揺籃に花-5

君との出逢い

「あの人、かっこいいなー」
「かっこいいは俺よく分かんないけど」
「ほら、あの人。奥のボックスにいる人」
「女といるじゃん」
「だよねえ。やっぱストレートのカップルかな」
 席が隣り合ったゲイの少年とそんなことを話しながら、俺はその夜も、いつものミックスバーでジンフィズを飲んでいた。
 この少年はネコらしいが、お互い好みではないのは一致しているようで、特にそういう流れにならずに無駄話が続いている。その中で、やっと彼は好みのお目当てを見つけてそわそわしはじめた。「声はかけておいたら」と俺が言うと、「よし」と彼はスツールを降りてそちらに向かっていった。
 ちらちら見守っていると、女のほうが何やら笑って男とのあいだに空席を作った。どうやら、友達に過ぎない男女だったようだ。ちょっと緊張した様子であいだに入る彼に、頑張れ、と思いながら俺は炭酸が舌ではじける味を飲んだ。
 キキを買うようになって、まだ一年は経っていない。それでも、ここ最近は、もうそういうことは全部キキで処理していた。
 出逢いってどうやるんだっけ、と思ってしまう。いや、今のゲイ少年みたいに、声をかけにいくわけだけれど。かわされたときのダメージをつい案じてしまう。
 かといって、キキ以外の男娼というのはますます考えられない。病気も怖いしなあ、と頬杖をついて、ひとまず誰かが隣に座ってくれるのを待つだけになる。
 恋愛ってまともにしたことないなあ、とため息をつく。ゲイだと自覚したのは、中学時代に無修正のBL漫画をネットで見て、それで抜くのが当たり前になっていたからだった。普通に男女のエロ漫画でもよかったろうに、俺はBLで抜いていた。
 確認しておくかと男女のエロも見たけれど、揺れている乳房の描写を邪魔だとしか感じなかった。あと、ピストンでネコが感じて痙攣する性器がいいのに、男女だと挿入後はものが見えない。
 男女ってセックスの意味ねえじゃん、とか思っていたところで、ああ自分はゲイかと気づいた。誰かを好きになって自覚したとか、ロマンティックなものではない。
 この街に来るようになっても、恋は結局しなかった。というか、無意識に売り専に惚れて、実る恋なんか忘れてしまっていた。
 なかなか誰も隣に来なくて、手持ち無沙汰なのでイヤホンを引っ張り出して、本気でハマりだしているLUCID INTERVALを聴きはじめた。俺なら買う必要ない、なんて──そんなことないっすよ、と内心つぶやいてテーブルに突っ伏す。
 目を閉じて音楽にこもっていたから、その気配に俺はずいぶん気づいていなかったようだ。突然左側のイヤホンが引き抜かれて、はっと顔を上げた。
「何だ、寝てるんじゃなくて音楽聴いてたんだ」
 一瞬、髪を下ろしたキキかと思った。違う。髪型は似てるけど、あんなにやんちゃそうな瞳でなく、かったるそうな目つきで首をかしげている。髪の色も薄い茶色だ。軆は華奢だけど、骨組みが分かるくらいには男らしい。
「何聴いてるの?」
「え、あ──」
 そいつはイヤホンを右耳に近づけてしばらく聴いた。だるそうな目がちょっとエロい。同い年くらいか、いや、少し年上か。彼は肩をすくめて、「知らないや」とイヤホンをテーブルに置いた。俺と目を合わせると、そのちょっと妖しい瞳で咲う。
「『大丈夫?』って訊いてんのに、返事ないからさ。寝てるのかと思ったよ」
「あー……ごめん」
「いや。で、大丈夫?」
 大丈夫、と言おうとした。なのに、舌が勝手に変なことを口走らせていた。
「失恋のような感じ……かも」
 彼はゆっくりまばたきして俺を見つめ、「ふうん」とカクテルグラスに口をつけた。何言ってんだ、と笑われたわけでもないのに焦っていると、彼は視線を俺に向けるままグラスを置いた。
「つきあった相手?」
「え、いや……」
 売り専と告白するのは恥ずかしすぎる。手探りで音楽を止めながら、「ストレートの奴」とだけ言うと、「片想いだったの?」と不思議と優しく感じてくる口調で問うてくる。
「まあ、そうかな」
「告白は?」
「してないよ」
「そっか」
「そいつが、こないだ彼女といるとこ見ちまって。それで、何か──」
「好きだって気づいた?」
「……うん」
「その人は、君が男も好きになるって知ってたの」
「一応」
「………、ストレートって何考えてんだろうね。それが分かんないから、俺はゲイなのかなあ」
 そう言った彼は、俺と瞳が重なるとくすりと咲った。かわいい、という感じではないのだけど、何だかさらりと流せずにどぎまぎしてくる。
「名前は?」
「……美羽」
「ミハネ。俺は果音かのん
「カノン……さん?」
 彼はまた咲って、「呼び捨てでいいよ」と柔らかく言った。
「果音──は、いくつ?」
「十八」
「俺、一個下だ」
「高校生?」
「行ってないよ」
「そう。俺もだ」
「……男子校とか出逢いあんのかなあ」
「どうだろうね。こういうとこ来れるなら、ゲイナイトのほうがいいんじゃない?」
「未成年入れないじゃん」
「入れる夜もあるよ。二十時で締め出されるけどね」
「そうなんだ。断られてから、行ったことなかった」
 言いながら俺はイヤホンを手繰り寄せ、上着のポケットに入れた。果音はそれを静かに見届けたあと、「今度行ってみたら」と立ち上がりかけた。
「あ、」と思わず声を出してしまうと、こちらを振り返って首をかたむける。何を続ければいいのか口ごもると、果音は顔を寄せていて香水の匂いに気づかせた。
「また会えたら、にする?」
「……俺でいいの?」
「これから?」
「う……、うん」
「俺でよければ」
 俺を映す瞳に、心臓がせりあげるようにどきどきとほてってくる。果音はカウンター内に声をかけて会計をして、俺も慌てて財布を取り出す。お互い支払いが済むと、自然と手をつないでバーを出た。
 キキとでさえ、エレベーターの中まで待てるのに。なぜかバーを出てすぐの壁に果音を押し当て、キスをしてしまった。果音はつながった俺の手を握って、まろやかに応えてくれて、俺は息ができなくなる前に顔を離した。
「何か、……失恋で、ヤケになってるつもりはないけど」
「うん」
「そう見えるよな」
 果音は物柔らかに咲って、「ヤケでもいいよ」と俺の耳たぶを甘く咬んだ。その吐息の熱さで、やばい、と感じた。
 やばい? いや、違う。そういうわけではない。ただ、飢えているから、寂しいから、そしてその感情にこの男がちょうどいいから、何だか錯覚しているだけだ。別にキキに固執するわけではなくて、本当に、……たぶんやっぱりヤケなのだ。
 でもそれを打ち明けず、俺は果音とホテルに行った。なぜか、自分がすごく嫌だった。果音は悪くないから、自己嫌悪が立ちこめた。俺にベッドに押し倒された果音は、こちらを見つめて、やっと哀しそうに微笑んだ。
「……そういう顔で俺を抱いた人がいるよ」
 俺は果音の目を見た。果音は俺を見返した。
「彼はすごく後悔してた」
「……俺、は」
「俺のことなんか、好きじゃなかったからだろうね」
 果音の声が一瞬震えて、俺は思わずその口を口で塞いでいた。舌と舌が揉み合って、すごく下手なキスで、唇の端から涎があふれてしまう。でも頭の中が痺れてきて、急激に欲しくなってくる。果音の服の中に手をもぐらせ、骨が浮く肌をたどると、思いがけない切ない声が鼓膜を甘やかす。
「声……」
 潤んだ瞳が俺を捕まえる。
「声、もっと」
「……触って」
 果音の上体をあらわにすると、驚くほど白い綺麗な肌があった。口づけの痕も、咬まれた痕もない。
 そうだよな、と息をつく。彼は淫売でも何でもない。いつのまにか、無数の男と欲しい軆を共有することに慣れていたけど、本当はこうして雪の上を歩いていくように俺だけがかき乱していいのだ。俺は夢中でその肌を穢して、果音は敏感に、俺の手や舌だけでなく、前髪や睫毛がかすっただけでも声をもらした。
 これだけでも果音は朦朧としているほどなのに、我慢できなくて果音のファスナーを下ろす。果音は強い硬さで勃起していて、俺は先走る先端から深く口に含んだ。果音の息遣いが喘ぎに乱れていく。
 じゅうぶん湿ったそれを手で動かしながら、身をかがめて果音の口元に口づけて涎を舐める。すぐ耳元で、俺の手の動きに合わせて呼吸が引き攣る。果音は俺の首に腕をまわして、香水の芳香と共に苦しげにささやいた。
「入れ、て……っ、」
 俺は少し身を起こして、果音を見た。ほんのり全身を上気させて、耐えきれない息をこぼし、果音も俺を見る。
 泣きそうな目だったけど、さっきの哀しそうな目じゃない。俺の視線にさえ反応して、手の中がびくんと脈打つ。壊れそうな声に名前を呼ばれて初めて、そんな果音に見蕩れていたことに気づいた。
 俺は慌ててうなずき、自分も服を脱いで、果音の指を自身に導いた。果音の指先が先端の液体をすくっただけで、硬さがかたちになる。果音のそこは指で少しほぐす必要があったが、俺を求めて息づいてくる。俺はゴムを開け、ゆっくり、痛くないように果音と軆を重ねた。
 根元まで挿しこむと、果音まで響くように動く。動きと共に果音の先から透明なものがほとばしる。切羽詰まった声も崩れはじめ、俺に突き動かされてこみあげるものになっていく。俺もだんだん息を切らしながら果音を攻めて、生々しい快感に浮かされていく。
 達したのは一回ではなかった。余韻をまた揺さぶって繰り返したから、何度か絶頂を味わった。果音も自分の手や腹に白濁を散らした。やっとつながりをほどいて、俺は果音の隣にうつぶせになった。
 まだいけそうな感覚が腰には燻っていたけど、果音が限界に見えた。何だか、俺の快感ばっかりむさぼったセックスだった気がして果音を見ると、果音も俺を向いて優しく微笑んだ。

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