Koromo Tsukinoha Novels
思えば、私は幼い頃から、男に対してタチが悪かった。
幼なじみの鷺乃と緋咲、ふたりとも自分のものじゃないと、機嫌が悪かった。鷺乃と緋咲にはさまれて歩くのが好きだった。女の子がふたりに近づくと、その子を睨みつけたりしていた。
私の機嫌が悪くなると、鷺乃と緋咲はよく知らない女の子なんか放って、たいていは私に構ってくれる。まあ、それも小学生までだったけど。
中学生くらいになると、鷺乃は学校をサボってどこかで煙草をふかし、緋咲は学年トップの成績をキープする勉強に打ちこんだ。私も女友達が増えて、自然とふたりを縛ることはなくなった。
そして、高校生になった春、私は友達の広海から彼氏ができたと打ち明けられた。「由麻には紹介していい?」と言われ、「もちろん」と答えて、さっきまで地元のファーストフードで広海とその彼に会っていた。
顔。声。背。広海が進学した高校の先輩であるその彼氏は、私の好みにがっちりハマっていた。
いや、待て。この人、広海の好きな人どころか彼氏だよ。好きになってもしょうがないよ。
彼の笑顔も、広海にしか向かっていない。私への下心も見当たらない。「広海のこと大事にしますね」なんて言ってくる。私が裏切って立ち入る隙なんてない。なのに──
本当に、私の男の子への気持ちはタチが悪い。
五月に入って二週間、すっかり日が長くなった。それでも、陽が沈んでくると、ほんの少し空気が冷める。生まれたときから住んでいる住宅街を歩きながら、何度もため息をつく。
道路で声を上げていた子供たちは、夕食の匂いに気づき、遊ぶのをやめて家の中に入っていく。そんなふうに、心からあの彼氏の笑顔が断ち切れたらいいのに。
はっきり脳裏に残像している。やばいなあ、と茶色のローファーの爪先を見つめる。このままじゃ好きになっちゃう。それはまずい。
どうしよう、とコントロールできない感情に焦っていたとき、ふわりと吹いた風に、覚えのある煙草の匂いがした。
ん、と顔を上げると、もう自宅の前に着いていた。そして、その先の家の前に鷺乃が腰を下ろし、煙草を吸っているのが目に入る。
「鷺乃」
声をかけて駆け寄ると、鷺乃はこちらを向いて、「よう」と返した。鷺乃は、行動は不良みたいになったけど、別にやさぐれたわけではない。私や緋咲に対して、それほどそっけなくなったりしていない。
鷺乃のおじさんとおばさんも、「引きこもるよりいいんじゃない?」とのんきなものだ。ただ、煙草は匂いが染みつくので、外で吸えと言われるらしい。
「今、帰り?」
「うん。ちょっと寄り道してたけどね」
「そうか」
また風が抜けて、鷺乃の艶やかな髪が流れる。茶色に染まっているのに、後れ毛でまとまりのない私よりも綺麗な髪だ。
眉や瞳は意志が強そうなのに、色が白いから頬の色合いによく感情が出る。顎も肩幅もそんなにがっしりしていなくて、華奢だ。
「鷺乃は、今日学校行ったの?」
「連休明けから行ってない」
「高校は留年あるよ」
「別に退学になっていいし」
「退学になってどうするの」
「さあ。働くとか」
鷺乃は煙草の火種を地面ですりつぶし、吸殻は溝に捨てる。
私は腕組みをして、鷺乃の横顔を眺めた。
「鷺乃と緋咲は、正反対のタイプになったなあ……」
「元からタイプ違うだろ」
「そう? 変わらなかったような」
「確かに、俺も緋咲も由麻の家来だったけどな」
「家来って。むしろ、どっちも王子様だったんだよ」
私の表現に鷺乃は噴き出して、私がむっとした顔をすると、鷺乃は笑いをこらえる。
「王子様って」
「だって、ふたりとも好きだったもん」
「っそ。で、高校に現在の王子様は見つかったのか?」
そこで、私はまたあの彼氏を思い出す。ずんと暗い表情になってしまい、「何だよ」と鷺乃は立ち上がって、怪訝そうに覗きこんでくる。
私は鷺乃を見上げた。鷺乃は身長なら高い。首をかしげられて、このもやもやを打ち明けそうになった。
でもその前に、「何してんの」という声が背後にかかる。
「緋咲」
鷺乃が私の肩越しに声の主を呼び、私も振り返る。
私は高校生になってもセーラー服だけど、緋咲はブレザーになった。ちなみに鷺乃は、今は私服だけど、学ランだった気がする。
緋咲は私たちのかたわらに来ると、眼鏡の奥から私と鷺乃を交互に眺めた。
「邪魔した?」
「別に。由麻の女王宣言聞いてただけ」
「女王宣言」
「もう違うからいいでしょ」
「まあ、由麻は俺たちのお姫様だけどな」
「だよね⁉ ほら鷺乃、緋咲は分かってる」
「……アホらし」
私はかばんで鷺乃の背中を殴ったけど、よろめきもされずに、仕返しに額を軽くチョップされる。それから、鷺乃はちょっとまじめな顔で私を見つめた。
「何かあるのか?」
「え」
「王子様のこと訊かれたら、お姫様は喜んで話すだろ」
「ん? 由麻、彼氏できたのか?」
「……そう、ではないんだけど」
私の表情が曇って、緋咲も瞳に怪訝を混ぜる。
緋咲は鷺乃ほど背は高くなくても、軆つきがしっかりしている。猫毛の短髪で顔立ちは童顔なのだけど、眼鏡のせいか、不思議と大人びている。悪戯っぽい笑みが気さくだから、優等生という堅さはあまり感じられない。
「……あの、ね。その──」
何と、言えばいいのだろう。
友達に彼氏を好きになったかもしれない? どれだけ黒い告白だ。ちょっと、ここでは気まずい。
「夜、また三人で集まって話せる?」
私の提案に、鷺乃と緋咲は目を交わす。「構わないけど」と緋咲が言い、私は頬に熱を感じながら続ける。
「相談……の、ようなものになるんだけど」
「相談」
「俺たちに頼るなんて、最近じゃめずらしいな」
「うー……鷺乃と緋咲なら、相談できるかなあって」
「俺はいいよ。鷺乃は?」
「めんどいけど……まあ、夜、ヒマだし」
私はぱっとふたりを見上げ、「ありがとう」と安堵した笑みをほどく。そんなふうに私が咲うと、鷺乃も緋咲も咲うのは変わらない。
「じゃあ、夜にうちに来てくれるかな。おかあさんには、ふたりが来るの伝えておくから」
「了解」と緋咲は私の肩をぽんとして、「分かった」と鷺乃もうなずく。
このふたりなら、私を軽蔑することはない、と思う。たぶん。
まだ空が明るいからか、鷺乃はまた家の前の段差に腰かけ、いつもと同じ煙草を取り出す。それに苦笑しつつ、「俺はこのあと塾あるから、夜行くの少し遅いかも」と鷺乃の家のお向かいである自宅に入っていった。私も「肺癌にならない程度にね」と鷺乃に言い置いて、家の前に引き返した。
「ただいまー」
玄関を開けて家に入って、いつもの声をかけると、リビングから騒々しい話し声がしていた。また妹の未麻が友達を呼んでいるらしい。
「おかえり」とエプロンをつけたおかあさんが顔を出し、「ただいま」と私はもう一度言う。
「未麻の友達?」
「そう。遅かったね、少し」
「友達と軽くお茶してた。あ、今日の夜、緋咲が私と鷺乃に勉強教えにきてくれるから」
「はいはい。あんたたち三人は、いつまでも仲がいいね」
勉強なんてもちろん嘘だけど、そう言っておくのが一番警戒されない。
私は二階に上がって、制服を私服に着替えてスマホを取り出した。バッテリーが弱って、すぐ充電がなくなるようになってきたけど、まだ買い替えていない。
広海からメッセが来ていた。
『今日はありがと。
ゆあさに彼ができたら、絶対一緒にデートしようね!』
彼、か。
そういえば、今まで私は、まじめに恋をしたことがあるだろうか。
鷺乃と緋咲へのあれは独占欲だったと思うし、それ以外にどうしても手元に置こうと思った男の子は、いないかもしれない。ふわふわとかっこいいなあと見つめた男の子は、数え切れないけれど。
広海の彼氏に対しても、どちらかと言えばそんな感じで、掠奪する情熱が盛り上がっているわけではない。まだ、これなら殺せる。鷺乃と緋咲に「お前はバカか」としかってもらえば収まる。でも、いつまでもそんな浮わついた視線を、男の子に向けているわけにもいかない。
高校生になったのだ。彼氏は──欲しいなあ、と思う。
夕食前、おとうさんが帰宅したのと入れ違いに、未麻の友達は帰っていった。
もう外は暗いけど、小学六年生になった女の子たちは大丈夫なのだろうか。私は、中学に上がった頃まで、あの幼なじみたちが夜道をひとりで歩かせてくれなかったものだ。
四人家族が揃った夕食のテーブルで、夜に鷺乃と緋咲が来るのを言うと、「何で、おねえちゃんにばっかり、タメでイケメンの幼なじみがいるの」と未麻はふくれた。
「ふたりともかっこよくなったよなあ」
おとうさんも、鷺乃と緋咲なら私に近づいてものんびりしている。中三のとき、同じ志望校でグループになって、受験勉強する中に男の子もいると、普通にぴりぴりしていたけれど。
「由麻は、鷺乃くんと緋咲くん、どっちにするの?」
おかあさんはそんなことまで言う。「どっちもないよ」と私は煮物をもぐもぐと食べた。
夕食を終えると、シャワーを浴びて、ルームウェアになって宿題をやっていた。英語の訳でつまずいて唸っていると、ドアノックが聞こえて「はあい」と答える。
顔を出したのは、緋咲だった。もう私服になっていて、「鷺乃は?」と首をかしげてくる。
「んー、まだ」
「もう二十二時前だぞ。忘れてないか、あいつ」
「メッセしてみる。あ、ていうか、ちょうどよかった、これの訳し方教えて」
「英語?」
「うん」と答えて、黒板から書き取った英文が並ぶノートを緋咲にさしだす。
そしてスマホを手にして、鷺乃とのトークルームを開いた。ひとつ適当なスタンプを送ってみても、反応はない。もしかして寝てないよね、と通話ボタンを押すと、コールがけっこう長引いてから、『もしもし……』とくぐもった鷺乃の声が聞こえた。
「寝てた?」
『……うとうとしてた』
「こんなに早く寝ぼけないでよ。もう緋咲は来てるよ」
『え……? ああ、そうか。悪い。今行く』
「待ってるよー」
私が通話を切ると、緋咲がくすくす笑っていて、「鷺乃、寝てたのか?」とノートをつくえに置く。
「うん。電話しなかったら、あれはすっぽかしてた。あ、その英文分かる?」
「俺の高校のレベルをナメるなよ」
そう言った緋咲は、上手に解説しながら英訳を解かせてくれた。「やった!」と言って問いが片づいたノートを閉じたとき、がちゃ、と部屋のドアが勝手に開いた。
振り返ると、もちろん鷺乃で、「ノックしてよ」と言うと、「いかがわしいもんなんかないだろ」と鷺乃は部屋に踏みこんでベッドサイドに腰かける。目をこすっていて、本当に半分眠っていた様子だ。
「宿題はそれで終わりか?」
「うん。ありがと、緋咲」
にこっとした私の頭をぽんとしてから、緋咲は鷺乃の隣に腰を下ろす。「二十二時にもう寝てるとか」と緋咲に言われ、「ヒマだと眠いんだよ」と鷺乃は返す。
「で」と膝に頬杖をついた鷺乃は、こちらに目を向けた。
「相談って」
緋咲も私を見て、「恋愛相談?」と首をかしげる。「何というか……」と私は口ごもってから、ゆっくり口を開いた。
「何か、自分、ふわふわしてるなあとか」
「ふわふわ」
「鷺乃と緋咲って、誰か好きになったことある?」
鷺乃と緋咲は目を交わし、「まあ」とふたりとも微妙に肯定する。
「それって、真剣?」
「つか、何で俺と緋咲のことになるんだよ」
「いや、……うん。私、まじめに誰か好きになったことあるかなあって思って」
「そんなの、心配しなくてもいつか来るだろ」
「でも、何か……ダメだなーとか思うんだけど、友達の彼氏をかっこいいなあとか思ってるし」
あー、言っちゃった。そう思って恥ずかしくなったのに反して、緋咲がさらっと言ってくる。
「かっこいいなら、そう思っていいだろ」
「え……えっ、いいの?」
「かっこいいんだろ?」
「ん、うん。じゃあ、好きになってもいいの?」
「場合によっては、仕方ないんじゃないか」
緋咲が言うと、「え」と鷺乃が口をはさんでくる。
【第二話へ】