと恋人同士だね」と言った。
ちゃんと恋人同士、か。起き上がってコンドームをはがしながら、そうなのかな、なんてぼんやり考えてしまう。軆はうまくいくようになったけど、心はどうなのだろう。
俺はいつか梨斗とは別れるとか、いつか女とつきあうとか思っている。梨斗をいつまでも愛しているイメージができない。いや、今、愛している実感だってない。好きだけど、恋なのかは分からない。
梨斗は男だし。俺には男は遊びだし。男に本気になるなんて、そんなことは──
梨斗とつきあいはじめて、ひと月経つのに、本音ではそんなもやもやが吹っ切れずにいる。吹っ切れるほど梨斗にのめりこめたら、いっそ楽なのかもしれない。でも、梨斗に対して夢中になれないつっかえがあるのだ。
梨斗相手だったらゲイでも何でもいい、とか思えない。それは、どこかで梨斗は、俺以上に実はストレートなんじゃないか、と思う節があるからだ。
梨斗は同性とつきあうことを「人と違うこと」だと思っている。それは俺も思っている──そして、本来はそんなのじゃない、自分は普通だと思っている。
ところが、梨斗は自分はゲイで人と違う、それが誇らしい、特別だと思っている。男同士で寝て、俺はしょせん後ろめたい感じがある。こんなのは遊びだから、ほんとは女とするからと言い聞かせている。梨斗はそういうところがない。かといって、自分に信念があるわけでもないのだ。何というか、男と寝ている自分が、気持ちいいというか──
うまく言えないのだけど、俺と梨斗は似ている。だが、ぜんぜん違うのだ。男同士で結ぶこの関係を「普通とは違う」と感じ、俺はそれを欠点のように恥ずかしく思い、梨斗は個性のように誇らしく思っている。
梨斗と話をしていると、自分の性が癒されるどころか、かきむしられているように感じる。セックスは気持ちいい。軆の相性は悪くないのだろう。でも、心の方向性が違う。梨斗とはあまりセクについて話したくないなと思う。
みんな男女でつきあうのに、自分たちは男同士でつきあっていて、みんなと同じじゃないね、他人と違うね、俺たちって特別なんだよね、そういうことを言われていると気分が重たくなる。
だから結局、そういう話題は避け、会ったら当たり障りなくいちゃついてセックスして、終電あるいは早朝に「またね」と別れる。毎日何かしらメールや電話をして、また会おうかということになる。
これってつきあってるのかな、とふとよぎることがある。もしかして、ほとんどセフレではないのか?
梨斗は夏休みに入った頃、特に約束はなかったけどバーに行くと、凛那はバイトということでひとりの琴生がいた。バイトが上がったら凛那はここに来るらしいが、「寂しいよお」と琴生はぶつくさしていて、「お前らべったりしすぎなんだよ」と俺は相席させてもらいつつ息をついてしまう。
「もう美晴も彼氏いるんだから分かるだろ」
そう言われた俺は、やや躊躇ったものの、「あのさ」と琴生に梨斗への何とも言えない違和感を話してみた。すると琴生は、お菓子をつまみながらもまじめに聞いてくれて、「ふむ」とオレンジ色のカクテルをすすって何やら考えた。そして、グラスをテーブルに置いたから俺を見つめる。
「もし梨斗が美晴の言う通りなら、梨斗こそファッションなのかもな」
「ファッション……」
「お前、よく言うじゃん。男と寝るのは人と違うって見せるファッションだって」
「……まあ」
「美晴はそれ自覚してるからいいけど。分かってやってるなら、遊びも結構だよ。でも、梨斗は自覚してないのかな。男と寝るのはかっこいいとか思ってるというか」
「……ああ」
「それはゲイとしては何かムカつくし、めちゃくちゃストレートの考え方だよね」
「やっぱ、ストレートだよな」
俺が顔を上げると、「梨斗が美晴の話す通りならね」と琴生は背凭れに寄りかかった。
「琴生は、違うと思う?」
「さあ。でも確かに、俺と凛那をよくうらやましがるね」
「別に、梨斗が嫌いっていうのはないんだ。ていうか、好きだよ。でも、梨斗は俺のこと好きなのかな。男の俺とつきあってる自分のことが好きなんじゃないのかな。俺たちは、凛那と琴生みたいな恋人同士じゃない気がする」
「俺と凛那は、しっかりと愛しあってるからねー」
「……まあ、だから梨斗もうらやましいんだろうけど」
琴生は含み咲ってグラスを取ると、カクテルをひと口こくんと飲みこむ。
「愛しあってるのがうらやましいなら、愛しあえばいいんじゃない?」
「そうできたら楽だけど、何か……違うじゃん、俺、別に男と寝る自分が特別とか思わないし」
「ファッションにしてるのは同じなのになー」と琴生は苦笑して、「でもさ」と言葉を継ぐ。
「どのみち、同性愛は自分をよく見せるファッションじゃないんだよ」
「……分かってるよ。何か、梨斗はそれを実感させる」
「実感」
「俺、ずっと男と寝るのは本気じゃないって言ってたよな。けど、やっぱ違うんだよ。梨斗が男とつきあってる自分は人と違うって話をすると、そうじゃないだろって思う。人と違うとか、そういうことじゃないだろって」
「うむ」
「大したことないだろって、気づいちまうんだよな。そしたら、俺も自分がゲイってことを意識しすぎてたんだって、分かって。……ほんと、ガチのゲイでも大したことじゃねえわ」
「そうだね。よく気づきました」
「だよな……。それを、すごく梨斗に言いたくて。もやもやして。でも、それ言って梨斗が納得したら、梨斗は俺と別れるのかな」
「別れたくない?」
「……分かんね。そういう感覚が違って、いらつくときもあるし。くだらないことしゃべって、一緒にいるのが楽しいときもある」
「むずかしいよねー」
「話したほうがいいのかな」
「価値観の違いは、お互い承知しといたほうがいいとは思うけど」
俺は息をついて、空いている隣に倒れこんだ。琴生はケータイを見て、何もなかったのか「凛那あ」とまた泣くような声を出す。
俺もケータイを取り出すと、梨斗からのメール着信があった。
『夏休みに入ったのに、学校も予備校も課題が鬼だよー。
せっかくみはると遊べると思ったのにー。』
俺はちょっと咲って、『高3の夏休みってそんなもんだから頑張れ』と送信した。するとすぐ返信が飛んでくる。
『みはるに会いたいよ。
みはるも大学休みだよね?
今度いつ会える?』
こういうとこは普通にかわいいんだよなあと思う。梨斗の都合に合わせると返すと、『水曜は予備校ないから、来週の水曜!』と来た。じゃあその日はこの店に二十時、と決まると『また連絡するし、連絡してね。待ってるから』と続いた。
不意に「にやにやしやがって」と琴生がお菓子を投げてきて、「かわいいときは仕方ないだろ」と俺は倒した身を起こす。
「好きなんじゃん、梨斗のこと」
「嫌いじゃないよ」
「好きだろ」
「好きじゃなかったら、言いたいこと言って別れるよ」
「凛那に飢えてる俺の前でいちゃつくカップルは、みんな消えろ」
琴生がそんなことを言ってふくれていると、向こうに当の凛那がが見えた。だが、俺が凛那をしめす前に、名前を呼ばれるのが聞こえたのか琴生はぱっと振り返り、凛那のすがたを見つける。
「凛那っ」
腕を伸ばした琴生を凛那も見つけて、ふたりはしばし抱きあって再会を噛みしめた。それから琴生は凛那にべったりじゃれつき、そんな琴生をあやす凛那は、俺に「梨斗とはどうだよ」と訊いた。
俺は今したばかりの琴生との話を話す。「方向性の違いってバンドか」と揶揄いつつ、凛那も「もやもやするなら話し合ったほうがいいな」と意見してくれた。
俺はまじめくさった顔でうなずき、それでうまくいかなくなるって決まってるわけじゃないよな、と自分を励ました。
すぐに水曜日は巡ってきて、俺は二十時を少しまわった頃にバーに到着した。カウンターに梨斗を見つけると、「ごめん、遅れた」とその隣に座る。
梨斗は俺を見ると、ため息をついて、「何か夏休みのほうが勉強きっつい……」と肩に寄りかかってくる。俺は笑って梨斗の頭をぽんぽんとして、「今日は休みだったんだろ」と顔を覗きこむ。
「んー、予備校はね。学校の課題はやってた」
「ひとりで?」
「友達と」
「ふうん……」
「あ、今、妬いた?」
「……妬いたというか」
「何?」
「いや、友達には話してんのかなって」
「美晴のこと?」
「うん」
「話してよければ話すよ」
「いや、やめとけ」
「えー、話したいなあ」
「予想以上にひかれるぞ」
「ひかれてもいいもん。俺は美晴が好きなんだから」
俺は梨斗を見つめて、梨斗は俺を見つめ返す。俺は梨斗の唇に軽く唇を触れあわせて、「またオレンジジュース」とその味に咲った。「だって今、俺が酒飲んだら」と梨斗は俺の手を握る。
「美晴が未成年に飲ませたことになるでしょ」
「ま、そうだな」
「二十歳になったら、いつも飲んでる奴、教えて」
二十歳になったら、か。梨斗が二十歳になっても、俺たちはつきあっているのだろうか。それぐらいつきあえたら、さすがにファッションじゃなくてまじめなつきあいと言えるのだろうか。あるいは、ただこじらせているだけか。
「なあ、梨斗」
「うん?」
「梨斗は自分がストレートだったらって考えたことある?」
「えっ」
「俺はいつも考えてきた。実際ほんとはストレートだと思って、男なんてみんな遊びだと思ってきた」
「う……ん」
「分かる? 俺、ゲイじゃないかもしれないってことだよ?」
「えっ、いや……何言ってんの。ゲイでしょ?」
「………、」
「ほんとはストレートなんて、別にそんなの思わなくていいじゃん。ゲイでいいんだよ」
「……うん」
「ストレートなんか、どうせつまんないよ。ゲイのほうが人と違って楽しいよ」
俺は梨斗を見直した。梨斗はじっと俺の瞳を見つめてくる。こいつ本気なんだなあと感じると、つらくなって目を伏せてしまった。
「美晴──」
「俺、そういうの分かんない」
「えっ」
「ゲイのほうが楽しいとか。ストレートはつまんないとか。そういうの、違うと思うんだけど」
「何で? ストレートなんて普通じゃん。やるなら周りと違うほうが、」
「俺はストレートに生まれたかったよ」
「え」
「でも女なんて、……やっぱ、いつまでも無理なんだと思う。いつか結婚するなんて嘘だよ。俺は男が好きだから」
「美晴……」
「生まれたときから、そうなんだよ。みんな、そうだと思うよ。少なくとも、つまんないけどストレートやってるとか、おもしろいからゲイやってるとか、そんなのは……ないと思う」
「………、」
「梨斗は……ストレートなんだろ?」
「……俺、」
「ストレートでつまんない想いしたから、ちょっと男に走ってるだけだろ。そういうのって、ゲイの俺からしたらきつい」
「俺はっ、」
「梨斗のこと好きだから、梨斗が対象じゃない俺とつきあってるのがつらいよ。ちゃんと女の子とつきあってくれよ」
「何言ってるの? 女なんて、俺はそんなに強い興味ないし。男とつきあったほうが──」
無意識にうつむいていた俺は、梨斗に目を向けた。梨斗は動揺したまばたきをして、「つきあったほうが」と繰り返し、そのまま口ごもった。
俺は何とか笑みを作ると、身を乗り出して梨斗を抱き寄せた。
「梨斗、俺たち別れよう」
腕の中で梨斗が動く。俺は腕に力をこめる。
「まだ、俺が引き返せるうちにそうさせて」
「引き返せる、って」
「このままだと、梨斗にマジになるから」
「なっていいよ」
「それは梨斗のセクに合ってない」
「そんなのっ、」
「女の子とつきあってみろよ。そしたら、あんがい楽しいと思うよ」
「俺は、」
「梨斗のほうこそ、俺のことなんか遊びで終わらせな」
俺はそう言うと、梨斗と手も軆も離して、ドリンクチケットをカウンターに置いた。
「ジントニックだよ」
「え」
「俺がいつも飲んでるの。俺帰るし、飲んでみたら」
「……別れる、って、ほんとに?」
「今日そこまで話を詰める気はなかったけど、話してるうちにそうしたほうがいいと思った」
「別れたいの?」
「梨斗のことが好きだから」
「だったら」
「これ以上、好きにならないようになりたいんだ。そばにいたら、ほんとに……梨斗、かわいいから」
「美晴……」
「ごめん。どうしても男とつきあいたいなら、それも別に止めないけどさ。俺は無理。割り切れなくなった」
梨斗がもう一度、俺の手をつかもうとした。俺は梨斗の手首をつかんで、それを止める。頬に優しくキスをしてから、「さよなら」ときびすを返して歩き出した。
「美晴」と呼ばれても振り返らず、唇を噛んでバーを出た。夏の夜風がぬるく頬に触れて、こらえようとしても水滴が流れていくのが分かった。唇に塩味が沁みて、顔を伏せる。
ああ、くそ。とっくに手遅れだったじゃないか。もう俺は、梨斗のことがこんなに──
でも、だったら、だからこそこうするべきなのだ。梨斗の相手は俺じゃない。梨斗には俺なんて若気の至りだ。あとで傷つくことになるのはゲイの俺だから、俺から別れるのは俺の権利だ。
甘くさざめいて夜の匂いがする通りを抜けていきながら、失恋したなあ、と俺は濡れた目を乱暴にこすった。
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