Wish ****【3】
申請のときにも見学に来た福祉士の人が、家庭訪問で部屋に来たのは、クーラーだけ生きているみたいに唸って冷風を吐いている八月の午後だった。作業所のことを言われて、ぜんぜんやる気は出なかったけど、ここで断って部屋でだらけ続けたら保護を切られるかもしれないと思って、後日ケースワーカーの人から説明だけ聞くことにした。僕が役所に出向くべきなのだろうけど、そうなるとすっぽかしかねないと思ったので、ケースワーカーの人から部屋に来てもらえることになった。
蝉が白く輝く空を割るように鳴いていた。ベランダに干したふとんは、毎日ぽかぽかの匂いに乾く。相変わらず掃除はしない部屋は髪やホコリが散らばっている。共同洗濯機は三台あるけど、一台春先に壊れたままで不便だし、乾燥まで終わっているのに取りこみに来ないどこかの住人もうざったい。おかげのこちらの洗濯物が溜まる。
そんなことを病院でぼやいて、その次の日にケースワーカーの人が作業所の説明に来た。あのときおじさんかと思ったら、あの人は春に移動したそうで引き継いだ若い男の人だった。その人は僕の部屋の近所で、徒歩でも行ける作業所の候補も挙げてきてくれていた。やる気出ないです、ましてや、引きこもってたいです、なんて言えなかった。約束を取りつけられて、僕はケースワーカーの人に付き添われて作業所の見学までは行った。
作業をしつつ雑談もしている、緩めの作業所。ホールとキッチンでカフェ営業をしている、にぎやかな作業所。どちらか選ばなくてはならないなら前者だったが、選ばなくていいならどちらに強く惹かれることもなかった。「考えてみて、もし気持ちが決まったら連絡くださいね」と名刺を渡されたけど、当分その気にはなれそうにもないのが申し訳なかった。
しかし、少しそれが僕に刺激はくれたようだ。うなされるか、くたばっているか、どちらかだった僕は、やっとPCでネットを眺めたりするくらいになった。でも思わず“生活保護”とか検索にかけて、『他人が収めた税金で暮らす怠け者だ』とか書いてあると、その意見を読んでいるだけで過呼吸を起こした。
何とかページを移ったり、タブを閉じたりして、目をつぶって心臓のあたりを抑える。ネットを見るのはやめようと思ってから、ちょうど思い出したのは、正月に書き終えたまま、ほったらかしにしているあの文章だった。今読んだらどんな感じだろう、とそろそろ客観的に読める気がして、画面に呼び起こして読んでみた。
紅のことももうそんなに思い出さなくなってたな、と思う。いちごミルクの飴も舐めなくなったし、もうあの味を恋しいとも感じない。それでも、読み返していると紅のことがこんなに好きだったんだなと思った。
頑張ってね、と紅は言ってくれたのに、生活保護なんて知られたら軽蔑されそうだ。僕は紅との心の支えの約束も破ってしまった。
失恋して、死に損なって、底まで落ちたけど、生きていこう。そう思ったところで物語は終わっていた。僕もそんなふうに思ったときがあったのだ。自分には死ぬしか能がない、と今は思っているけれど、そんな僕も、この命に夢を見たりした。
ブラウザをもう一度開き、“小説 公募”と検索にかけてみた。そうして引っかかった出版社の新人賞や文学賞をぼんやりと眺めていった。その中で、八月末が締め切りで、規定枚数もちょうどいい募集があった。しかもファイル添付で応募できるらしい。僕はPCを広げる卓袱台に頬杖をつき、しばらく考えていた。そして、せっかく書いたんだしな、くらいの気持ちで、何回か推敲を重ねて作品になった文章を、その新人賞に応募してみた。
薬が足りずにアルコールに頼るときがあると話して、先生は薬の上限を上げ、量に余裕を持った処方箋に書き換えてくれた。さいわい、それでアルコールに溺れることは免れた。薬をなかなか増やさないのは、昔のあの先生みたいだなと思った。
長い夏が終わり、落ち葉がちらつく秋が短く過ぎていった。そろそろ作業所に行ってみるのもいいんじゃないかと、先生にも福祉士の人にも言われた。無理ですとか嫌ですとか、そんなのを言って保護を切られるのも怖い。だから、作業所などの利用資格を得る調査を受けて、雰囲気が緩やかだったほうの作業所に行ってみた。
そこで楽しく過ごせる自分がイメージできたわけではなかった。むしろ、嫌な予感しかしなくて吐き気がした。案の定、周りの雑談に混じれず、手先も不器用で、すぐ作業に混じれずに壁際のソファに横たわってばかりになった。スタッフの人は「来てくれるだけでいいんですよ」と優しくて、その言葉はありがたかったけど、みんなできている作業をひとりだけできずにいるのは、無性に小学校の頃を思い出した。
あの頃もいつもこんなふうに「みんな」から外れていた。何だよ。僕は変わっていないのか。まったく成長していないのか。そんな情けなさをひたすら痛感し、昼食は作業所で取らずに帰宅して、ふとんに閉じこもって薬を飲むために起きるのも苦しいくらいになった。そしてその皺寄せは病院での診察に現れ、僕があまりに澱みきった声で報告するので、先生は「つらかったら無理はしなくていいですよ」と言った。
僕はいつも、許してもらわないと自責的、自罰的になって、自分を助けられない。先生にそんな「もういいよ」を言ってもらえて、やっと作業所をずるずると休めるようになった。いつのまにか今年最後の月で、やけに冷えると思った日、初雪が降った。
生活保護で生きている。とてもじゃないけど、僕はそれを人に言えない。恥ずかしいわけじゃない。でもどうしようもなく自分も養えない無能が後ろめたい。「生きてていいんだよ、それを頑張ってくれればいいの」と姉は言ってくれる。それでも、僕は自分に対して思ってしまうのだ。
死ねばいいのに。
昔、さんざん悪魔のような父に対して持った感情。それが、今は自分に向かっている。いつからだろう。いつから僕は、自分をこんなにも消したくなったのだろう。どうしても父が消えないから? この世が終わってくれないから? もう自分の死が一番手軽だから?
そんな頃、例のつたない小説が一次選考を通過した。一応わざわざ結果掲載の雑誌を買ってまで確認して、紙面にタイトルとペンネームを見つけたときは、バカみたいに手が震えて心臓が速くなった。年が明け、次の号で二次選考の結果が出た。二十本くらいに絞られたその中にまたタイトルとペンネームがあって、嬉しいというか混乱してきた。
次は三本になって、最終選考に出される。まさか、まさか、まさか。どきどきしながら翌月の号を買うと、三本の中に僕の作品はなかった。
何だ、とがっかりしつつ、どこかではほっとしてしまう。僕の文章が世に出るなら、もっとちゃんとしたもので選考してほしいと思った。そう思って、僕はたまに書き留めていたメモをかき集めて、これがひとつの作品にならないだろうかと画策しはじめた。
落選してから、作品を投稿していたことをやっと人にも話せた。そうしたら姉は「新しいのは書かないの?」と嬉しそうに身を乗り出してきた。「書けるか分からないよ」と答えつつ、断章や台詞のメモは増えていっている。心理検査のときみたいに、これをどう並べたら一番いいストーリーか考えたりする。先生にも、小説を書いていることを話した。そうしたら、「やっていて楽しいと思うなら、つらいと負担に感じることじゃなく、それを頑張っていいんですよ」と言われた。
楽しいと思うことを、頑張る。それが正しいことなのかは分からない。自分にできることを、精一杯努力する。思えば僕は、幼い頃、それを認められず、尊重もされなかった気がする。いくら耐えても褒められなかった。楽しいことなんて、そもそもなかった。その傷を引きずって、どんなに肯定されても、自分を否定してこんなふうに感じる──
好きなことを追いかけるなんて、甘えじゃないのか?
生活保護を抜けるための努力を怠けることじゃないか?
今の僕には、現実を見ないで夢を見るなんて、許されないのではないか?
そう、働けない使えないゴミ。自分で食えないクズ。ひとりで生きられないカス。
本当に、僕なんか、死ねばいいのに。なのに僕は、いつのまにかこうして新しい物語を紡ぎはじめている。深呼吸して、文章としてこの声を吐き出している。
死ねばいい。それでもきっと、僕は最後まで生きるのだろう。呼吸は加速し、やがて、過呼吸になる。吐いて、吐いて。吸うことも忘れて吐いて。膿は文章となって吐き出される。
血を吐いて。息を切らして。とても言えない四文字の言葉だけは、どうにかアスタリスクで伏字にして。
ただの肉となるそのときまで、僕はやっと見つけた小さな光をつかもうと、キーボードをたたいているのだ。
FIN