romancier obscur

Koromo Tsukinoha Novels

夜に羽音-6

 夕食は四人で取った。とうさんも実鞠に「相談」について質問していたが、「食べてからねっ」と実鞠は大根の味噌汁に口をつけていた。俺はやっぱり味つけが甘いかぼちゃの煮つけを噛みつつ、責められるとしたら俺だろうなあ、と思った。
 あれだけいがみあっておいて、今度はつきあいたいとか言い出すのだ。しかし、そう言ってどれだけこのふたりを揺すぶれるかは分からないけれど、俺と実鞠には真実を知る権利はあると思う。
 夕食が済むと、俺と実鞠ととうさんがリビングに移った。「莉雪もいるのか」ととうさんが意外そうに言ったので、「悪いかよ」と俺はすげなく返しておく。志保里はキッチンで洗い物をしていて、「聞こえてるから話してていいわよ」と言った。
 実鞠は隣の俺と目配せして、うなずくと、「あのね、」と座卓に沿って斜め向かいにいるとうさんを見た。
「おじさん、私、ね」
「うん」
「私、……その──」
 実鞠は膝の上で手を握って、うつむいてしばらく言葉を迷わせたものの、もう一度顔を上げた。
「つ、つきあいたい人がいて」
 とうさんは思いがけない様子で面食い、志保里の水洗いの手も一瞬止まる。
「つきあいたい、って彼氏か?」
「まだつきあってないけど。おじさんとママが認めてくれるなら、つきあいたい人がいるの」
「そ、そう……か。そうだな。実鞠も高校生だもんな」
「う……ん」
「今の学校の男の子か?」
「……え、と」
 実鞠は言葉に詰まって視線を迷わし、俺に目を投げてくる。俺はそれを受け、うなずいて実鞠を制すと身を乗り出した。
「俺なんだ」
 突然口を開いた俺を、「はっ?」ととうさんはぽかんと見てきた。俺は冷静に言葉を続ける。
「俺と実鞠、つきあいたいと思ってんだけど」
「な、何──」
「義理の兄妹なら、問題ないだろ。それに、隠しておきたくないと思った」
「……しかし、」
「とうさんと志保里さんには理解してほしい。知っててほしいし、認めてほしい。だから、とうさんたちのことも教えてほしいんだ」
「な、何をだ」
「俺は、とうさんと志保里さんは昔から深い仲だと思ってきた。実鞠は、かあさんと親父さんが亡くなってからだと思ってる。どっちが正しいんだ?」
「そんなこと、関係ないだろうっ。お前と実鞠がつきあうというのも、」
「認めてくれないなら、俺と実鞠もとうさんと志保里さんを認めない」
「ふざけるなっ。とうさんと志保里はもう結婚してるんだ、認めるも何も、」
「じゃあ俺と実鞠も好きあってるし、認めてもらわなくていい?」
「それはっ」
「おじさん」
 口論になるのをさえぎるように、実鞠も口を開く。
「莉雪は意地悪で言ってるんじゃないの。ほんとにね、私、莉雪とつきあいたいの」
「実鞠まで──」
「莉雪とのこと認めてもらって、それで、おじさんとママのこともちゃんと知っておきたいの」
「実鞠は分かってくれてるだろう、志保里とおじさんは」
「ほんとに? ほんとに、私のパパも莉雪のおかあさんも亡くなってから──」
 そのとき、がちゃんっと食器を取り落とす音がした。キッチンからで、振り返ると、志保里が肩を震わせていた。「ママ、」と実鞠が言いかけたのと同時に、志保里は手早くエプロンで手を拭いて、つかつかとリビングに踏みこんできた。
「絶対ダメよ!」
 俺は志保里を見た。志保里も俺を憎々しく見た。
「兄妹でつきあうとか、そんなバカなことは言わないでっ」
「でもママ、私と莉雪は血はつながってな──」
「分からないの!」
「え?」
「それは、ほんと……は、分からないのっ」
 俺は眉を寄せ、実鞠はまばたきをした。「志保里っ」ととうさんが急いで止めようとしたが、その前に志保里は叫んだ。
「実鞠の父親は、慧人さんである可能性もあるのよっ」
「志保里やめろ、」
「そうよ、莉雪くんの言う通り、実鞠の父親とつきあいながらも、私は慧人さんとの関係も絶てなかった。結婚前からずっと。だから、分からないのよ。はっきりさせてないことだから、実鞠の父親が慧人さんである可能性もあるのよ」
 実鞠の瞳がこわばり、色を失った。俺もとっさにどう思えばいいのか分からなかった。とうさんと志保里の仲が睨んでいた通りだったことより、それより──
 実鞠と俺は、父親が同じかもしれない?
 何、で。何で、こんなに胸がざわつくのだろう。ここまで、墨汁が染みこむように絶望がこみあげてくるのだろう。
 つきあう、なんて、真実を聞き出すために「とりあえず」提案しただけなのに、こんなに、息が……
「実鞠と莉雪くんは絶対つきあっちゃいけないのよっ。血がつながってるかもしれないのに、そんな、穢らわしいことはやめてっ」
 志保里がそう叫んだのと同時に、肩をおののかせていた実鞠が、一気に泣き出した。「実鞠、」と志保里が手を伸ばすと実鞠はそれをはらいのけ、よろめくように立ち上がってリビングを飛び出していった。
 ばたんっとドアが閉まってしまう。実鞠の拒絶に、志保里もわっと泣き喚き出して、とうさんはそんな女の肩に手を置いた。
「そういうことだから」
 俺の息も、やっと痙攣する。
「認めるわけにはいかないんだ」
 そういうこと、って。そんな簡単に。じゃあ、何でせめて、最初から言わなかったのか。いや、言ったらこいつらの長年の仲が明るみになるからか。
 俺は息を吐き出し、嗤い、「やっぱ、あんたたち最低だな」とつぶやき、自分の部屋に向かった。実鞠の部屋が気になったが、今ここで入っていったら、志保里が半狂乱になってきそうだ。
 俺はおとなしく自分の部屋に入り、スマホから実鞠に何か飛ばそうかとも思ったが、どんな言葉がいいのか分からなかった。ベッドにうつぶせに倒れこみ、血がつながってるかもとか重すぎだろ、と泣きそうに嗤った。
 そのまま、時間がどれくらい過ぎただろう。ふとかぼそくノックが聞こえて、明かりは消してもまだ眠れず頭も冴えていた俺は、ベッドを降りてドアを開けた。
 家の中はいつのまにか消燈している。暗い廊下にいたのは、ツインテールを下ろした実鞠だった。
 俺を見上げ、暗目にもその目は腫れていて、俺はやるせなくて実鞠を抱きしめた。実鞠も俺にしがみつき、後ろ手にドアを閉める。そのドアに実鞠を抑えつけ、俺たちは水音を立てて深く口づけあった。
 やっと息継ぎをして、だがまた舌を絡め、むさぼりあってお互いを求める。実鞠は背伸びをして、俺の首に腕をまわした。
「莉雪……」
 俺は実鞠の細い軆を抱いて、この軆に半分流れる血が自分と同じなのかと思って、頭の中がマーブル模様に黒く溶けるようなめまいを覚えた。
「やだ……よ」
「……実鞠」
「莉雪と、兄妹なんて……」
「………、」
「おじさんと……ママも、信じてたのに」
 俺はずっと、とうさんが憎かった。夜にこそこそ物音を立てて、帰ってきやがって。いっそ帰ってこないほうがいいと思っていた。
 でも、実鞠のように親を信じる子供には、やっぱり不倫は……
「おじさんとママなんか、消えちゃえばいいのに」
 実鞠のつぶやきにはっとする。そして、そう思うよな、と実鞠の頭を丁寧にさすった。
「俺もそう思う」
「莉雪……」
「あんな親、消えていなくなればいいのにな……」
 家の中が息苦しくて、俺と実鞠は手をつないで、夜風に当たりに家を出た。五月の半ばで、風は少しぬるかった。立ち並ぶマンションの中の道は、街燈以外明かりもなくて暗く静かだ。
 通りかかった公園に誰もいないのを確かめると、俺と実鞠はそこに踏みこんでベンチに腰かけた。そばの街燈には小さな蛾がたかって、光の中でもがいているように見えた。
「実鞠」
「……うん?」
「俺、昔から、夜中に帰ってくるとうさんが嫌いだったんだ」
「………、ママと会ってたの?」
「たぶんな。夜中にこそこそ物音立てて、食いもんとか適当にあさってさ。害虫かよって」
「……ん」
「だからずっと、静かな夜が欲しかった」
「………、」
「ほんとに、とうさんさえ家に帰ってこなくて、消えればいいのにって……」
 そんなふうに、とうさんが憎くても、俺にはかあさんがいた。だから、せめて憎むことができた。かあさんのために、とうさんを憎んだ。ほかの女と勤しんで、そのあと、のうのうと帰ってくるとうさんを憎めた。
 でも、かあさんはもういない。あの家にいるのは実鞠と志保里だ。分かっていた。そんなこと、とっくに分かっていた。
「俺なんだよな」と言うと、実鞠が俺の半袖をつかむ。
「消えればいいのは、俺なんだ。あの家で、害虫は俺なんだよ」
「そんな、」
「いらないのは俺なんだ」
「莉雪」
「あの家にいてうるさいのは、俺の存在なんだよ」
「私はそんなこと思ってないよ」
「とうさんたちにとっては、実鞠をたぶらかした、ますますうざったい虫だ」
 俺は息をついて、ベンチに寄りかかり、しんと浮かぶ月を見やった。実鞠が不安そうに俺を見つめて、俺はゆっくり言葉を吐いた。
「俺、家を出ようと思う」
「えっ」
「俺は、とうさんみたいに、忌ま忌ましく思われてるのにずうずうしく居座るなんて嫌だ」
「どこに、行くの?」
「さあ……。まあ、どっかあるだろ」
「私のことは?」
「えっ」
「私のことは、家に置いていくの?」
「実鞠は、あの家では──」
「私も、もうおじさんとママのこと信じられないよ。置いていかないで」
 俺は実鞠の涙目を見つめ、その頬に手を伸ばした。俺に触れられて、実鞠の頬に雫が伝う。
「私は莉雪をひとりにしない」
「実鞠──」
「私も行く。一緒に出ていく」
「でも」
「莉雪といたい。離れるなんて嫌だよ」
 俺は実鞠のゆらゆら濡れる瞳を見つめ、その肩を抱き寄せた。実鞠は俺の胸にしがみつく。
 俺も、離れるのは嫌だ。この子はやっと俺の心をやわらげてくれた。かあさんが亡くなって以来、堅く閉じていた俺の心に、いつのまにか入りこんできた。
 そうだ。俺だって、できるなら実鞠と一緒にいたい。
 家に戻ると、とうさんと志保里が俺と実鞠の不在に慌てていた。「こんな時間に、」ととうさんは俺を胸倉をつかみ、志保里は実鞠の肩を抱く。
 でも、俺はとうさんの胸倉につかみ返し、乱暴に揺さぶって壁に押しつけた。俺のほうが力は強くて、とうさんは一瞬怯む。
「俺と実鞠に血のつながりがないなら」と俺はとうさんの目を睨みつけた。
「つきあうのも問題ないだろ。だから、戻ってくる。でもはっきり調べないとか、本当に血がつながってるなら、ここを出ていったまま戻らない」
「そんな、」
「学校も辞める。行き先は教えない。一生、俺たちのことは放っておけ」
「お前っ……」
「まずはちゃんと鑑定して、結果を連絡してこい。スマホの番号は変えずにいてやる」
 俺はとうさんを突き放し、「離してっ」と実鞠も志保里の腕の中をもがいて振りはらった。「莉雪、」ととうさんに呼び止められ、俺は実鞠を腕にかばいながら冷ややかにかえりみると、とうさんと志保里に言った。
「あんたたちは、自分のことしか考えてねえよ。俺と実鞠の気持ちは考えられないのに、命令だけはしようとすんじゃねえ」
 退学届は、高校のホームページからダウンロードできた。二枚プリントすると、俺も実鞠もそれに記入して、翌日学校に持っていった。担任に渡すと、もちろんぎょっとされたが、「家庭の事情があって」と言えば兄妹そろっての提出なので信憑性を得られたようで、受け取ってもらえた。
 瑞海と花蘭は、退学には驚いても、俺と実鞠がつきあうことになったことには驚かなかった。「最初からなあ」と瑞海はにやにやして、「莉雪が感情出してたもんね」と花蘭も咲った。ふたりの連絡先は、念のためノートにも書いてもらって、落ち着いたら必ず連絡すると約束した。
 とうさんと志保里は、俺たちが荷造りしていても、もう文句を言わなかった。実鞠に検査のための唾液や血液を要求することもなかった。ふたりは、本当は調べなくても結果を知っているのかもしれない。
 雨の匂いが近づいてきた五月の終わり、俺と実鞠は手をつないで家を出た。俺は母方の祖父母に連絡を取り、詳しい話も聞いてもらって、実鞠とふたりで身を寄せていいという了承は得ていた。
「じいちゃん怒ってたし、ばあちゃん泣いてたから……訴えてでも、鑑定ではっきりさせることに協力してくれるって」
「私のことは……」
「守るって言ってくれてたよ。俺のことも、実鞠のことも」
「……それで、もし血がつながってたら」
「どうしような。そのときは、逃げるより──結婚できなくても、一緒に暮らそう」
「莉雪……」
「静かなところで、ふたりで」
「……そうだね。静かなところがいい」
 俺たちは、昼間の空いた電車に揺られていた。静かなところに行きたい。ずっとそう思ってきた。昔から、家の中は侵入者の物音がうるさかった。
 夜になると、いつも羽音がまとわりついた。害虫の羽音が死ぬほど耳障りだった。
 親なんかいらない。期待もしていない。とうさんも志保里も、勝手にこの結果を悔やめばいい。あんたたちの罪に対して、俺たちの恋が罰になる。
 俺の肩に実鞠が頭を預け、俺もそれに寄り添う。かたん、ことん、と揺籃みたいなリズムが俺たちを連れ去っていく。俺はその音に耳を澄まし、実鞠の手を握った。実鞠はそれを堅く握り返してくれて、俺は目を閉じる。
 この手の中に灯る温もりがあれば、どんな未来にも立ち向かえる。ベッドにこもって、わずらわしい夜の羽音にただ耐えるのは終わりだ。穏やかな静けさのために、俺は最後まで闘う。
 好きな女の子のために。もちろん自分のために。
 ふたりの静かな夜のために。

 FIN

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