romancier obscur

Koromo Tsukinoha Novels

Monotone Stars-4

 ぐるぐるした思考に取りこまれるように、クラスメイトのささめきをこもりうたに、私はそのまま浅く眠っていた。どのくらい経ったのか、ふと「かなちゃん」とすぐそばで声がして、みな来た、と思ってもまだ意識がぼんやりしていて動けない。
 頭を撫でられているのが分かる。
 私はうめいて薄目を開き、「みな」とつぶやいて顔を上げた。
「あ、ごめん。起こしちゃった?」
「ん……ううん」
 いつのまにか教室は薄暗くなって、そんな遅い時間まで寝てしまったのかと時計を見たら、まだ十七時前だった。それでも、教室にほかの人影は残っていない。窓を見やると、いつのまにか灰色の雲が増えていて、通り雨でも来そうだった。
「降る……かな」
「降りそうだね」
「ごめんね、ほんと。起こしてくれてよかったのに」
「かなちゃんの寝顔がかわいかったからいいよ」
 う、と口ごもると、前の席に腰かけている美凪は顔を覗きこんできて、どきんと身を引くヒマもなく私の唇に口づけてきた。
「みな──」
 美凪は椅子を立って、足元の自分の荷物をよけ、私のかたわらに来た。私がそれを視線で追うと、美凪は腰をかがめて私を右肩から抱き寄せ、さするように頭を撫でてくる。
「……あ、あの、」
 降らないうちに帰ろう。そう言おうとしたのに、さーっというひっそり雨が降り出す音が聴こえた。
 美凪は私のこめかみにキスをして、「降ってきたね」とささやく。私がぎこちなくうなずくと、美凪は私の軆を向き合わせてぎゅっと抱きしめてきた。
「かなちゃん」
「……う、ん」
「かなちゃんは、僕のこと……好き?」
「えっ」
「僕ばっかり、『かなちゃんが好き』って言ってる気がする」
「……それ、は」
「かなちゃんは、僕のこと好きにはなれないかな」
「……分かんない」
「いつか、好きになるかもしれない?」
「みなのことは好き……だよ。でも、それは──」
「僕、かなちゃんの彼氏になれない?」
 彼氏。美凪が彼氏。
 私は美凪を見上げて、その愛らしく整った顔を見つめて、首をかたむける。美凪はちょっと悔しそうにして、「あきらめないから」と私の手をつかむ。
「かなちゃんが、僕のことは『ない』って言うまで、あきらめない」
「みな──」
「ほんとに、かなちゃんだけだったんだ。かなちゃんしか僕には女の子じゃないんだよ」
「みなは、すごく……モテるんだよ。私とかより、もっと……」
「そういう言い方はしないで。かなちゃんよりもっとなんていない。それは僕が決める」
「けど」
「僕が好きなのは、かなちゃんだから」
 そう言って美凪は私の口をキスで塞ぎ、深くまで求めてくる。その強さに私は美凪の制服をつかんで、キスより雨の水音に集中する。雨に濡れていくように、頭の中がぼんやり白くさらわれる。
 やがて雨が上がって、美凪は私と手をつないで帰路についた。雲が去った空は薄い紺色になっていて、月と星がきらめいている。電車はちょうど帰宅ラッシュで、美凪は私を抱きしめるように守った。
 美凪の鼓動を聴きながら、美凪が好きなのかなあ、と彼の胸に額を当てた。
 美凪は優しい。かわいい。何より、一途だ。もし私が、「美凪が好きだから」と言えば、悠斗もさすがに全部やめると思う。
 ぐらぐらして、ぶっちゃけ両天秤で、はっきりしない。私のそんな態度で一番傷つくのは、美凪と悠斗なのに。
 最寄り駅に着いて、美凪と家まで並んで歩いた。すっかり暗くなって、美凪は家の前まで送ってくれた。美凪の家は隣だから、ここから十歩も離れていないのだけど。
「また明日ね」と言った美凪と別れて、私は明かりのついている家にほっとしながら「ただいまー」と踏みこんだ。
「お、帰ってきたか。おかえり」
 リビングから足音が近づいてきて、え、と顔を上げると、そこには悠斗がいた。私はぽかんとしそうになって、「え?」と声にも出してしまう。悠斗は噴き出して、「おばさんに留守番頼まれたんだよ」と玄関先にやってくる。
「おかあさん、どうかしたの」
「おじさんが早めに仕事上がったんで、一緒に飯行ってくるって」
「何だ……。というか、娘置いていくんだ」
「すねるなよ。奏乃が遅いからだろ。メッセに反応ないって言ってたぜ」
「……そっか」
「美凪と一緒だったんだろ?」
「あ、うん」
「だからおばさんも、そんなに心配せずに出かけていってたよ。奏乃の夕飯は、俺が作るの頼まれてるから、シャワーでも浴びてろ」
 美凪と一緒だったの、気になったりしないのかな。気まずくなりながら、私は靴を脱いでドアマットに上がる。
「雨には濡れなかったか? 俺が帰るときには、降ってたけど」
「あ……雨宿りしてから帰ってきた」
「っそ。もう六月になるから梅雨だな」
 美凪とどこにいたかとか訊かれる? そう思って喉をこわばらせていたけど、悠斗は「夕飯、何がいい?」とか言ってくる。
「冷蔵庫見た感じ、白身あったからホイル焼きとかからあげとかできるぞ。肉なら肉じゃがとか牛丼」
「……そのレパートリーが怖い」
「何でだよ。あと、カレーとかシチューもできそうだったな」
「じゃあ、白身のからあげと白いごはん」
「分かった」と悠斗は請け合うと、私の頭をぽんとしてからキッチンに行ってしまった。
 私はやや拍子抜ける。スマホで確かめると、時刻は十九時が近くて、何をこんなに遅くまでと、悠斗じゃなくても勘繰ってきそうな時刻だった。
 むしろ、悠斗は分かっているから訊かないのだろうか。最近は、何か察すると見透かして意地悪く笑うようなところがあったのに。さすがに私の優柔不断に痺れを切らしたのか。
 よく考えたら、美凪は悠斗が私に告白したことを知らない。だから、悠斗を想って下がるという考え自体、ないだろう。悠斗は──譲れないとか言っていたけど、私以上に美凪に甘いし……
 頭を左右に振ると、おとなしくシャワーを浴びることにした。部屋に上がって、荷物を置いて着替えを持って、バスルームに向かう。
 キッチンが近いからちょっと覗くと、悠斗は私に気づかず、シンクで白身魚をすすいでいた。その瞳が思いのほか暗かったから、やっぱ分かってる、と察してしまい、私はバスルームに引っこんだ。
 制服を脱いで、ブラウスは替えがあるから、かごに放る。ベストとスカートは着まわす。
 どうしたらいいのだろう。早く答えを出さないと、悠斗にいつまでもあんな瞳をさせてしまうし、美凪だって事実を知ったときのショックが大きくなる。
 選んで一方を傷つけたくないとか言って、自分が傷つきたくないだけで、私は最低だ。
 熱いシャワーを浴びながら、肌をすべる飛沫に涙が混じる。やっぱり、どちらもそういう目で見れないと振ってしまうのが一番いいのかな。そして、美凪にも悠斗にも、嫌われるしかなくなっているのかもしれない──
 シャワーが終わって洗面所でルームウェアになって、ドライヤーで髪を乾かす。長いからかなり時間かかる。やっと柔らかい軽さが出てくると、後ろでひとつに束ねて、脱いだ制服を部屋に回収しておいた。
 いい匂いする、と思いながら一階に降りてダイニングに行くと、からあげとごはんのほかに、お味噌汁やきゅうりの浅漬けが並んでいた。
 悠斗も一緒に食べてくれるみたいで、いつもおとうさんが座る向かいの席に、同じ内容が用意されている。私は椅子に腰を下ろして、お茶を淹れてくれた悠斗も席に着いた。
「いただきます」
「はい、どうぞ」
 現金でも、悠斗の料理はやっぱり嬉しい。香ばしい白身のからあげからまず口に運んで、ふっくらしたごはんと一緒にもぐもぐ食べていく。悠斗は厚揚げとお豆腐のお味噌汁をすする。
「奏乃」
「うん?」
「何というか、うまそうに食うな」
「だって、おいしいもん」
「俺が女だったらよかったのかな」
「はっ?」
「美凪は男のままでいいけど、奏乃は男でさ」
「……嬉しくない」
「俺が女だったら、奏乃をすぐ選んだのに」
 悠斗を見た。悠斗は目を合わせずにお味噌汁のお椀を置いて、さく、とからあげを頬張る。
「そんなの、分かんないよ」
「分かるよ」
「分かんない、みなも大事だって……ゆうでも迷ってたよ」
「そうかな」
「みなのことどうでもいいの?」
「大事だよ」
「じゃあ──」
「俺は、奏乃が『おいしい』って言ってくれるのが好きだから、料理とか頑張ってるんだ。美凪も大事だけど、あいつのために何か頑張ってるとかはない」
 私はうつむいて、何と言えばいいのか分からなくなる。悠斗は淡々と食事を続けて、私もひとまず、作ってもらったものは食べる。
 もう、よく分からない。全部ぐちゃぐちゃになって、このままじゃいけないことは分かるけど、じゃあどう動けばいいのかが分からない。
 美凪を選ぶ? 悠斗を選ぶ? あるいはどちらも選ばない?
 もし選ぶとしたら、どちらのほうがいいかなんて、残酷で考えられない。美凪の愛くるしいところをたくさん知っている。悠斗の優しいところをたくさん知っている。
 夕食が終わると、悠斗は家に帰ろうとしたけど、私は部屋に引き留めた。「おかあさんたち帰ってくるまでいて」と言うと、悠斗は肩をすくめて、隣にいてくれた。ベッドサイドに並んでいて、「みなと、またキスした」と白状すると、「分かってる」と悠斗は私の頭を肩に抱いて撫でてくれた。
 私はしばらく、悠斗の腕の中でほろほろと泣いていたけど、「ゆうもしたいなら」とかぼそくつぶやいた。悠斗は噴き出して、「黙ってたら、明日くらい、めちゃくちゃにキスするつもりだった」と抱いている私の頭をとんとんとする。
「それとも、明日予約してもいい?」
「ゆ……ゆうが、そうしたければ」
「奏乃は俺とキスしたい?」
「……私、は」
「奏乃から俺が欲しいって言って」
「で、でも」
「俺から押しつけてばっかなのって、けっこうつらい」
 悠斗を見つめた。悠斗の瞳は穏やかだけど、真剣な芯を通して私を見つめ返してくる。私は口を開いて、そっと息を吐いて、悠斗のTシャツをつかんだ。
「ゆ……ゆうは、何か、ほんとに、乱暴だから」
「うん」
「優しく……してくれる、なら」
「くれるなら?」
「ゆ、ゆうに優しくされるのは、好き……」
 悠斗はちょっとまばたきをして、私は頬が真っ赤になるのが分かった。「あー……」と悠斗は声をもらしてから、急に私をぎゅっと抱いてベッドに押し倒してきた。
「今のは反則だろうが」
「え……えっ?」
「好き、とか……くそ、どんだけ言われたかったと思ってるんだ」
「あっ。好きって……その、ええと」
「優しくする。だから……ごめん、無理」
 そう言うが早いか、悠斗は私に口づけた。蕩かすように絡む舌が柔らかい。荒々しくかきまわすキスじゃなく、しっとり痺れるようなキスだ。本当にいつもとは違って、やけにどきどきしてきた。
「奏乃……」
 息継ぎで、悠斗が私をかすれた声で呼ぶ。私はじんじんする軆に震えそうになっている。
「好きだよ」
「ゆう──」
「美凪のこと怨みたくない。でも、ちょっとそんな自分がいるんだ」
「………、」
「美凪に先越されて、めちゃくちゃ悔しい。奏乃は……美凪と俺とだけは、ないって思ってたかった。なのに……何であいつ、奏乃に手え出すんだよ」
「ご、ごめんね。私が、ちゃんと……はねつけてれば」
「うん。奏乃もけっこう悪い」
「……ん」
「でも、奏乃が美凪にひどい態度取れないのは知ってる。俺も美凪にひどい態度は取りたくない。だから、美凪に『ふざけんなよ』って……それも言えない」
「ゆう……」
「美凪を傷つけたいわけじゃないのに、俺が奏乃とこうしてるのを知ったら、美凪は泣くんだよな。どうすればいいのかな。俺が我慢すればよかったのか?」
 泣きそうな声で言いながら、悠斗はこらえきれないキスを繰り返す。私はそっと、小さく、そのキスに応えてみた。私の動きに、悠斗は敏感に一瞬動きを止めたけど、すぐさま私をすくいとって、深く深く貪る。
 そんな日を過ごしても、次の日の朝、私と美凪と悠斗は幼なじみとして三人で学校に行く。昨日の通り雨の雲と違って、憂鬱なぶあつい雨雲が空気をじめつかせていた。
 最寄駅から学校まで歩きながら、「お昼は雨マークだね」と美凪はスマホでチェックして、「今日は屋上は無理か」と悠斗は桜の樹の向こうの校舎を見上げる。陰る灰色の景色の中で、葉桜は妙に緑色が鮮やかで目に沁みる。「でも」と美凪は私の腕をつかんでくっついてくる。

第五話へ

error: Content is protected !!