夕食時の会話
城のボスは、魔物に操られていた主だった。それを正気に戻すと、希摘は魔物が逃亡した森に行くことはせず、ゲームをやめた。僕がコントローラーを借り、持ってきたCDロムをセットする。
廊下で音がするので希摘が覗くと、希摘の部屋の正面の空き部屋に、結華さんが荷物を放りこんでいた。そこは元は結華さんの部屋なのだ。ちなみにこの希摘の部屋は、元は真織さんの部屋で、つくえもベッドもお下がりだったりする。「静かにやれよ」と希摘が文句をつけたのを皮切りに、ふたりは口喧嘩を始め、データを引き出す僕は苦笑いしてしまった。
そんなわけで、その日の夕食は、希摘の両親も合わせて五人になった。
献立のメインは、大皿にどっさり盛られたフライだったけど、ひとりっことして優先されて育った僕には、食べたいものは競争でぶん捕っていかなくてはならないのは試練だった。希摘の両親は、相手が我が子だろうと欲しいものはどんどん奪う。のんびり育ちが仇となって立ち往生する僕に、希摘が代わりにエビやカツレツを取ってくれた。
「今回の喧嘩は何が原因なのよ」
香ばしいフライにソースをかけるおばさんは、そう言って娘を見る。「今回って人聞き悪いわよ」と結華さんは僕がまばたきする早さで湯気の立つイカフライを取る。
「希摘もしょっちゅうとか言うのよね」
「しょっちゅうじゃん」
「しょっちゅうっていうのは、あんたが学校サボってる頻度を言うのよ」
「俺は、しょっちゅうというか、いつもだもん。な」
希摘は隣の僕を向き、何とも言えない僕は咲って、さくっと熱いカツレツをかじる。
遥が僕の家の食卓を避けたのは、こんな感覚が耐えがたかったせいなのだろうか。家族の食卓は、輪が強調されて他人は入りにくい。
「健司くんも、よくお前みたいなわがままとつきあってられるな」
そう言うおじさんは、精悍というより冷静な鋭さの顔立ちをしている。落ち着いた感じの眉や顎が、希摘や真織さんによく映っていた。その歳でも遊びまわってストレスも少ないのか、髪も無残ではないし、贅肉もなくてすらりとした体格だ。
昔はかなりやばい不良だったらしいが、十七のとき、同い年のおばさんに真織さんをはらませ、流されるままに更生した。高卒も取り直し、堅気の仕事で家庭を支えている。
「あたしが悪いんじゃないわよ」
「そういうところがわがままなんだよ」
「とうさんたちがこんなふうに育てたのよ。喧嘩っ早いのだって遺伝よ、遺伝」
「真織はおっとりしてるじゃないか」
「にいさんが虚弱なんで、あたしはこうなったの。にいさんね、とうさんたちが喧嘩するたび、捨てられるんじゃないかって子供の頃はビビってたって言ってたわよ」
「そうか。捨てるのも検討したことはある」
「マジ」と白身フライを取る希摘がひそみをし、「大変だったのよ」とおばさんはソースを結華さんにまわす。
「あたしたちみたいな親が虐待とかするんだわー、って自覚しながら育てたもんよ」
「虐待した?」
「殺意を覚えたことならあるわね。赤ん坊の泣き声ってのは、神経障るわよ」
「えー、やだなあ。俺にも殺意持ったことある?」
「あんたたちが悪いんじゃなくて、あたしがぐらついてたのが悪いのよ。あんたができた頃は落ち着いてたから、別に普通よ」
「ふうん。それで兄貴、ああいう道に進みかけたのかな?」
「かもしれないわねえ」
ショッキングな話題をぽんぽん飛ばす感覚が、僕には理解できない。僕の家庭もそれなりにつながってはいるけど、この輪ほどではない。
「で、結華、喧嘩の原因は何なんだ」
「昨日のセックスが悪かったのよ」
味噌汁を飲んでいた僕は、不覚に喉にすべった豆腐で咳きこんだ。みんなこちらを向き、「大丈夫?」と希摘が僕の背中をさする。僕はどぎまぎとうなずきつつ、動揺に顔を上げられない。
「うぶねえ」
おばさんが新鮮そうに言って、僕は頬を熱に染めた。
「悪かったって、お前、どうせ分かってて結婚したんだろう」
「とうさん、あたしが結婚前に男と寝る女だと思ってるの」
「思ってるよ」
「ふん。違うの、昨日は妙にいつもと出方が違ったのよ。それってきっと、あたしに飽きてきたってことじゃないかしらとか思って、えらいことになったのよ」
「夫婦はいろいろ試しといて、相性のいい体位を見つけておいたほうが長続きするぞ」
「そうなの?」
結華さんは胡散臭そうにして、お椀を置く僕は息をついてしまう。僕なら、絶対に親とこんな会話はできない。
「あのさ、俺の友達がいる前で、そういうオープンな話やめてくんないかな」
「別にいいじゃない」
「そうよ。慣れといて損はないわ」
「そういえば、悠芽くんは、休日はこいつの相手ばっかりで女の子はいいのか」
「い、いないです、そんなの」
「じゃああたし、腹癒せに悠芽くんと浮気しようかしら。ふふ、教えてあげるわよー」
「やばいぞ悠芽。今晩のうちに、家に逃げるか?」
結華さんからソースを取る希摘は僕を向き、エビフライを食べる僕は首をかしげて咲うしかできない。
「学校も行けない奴がえらそうにしないでよね。まだ登校拒否なんてださいことやってんだってね」
「別にださくはないだろ」
「ださいわ」
「今のままじゃ、女も知れないままよ? いつまで童貞でいる気なの」
「好きな女ができるまでじゃない?」
「できるのかしらね。おうちには、かあさんしかいないわよ」
「うるさいなあ。別にいいよ、死ぬまで童貞でも」
「待て希摘、それは大問題だぞ。童貞っていうのは、お前が考える以上に不名誉なことなんだ」
「とうさんまで」と希摘は眉を顰め、僕にソースを渡す。フライには何もかけない僕は首を振り、ソースは食卓の中央に落ち着いた。
月城家というのは、いればいるほど不思議な家庭だった。この家庭で希摘が僕のように平凡に育ったら、それは僕が希摘のような行動を取るに近い反抗としか取れない。
こうしてあけすけになれる場所が、本当の“家”ではあるのだろう。この家庭なら、遥は引きずりこまれるように癒されていたかもしれない。何せ非行が平常だ。普通になるほか、ここに反抗はできない。
僕んちは心の治療に向いてないのかな、と僕は医者に詮索されているだろういとこを想い、胸のうちでまた無力な靄を覚えた。
「何かごめんな」
震える澄んだ虫の声が響く夜、床に敷いたふとんの上で髪を拭く僕に、ベッドの上でゴミ箱を抱えて色鉛筆を削る希摘はそう言った。僕も希摘もパジャマで、先にシャワーを浴びた希摘の髪はしっとりしている。僕の頬の上気は、クーラーがひんやりと癒していた。
「何が」と僕が咲うと、「何か」と希摘は木と芯の匂いがする研いだ鉛筆をしまい、長い指で次の色を取る。
「うちの家って、どうも何というか……」
「いいじゃん。いまどき希少価値だよ」
「ときどき恥ずかしいよ。息子とか弟の童貞を気にするか、普通」
「普通なんてつまんないよ」
「そうだけどね。あー、でも悠芽の前で言わなくったって。嫌にならないでね」
「ならないよ。明日帰るけどさ、また来るし、泊まるよ」
希摘は僕を見、「うん」とはにかみを混ぜて微笑むと、ひかえめな音を立てて色鉛筆をけずる。
「おもしろかったし。僕、へこんでたからちょうどよかった」
「そっか。へへ。ま、悠芽が嫌じゃなかったらよかった」
「僕は親とあんな会話しないなあ。親の過去もほとんど知らない。遥が来て、いくつか知ったかな。とうさんが家と問題あったとか、とうさんとかあさんが大学で逢ったとか」
「さわやかだねえ。俺の親は、乱交パーティで出逢ったんだって」
「……すごいね」
「ね。そんな出逢いだし、兄貴ができてくっついたんだし、あのふたり愛しあってんのかとか思うけど。ま、あってんだろうね」
希摘は、とがった色鉛筆と丸い色鉛筆を取り替える。ちなみに希摘は、ちょうど夜が睡眠にあてられている期間だ。
僕はタオルを膝に下ろし、湿った髪に手櫛を通す。二学期前に切ろうかな、と伸びた毛先を引っ張ると、いつもと違うシャンプーの匂いがする。
「希摘は大丈夫?」と僕は顔を仰がせた。
「俺?」
「登校拒否がださいとかさ」
「ああ。平気だよ。姉貴だって分かって言ってるんだ。俺が本気で自分殺して、深刻に学校行き出したら蒼ざめるよ」
「そう?」
「たぶん。しかし、ほんと俺、このままこもってたら一生童貞かな」
「それでもいいんでしょ」
「今はね。大人になったら分かんない。女って言われても、はっきりしたイメージ湧かないよ」
「僕も女の子分かんない」
「悠芽はいい女できそうだよ」と希摘はクズがついたのか鉛筆に息を吹きかけて箱にしまう。希摘の手元には、今手入れしている十二色のものと、二十四色の二箱がある。
「僕なんか、つまんないよ。煮え切らないしさ。僕が女なら、僕より希摘選ぶ」
「俺とつきあうには、根気と度量がいるよ」
「今、つきあえてるじゃん」
「それを女にも応用したら、悠芽の価値にほれこむ女がいるって。俺みたいにね」
僕は照れ咲い、「ありがと」と褒め言葉は素直にもらっておく。
「恋人できたら、俺のこと無理しなくていいよ」
「来るよ。どうせ隔週だし。デートしたくても、合間にすればいいじゃん」
「それでいいの?」
「希摘とのこと分かってるくれる女の子とつきあうよ。希摘とのつきあいだって、僕の一部だし。分かってくれない女の子なら、僕を受け入れてくれないってことだから、たぶん好きにならない」
「男らしいですねえ。俺なんかダメだな、嫌われないために言いなりになりそう」
「そ、そうかな?」
「今誰かとつきあえば、きっとそうだよ。俺、自分を強調する勇気がないんで、こもってんだもん」
「……そっか。希摘を分かってくれる女の子、いるよ。つきあってみれば、希摘っておもしろいもん」
希摘は何も言わず、頬に少し含羞を混ぜて笑んだ。十二色の鉛筆削りが終わると、今度は二十四色の箱を開く。
僕は五年生の林間学校で買ってもらったかばんにタオルをかぶせ、明日は家に帰って一週間ぶんの荷物用意しなきゃいけないんだよな、と田舎に帰るのを思い出した。ちなみに月城家は、両親とも勘当を言い渡されていて帰省の習慣はない。
帰ってきたらここを訪ねるのを話題に出し、「おみやげ買ってくるね」と言うと、「期待してます」と希摘はにやりとした。
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