里音さんとは、夜に会うことが多かった。平日の昼は私が仕事だし、週末は里音さんが家で旦那と過ごすから。待ち合わせてごはんを食べて、そのままゆったりおしゃべりするときもあれば、ライヴに出かけるときもあった。
初めてロック系統のライヴハウスのイベントに行ったときは、これまで動画で観るだけだった光景に里音さんは感激して、「どうしよう、どのバンドも好きな感じ!」と私の腕をつかんで興奮していた。
そんなふうに里音さんと一緒に遊ぶ日を重ねていると、あんなに容赦なかった暑さはやわらぎ、消え去っていた。街路樹から落ち葉がひるがえる秋が深まり、やがて慌ただしい年末にさしかかる。
年末はイベントが多いので、なるべくたくさんのロックバンドが観れるような夜に会いたいねとメッセで話していた。ちなみに敬語はやめましょうかと私たちはタメ口になり、お互いのことも「ヒナ」「サト」と呼ぶようになっていた。
今年はイヴが木曜日で、クリスマスが金曜日だ。旦那は昼寝中という週末の昼、サトと通話していると『やっぱりクリスマスはイベントも豪華なの?』と尋ねられて、「どうかなー」と座椅子で着る毛布にくるまる私は考える。
「豪華にやるとこもあるけど、けっこうワンマンとかが多い気もする。サトはいろんなバンド観れるほうが好きだよね」
『まだ勉強中だから』
「はは。じゃあ、フェスかサーキットがいいかなあ」
『あっ、フェス行ってみたい』
「誰かが年末のフェスの話してた気がする。誰だったかな。たぶんいいねしてたから、あとで確認しとく」
『フェスってことは、やっぱ大きいとこなの? 外とか?』
「いつもみたいなライヴハウスでも、インディーズのフェスやるよ。昼からオープンして、夜までたくさん出演者がいて」
『へえ。行きたいなー。あ、でも、昼からだったらヒナと一緒に行けない?』
「サト、ひとりでもういろいろ行けそうだけど」
『行ける、けど……え、あとからヒナも来るよね?』
「もちろん」
『それなら、まあ──仕事終わって来てくれたら』
私は笑いを噛み、何なら有給か、早退でもすればいいかと、口にはしなくても考えておく。
そのあとも、年末に会えた日はどうするか相談していたけど、『あ、旦那が何か呼びはじめた。起きたのかな』とサトが言ったことで、通話はあっさり中断されてしまった。取り残されたような私は、ひとりでむくれてスマホをクッションの上に投げる。
旦那、おとなしく寝てろよ。てか、起きるのは勝手でも、通話中の人を自分のほうに呼ぶって何なんだよ。
顔も知らないサトの旦那に、そんなことをぶつくさ言いたくなる。でも、着る毛布の中に縮んだ私は、休日を邪魔してたのはこっちのほうなのかなとため息をついた。
腕を伸ばしてスマホを持ち直し、SNSを開いて、自分のいいねをたどった。自分が言った年末フェスの情報を探していると、『今年も出演させてもらいます!』という憶えのあるツイを発見した。これだ、と思い、いいねでは埋もれていくからスクショしておく。あの界隈で活動するインディーズロックバンドが集まるそのフェスは、十八日の金曜日、サトとふたりで行ったこともあるライヴハウスが会場だった。
ちょっと迷ったものの、メッセならいいかなとすぐサトに伝えておく。すると、そのまま旦那に確認できたらしく、『OKって言ってもらえた!』という返信が来た。
私はすぐに、情報をツイしていたフォローしているバンドにDMし、チケを二枚取り置きしてもらう。そして、サトと遊べる日を心待ちにして二週間仕事をこなし、あっという間にそのフェスの前日になった。
『明日、有給取っちゃったからランチから一緒する?』
夜、サトにそんなメッセを送ると、『本当? いいの?』と驚いたらしい答えが返ってきた。『サトに都合あれば、普通に昼まで寝とく。』と応じると、『ランチ一緒したいです。お願いします。』と久々に敬語を使われて笑ってしまった。
そんなわけで、翌日の十三時にいつものCDショップで待ち合わせして、今回のフェスはスタートの十五時、一組目のバンドから一緒に楽しむことになった。
すっかり寒くなって、乾燥した冷え切った風が、灰色の景色を切り裂いている日が増えた。
フェス当日、部屋を出る前にオフホワイトのコートを着こみ、マフラーと手ぶくろもつけてしっかり防寒した。駅までヒールの靴音を響かせる。寒風が吹きこむホームでしばし待ち、乗りこんだ電車は暖房が強すぎるぐらいにかかっていた。ちょっと暑いかも、とも考えつつ、面倒なのでマフラーも手ぶくろも外さずにいる。
いつもの駅で降りて、CDショップに向かいながらスマホの通知をチェックした。『次の駅で着くよ!』というサトのメッセがたった今来ていたので、『私も着いたから、面展のあたりにいるね。』と返しておいた。改札を抜けて人混みを縫い、いつも落ち合っている邦楽フロアの面展コーナーにたどりつく。
インディーズは聴き散らかしているものの、メジャーの音楽は、今ではベテランとなってきたバンドばかり聴いている気がする。実際、面展を見てまわっても、最近デビューした新人バンドはほとんど知らない。
たまには開拓しなきゃなあと、何となくジャケが気になったものを視聴していると、不意に背後から肩をたたかれた。はたと振り返ると、もちろんそこにいたのは笑顔のサトで、私も笑みを浮かべてヘッドホンをはずす。
「何聴いてたの?」
鮮やかなレッドのコートを着たサトは、興味津々に私が聴いていたCDの面展を覗きこむ。
「何か適当に。どっかで聴いたことある気もする」
「あー、これ、ラジオでヘビロテになってる奴だからじゃない?」
「ラジオ聴かないけどなあ」
「街とかお店で何気に聴いてるよ」
「そっか。けっこうかっこいいけど、今日は物販にお金使うかもだから買えないね」
「物販買っちゃうよねー。缶バッジとか買うようになってる自分にびっくりしてる」
「分かる」と私は笑って、「で、ランチは何食べよっか」と訊いてみる。たいてい、私が考えておかなくても、サトは何を食べたいか決めていて、今日も「グラタンのコロッケのやつ食べたい」と即答してきた。
「ハンバーガーの?」
「そうそう。私、毎年絶対食べてる」
「じゃあ、ランチはハンバーガーにしますか」
「うん。お店、駅ナカにあるよ」
私は手にしていたヘッドホンを置き、再生中のままだった曲を停止にしておいた。
楽しそうにエスカレーターに向かうサトを見つめて、だいぶ砕けてきてくれたなあと感じる。年齢差といってもたった二歳だし、私たちはほとんど同級生みたいに仲良くしている。落ち着いた印象だったサトが、無邪気に咲ったりするのを見るようにもなって、それが何だか嬉しかった。
ファーストフードであつあつのグラタンコロッケがはさまれたハンバーガーを食べて、フライドポテトやナゲットも平らげると、今日はちょっとだけ駅から離れたライヴハウスにおもむいた。
いつもは暗くなって歩く街並みだから、空も景色も明るいのが変な感じだ。冬陽があたる店先には、ツリーを置いたりリースを飾ったりしているところが多い。
ちょっとだけ離れた、とはいっても十五分くらいで目的のライヴハウスに着くと、ちょうどオープンしたのかスタッフさんが入口を開放していた。
「入れますか?」と一応訊くと、「あ、どうぞ!」と確か音響も担当している若い男の子が振り返って、笑顔で言ってくれる。私たちが一番乗りではなかったものの、店内のお客さんはまだかなり少なかった。
平日の昼だもんなー、と思いつつ、チケ代をはらって、引き換えにドリンクチケットをもらった。手の甲に再入場のためのスタンプを押されると、サトはそれをスマホで写真におさめる。今日は長帳場になるせいか、椅子が前方半分に置かれていて、私とサトは早めに席を獲得しておいた。
「『本日はフードがあります』だって」
カウンターのほうを見返り、サトがPOPが気になるように言った。
「夕ごはんはここで食べることになるしね」
「そっか。何時に終わるんだろ」
「んー、ちょっと分かんない。遅くなるとは思う」
「まあ……遅くなるとは言ってあるから大丈夫か。というか、この匂いは絶対におでんだよね! 大根とたまごは食べたい」
「観てたら味染みるよ」と私は苦笑しつつ、やっぱり家で旦那はサトを待ってるんだなあとちょっと胸がもやっとする。
「そうだね。ヒナは何飲む?」
「カシオレ」
「ヒナはいつもそれだよね」
「いや、サトも必ず烏龍茶だよね」
「私はすぐ酔うから」
「お酒は好きなの?」
「家では飲むよ。チョコレートリキュールのミルク割りとか」
「ココア……?」
「ちゃんとお酒ですー」
「そうですか。ま、ひとりで電車乗って帰らなきゃいけないしね。酔いつぶれてたら危ないか」
そんなことを話していると、十五時が近づいてステージで一組目のバンドが準備を始める。サトはそれを興味深そうに眺めているから、私がドリンクチケット預かり、カシスオレンジと烏龍茶を持って席に戻った。
「ありがと」とサトが烏龍茶を受け取ったとき、「OKです」とヴォーカルの子がフロア後方に合図して、SEがいったん大きくなってすうっと落ち着いていく。
まだ二十代なかばくらいの子たちだろうか。ヴォーカルの子はPCで、ギタリストの子は足元のボードで、音を作りながら演奏して、エレクトロっぽいサウンドのロックバンドだった。この時間の一組目とはいえ、じゅうぶん聴きごたえがある。
私が取り置きを頼んだバンドは、日が落ちてきた十八時前に登場した。彼らはスクリーモっぽいヴォーカルと激しい楽器隊がかっこいいバンドで、サトも「やばい、このバンドすごい好き」とささやいてきた。「でしょ」と私は得意げに笑って、曲と曲の合間に拍手する。
いつのまにか椅子はすべて埋まり、後方のスタンディングの観客も増えつつあった。
十九時をまわって、転換のあいだに私とサトはフードを買いにいった。サトは念願のおでんをあれこれ選び、私はカツカレーが出ていたのでそれにした。席でそれを食べながら、夜更けになるにつれてテンションが上がるステージを鑑賞する。
カツカレーは、ヒレカツのころもはさくさくしてお肉は柔らかく、カレーはややスパイスが強くて辛かったけどおいしかった。
フロアの観客は満員に近くなっていて、歓声や口笛も飛び交うようになっている。サトは次から次へと登場するバンドに目移りして、「今日出演した全員で作ったコンピが欲しい」とか言い出していた。確かに、このフェスがそのまま音源化されたりしたら、ちょっと欲しいなと思うぐらいにみんな魅力的だ。
ついにトリのバンドが現れて、パンクサウンドに悲痛なぐらいのヴォーカルが重なり、その迫力に観客は騒ぐのも忘れて魅入った。そのバンドが最後の曲を終え、やっと拍手があふれて、お約束のアンコールになる。トリのバンドがもう一度ステージに現れ、「燃え尽きたんですけどー」なんてフロントマンのヴォーカルくんは苦笑いしつつ、少しMCをはさんで今日のお礼をすべてのバンドに述べ、それから二曲演奏してくれた。
拍手や歓声が再び店内を包んで、今度は照明が明るくなってSEも流れはじめる。
物販コーナーがにぎわって、「サト、何か買ってく?」と訊くと「当然!」とサトは財布を勇ましく取り出した。その前に空になったグラスとプレートをカウンターに返却すると、私たちは物販コーナーで気になったバンドの音源をやグッズを探しあさった。買ったものにはサインも入れてもらえて、ほくほくしながらバッグにしまう。
どの曲が印象的だったとか、こちらの話を聞いてくれるバンドもいて、なごやかに雑談を楽しんだ。時間のことをすっかり忘れていて、「本日はありがとうございました。アーティスト以外の方は、気をつけてお帰りください」とアナウンスが流れたことではっとした。時刻は二十三時を大きくまわっていた。
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