アスタリスク-23

Wish ****【2】

 翌日の午前中、僕は一年前にもらった名刺を財布から取り出し、福祉士の人に電話をかけてみた。異動とかでいなくなっていたらどうしようとも考えたが、さいわい、今その人は対応中なので折り返し電話をすると電話口の人は言った。
 僕はスマホの電話番号を伝えると、いったん電話を切って、窓辺の壁に背中を当てて冬陽の射すフローリングを眺めた。掃除をほとんどやらないので、ホコリが静かにきらきらしている。
 本当に、お金はなくなってしまった。もしこれでやっぱりあなた程度では生活保護は無理かもしれませんと言われたら、生きていけなくなる。あの家に戻ることになる。ぎゅっと膝を抱えて息を詰めたとき、スマホに着信がついた。僕ははっとして、びくついた手つきで通話へとスワイプし、スマホを耳に当てた。
 福祉士の人は僕のことを憶えていて、印鑑や記帳した通帳、持ってきてほしいものを伝えると、来週の月曜日の午前十時に来れるかと言った。その時間帯はまだふとんでぐずぐずしていることが多いのだが、断る理由も勇気もなくて承諾する。
 電話を切る前に、あのときのケースワーカーも同席したほうがいいかと問われた。姉は同席しないのでちょっと迷っていると、『お話は伺ってますし、必要なコピーもいただいてるので、構えなくても書類書くだけですよ』と言われ、僕は考えてから大丈夫だと答えた。『じゃあ月曜日の十時に』と福祉士の人は確認し、「よろしくお願いします」とたどたどしく返してから僕は電話を切った。
 そして翌週、僕はいつもより早起きして役所に向かった。福祉士の人は僕を個室に通し、テーブルで向かい合っててきぱきと何枚も書類に住所と氏名の記入と捺印を指示した。同じ文字列を書きすぎて、ちょっと右手が疲れてきた頃、福祉士の人は「これで全部ですね」と書類をまとめた。
「一度目は、申請が通らなくてもがっかりしないでください。もちろん、二度目に落ちてもまた申請していいんです。通るまで申請してみましょう」
 二度目なら必ず通るわけでもないのか。当たり前だけど。二度目で必ず通るなら、もっと生活保護はあふれている。
 ほんとに僕なんかが受けられるのかな、とまだ不安だった。僕ごときが受けていいのか。社会的にダメな奴というだけなのに。死刑宣告のほう納得できるかもしれない、と思いながら、一月下旬にさしかかった冷えこむ曇り空を歩いて駅に向かった。
 一度目の申請は、何度も言われていたように申請が通らなかった。理由は、貯金の残高がまだ十万以上だったから。「あと一ヶ月くらい生活して、五万以下になったら来てください」と電話口で福祉士の人は言った。また同じ書類を書くことになるそうだが、それを疎ましいと言っていたら始まらない。
 短い二月は、貯金もほとんどない、生活保護も分からない、不安定な状態で過ごした。作業所に行く余裕がなくて、先生にも相談してそれはひとまず後回しということにした。そして三月になり、風がほのかに温かくなって春がきざしはじめた頃、貯金が三万を切って、もう一度、生活保護の申請書類を提出した。その申請が三月末に受理され、ついに僕は五月から生活保護を受けることになった。
 これで、しばらく働かずに生活することができる。だが、それは思っていたより安心をもたらすものではなかった。自分の稼ぎで食べているわけではないというのは、やはりかなり後ろめたい。
 いつ何を理由に保護を打ち切られてしまうのだろうと考えてしまう。できれば僕なんかに金をかけたくないと思われていたら。あいつの生活保護は不当だと思う人がいたら。人の金で生きるくらいなら死ねばいいのにと見られていたら。
 僕の生活保護を奪うために、僕を監視している人がいるかもしれない。すれちがった人、後ろに立った人、目が合った人、僕を監察していないなんて誰が言い切れる? たとえば「めんどくさい」と無意識に部屋でつぶやいて、今のひとり言を盗聴されていて、努力しない奴だと曲解されてしまったら? そう思って焦って、わざわざ言い訳や説明までひとりごちる。
 誰かに見られている、聞かれている、そんな妄想がどんどんひどくなっていった。働けなくて恥ずかしい。落ちこぼれのくせに生き延びていてやましい。働けないなら、やっぱり死んだほうがいいのではないだろうか。「助けるから生きて」と生活を保護されるより、「死ね」と言われる方が自分には合っている気がする。
 部屋にこもっていたらよくないと思っても、なかなか気力が湧きあがらず、作業所については一度目の申請のときに相談してそのままになっていた。梅雨に入る前に、ケースワーカーの人が福祉士から相談のことを聞いたと電話をくれた。「今は病院に通うのがやっとなのですみません」とか言って、僕は自分で言い出したことにさえ頑張って踏み出すことができず、ずっと部屋で吐き気を薬で抑えていた。
 その頃から、夕方急にやたら眠くなって休むものの、熟睡できずにうつらうつらとした状態を彷徨うことがときおり起こった。そしてそのとき、必ず恐ろしくてたまらない夢を見る。内容自体は大したことはないのかもしれない。でも、その夢を見ているあいだ、ひどい金縛りに遭うのだ。
 寝ている頭の上で、誰かが重いものを運ぶカートを押して何度も往復する。足元からどんどんしがみつかれ、首を絞めようと手が伸びてくる。背後をきつく抱きこまれて、肩からこちらを覗きこもうとしてくる。あるいはもっと直接的に、ドアの向こうから父親の足音が近づいてきているのに、逃げるために起き上がれない。
 ものすごい恐怖がせりあげ、これは動いたら目が覚める夢だと認識しても夢は終わらない。何とか軆を動かそうとして、息を切らして、不意にぴくんと金縛りが解けた拍子、僕は不安と戦慄に覆われて目を冷ます。時計を見ると、横たわってまだ数時間だったり、真夜中だったり、薬を飲んでないのにすでに明け方だったりする。
 僕は生きていていいのだろうか。その不安が、僕を責めている。僕に生きる価値なんかあるのか? 人の金に世話をしてもらってまで、生きていていい人間なのか? ずきずきと神経を刺す感情がつらい。ひりひりになるまで考える思考が苦しい。
 いつまでもこのままではいられないし、いてはいけない。僕は社会復帰するために生活を保護してもらえているのだ。しっかり応えないと。何か動かないと。何でもいい、とにかく部屋にこもっていてはダメなのに。それこそ保護を剥奪されてしまうのに。何か動こうと思うだけで、死にたくなってくる。手首を切ることさえ億劫なのだ。
 ああ、僕はやっぱり死ねばいいんだ。だんだん思考はまたそんなふうに回流してくる。僕なんか消えたほうがいいんだ。そしたらどれだけの人が僕に煩わされずに楽になるだろう。姉だってそろそろ恋人くらい欲しいだろうに、僕を何より優先させてしまっている。僕なんか、生まれなければよかったのだ。生きていることに罪悪感しかない。
 生活保護なんて、ちっとも楽じゃない。生きていることをひたすら詫びたくなるだけだ。
 そんな僕の話を聞いた病院の先生は、そんなに人は僕ばかり見ていないし、生きる価値とかむずかしく考えて生きなくていいのだと言った。
 言われてみて、そうだな、と冷静に思った。監視? 生きる意味? 自意識過剰もいいところだ。でも、僕は後ろめたいのだ。働けたら、それさえできれば、きっと楽なのに。でも、楽になるための意欲も気力もない。死ぬべきだ。こんな甘えた状態、頭がおかしくなりそうだ。
 生きていていいなんて思えない。死ぬのが向いている。死ぬことしか僕にはできることがない。僕はぬるい。僕はずるい。そんな自分が忌ま忌ましくて、今すぐ死んでしまいたい。そんな腫れ上がった思考回路をかろうじてなだめるのが精神安定剤で、落ち着くまで過剰摂取も厭わず、薬が診察日前になくなってアルコールで補ってしまうときもあった。
 死ねばいい。これ以上生きていても幸せなことはない。だんだん、意識や感覚が実家にいた頃とシンクロしてきた。
 何でだろう。実家さえ出れば治ると思ってきたのに。僕はやっぱり自殺のことを考えている。そう、実家ではいつもこの感じを味わっていた。死ねば僕も少しはマシだった奴になれる。生まれなければよかった奴だから、自害しないと僕は生き地獄から赦してもらえないのだ。

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