揺籃に花-3

ライヴハウスの夜

 LUCID INTERVALは、彩雪のライヴハウスをメインに活動しているようだった。まあキキが行ったことあるんだもんな、と煙草を吸いながら、ブログで次回の告知を調べてみる。
 今週の木曜日のライヴが一番近い。通ったことのない道を行くようだが、彩雪でどのへんの位置なのかは分かるクラブだ。どうせ家族は、俺が朝帰りしなくても何とも思わない。行くか、と決めるまでにそう時間はかからなかった。
 しかし、チケットはどうするのだろう。チケット代の明記があるから、必要なのは分かる。“告知”をよく見ていると、コメント欄の『ライブ行きます。』とか『顔出すよー。』というコメントには、チケットを取り置きしておく旨の返信がついていた。
 入場できなかったら悲惨だし、勇気を出して『友達が聴いてて気になったので、ライブ行ってみたいのですが。』とコメントを残すと、一時間後くらいに『ありがと。美羽さんで取り置きしときます。』と返信があった。何だかひとりで勝手に興奮してしまった。
 そうして、水曜日が木曜日になった頃の夜、俺はいつものように天鈴町におもむいた。バーに落ち着く前に、一度、目的の場所を確認しておこうと、行ったことのない道を進んだ。奇抜なタトゥーやファッションが目立ってくる中、クラブにはちゃんとたどりつけた。地下二階にあるみたいだ。
 ライヴかあ、といつものミックスバーへと歩き出す。ノリについていけるかな、と一抹の不安があるのだが、いまさらすっぽかすわけにもいかない。バーに到着して、バイの女の子やゲイのふたり組と無駄話をしつつ、俺はどこか上の空だった。
 朝五時半、バーが閉店して二十四時間営業のファミレスに移動した。朝食代わりのペペロンチーノとドリンクバーを注文して、ちらほら突っ伏して寝ている奴を見受ける。この街こそなのだろうが、この街だから寝ているあいだに置き引きに遭っても自己責任だ。寝ないほうがいいかな、とパスタを食べ終えると、目が覚めるようにたっぷりティーバッグを浸した紅茶を飲んだ。
 こういうとき、ケータイがあればヒマつぶしになるのだろう。それでも、どうしても欲しいとは思わない。たとえば、行きずりの相手に連絡先を訊かれても、「ケータイ持ってないから」で済む。ショルダーバッグをあさり、一応持ってきた本を取り出すと、それを読むあいだはここで時間をつぶすことにした。
 昼を過ぎると、さすがに眠たくなってきた。頭がぐらついて、視界がおぼつかなくなってくる。本も読み終えて、頬杖をつきながら香ばしい紅茶でカフェインを摂っても、眠い。
 じっとしていたらこのまま寝そうだ。外歩くか、と席を立って会計を済ました俺は、店に出て、さいわいよく晴れている空を見上げた。
 太陽があるうちに外に出るのは久しぶりだ。気候は悪くない。涼しい風が流れ、陽射しも緩い。人通りはほとんどなく、静かなのがちょっと不気味だ。そろそろ冬服の用意がいるよなあ、と思い、服でも見に行くことにした。
 何とか時間をつぶし、ようやく日のかたむく時刻になってきた。気に入った服を何枚か買った俺は、もう眠気は通り越していた。十七時がオープンとか書いてあったよな、と腕時計を見ると十六時半をまわっている。そろそろ向かってもいいかと引き返し、例の地下二階にクラブのあるビルに到着する。
 エレベーターはないようなので、落書きやステッカーをきょろきょろしながら階段を見つけて、階段を降りていく。地下一階はロッカーだったので、たぶんここに荷物預けるんだよな、と百円でひとつロッカーを借りた。さらに降りて地下二階に到着すると、廊下の突き当たりのドアがあり、その脇に受付が設けてあった。十七時は一応過ぎているし、もうその受付の人に声をかけていいのか迷っていると、背後から三人くらいの群れが「久しぶりー!」とか言いながら受付に雪崩れこんでいった。
「お、久しぶりじゃん。誰見に来たの」
「ファンリム!」
「限定音源買えるんだろ?」
「ああ、物販で用意してたよ」
 言いながら、受付の人は三人の名前を確認して金を受け取っている。その一連を見た俺は、やや緊張しつつも受付の人にLUCID INTERVALを見に来たと声をかけてみた。
「お名前は?」
「美羽ですけど」
「ミハネ……ああ、美しい羽?」
「はい」
「綺麗な名前だね。じゃあ、ワンドリンクで二千五百円」
 三千円を出して五百円とドリンクチケットをもらうと、「これ見せたら再入場できるから」と手の甲にスタンプを押された。そしてフライヤーも渡されると、「どうぞ」とドアを示される。軽く深呼吸してからドアを開けると、音楽の聴こえてくる店内に踏みこんだ。
 わりとまだ照明は明るくて、カウンターやフロア、ステージもよく見渡すことができた。カウンターのそばに物販らしきスタンドがあったので、そちらに歩み寄ってみる。
 音源買って帰りたいな、と“LUCID INTERVAL”の文字を探していると、「これでしょ」と突然横から一枚のCDをさしだされた。え、とそちらを見て思わず目を開く。
 キキ、だった。でも、いつもとちょっと違う。髪を留めるヘアピンがなく、服装もいつもよりルーズだ。いや、そんなことより、その背中にぴったりくっついている女の子がいる。キキは首をかしげて、「これじゃないの?」と“LUCID INTERVAL”の文字があるCDを見下ろす。
「え、あ……いや、それだな」
「ほんとに来たんだ」
「ん、まあ」
「ブログ気に入った?」
「……そんなとこ」
「きーくん、この人誰?」
「ん? 客」
「ふうん」と女の子はキキの背中に抱きつくまま、こちらを見上げてくる。切り揃えた長さの黒髪に、くるんとした無邪気そうな瞳、頬や唇はピンク系の化粧で彩られている。軆つきは華奢というほどでもなく、女の子らしく柔らかい線をたどっている。
「こんばんは」と言われて、ぽかんとするまま同じ言葉を返していると、キキがおかしそうに噴き出した。
「キキ──ええと、この子って」
「彼女だよ」
「かの……じょ」
結良ゆらっていうんだ。一緒に暮らしてる」
「……マジかよ」
「いつも言ってんじゃん、俺は売り専なの」
「それは分かってたけど」
「分かってた面じゃないなあ。──あ、LUCID INTERVAL来たよ」
 どきっと振り返ると、あのブログの画像で確かに見た顔のうち、ふたりがこちらに歩み寄ってきていた。髪が紺色なのはヴォーカルの雷樹さん、金髪なのはベースの透由さんだったはずだ。
「あ、きーくんと結良ちゃんじゃん」と雷樹さんがふたりを見つけて笑顔になる。
「来てくれたんだ」
「結良ちゃん、相変わらずべったりだな」
 透由さんがくすくす笑って、キキは肩をすくめる。
「俺らのこと、憶えててもらえたんだ」
「結良ちゃんのきーくんへのべたつきは印象に残る」
「はは」
「ミツギくんはー? 結良はファンリムも見たい」
「楽屋だよ。保摘と真砂と話してた。つか、きーくん、そのCDこないだ買ってくれてなかったっけ」
「ああ、これはこの人が買うみたい」
 キキが俺にCDを手渡し、「マジか」と雷樹さんがスタンド内にまわって、俺を見て首をかしげる。
「初めまして……ですよね? いや、どっかで俺らのライヴ見てくれたとか」
「いえ、こいつが音源聴いてて気になったんで」
「あっ、もしかしてブログにコメントくれました?」
「はい。美羽です」
「はいはい。あ、ミハネさんって読むんですね。ミウっていう女の子かと思った」
「たまに言われます」
「はは。よし、じゃあ悪いけど、五百円ってことで──あ、サイン入れますか?」
「もらえるなら」
「じゃあ書きますねー。透由、保摘と真砂も呼んでこい」
 キキと結良ちゃんと話していた透由さんが、「了解」といったん奥に下がっていく。俺は財布から五百円玉を取り出しながら、甘える結良ちゃんの頭をなだめるキキを盗み見る。
 分かっていた。キキがストレートだということは、よく分かっていた。でも、彼女がいるとまでは考えなかった。いても何もおかしくないのに、どこかがっかりしているような自分がいる。そんなもんだよな、とは思ってみても、やっぱりあんまり知りたくなかった。

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