I love you best when you are sad
映画を観たり食事をしたり、ゆったりモールで過ごしたあと、僕と心寧ちゃんは最初の駅に戻ってきた。「明日はどうする?」と訊くと、「真永さんに行ってほしいところがあります」と心寧ちゃんは言った。『行きたい』ではなく『行ってほしい』という言いまわしに僕がきょとんとすると、「優空さんのお墓参りにちゃんと行ってあげてください」と心寧ちゃんは僕の瞳を見つめた。ややとまどってしまうと、「まだ行けてないって言ってたじゃないですか」と心寧ちゃんはさっきロッカーから引っ張り出していた荷物を持ち直す。
「優空さん、きっと、寂しいって思いながら待ってますよ」
僕も心寧ちゃんを見つめた。「で、私もやっぱり寂しいので、一日早いけど明日帰っちゃいます」と心寧ちゃんはにっこりした。僕はその笑みの優しさに一瞬泣きそうになって、それをこらえると、「分かった」とうなずく。
「優空に、心寧ちゃんのこと話したい」
「妹分として話してやってください」
「うん。ありがとう」
「いえいえ。じゃあ──また、夏に」
「そうだね。毎年じゃないかもしれないけど、旅館にもときどき泊まるよ」
「はいっ。私が夢をかなえたら、そっちにも遊びに来てください」
「もちろん。明日、帰るまで気をつけて」
心寧ちゃんはこっくりとしたあと、「よし、この近くにネカフェがあるのは調べてきた!」と言って、荷物と共に人混みの中へと歩き出した。僕はそれを見送り、後ろすがたが見えなくなってもしばらくたたずんでいた。
寂しいと思いながら、優空が待っている。その言葉を反芻すると、優空の墓参りがあんなに怖かったのに、ごく自然に会いにいってあげたいと思えた。
その夜、僕は聖空さんに優空の墓の場所を確認した。『行ってくれるの?』と聖空さんは通話で驚いて、「明日が何の日ってわけでもないんですけど」と僕は照れ咲う。『恋人が会うのは特別な日じゃないといけないなんてないから』と聖空さんは咲い、優空の墓がある霊園への道順を説明してくれた。駅は優空の実家と同じで、ただ、そこから郊外へとバスに揺られるみたいだ。きちんとメモも取ると、「ありがとうございます」と僕は通話を切った。そして、スマホに残っている優空のメッセを読み返し、おととしのクリスマスに亡くして、去年のクリスマスに仏壇に挨拶して──それ以来だなと思った。
昨日と同じく、水曜日も秋晴れがさわやかだった。優空の育った町に向かうと、去年のクリスマスに薔薇とカスミソウを買った花屋で、リンドウの花束を買った。冬場と違っていろんな秋の花が鮮やかで、その中で青紫の色合いが綺麗だったからそれに決めた。
駅から五分くらい歩き、バス停に並ぶ人の列を見つける。次に来るバスが目的地に停車するのを確認すると、僕もその列に並んだ。バスを待つあいだの十分間ぐらい、何となくスマホでリンドウの花言葉を調べてみると、今、優空が見つめている僕のすがたであるような気がした。バスがやってくると乗りこんで、窓際の席に座れたので、ガラスの向こうの青空にたなびく淡い雲を眺めた。
しばらく住宅街の中を走ったバスは、高台に抜け、黄金色が広がる田んぼもちらほらする郊外に出た。山を越えて隣町の駅に続くから、乗り過ごすと駅からやり直しになるよ、と聖空さんに注意されていた。峠に来たあたりでメモしておいたバス停の名前が呼ばれ、僕はボタンを押して降車する。少しきょろきょろしてしまったけど、田園の合間に敷かれたアスファルトの小道の入口に、霊園への矢印の看板が立っていた。その案内と聖空さんに聞いた道順を頼りに、ざわりと稲穂が揺らめく田園の中の小道を進んでいく。涼しい風が日向の匂いを運び、羽織ってきたシャツの裾を舞い上げた。
田園風景を歩いていった奥に、足場が土に変わってやや湿った空気の林があった。そして、その先で静かに墓石たちが並ぶ霊園が待っていた。
僕は小さく唾を飲みこみ、花束を抱え直す。優空がここにいる。僕を待っている。なのに会うことは叶わないのが、怖いというより、心の空洞をひりつかせた。
霊園に踏みこむと、ひとつひとつ、刻まれている名字を見て優空の場所を探した。そんなに大きな霊園ではなかったので、しばし歩けば『大村』という文字は見つかって、その下に『優空』という名前も発見できた。掃除も手入れもされていて、供え物も古くなく、優空の家族がよくここに来ているのが窺えた。
縦長のシンプルな墓石と向かい合い、「優空」とつぶやいた。返事はない。だけど、「来たよ」と続ける。
「たぶん、見てて知ってると思うけど。昨日は、ずいぶん若い女の子とデートしてきたよ」
抑えた声のあとに小さく息をつき、うつむいてリンドウの香りを感じ取る。
「もしかしたら、つきあうのかなって正直思った。僕の答え方によっては、つきあってたのかなと思う」
僕の吐息でリンドウがたおやかに揺らめく。
「でも、やっぱり……ダメだね。まだダメだ。優空の次なんて考えられない。優空の代わりなんて絶対にいない。いつか誰かと新しくつきあうことはあるのかもしれない。だけど、今は心の中で優空が終わってない。優空とつきあったことが消えるとは思ってないよ。ただ、いずれ区切りはつくのかもしれない。だとしたら、僕の中で優空は続いてる。死んでしまったことさえ、しっかり受け入れきれてないんだ。なのに、ほかの女の子ととりあえずつきあうなんて、僕にはできそうにないよ」
ただ沈黙して陽に当たる墓石と、僕はじっと見合う。それから、ゆっくりとひざまずき、リンドウの花束を優空の居場所にそっと捧げた。
「僕はとうぶんひとりだよ。ひとりで……君を想って、哀しい想いをしてるんだと思う」
首を曲げて墓石を見上げる。なごやかな陽射しが、傷む睫毛で白く霞む。
「だから、そんな僕を見守っててほしい」
まばたきをして、陽光の中に優空の幻でも見えないものかなんて思ってしまう。でも、やっぱりそんな幻想は起こらない。なめらかな風が頬を撫で、髪をなびかせる。
「優空を愛してることを、今はまだ、許して」
そう言って、僕は唇を噛んだあとに、弱く微笑んだ。やはり優空の返事はない。それでも、彼女ならこう言ってくれることを僕は知っている。
『しょうがないなあ、真永は──』
そう言って、僕の頬をつねるんだろ? 全部知ってるよ。君のこと、僕は全部知ってる。僕を想っていることを、あまさず教えて残していってくれたから。
優空の安らかな最期の顔を想う。「君に出逢えてよかった」と僕は声に出してみる。思ったよりはっきり言えたその言葉は、包みこむみたいに、すうっと晴天に吸いこまれていくような気がした。
【第二十四章へ】