風切り羽-40

隔離された教室で【2】

「隔離教室、ってことは、葉月さんたちも、何か」
 葉月さんはピザを飲みこみ、愛想のいい笑顔をする。
「俺はねえ、学級崩壊」
「えっ」
「いや、授業妨害かなあ。あるじゃん。クラスメイト煽動させて、授業ぶっ潰して、熱血先公いびりだしてさ。一日中教室を解放しとくの」
「な、んで、そんな」
 葉月さんは、得意気、としか言いようのない笑みをした。
「勉強がやだった」
「は?」
「分かんなかったんだよ、勉強。特に、数学とか英語。記憶系も憶えらんない。つっても、きちんと答えがないのも嫌。将来、運動などセックスしかやる予定のなかった俺には、体育も無駄だし。何しろ、全部やだった。あの無意味の骨頂、宇宙語の世界に、俺は恐ろしさのあまりいらついてしまったのです。受けたくなきゃ壊すしかないじゃん」
「……行かなきゃよかったんじゃ」
「あっ」
 葉月さんは、要さんと顔を合わせた。「何」とジンジャーエールを置く要さんに、葉月さんは息を吐く。
「そうか、その手があったな」
「今気づいたんかい」
「いや、んー、俺、学校ばっくれられる大胆少年でもなかったのね」
「崩壊させるほうが大胆だぜ」
 同感だった。満腹の胃をさする悠紗もうなずき、葉月さんひとりが演技でもなさそうにきょとんとした。
「そっかな。ま、いいや。あんときの俺には、学校に行かないなどありえなかったの。常識が視野の世間知らずだった。家族とも仲良くしてたし、勉強分かろうと努力なんかしてた。親父が隠し持つポルノでオナニーするのが、ゆいいつの安らぎでさ。担任に教科書ぶん投げたのは、俺なりに切れちまったのかね」
 葉月さんは、想い出を噛みしめる感慨のため息をつく。要さんは、人を傷つけたという事実に、冷たくそっけなかった。葉月さんは違う。崩壊させた事実に、遊んできたかのごとく無邪気だ。悪いことだと思っていないらしい。どちらが怖いだろう。
 僕は、教室とはそう簡単に壊せるものなのかを訊いた。「そうだねえ」と葉月さんは、チーズか脂のついた指を舌先で舐める。
「せこければね」
「せこい」
「自分で思ってる限り、生徒には俺の敵はいなかったよ。仮に向こうがどう思ってたって、実際には攻撃してこなかったんで一緒。陰口なんて、インポの犬の遠吠えみたいなもんだしね。俺の敵は、先公だった」
「先生」
「そいつらに俺は卑劣なきつねになるわけよ。成功したきゃ、正々堂々はやるもんじゃない。ずるくていいんだ。俺は弱みを握っていった。それをひらつかせて、先公共をどんどん黙らせていった」
「弱み……って」
「欲求不満っぽい先公に、美少女、美少年の生徒を仕向けてやらせる定番はやったな。男の先公のかばんに女子の下着すがたの写真忍ばせて、あとでその女子に相談されたという役で、ほかの生徒が職員室に責めにいくとか。しかし、俺の政権は二年のクラス替えで終わっちゃったのね。始業式の日、とある物置じみた教室に連れていかれたのです」
「嫌じゃなかったんですか」
「教室に行かなくていいなど、俺には天国ですよ。向こうはそれで済むわけないって覚悟してたみたいだけど、済んじゃったのでした。要にも逢ったしな」
「はあ。要さんは、いつそこに行ったんですか」
 ポテトをつまんでいた要さんは、眉を寄せて回想する。
「二年の二学期のなかば、か。葉月がのさばってた最中だな。イジメやったのは一年から二年の一学期にかけてだったんだ。二年でも同じクラスだったんだよ。俺のほうがありえねえと思ったぜ。夏休みが始まる直前に自殺して、あっちの親の要望とか先公の保身とか、同級生にもビビられて隔離処分」
「葉月さんと、初対面で仲良くなれたんですか」
「なった、よな」
「なった。放課後にも休みにも遊びまくって、こいつとは合うって初めて誰かに思った。そのあとに紫苑が来て、梨羽が来て、そのあとは誰も来なかった。あの二匹とは息苦しかったね」
「半年はな。夏休み明けに、遊びまくった反動でだるくってさ。何かすることないかって始めたのが音楽。あの二匹は、ここで逢ったのも何かの縁、ってずうずうしく引きこんだ」
 梨羽さんと紫苑さんを順に見た。梨羽さんは床に横たわって音楽を聴き、紫苑さんもギターを添わせてポルノではない雑誌をめくっている。ふたりとも昼食は終わらせていた。
「バンド始めたら、あのふたりとも仲良くなれたんですか」
「いや、不幸大会のあと」
「不幸大会」
「俺たちって、どう見てもわけありじゃん。何があるのかぶちまけとこうとなってだな。ま、みんな不幸になったというより、不幸にしたという感じでしたが。俺たちのせいで、人生の一部が壊滅した奴はいるよな。けど、知ったこっちゃないの。そんな罪悪感ゼロのとこに、『世間様に恥ずかしいわ』と家族にすら去っていかれたと」
「家族が恥ずかしがったってなあ」
 にやにやとする要さんは、からになったらしいジンジャーエールの缶をへこませている。
「俺たちが恥じないとな」
「………、恥ずかしくないんですか」
「別にい。俺はやりたいことをやったんだし」
「俺はやらなかったら、むしろ恥ずかしかったし」
「恥ずかしがらなきゃいけないのは知ってるよ。だから、どうだっていい奴には『反省してます』って嘘泣きすんの」
「俺もうなだれて、後悔を剥き出しにするぜ」
 でも、要さんと葉月さんは、自分たちについては厚顔なくらいあからさまに語っても、梨羽さんと紫苑さんには話を振っていない。悠紗でさえ、梨羽さんと紫苑さんのことは知らないと言っていた。
 おそらくふたりは、貶されても平然とできる自分たちを牽制にし、梨羽さんと紫苑さんに注意が向くのを避けているのだ。ふざけてげらげらとしあう要さんと葉月さんを見つめ、優しいのかなあ、と首をかしげたくなった。
 昼食が終わると、要さんと葉月さんはじゃんけんをして、負けた要さんがゴミの処理にかかる。僕が手伝うのを申し出ると、当然要さんは断らなかった。悠紗と葉月さんはゲームを始める。
「ああいう話は、分かんねえ奴にやったって意味がないんだよ」
 過去を回想させてしまったことを、キッチンで一応謝っておくと、ゴミをつぶしたり破ったりする要さんはそう言った。
 僕の頭上は、要さんの肩にも届いておらず、その声は真上に聞こえる。僕は残った食べ物を紙皿に移している。
「自分のこと話すって自己顕示の頂点だし、気持ちいいけど、しょせん千摺りなんだ。だいたいの奴は白けるし、バカな奴は一緒になって興奮する。そういう奴には、話したって無駄。千摺り自体じゃなくて、それで吐き出すもんを見極められる奴じゃないといけない」
「……見極め」
「俺の存在全部が、あいつを殺したときの俺だと思う?」
「思わないですけど」
「だから、萌梨には話したんだ。でかい染みがあったら、それで汚れてるって思いこむ。常識を針にしてな。でも、萌梨は常識こそすべてと思ってる奴でもないだろ」
 うなずいた。常識がまるごと悪いとは言わなくても、ある種の常識が、単なる固定観念であるのは身をもって知っている。
「それって、けっこう強いぜ」
 要さんは棚を開けてゴミぶくろを取り出し、上目遣いの僕を見ると、相変わらずにやにやとした。
 あの様子だと、いろんな人に吹聴してきたと感じそうであれ、違うのだ。“二匹”を守るために、自分たちの内部を晒しはしても、やはりあんなにまで語らない。なぜかはともかく、要さんも葉月さんも僕を許し入れてくれた。
 聖樹さんが周囲でなく自分を選んだのも、この実感がともなうと理解できた。要さんたちがしたことでなく、それを晒してくれたことに重点を置かなくてはならない。だったら僕は、XENONを蔑まなくていい。
 僕がふたりを蔑むとしたら、真実でなく事実を見た結果だ。被害者を憐れむとしたら、偽善ではないこそすれ、自分に投影した屈折の私情だ。
 偽善的な先入観。よく分からなかった聖樹さんの言葉が、ようやく解せた。確かに僕は、イジメや学級崩壊には部外者であり、それを識別の指針にする資格はない。そういう事柄は、当事者以外分からない。しかし、傍観者の大衆が同情して糾弾をするのは、そうすることが美しいからだ。
 僕も聖樹さんと同じところに落ち着けそうだ。この四人を受け入れられる。
 ゴミの処理が終わっても、落ち着いてこの部屋にいることができた。そしてやっぱり、その空間は居心地がよかった。
 昼下がりになると、悠紗は紫苑さんにギターを教わった。紫苑さんは寄り添わせているギターでなく、ほかのギターを持ってきていた。要さんと葉月さんはビールをあおり、だがちっとも酔わずにゲームや僕で遊び、漫画や雑誌をめくる。梨羽さんひとり、隅っこで孤立していた。音楽に集中し、かたくなに閉じこもっている。聖樹さんがいてあげたらな、とつい案じてしまった。
 たまにこちらを凝視したりもしていた。振り向いて何度か目が合ったものの、そのたびに梨羽さんはうつむいて目をそらす。仲間に入りたいとか、騒がしいのがいらつくとかいう様子はない。瞳がどんよりしているせいもあったけれど。
 紫苑さんも、極力寡黙に悠紗に接し、その声はこちらには聞き取れない。
 隔離教室にされたのだし、このふたりも加害者なのだろう。が、とてもそういうふうには見えない。特に梨羽さんは、どう見ても傷ついている。
 家に問題があるのかもしれない。梨羽さんはしっくりいっていなくて、紫苑さんには家がない。教室でやった加害よりも、家での被害が色濃く出ているとか──
 思考を止めた。あのふたりはあのふたりだ。要さんと葉月さんが僕に心を開いたって、梨羽さんと紫苑さんも開くとは決まっていない。知られたくないと判断されたのなら、こちらも知らないふりをしておくのが礼儀だ。
 遊ぶかたわら、荷物の片づけも始めた要さんと葉月さんの輪に、僕はおとなしく落ち着いていた。

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