だから、ずっと一緒
「姫、これちょうだい」
さっきから店内で駄菓子を吟味していた女の子が、やっと決まったものを手にして代金を会計台に置く。「姫じゃないからねー」と毎度おなじみに言いながら、僕は代金を受け取って彼女にお釣りを渡す。
平日の十六時、お店の中には放課後になって宿題も終え、お菓子を買いにきた小学生がちらほらいる。
「最近、店番が姫じゃないこと多いよね」
「そうかなー。そもそも、僕がおばあちゃんの仕事奪ってただけだから」
「仕事辞めちゃうの?」
「どうでしょうねえ。ま、僕が辞めてもお菓子買いにきてね」
「やっぱり結婚するの? 梶先生が、姫は嫁に行くときが来るだろうからなって言ってたよ」
「梶先生は、僕をどんだけネタにしてんの。一度小学校に会いにいかないとな……」
僕がぶつぶつ言っていると、「まあ、結婚してもたまに店番してねっ」と女の子は手を振って去っていった。
が、すぐに今度は「姫、結婚すんのかよっ」とスナックの小袋をいくつか持ってきて男の子が食いついてくる。「もう、姫じゃないってばあ!」と僕はわめいて、ふうっとひとつ息をつくと、「ノーコメントです」と述べてその子のお会計もした。
カレンダーは十一月になった。台風も多く、長引いた暑さはようやくやわらぎ、今はエアコンも使わないほど気候がいい。お腹いっぱい食べたら、すぐ眠りたくなってしまうような、のどかな毎日だ。
しかも、今日は伊鞠が仕事を終えたら、家まで会いにきてくれる約束をしている。おかげさまで、僕は表情も気分もご機嫌だ。昨夜、通話で家まで来てほしいと急に言ったのに、行けると思うと伊鞠は快諾してくれた。楽しみだなあとわくわくしつつ、僕は手慣れた駄菓子屋の店番をこなしていく。
ぼーんぼーんと古時計が五回鳴った十七時過ぎ、姫亜が高校から帰宅してきた。
制服を私服にぱっと着替えると、今日も夕飯の支度に取りかかる。「今日は伊鞠のぶんも作ってー」とお願いすると、「了解」とあっさり請け合ってくれた。
飛紀とうまくいってから、この妹もかなり丸くなったなあと思う。姫亜はこのあいだ飛紀の部屋にお呼ばれして、料理をがっつり振る舞ったりもしたらしい。外泊はしなかった姫亜に、「何もなかったの?」と訊くと、「飛紀さん、おにいちゃんみたいに子供じゃないから」と言われた。
つまり、飛紀は几帳面に紳士を守っているのか。何だかんだでやることはやってしまうのかなと思っていた。姫亜と飛紀の仲は、伊鞠や桜音さんも喜んでくれたし、悟さんも桜音さんに話を聞いて祝福してくれたそうだ。それを聞いた姫亜は「またあのメンバーでどっか行けたらいいなあ」と言い、「聖生の彼氏さんも今度は入れないとね」と僕はうなずいた。
その聖生は、相変わらず男の娘界隈の第一線として、AV女優兼ホステスとして活躍している。先日も水をテーマに撮った作品を集めた新作を出して、お風呂やプール、雨の中や海でも男優さんと絡み、かなりエロかったその作品は売り上げも順調みたいだ。「あれの撮影中は風邪ひかないのに必死だったけどね」なんて言う聖生、彼氏のなっちゃんさんともおつきあいは順調だ。
なっちゃんさんはすっかり同性の聖生を抱くことに慣れてきたとかで、聖生の軆をとても良くしてくれるという。「愛があって、しかもうまいとか、俺の彼氏って完璧じゃね?」と聖生はお店で客にもあけすけに語るらしく、聖生のもうひとつの仕事は承知する客がほとんどなので、特に顰蹙はないそうだけど、「彼氏有りがばれるのはOKなの?」と僕はちょっと心配する。すると、「彼氏がいるって言っときゃ、AV出るならセックス好きでしょ、やりまくりたいんでしょ、とかって枕に誘われないから楽」と聖生はからからと笑っていた。
古時計が今度は六回鳴り響き、十八時をまわった頃、パンツスーツにネイビーのコートを羽織った伊鞠が訪ねてきた。「急に呼んでごめんね」と僕が店番を立ち上がると、「大丈夫、気にしないで」と伊鞠はクールに答える。
姫亜は料理中なので、おばあちゃんに店番を任せると、僕は伊鞠を二階の部屋に招いた。「ご家族が良くしてくれるから、癒の部屋ってあまり来ないね」と伊鞠はコートを脱ぎ、「来たいならいつでも来ていいんだよー」と僕はクッションを持ってきて、その上に座ってもらった。
「ほんとに、夕食も一緒にいただいていいの?」
「うん。姫亜も、もう伊鞠のぶん用意してる」
言いながら、僕は学生時代は一応勉強に使っていたつくえの引き出しから、例のものを取り出した。目を閉じて、肺の深くまで深呼吸する。それから瞳を開き、取り出したものは背中に隠すと、伊鞠の正面に座りこんだ。
「伊鞠」
「うん」
「何と、今日はお知らせがあります」
「お知らせ」
「ふたつあるのです」
伊鞠は首をかしげ、「もしかして、いいお知らせと悪いお知らせ?」と言う。洋画のよくある台詞だ。僕も伊鞠も思わず咲ってしまってから、「んっとね」と僕ははにかむみたいに上目遣いになる。
「いいお知らせと、すごくいいお知らせ」
「どっちもいいお知らせなの?」
「うん」
「そう。じゃあ──いいお知らせを」
「よし。こっちだ」
背中に隠しているもののうち、僕はA4の封筒を伊鞠にさしだした。伊鞠は不思議そうに受け取り、「中、見ていいの?」と確認してくる。「もちろん」と僕が言うと、伊鞠は封筒に入っていた紙を取り出し、書面に目を通し──驚いたように目をみはった。
「これ──ほんとに?」
「うん」
「仕事が決まったってこと?」
「そう! ファッションブランドの直営店舗、正規スタッフでーす!」
「しかも、KOZUEって……すごいじゃない。私もここのスーツ持ってる」
「うん。社長の小梢さん、最終面接でお話したけどかっこよかったよー。単なる男性視点じゃなくて、元男の娘っていう目線を持ってるのはおもしろいって言ってくれた」
「そんなことも話したの」
「話しやすくて。何か、この人についていきたい、サポートしたいって感じたから、採用されたのはそれが伝わったみたいで嬉しいな」
「きっとほんとに伝わったんだと思う。すごい。おめでとう、癒。頑張ったんだね」
「うんっ──あ、待って。でも待って。もうひとつあるから」
「あ、すごくいいお知らせ」
「そう」
「これよりもいいお知らせなの?」
「僕的には」
「じゃあ、教えて」
僕はにっこりとしてから、もうひとつの背中に隠していたものをさしだした。伊鞠はその小さな箱を見て、まばたきをして僕の顔に視線を移す。僕は照れ咲いすると、よし、と手が震えないのを確かめてから、箱を開いて「それ」を伊鞠に見せた。
「仕事決まったからって、今日の午前中、貯金はこれに全部使ってきちゃった」
「癒……」
「えと、その──伊鞠と、一緒に暮らせるようになりたいから。もちろん、本格的な準備は僕の仕事が軌道に乗ってからだけど。約束はいいよね」
僕は伊鞠の瞳に瞳を重ね、おもはゆさを混ぜながら微笑む。
「婚約指輪、です」
伊鞠は睫毛をしばたいて、ふと思い当たったように、「こないだ、桜音のアクセショップに誘われて行ってきた」とつぶやく。
「そう、知ってる。サイズと伊鞠の好み、桜音さんに探ってもらっておいた」
「もう──貯金は、ちゃんと計画的に使わないとダメじゃない」
「そうなんだけどっ。だって、やっぱ、伊鞠と結婚したいんだもん」
伊鞠はめずらしく瞳を潤ませると、「うん」とつぶやき、「私も癒と結婚したい」と続けてくれた。僕がぱあっと破顔すると、「だから」と伊鞠は言葉をつなぐ。
「私が、仕事を頑張ってもいいんだけど」
「えっ? うー、それはー。それはねー」
「ダメ?」
「苦労は僕がしたいから」
「ふふ。男らしいね」
「そ、そうかな」
「あんなにかわいかったのに」
そう言った伊鞠は僕を見つめて、急に身を乗り出すと、僕の唇にキスしてくれた。思わずどきどきしてしまったものの、僕は至近距離で伊鞠の切れ長の瞳を見つめ、「好きだから」とほろほろ言葉をこぼす。
「伊鞠のためなら、僕は何でもできるんだよ。伊鞠にそばにいてもらうためなら」
「うん」
「だから──ずっと、一緒」
そう言って、今度は僕から伊鞠にキスをする。ぎゅっと抱きしめあう。この人となら、このまま溶けて、ひとつになってしまってもいいと思う。
そう、僕はめちゃくちゃにかわいい。そのへんの女の子に較べたら、ずっとずっと愛らしい。
だから女装を始めて、姫と呼ばれて、男とつきあって、ホステスも満喫してきた。
けれど、僕はもうこのかっこいい彼女に出逢ったから。最愛のこの人だけに、永遠を誓うから。
──男の娘でした。
だけど今、僕は、ただの男の子なのです。
FIN