僕の答え
心寧ちゃんは少し髪が伸びたのか、ひとつに結ってピンクのバンスで留めていた。接客で着物を着ていたときのように化粧もして、地元のときより大人びて見える。服装も青い小さな花柄の白いロングワンピースだ。ちょっと優空の服の趣味に近いかもしれない。それを言っていいのか考えていると、「わっ、タピオカ専門のお店とかあるんだ」と心寧ちゃんはさっそく目をきらきらさせて並ぶカフェやショップに目移りした。
隣の駅までのアーケードの中をゆっくり見て歩く。洋服やアクセサリー、小物やバッグ、デザートやフード、さまざまな店がにぎやかに並んでいる。それらのひとつひとつに心寧ちゃんは関心をしめし、悩んだりぱっと決めたりしながらたまに買い物もして、「ここに住んでたらお金足りなくなりますね」と微笑む。
ぬいぐるみの店にビーグルのキャラクターがいて、「今朝、私が荷物抱えて出ていくから、リュカがびっくりして吠えてました」という心寧ちゃんの話には、僕も咲ってしまった。
「三日間、リュカは不安かもしれないね」
「ですね。帰ったら、甘えさせてあげないと」
「リュカっていくつだっけ」
「私が二十一歳のときに生まれたので、五歳ですね」
「………、心寧ちゃんの歳って今知ったかも」
「えっ、そうでしたっけ」
「二十六歳?」
「はい」
「……若いね。僕、もう三十五だよ」
「三十五」
「おにいさんもまだ三十ぐらいじゃない?」
「そうですね。二十九です」
「心寧ちゃんには、僕、おじさんだね」
「そんなことはないですよっ。ぜんぜん余裕です」
僕は苦笑いしながら、「リュカは五歳か」とつぶやく。
「五年前なら、優空に病気が見つかったときだな。ずいぶん昔に感じる」
「三十歳のときでしたっけ」
「そう。あの頃、女優さんが乳癌見つかるのがちょっと続いて、セルフチェックがよくテレビでやってたから」
「あ、何かそういう時期あったの私も憶えてます。セルフチェック、私もおかあさんに言われました」
アーケードがいったん途切れて横断歩道になり、僕たちは立ち止まる。車の流れを眺めていると、「十六歳のときなんですよね」と不意に心寧ちゃんが言った。
「え」
「私が真永さんと優空さんを初めて見たの」
「……十年前」
「はい。高校生なんだから家を手伝えって、旅館のこと任されはじめて、夏には海の家にも駆り出されて。あの頃は嫌でした。だって、夏休みなんですよ? 私の高校時代の夏休みの想い出、全部海の家のスタッフですよ?」
「それは嫌かも」
「特に、初めて手伝わされた高一のときは機嫌悪くて、夕方になって、やっと解放されたーって海辺を歩いてたら、まあリア充カップルがいたわけですよ」
「僕と優空?」と含み笑ってしまうと、「はい」と心寧ちゃんも微笑する。
「最初は舌打ち我慢でしたよね。でも、毎年同じ時期にそのカップルは必ず一緒にいて、ああ、こういうふたりが幸せに結婚するのかなあって……」
街の雑音の中で心寧ちゃんは少しうつむく。信号が青になって、周りに押されるように歩き出し、「高校を卒業して、十九歳のときに」と心寧ちゃんは苦しそうに吐き出す。
「お見合いさせられそうになったんです」
「お見合い」
「突然言われて、話を進められて、嫌だって言っても聞いてくれなくて」
「……ご両親が?」
「父ですね。でも、母も『ごめんね』って言いつつ反対はしてくれなくて」
「………、」
「もう、ほんと、結婚させられちゃうのかなあってときに、哲基が『心寧は俺とつきあってるから』って助けてくれたんですよ」
「そう、なんだ」
「私は、哲基はそう言って助けてくれただけで、本当に好きとかないって思ったんですけど。そしたら、つきあってほしいって言われて……断れないじゃないですか。別に嫌いでもなかったし」
僕は視線を足元に落とし、何を言えばいいのか分からなくなる。
「だけど、哲基とは子供の頃から一緒だったから。もしかして、あの夏のカップルみたいになれるかなあってちらっと思ったんですよね。でも、お坊ちゃんでわがままなところとか、すぐ嫉妬して束縛しようとするところとか、関係が恋愛になったから見えてきちゃったところばっかりで、こんなだったら幼なじみのまま、いい奴と思ってたほうがよかったなあって」
「でも、やっぱり……感謝はしてるんだよね」
「そうですね。お見合いから助けてくれたのは感謝してるんです。そもそも、結婚したら旅館をホテルに吸収するぞっていうのも、私の父の機嫌を取ってくれてたんだって……それも分かってるんです」
「おとうさんは、旅館を手放していいと思ってるの?」
「手放すって感覚はないと思うんです。大きいところと合併したほうが儲かる、というか」
「……そう」
「でも、私、今の旅館好きですし。おにいちゃんとおねえさんに継いでほしいし。哲基のホテルの離れみたいになるのは嫌なんです」
「うん」
「それに、哲基はホテルを継ぐから。私がその奥さんっていうのは違うなあって。前も言いましたけど、旦那さんとゆっくり、ペンションとかやりたいんですよね」
「〈星月夜〉みたいな?」
「はい。哲基が……もし、実家の跡継ぎより私の夢を選んでくれたら、違ったのかもしれないです。でも、さすがにずうずうしくて言えないですよね。私の夢を一緒に選んでくれとか」
「夢のこと、言ったことないの?」
「きっと笑われちゃうから」
「それは──分からないよ」
涼しさをはらんだ風が抜けて、心寧ちゃんの長いスカートがふわりと揺らぐ。「心寧ちゃんは」と僕は慎重に言葉を選ぶ。
「そんなに、哲基くんが好きじゃないってことはないんじゃないかな」
「えっ」
「お互いの家のことがあって、どうしても複雑になってるけど、恋愛ってもっと個人のものだと思うし」
「個人」
「家柄とかほとんど関係なかった子供の頃、哲基くんといつも一緒だったんだよね」
「……まあ」
「もし、そのまま、後継ぎのこととか旅館の相続のこととか、考えなくてよかったら、それでも哲基くんのこと好きにならなかった?」
「………、あいつ、わがままだし」
「それだけ素直になれるんじゃないかな」
「すぐに妬いて文句言うし」
「心寧ちゃんが好きなんだよ」
心寧ちゃんは僕を見上げた。僕は柔らかく笑むと、「僕はいつでも話を聞いてあげられるけど」と心寧ちゃんの頭を軽くぽんとする。
「僕のところに逃げこむのは、哲基くんの昔からの想い出も断ち切ることになるかもしれないよ」
心寧ちゃんは睫毛を動かし、きゅっと唇を噛んだあと、「……私、今、真永さんに失礼なことしちゃってますか」と声を落とす。
「そんなことはなくても、僕こそ心寧ちゃんの夢を選んであげることはできないから。哲基くんも選んでくれるかは分からないけど、心寧ちゃんの夢は聞いてみたいと思うよ」
「そう、でしょうか」
「うん。ちゃんと話したほうがいいよ。話ができるって大切なことだよ。僕は優空にたくさん話したいことがあるのに、届かない。心寧ちゃんのことも、優空に話して、何を言ってあげたらいいかなって相談したいけどできない。ごめんね。きっと、優空がいたらもっと一生懸命考えてくれてたのに」
「……私も、優空さんと話してみたかったです」
「優空もそうだと思う」と僕が一笑すると、心寧ちゃんも口許をやわらげて陽射しに目を細める。
「どうやって真永さんをつかまえたのか、訊いてみたかったなあ」
「はは、それは教えてくれなかったかも」
「え、何でですか」
「僕を取られたくはなかっただろうからね」
心寧ちゃんはまばたきをしたあと、急に噴き出して、「久しぶりにふたりに舌打ちしたくなりました」と言った。僕も笑ってしまい、その頃にはひと駅ぶん歩いていた。「ここからどうするんですか」と心寧ちゃんは首をかしげ、「少し電車に乗ってモールで映画でも観ようか」と僕は答える。「何観るんです?」と問われ、「音夜一紗の映画がやってるみたいだから」と僕はICカードを取り出す。
「え、誰ですか。俳優さん?」
「作家だよ。優空が好きだったんだ。僕も読んでた時期ある」
「いいんですか、私とで」
「ひとりじゃなかなか行かないからね。映画のあとは、またモールの中で心寧ちゃんの好きなお店見よう」
「分かりましたっ。じゃあ、ちょっとのあいだ優空さんの代わりってことで」
心寧ちゃんはにっとすると、「切符買ってきますね」と切符売り場に駆け寄っていった。
その背中を見て、優空は妬きもち妬いてくれてるかなあ、と思った。あの手紙には、僕が新しい恋をするのを考えると嫉妬すると書いてあった。やっぱり僕はこの出逢いも恋にはできそうにないけれど、それでも優空は、天国ではらはらしたりしたのかな。僕が君以上の人を見つけるなんて、あるわけないのに。
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