陽炎の柩-62

狂いゆく愛

 うめき声がもれた。飛季は、性器をくるむ口に放出した。呼吸があふれる。知らずに手が栗色をつかんでいた。飛季が手を離すと、股間にひざまずいていた小柄な少女が立ち上がる。
 飛季は彼女を見つめた。知らない子だった。実摘でもない。こんな子にされていたのか。実摘ではなかったのか。
 自分は、見知らぬ少女の口に射精した。気づいた途端、言いようのない羞恥心を覚えた。彼女はそれに気づかず、飛季を先に誘う。飛季はするすると冷めていった。これは実摘じゃない。この子は実摘とぜんぜん違う。自分が欲しいのは実摘だ。こんな子は欲しくない──
 叫ぶ心に反し、壁に手をついた彼女に逆らえず、飛季はその襞に挿入していた。彼女に手淫されて、勃起はしていた。が、射精に結びつく性感の上昇はなかった。
 飛季は冷静ですらなく、だるかった。なぜこんなことをしているのか。もっと別を捜さなくてはならない。この軆に実摘はいない。影だってない。どんなに探ったって、実摘は出てこない。それでも飛季は、彼女につきあって腰を揺すってやった。
 外界が遠のく。密着する細い軆も他人事になる。吐息や喘ぎ、背後のざわめき、熱や匂い、すべてがまるでガラス越しになる。飛季は内界に堕ちる。
 脳が重かった。実摘との甘くふわふわした記憶も呼び覚ませない。想像による欲情もできない。軆がだるい。勃起さえ緩みそうだ。
 ここで、やや焦った。演技はしておいたほうがいい。飛季は何とか状態を保った。角度や前後を試し、快感を高めようとした。
 どうにもならなかった。冷めている。どんどん冷めていく。全身が倦んでいる。今にも萎えそうで、達せそうにもない。
 実摘がいい。実摘でないとダメだ。自分は欲望に飢えているのではない。実摘に飢えているのだ。
 実摘が欲しい。こんなのは欲しくない。実摘しか嫌だ。この子では実摘は見つからない。たしにもならない。こんなガキじゃ実摘は埋まらない!
 性器がしおれそうになった。焦りとヤケの衝突に、飛季は彼女を深く犯すようにえぐった。彼女は歓呼した。そして、絶頂に息をはずませた。飛季はいけなかった。
 彼女の快感に溶けた腰は、飛季が吐いたものが精液ではなかったのを感知できなかったようだ。彼女の中の飛季の性器は、心置きなく萎んでいく。彼女はだいぶ刺激されたのか、壁をずって汚れた床に座りこんだ。
 突っ立つ飛季の性器は剥き出しになる。飛季はみずからの死んだ性器を見た。小便と血で彩られているのが、踊る光で認められた。特に何とも思わなかった。
 飛季は性器をジーンズにしまった。少女はうずくまっている。介抱せずに背を向けた。二度とあの子に用はなかった。
 一応、収穫だ。あの子には実摘はいないと分かった。となると、実摘は別にいる。いや、実摘はいない。だったら実摘のかけらでもいい。実摘をひそませる女──少女を捜そう。
 その一部分をむさぼって吸い尽くし、この想いを埋めよう。実摘の部品を、いろんな少女たちからかきあつめるのだ。
 そうしよう。裏切りにはならない。どうせ、実摘と再会なんてできない。あの子は行ってしまった。でも欲しい。ひとりも嫌だ。あの部屋にいたくない。飛季に残っているのは、実摘の幻影をどこまでも追いかけることだ。
 ぐちゃぐちゃになっていた頭は、その答えにすがった。悩むのにはうんざりしていた。理論ばかり乱れ、いい加減、結論が欲しかった。
 実摘の幻影を求める。部品を集め、心象によって、飛季の内部に実摘をかたちづくる。
 妄動だった。だが、ほかにどうしろというのか。
 飛季は惑乱に身を投じた。街に通いつめた。毎晩少女と交わった。実摘の面影の断片がある──ような気がする少女と、ひたすら性交した。
 仕事が始まってもそうだった。昼間は淡々と子供たちに勉強を教え、夜には少女を喰らう猛った獣になる。飛季は生活を分割し、遊離させた。どちらの記憶も残らなかった。
 実摘を宿す少女は、美少女が多かった。飛季は印象に溺れ、彼女らに実摘を求めた。それは切れこむ目尻だったり、潤んだ大きな瞳だったり、長い睫毛だったり、桃色の唇だったり、柔らかな頬だったりした。ある少女の白い肌に花を散らし、ある少女のほっそりした腰を抱きしめる。しなやかな腕を軆に絡めさせ、すらりとした脚を抱え上げる。かたちのいい尻をつかみ、濡れた性器に挿入する。
 飛季は彼女らの部位をまさぐった。浮き出た鎖骨やもろい背骨といった、遍在するものにさえも飛季は実摘を見た。
 それらはばらばらだった。飛季は端くれを心で組み立てようとしたが、どうしても見つからないものもあった。たとえば匂い、たとえば言葉、たとえば温もり。実摘自身でなくては生み出せないものが、飛季の妄想を妨げた。
 なす術もなくなると、飛季は散らばった実摘の欠片に立ちつくす。冷静になると、唇や尻がふたつもみっつもあったりした。それらを並べて、飛季は虚脱した。
 並列させると、そのふたつが別物だという事実が歴然とした。それはかきあつめたものすべてが、本物の実摘とも、似ているだけの別物だとしめしていた。
 飛季は少女の断片を一掃した。改めて完璧なものを探した。実摘の瞳を、唇を、軆を。匂いや熱も探した。心に住まわせる実摘は、完璧でなくてはならなかった。
 飛季の心には、羅針盤である実摘の残像がある。少女と交わるごとに、それは遠のき、薄れていった。実摘がどんなものだったか、うまく思い出せない。あちこち切り取って、実摘の顔がつながらない。切断しすぎて、実摘の全体像も浮かばない。
 実摘そのものを立て直すべきだった。なのに飛季は、少女たちに闇雲に実摘の部品を求め続けた。
 よく分からなくなっていた。麻痺していた。その顔や軆を見て、実摘、という名前がよぎっただけで、飛季はその少女を犯した。
 途中までは幻想に酔って優しくても、相手が実摘ではないことに気づくと、飛季は少女を乱暴にあつかった。夢中のふりなんか、しなくなった。飛季は冷たく射精した。どうしてもいけなかったら、放尿した。気づかれて文句をつけられたら、殴って放って帰った。
 飛季の夜は、血と精液にまぶされ、小便を降りそそぐようなものになった。実摘の欠片を持つ少女を、誘っては抱く。実摘の欠片がなかったら億劫に犯し、精液をぶちまける。ときおり小便でやりすごす。放尿を抗議されたり、まだ欲しいとすがられたり、深い関係をねだられたりすれば、殴って黙らせて放置する。心から実摘が消えるほど、飛季も自分を失っていった。
 こんな人間ではなかった。誰かを殴ったことなんてなかった。傷つけたこともなかった。誰とも接さず、初めて触れあったのが実摘だった。
 実摘と出逢う前、頭の中で殺戮を繰り返していた。今の状況は、あれに似ている。自分は、脳内に留めていたあの地獄絵図を現実のものとしているのか。抑圧できなくなったのは確かだ。実摘が消えて、飛季は自分を──実摘と共に作った自分を失った。
 必然、あの陰惨な狂暴性が浮上してくる。実摘がいなくなって弱っていた心は、それが現実へと突き破るのを止められなかった。
 実摘が欲しくてたまらない、逢いたくてしょうがない、その渇望が原動力になって飛季の精神を分裂させていた。
 自分は狂った。そう思っても、理性への押し返しにはならなかった。飛季は実摘への欲望のとりこになっていた。野獣のように、少女たちを荒らして犯す。
 飛季の心は、血と精液に染まっていった。毒々しい鮮紅とたるみきった白濁に。実摘への想いも汚れていった。飛季は自分が何を欲しているのか、混乱した。
 求め、抱いて、犯し、殴る。その繰り返しだ。夜ごと血と精液と小便の水たまりを見おろし、虚しさに苦しくなる。
 夜ごと実摘の切れ端を持つ少女を抱いた。そして、実摘がない、実摘ではないと悟った瞬間、愛おしかった腕の中の少女を身勝手に憎んだ。飛季は彼女を突き離し、また新しい実摘を捜しにいく。
 実摘への叶わない愛情が募るほど、飛季はおかしくなる。自分ではないものに支配され、幻想を妄信し、少女たちを傷つけていく。
 実摘を捜して、自分の心を探した。いろんな体液を泳ぎ、実摘を追い求めた。
 血、精液、小便、汗、唾、反吐、たまに、涙。
 実摘を捜した。捜し続けた。早く彼女を抱きしめたかった。思いきり実摘の名前を呼びたかった。もしも再会できたら、ずっとそばにいてくれと彼女にひざまずくだろう。
 飛季は実摘への愛に狂っていった。

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