結びつくように
「俺もごめんね」
「えっ」
「何か、いらついたメールして」
「あ、いや──嬉しかったよ。俺もあのとき、果音にメールしようとしてた。でも何から話したらいいのか迷ってて、」
「分かってる」
「え……」
「ケータイ教えずにPC? それで、理解しろって話だよね」
「あ、え……」
「美羽は悪くないよ。はなからそういう対処してくれてたんだ。俺が期待ばっかしちゃっただけ」
果音は手を引いてゆっくり起き上がり、目をこすった。
違う。そうじゃない。そんな解釈いらない。
そう言いたいのに、また声がイカれている。果音はテーブルにあった赤いカクテルを静かに飲む。俺はひざまずくまま、果音の手をつかんだ。気だるい果音の瞳が、俺をまばたきで切り取る。
「何?」
「……あ、」
「いいんだよ。説明も何も、俺がひとりで勘違いしてたのが悪いんだ」
「か、勘違いって──ていうか。いや、ほんとに、勘違いなんだよ」
「うん」
「じゃなくて、その、違うから。とりあえず、あいつは俺の彼氏とかではないんだ」
果音の視線を感じるけど、俺は今から言うことが恥ずかしくて、頬の熱さに顔を上げられない。
「失恋したって言っただろ」
「……ここで話したとき?」
「そう。それって、あいつのことなんだ」
「え?」
「俺が失恋したのは、あのとき一緒にいた奴だよ。俺は、あいつの客だったんだ」
「客……?」
「あいつ、売り専の男娼なんだ。偶然彼女といるとこに鉢合わせて、絶対男の俺には振り向かないんだって分かって、失恋した」
「………、」
「バカだろ、売り専に片想いするなんて。そういうときちょうど果音に逢って──また会いたい、ってすごく思った。でも、そしたらあいつが自分のこともう買わないのかって言ってきて。あいつは、ストレートなんだけどさ。男に依存しちまう事情があるんだ。それは、勝手に話していいのか分からないけど」
「……うん」
「客はやめても、友達にはなれるからって。そう、話がまとまったところだった。肩とか抱いてたのは、あいつがその依存の事情を語って思い出して、ナーバスになってたからだよ。ほんとに、何でもないんだ。そのあと買ったわけでもない。それより、俺は果音にメールするつもりだった」
「あのケータイの番号は?」
「あいつが貸してくれたケータイ。すぐ連絡しろって言われた。勘違いされたままにしておくなって」
果音はグラスを置いて、俺を隣に座るようしめした。俺はそうして、でも果音の手はつかんだままでいる。果音は困ったように咲って、俺の顔を見た。恥ずかしいことは言ってしまった俺は、やっとそれを見つめ返せる。
軽蔑や嫌悪はそこには浮かんでいなくて、それ以上に、潤んだ期待が揺れている。
「じゃあ、美羽に彼氏はいないの?」
「いないよ」
「ほんとにケータイ持ってないだけ?」
「うん」
「俺に近づいてほしくないとか──」
俺は果音の手を引き寄せ、倒れこんだ軆を腕に抱いた。いい匂いが甘美に鼻腔に広がる。
「まだ──会うの二回目なのに」
声がうわずりそうなのを抑え、ゆっくり、言葉を選ぶ。
「言って、いいのかな」
果音は俺の肩に額を当て、「言ってくれないと分からないよ」とささやいた。俺は果音の髪を撫でると、耳元に口を寄せる。
「果音が好きだよ」
果音は俺にぎゅっとしがみついた。どくどくと心臓が緊迫して血を吐く。
言った。言えた。そうだ、俺は何よりこの言葉を言わなくてはならなかった。そうしたら、果音は──
そのとき、小さな嗚咽が聞こえた。え、と覗きこもうとしても、顔を上げてくれない。「果音」と呼ぶと、突然怯えて濡れた瞳が俺を映した。
「人を好きになるのは怖い」
唐突な言葉に俺はまばたきをした。果音の頬に雫が伝う。大きく息を吐いてから、「俺ね」と果音はつぶやくように言った。
「すごく好きな人がいたんだ」
「……好きな、人」
「大切な友達だった。友達だったけど、好きになった。毎日、どんどん好きになる。咲ってくれる。ふざけて触ってくれる。どきどきして、ダメだって思っても好きで。苦しくなってきた。『親友』って言われるのがつらすぎて、嫌われたほうがマシなんじゃないかって思えてきた。だから告白したんだ。そしたらそいつは、俺にキスして、『そっか』って……抱いてくれた」
「………、」
「でもね、全部ばれちゃったんだ……」
「……ばれた、って」
「周りに、男と男で、セックスしてること。親に見つかって、高校でうわさになって、近所にも知られて、みんな、俺たちが気持ち悪いって。そしたらそいつは、俺が可哀想だったからって言った。男なんか好きになって、可哀想だって。ちゃんと彼女ができるまでなぐさめてただけだって。それで、元凶は俺なんだって話が変わってきて、そいつの親に殴られたりした。『変態』って言われた。日常なんかもうなかった。学校とか普通の生活も、家族とか当たり前の幸せも、壊れた」
果音はうつむき、俺の服を握りしめた。俺は身動きしていいのかも分からない。
「俺さえ、あいつを好きにならなければよかった」
かすれた声で、果音は苦い顔になった。
「俺が男のことなんか好きじゃなければよかった。そしたら、今だってあいつの隣で笑ってて、『親友』で平気で、ごく普通の高校生だったのに。家族も俺を認めなかったよ。居場所もなくなった。家出した。それから、今のバイトでぎりぎりの生活して。……もう恋愛なんて、って思ってた」
「………、」
「でも──また、好きになっちゃうものなんだね」
果音は俺を見上げて、弱く咲った。俺をそれを見つめ、とっさにどんな言葉がいいのか判断できなかった。
それでもお前が好きだ? あるいは、つらいなら無理をするな? 俺は、もちろん応えてほしい。でもそうしたら、果音は苦しむのだろうか。果音に恋愛を強要しないほうがいいのだろうか。好きだから、この気持ちは封じるのか──
「無理……してるのかなって」
果音は俺の服から手を離して、涙をはらった。
「あいつを忘れたいだけかなって、美羽にどきどきしても不安だった。気持ちに自信がなかった。連絡したくても、していいのか分かんないまま日にちが過ぎてた。そしたら、おととい、美羽がほかの男といて。抱き合ってて」
「あ……、」
「すごく、つらかった。信じられないくらい、ショックだった。分かんないけど、美羽は俺が踏み出すのを待ってくれてるってうぬぼれてた。それが恥ずかしかった。もう会えないって思った。でも留守電で声聴いたら、落ち着かなくてどうしようもなくて、メールとかしちゃって」
「果音……」
「美羽を好きになってる、って思った」
果音を見つめた。果音の頬が真っ赤に染まっている。それにそっと触れると、果音は目を瞑って「バカみたいで恥ずかしいけど」と継ぎ足した。俺は首を横に振った。
「俺も、果音とまた会うことばっか考えてた」
「美羽……」
「つきあいたい、って、思った」
「………、」
「果音とまたしたいって」
「……バカ」
「ほんとだよ」
「うん」
「もっと、何度も、果音と──」
果音は俺に抱きついた。熱い息が耳にかかる。
「俺も、美羽とまたしたい」
俺も果音を強く抱いた。顔を覗きこむと、自然と唇が触れ合って、舌がまろやかに溶け合う。夢中で口づけあって、やっと「ホテル行かなきゃ」と俺が言うと、果音は湿った唇を指先で拭った。
「俺の部屋、来てくれてもいいけど」
「い、いいのか」
「壁薄いんだよな」
「あー……今は、果音の声聴きたい」
「俺もたぶん我慢できない。ごめん、今日はホテルにしよう」
果音はカクテルを飲み乾して、俺と一緒に席を立った。果音の会計が済むと、手をつないで夜の街に出た。
晩秋の空気も、この街の夜のにぎやかさには勝てない。ネオンがきらきらと散らばっている。果音の匂いが嗅覚を刺激して、俺はますますホテルに急いだ。
いつのまにか、果音は幸せそうに咲っていた。
ホテルの一室に宿泊で到着すると、暖房もつけずに服を脱がせあって、痕が残るくらいキスで互いの肌を食んだ。
果音の軆がもろそうなのは、さっきの話から考えると、生活があまり満足していないからなのだろうか。ちゃんと食べさせてあげたい。俺にできることがあるなら何でもしたい。でも今は、その手段を考えつくより果音を食べたい。
今日は果音が俺を口に含んだ。すごく上手というわけではないのに、睫毛の影や唾液の音にひどく神経が昂ぶって熱く硬くなっていった。すぐにでもふわりと頭の中が白波にさらわれそうだ。「飲みたい」と言って、果音は俺自身に舌を這わせた。視線が泳いでくるのを感じながら、俺はこらえるのをやめた。
浮いた血管を果音の唇がなぞって、たっぷり水音が絡みついて、どんどん上昇して集まっていく。快感が押し寄せてきて、果音に強く先端を吸われた瞬間、一気に爆ぜてしまった。果音はそれを飲んで、最後まで飲みこんで、俺自身に愛おしそうに頬を寄せた。
俺は果音のものに手を伸ばした。硬くなって、先端はじゅうぶん先走っていた。今度は俺が口にする。果音はびくんと肩を揺らし、息を震わせる。脈打つ果音を愛おしみながら、俺を受け入れる場所もゆっくりほぐした。果音の声が空中を彷徨う。そのうつろう声は、俺をまた奥からこみあげさせる。
果音を手で動かしながら、再び高まったもので軆を重ねた。初めは確かめるように静かに腰を動かす。でも、果音の声が切なく焦れったくなってくると、その喘ぎに浮かされて激しく攻める。吸い寄せられて口づけを交わす。息継ぎの合間に、「好き」という言葉が流れこむ。はちきれそうなものを、絞って、絞って、これ以上残らないほど感じて、俺たちは絶頂に達した。
結んだ軆をほどいて、しばらくはほてっていたけど、汗が引くとすうっと寒気が背筋を伝った。俺は暖房をつけて、果音と一緒にふとんに入った。抱き合ったかたちで、まだ名残る息遣いや鼓動を聴く。「美羽」と呼ばれたので果音を覗くと、上目遣いの瞳がある。
「また、会えるよね?」
「もちろん」
「……こういうの、嫌かもしれないけど」
「ん?」
「次会える日、約束とか、していい?」
「え、してくれるの」
「俺は、したい。そしたら、ケータイとかなくても安心だから」
「そう、だな。うん、いいよ」
「束縛みたいでごめん」
「そんなことないよ。俺も、ケータイ持てばいいんだけどさ」
「ほんとに持ってないんだね。めずらしい」
「……うん」
家のことも、果音になら話したほうがいいのだろう。でも今は、この温かな甘美をあの冷たい狂気で壊したくない。俺は改めて果音を抱きしめて、「持ったら一番に果音に教える」という約束を繰り返す。果音は咲って、「もう大丈夫だけどね」と言った。
「ケータイなんかなくても、美羽とつながった」
俺も咲った。そうだ。つながった。ダメかもしれないとも思ったけど、果音は今、ちゃんと俺の腕の中にいる。「果音が好き」といい香りの耳元にささやく。果音は愛おしげにしっとりした瞳に俺を映してくれる。
誰かの瞳の中にいる。優しく見つめられている。その温かさに、生まれて初めて、自分は満たされていると感じた。
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