君がいない世界
大掃除も何もしないまま、気づくと年が明けていた。仕事納めは二十八日で、その日から引きこもって、クラウドの優空の写真や動画ばかりスマホから眺めている。去年の病室での誕生日の動画を再生させると、優空は咲いながら何回かに分けてろうそくを吹き消す。「願い事した?」と聖空さんが訊くと、「した!」と優空は答えたけど、どんな願い事かは言わなかった。その願い事は叶ったのだろうかと思い、僕の瞳はまた潤む。
優空がいなくなってしまった。僕の伴侶にしようと決めた人だったのに。僕は唐突に、この世にひとりぼっちになってしまったように感じる。
優空の家族も、親友の希都も、確かにそばにいるのかもしれないけど。僕の魂の片割れだと思ったのは優空だったのだ。そんな彼女が欠けてしまって、僕は寄り添う相手がいなくてぽつんと突っ立っている。
頭がぼんやりして動かない。優空の葬儀のあと職場に戻り、仕事納めまで少し働いたけど、何も手につかなかった。不意に涙がこみあげ、それをこらえることだけに必死だった。
隣のデスクの川神さんが、「今は何もできなくて当然だから、あんまり無理しないで」と気遣ってくれた。僕はうなずきながら、打ちこむ数値を間違わないよう何とか気をはらった。それでも心配だったから、提出の前に人に確認してもらった。でも、仕事初めからはそんな手間もかけられなくなるだろう。僕の頭が霞みががったまま使えないなら、クビになるだけだ。
仕事まで失くしたら、僕はこの部屋に住むこともできなくなる。だから、仕事は何とか続けないと。今の小さな会社は、優空のことを知ってくれているだけ、マシだ。僕が恋人を亡くしたなんて知ったことではない場所に転職しても、続くわけがない。
仕事は今の会社に何とかしがみつくとして、それ以外、僕はこの先をどんなふうに過ごしていけばいいのだろう。仕事で衣食住がまかなえても、それさえ安定していればいいというわけではない。
ひとりなのだ。かといって、あっさり次の好きな人なんて考えられるわけもない。結婚まで考えていた恋人を埋めてくれる出逢いなんて、もうないような気がする。優空に出逢えただけでも、僕は奇跡を感じていた。優空以上の人なんているものか。
自分があとどれくらい生きるのか分からない。三十三歳。何もなければ、あと五十年くらいだろうか。そのあいだ、ずっとひとりで過ごすのかと思うと気が遠くなる。せめて、僕の人生もあと少しだったら、こんなに傷つかなかったのに。心の半身をあまりにも早く喪ってしまった。僕はこのまま一生、半分の感覚で生きていくのだろうか。
一月になり、三箇日が明けた四日が仕事初めだった。引きずっちゃダメだ。迷惑をかけてはいけない。部屋ではどんなに落ちこもうが僕の勝手だけど、会社では平然としないと。なるべく顔を上げて、できるだけ咲って──
そんなふうに無理やり過ごしていても、僕を癒やしてくれる存在はもういない。仕事帰りに病院にまで足を延ばしていた頃のほうが、よほど満たされていた。そこにはまだ優空の笑顔があった。優空を亡くしてまだ三週間と経っていない。こんな喪失感が一生続くのかと思うと、何のために元気なふりをしているのかわけが分からなくて、生きる気力が削がれていく。
ああ、でも実家には帰りたくないな。あいつらがいるんだもんな。優空も心配してくれていた。そして、そんな親のことは忘れていいんだよと、あの怒鳴り声を夢に見て眠れない僕を抱きしめてくれた。
殴られたとか、放置されたとかではないけれど、僕の父親はかなり独裁的な人だった。よく母親のことを怒鳴りつけ、思うようにいかないと物に当たった。皿が割れる音。ドアを閉める音。壁を蹴る音。全部、いまだに耳に障ると僕はびくんとしてしまう。そんな父親に怒られたくなくて、昔はとにかく「いい子」にしていた。でも、中学生の途中からひどく気分がふさぐときができて──たぶんのちに診断される「鬱」を発症したのだけど、そのせいで勉強ができなくなってしまった。
それから、父親は僕が「出来損ない」になったのはお前のせいだと母親をさらに責めた。そして、連鎖的に母親は「何でこのくらいの試験で満点が取れないの」と僕を責めた。あの頃、僕は母親に対して「ごめんなさい」ばかり言っていた気がする。
高校生になって、大学生になって、僕はずっと親に縛られてきた。学生時代は、まだ必死に勉強すれば何とかなっていた。両親が僕を徹底的に見下すようになったのは、就職活動で何社も一次落ちして、なかなか仕事が決まらなかったときだ。
本気で就職できずにバイトになるか、あるいはバイトすら受からないかとも思ったけれど、小さくても一応チェーン展開している本屋の社員に受かった。本を読むのは好きだったから、多少は好きなことに関わる仕事でほっとした。両親には何も相談せずに内定を受け入れた。が、けして有名でも一流でもない会社に勤めることに両親はいらいらしてみせて、父親は「プライドがないのか」と、母親は「何でもっと頑張らなかったの」と言った。
暗い気持ちで入社したけど、僕はこの会社に入ってよかったと思っている。同期で入社した人たちの中にいたのが、優空だったから。僕の調子が悪いとき、気にかけてくれて、ずっと行く勇気の出なかった心療内科に付き添ってくれたのも優空だった。そこで僕が「鬱病」と診断されても偏見しなかったし、そうなった原因である家庭を「つらかったね」と認めてくれた。
そう、僕はずっとつらかった。とうさんは怒っていて、かあさんはなじってくる、あの家庭がずっとつらかったのだ。そして数年後、つきあうようになっていた優空に、資金も貯まったから家を出ることを伝えて、「もしよかったら一緒に暮らさないかな」と切り出したら、彼女はびっくりしたけど嬉しそうにうなずいてくれた。
病気が分かって手術することになるまで、優空もその会社で頑張っていた。僕は二階で裏方の仕事をするのがほとんどだったけど、優空は一階の売り場で接客をよくやっていた。笑顔が印象的だったから、辞めたときには「最近あの子見ないね」と声をかけてきたお客さんもいたそうだ。
治ったらまた会社に戻りたい。優空がそう言わなくなったのは、いつからだろう。本当は、きっと最期まで、何事もなかったように戻りたかったのだと思うけれど。
優空が胸のしこりを感じたのは、三年前だった。ちょうど三十歳のときだ。切っかけは女優やタレントの乳癌の死が続いたとき、テレビでセルフチェックの方法が流れ、何となくやってみたときだったと思う。「まだ若いから大丈夫ですー」とか言いつつ一応胸を確認した優空は、そのあとちょっと首をかしげていた。「大丈夫だった?」と訊いた僕にはうなずいていた。けれども、やっぱり何か不安があったのか、優空はひとりで検査を受けにいって、右の胸に腫瘍ができていることを知った。
良性だったし、一度目の手術はそんなに大きな手術にならずに済んだけれど、一年半が過ぎた春に再発した。それが、良性ながら腫瘍が三ヵ所に散らばってできていて、結果的に右胸を摘出することになった。「女じゃなくなっちゃうみたい」と病室でつぶやいた優空は、手をつなぐ僕を見つめて、「そうなっても抱いてくれる?」と問うてきた。僕は優空を見つめ返し、「僕は優空じゃないと嫌だから」とそっとキスをした。
この手術で優空が安定したら結婚しようと思っていた。けれど入退院が続き、なかなか結婚の準備というまとまった時間が取れずにいるうち、また腫瘍が見つかった。それが、年末の三度目の手術になって──動脈に絡みつき、出血多量の危険で切除できなかったその腫瘍が、悪性だった。それからは本当にあっという間だ。一ヵ月もなかった。
準備なんかどうでもいいから、とにかくウエディングドレスの写真だけでも撮って、籍を入れておけばよかった。たぶん、三度目の手術のあとに一日でも帰宅できる日があったら、そうしていただろう。でも、優空の容態は安定しなくて、一度は危篤にもなった。やっと落ち着いてきて、「このまま年が越せたら、真永との部屋に戻れるかも」と優空が嬉しそうに言っていたから、「そしたら、結婚しよう」とようやく言えたところだったのだ。優空はまばたきをしたあと、「頑張って長生きしなきゃ」と涙声で咲った。なのに、それからたった数日後に優空は死んでしまった。
僕たちはまだ、これからだったのに。これから、家庭を持って、子供だって作って、もっと幸せになるはずだった。僕はもちろん、優空にもその意欲はあったのに。何でもぎとられてしまうんだろう。治す気力さえあれば病気に勝てるなんて嘘だ。こんなにもあっさり、僕と優空の未来は途絶えてしまった。
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