男の娘でした。-21

実って熟して

 飛紀が姫亜と交際することにしたのは、そのあとすぐ家族に伝わって、みんな喝采だった。「まだ姫亜ちゃん高校生なのにすみません」と飛紀がまじめに謝ると、「もう一年ぐらいで卒業なんだから」と言ったおかあさんにみんなうなずいた。「姫亜はちっちゃい頃から飛紀くん大好きだったもんねえ」とおばあちゃんが言うと、「あんまり恥ずかしいから言わないでよー」と姫亜が真っ赤になったのでまたみんな笑う。「飛紀くんならうちの家族はみんな安心だ」とおじいちゃんも太鼓判を押し、「そうか、癒も姫亜ももらってくれる相手が決まったのか」とおとうさんはつぶやき、やっぱりちょっとだけしょぼんとしていた。
 その日は、飛紀はけっこう遅くまでうちにいて、でも明日も仕事なので終電になる前に帰っていった。僕としては、姫亜が幸せそうで何よりだ。
 というか、僕は書類選考に通って面接頑張らねば、とふとんにうつぶせ、脚をじたばたさせる。
 伊鞠にはまだ黙っておこうかな。いきなり内定教えてサプライズしたいし。サプライズといえば、さっきの飛紀、告白のときにプレゼント用意するとかかっこいいことしてたな。
 僕が伊鞠にプレゼントするなら、指輪だよな。二年以上つきあっていて、ペアリングもしていない。だから、君嶋とかも調子に乗るのかもしれない。
 僕は自分の手を見て、伊鞠の指輪のサイズってどうやって知ろうと考える。サイズ測らせてとお願いしたら、指輪用意することもばれちゃうしと悩み、うつらうつら考えていたら、電気も消さずに寝落ちしていた。
 書類選考の結果が翌日に返ってくるわけはないので、火曜日は僕は十七時まで店番をして、十八時の約束の喫茶的に向かった。
 お茶のときは、たいてい伊鞠も桜音さんもすでに来ているのに、その日は桜音さんだけだった。「伊鞠まだですか」と僕が声をかけながらテーブルに近づくと、スマホを見ていた桜音さんははたと顔をあげ、「癒くん」と何やら深刻そうな面持ちを浮かべた。
「伊鞠の後輩がやらかしたっぽいよ」
「は?」
「その子、九月からはひとりで仕事任されてたんだけど。仕事でけっこう大きなミス犯したって」
 僕はまじろぎ、君嶋がひとり立ちしたようなことは伊鞠も言ってたな、と思い返す。
「連帯責任で、伊鞠も社内外でお詫びとか説明に走りまわってるみたい。癒くんのスマホには伊鞠から何か来てない?」
 とりあえず席に着き、スマホを見ると、伊鞠から通話着信だけ残っていた。混みあう電車に乗ってきたので、マナーにしたまま、いじることもなくて気づかなかった。
 僕はテイクアウトしたアイスフロートココアをずずずとストローで飲み、それから、君嶋が伊鞠にミスの尻拭いをさせているという現状をのみこむ。
 何というか、伊鞠まで大変なことになっているなら、素直に「君嶋ざまあ」とも思えない。伊鞠を巻きこむ迷惑をかけ、むしろいらっとするような怒りがある。
「後輩の子、大丈夫かなあ」
 スマホを置いた桜音さんがつぶやき、「あんなの心配するんですか」と僕がつい眉を寄せると、「そうじゃなくて」と桜音さんは紅茶を口にする。
「迷惑かけたお詫びとか言って、伊鞠を食事に連れ出したりしないかなあって」
「そんなん、迷惑かけた上に迷惑じゃないですか」
「そういうふうに考えられる子?」
 桜音さんは愁眉して、「日曜日のこと、私も伊鞠に聞いたから」と君嶋の性格を察している理由をつけくわえる。なるほど、と僕もココアで喉を潤した。
「失態すら利用して、伊鞠に取り入ろうとしそうじゃない?」
「そこまで……そこまでしそうですね」
「伊鞠が情に流されることはないと思うんだけど。うーん……会ってみて、芯の強そうな男の子だった?」
「ずぶとそうではありましたけど」
「あんまり突き放すと、最近の子ってぽきっと折れそうだからなあ。伊鞠も匙加減むずかしいと思う」
 僕はスプーンですくったバニラアイスを舌で蕩かす。
 確かに、君嶋は自信だけはありそうな男だったし、ひとり立ち早々ミスを犯したというのは、プライドが傷つくかもしれない。そして、そこをケアするのは、世話役だった伊鞠になるわけで──
 考えるほど、僕の心にはもやもやがこみあげ、何とも言えないうめきをもらしてしまう。
「君嶋うざいなあああああ」
「君嶋くんっていうの?」
「はい。はあ、伊鞠ももう……あんなんほっときゃいいんですよ。でも、仕事のうちだと思ったら、伊鞠は構うんだろうなあ」
「責任感は強い子だからね」
「君嶋はそれでまだ伊鞠に勘違いするわけですよね。スパイラルかよおおお」
 僕はテーブルに突っ伏して額をあて、目もつぶった。
 周りの席の話し声が素通りしていく。
 しばらくその体勢で考えた僕は、「伊鞠の会社行こうかな」とつぶやいた。
「乗りこみますか」
「君嶋に、こう、釘を刺すというか」
「うん」
「でもあいつ、僕をルックスでナメてるからなあ」
「見た目で決めつけるって、一番残念だよね」
「ほんとですよ。あいつ総合的に人間として残念なのに、何で自覚がないんだろ」
「自覚してたら直してるかもしれないね。伊鞠の会社って、行ったことあるの?」
「ないですけど、住所はスマホに入ってます。一応、緊急とか何かあったときのために」
「そっか。じゃあ、君嶋くんが牽制って気づくかは分からないけど、彼氏として伊鞠を迎えにいく?」
 体勢を直した僕は、桜音さんの目を見つめたのち、大きくこくりとした。そして「行ってきますっ」と立ち上がった──けど、すぐ座って、ココアは飲み干しておいた。
 そんな僕に桜音さんはなごんだように微笑み、「彼氏なんだから、君嶋くんにはがつんと言っちゃえ」と励ましてくれる。「はいっ」とアイスも食べて今度こそ立ち上がった僕は、「殴るときはぐーで殴ります!」とぐっとこぶしを掲げて言い残し、喫茶店を出た。
 伊鞠の会社は、先日のサイン会があった本屋さんと最寄り駅は同じだ。だから、そこまではスムーズに移動できたけど、ビル街に入ると迷ってしまった。スマホのマップで確認しながら歩いても、車道に出てしまったり、突き当たりだったり。
 それでも、目についた隠れ家的なレストランがあって、そこのお店の名前がマップ上に見つかった。目的地にかなり近い。もしかしてここが例の洋食屋さんかなとも思いつつ、僕は矢印の方向に歩き、ようやく伊鞠が勤める会社のビルを見つけた。
 とっくに空は暮れてしまった時刻で、帰宅するサラリーマンやOLさんらしき通行人も迷っているうちに減った。ビルのエントランスは閉まっていたけど、見上げると明かりが残っている窓がある。社員は裏口からでも帰るのだろうか。
 警備員さんとか管理人さんとかいるかなあ、と思ったものの、いても伊鞠がビルに残っているか確認してくれるか、さらに取り次いでくれるかは分からない。
 どうしよう、とたたずんで、一応伊鞠にここにいることは伝えるかとスマホを取り出そうとしたときだった。
「先輩、ほんとにすみません。申し訳ないです」
「謝るのはいいから、さっさと一度戻って課長に報告しましょう」
「そのあと、何かおごるんで許してください」
「そういうのはいらない。早く帰って、家で頭を冷やしなさい」
 ──うん、何で僕は、無意識に手近にあった柱の陰に、ささっと隠れているのかな。
 でも、間違いない。こちらに向かって歩いてきているのは、伊鞠と君嶋だ。ふたりは僕のいるエントランスは素通りし、ビルの路地に歩いていくから、やはりそちらに裏口でもあるのだろう。
 追いかけなきゃ、と動こうとしたとき、「先輩」と不意に君嶋が立ち止まって伊鞠を呼び止めた。「何?」と伊鞠も足を止め、君嶋を振り向く。
「先輩は、やっぱりかっこいいですね」
 伊鞠はあきれたように息をついて、何か言おうとした。それにかぶせて、君嶋は言葉を続けた。
「俺、先輩が好きです」
 あたりが暗い、暗くて伊鞠の表情がよく見えないっ。てか君嶋、お前、いったい何なの。どんなミスだったのか詳しくは分からないけど、この事態で告白モードなの。
「先輩よりしっかりした男になればいいかなって思ったけど、違うんですよね。もっと、頼ってくるような男だったらよかったんだ」
「………、」
「だからあんな彼氏、」
 僕がどきっとしたのと同時に、ぱんっと乾いた強い音が響いた。君嶋はぽかんと伊鞠を見る。暗い……けど、伊鞠の目は鋭い憤りを浮かべ、はっきり光っていた。
「ふざけないで! 私の彼氏を何だと思ってるの」
 ……伊鞠。
「あの人は、私のために自分の一番大切なものだって捨てた。それぐらい、最高にかっこいい男の人なんだから」
 ……伊鞠、伊鞠、伊鞠。
「そんな癒が、私は好きなの。あなたみたいな、弱くて自分のことばかりの男には、興味なんか持てな──」
 伊鞠が最後まで言い切る前に、僕は声をあげ、泣き出してしまった。
 当然、伊鞠も君嶋もぎょっとした様子でこちらを振り返ってくる。僕はそれに構わず、タックルのように伊鞠に駆け寄って、抱きついて、「僕も伊鞠が大好きだよお!」と涙を落として叫んだ。
「伊鞠が好き。大好き。初めてかっこいいとか言われた。そう言ってくれたのが伊鞠で嬉しいよ。伊鞠が僕のことそう思ってくれて、めちゃくちゃ嬉しいっ……」
 つらつら言葉を並べていると、唖然としていた伊鞠もやがて苦笑して、「泣かなくていいでしょう」と指で涙を拭いてくれた。「だって、嬉しいから泣くもん」と僕がぎゅうっとしがみつくと、伊鞠は微笑んで「はいはい」と僕を抱きしめる。
「伊鞠好き」と僕は何度も言って、彼女の体温と匂いで胸がいっぱいになって、ああ何かむしゃくしゃするのもやめよう、と思った。だって、伊鞠がこうして僕の一番そばにいることは、きっと永遠に変わらない。
 そして、そんな僕と伊鞠を見ていて、おそらく氷点下まで白々しく冷めたのは君嶋だった。急に舌打ちして「バカップルかよ」と吐き捨てたのも聞こえた。
 でも、もう気にしない。君嶋とかマジでどうでもいい。伊鞠は僕を愛してくれている。
 大きな吐息が聞こえ、「報告は俺だけでやってきます」と言って奴は立ち去りかけた──が、「先輩って」とおもしろくなさそうな声で何やら伊鞠に声をかける。
「そいつの前では、女らしい顔するんですね」
「らしくなくても、私は女だから」
「そうですね。クールな大人の女と思ったら、ただの恋する乙女で冷めましたよ。お幸せに!」
 やっと靴音が遠ざかり、「嫌な奴」と伊鞠はつぶやいて、「ねー」と僕はにこにこしながらくっつく。
「癒、どうしてここにいたの?」と伊鞠が改めて問うてきて、「彼女が帰り遅くなるなら、彼氏は迎えにくるんだもーん」と僕は甘えるように彼女を抱きしめる。伊鞠は小さくくすっとすると、「ありがとう」とアルトの声でささやいて、僕の背中にまわす腕に力をこめた。
 ビルの隙間で月がきらきらしている。人の往来がないわけではない道端だけど、僕たちは長いこと抱きしめあっていた。
 すりぬけた風はほんのかすかに涼しい。それは秋の香りで、これから深まっていくその季節のように、僕たちに実っている愛も熟していくのだと思った。

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