IN BLOSSOM-11

彼女の友達

 教室にいると、ますます早瀬さんを眺める時間が増えた。
 話しかけるわけでもない。もちろん話しかけられるわけでもない。
 つくえに伏せって、特にあの電話のことは蒸し返さない親友共にくだらない話でつつかれながら、腕の隙間から、折れそうに細い軆が友達と移動するのを追いかける。
 早瀬さんは、すごく、しっかりした人だ、と思う。友達でも先生でも、じっと目を見て話を聞く。そして凛とした瞳で柔らかに微笑んで、甘くも苦くもない、あのカフェオレのように心地よい声で大抵のことは嫌味なく引き受ける。あたしのように、とりあえずしづ様にお金をつぎこむ、快楽に生きる人間とはぜんぜん違う。
 いや、だからといってしづ様グッズをこらえることはしていない。『クリスタルメイズ』の最終回だって、きちんとリアルタイムでチェックした。だけど、ひとりの男子キャラとのストーリーを軸にしたものだったから、そのキャラを彼氏にするファンはそれはネットで絶叫していたけれど、あたしとしてはしづ様率が低くてふくれていた。全十三話、すごく丁寧に描かれていたけど、そのぶんしづ様は脇キャラに過ぎなくて、二期はしづ様で、と結局泣いたのは泣いた。
 でも、さすがに声優は出たとはいえ、主人公のすがたを出さない手法はすごかったな、とスマホの待ち受けを眺める。昨日“水鏡”にアップされた、スマホを見つめるしづ様のラフ画だ。
 アニメでも、しづ様は何だか遠かったわけで。それは、しづ様が主人公と遠いということもほのめかしていたのかもしれない。
 しづ様も、想って見つめている主人公に、何も伝えられずにひとりで泣いている。かぶるなあ、とあたしはつくえの木の匂いに顔を埋める。
 最近、何でもかぶる。恋をしていると、ラブストーリーもラブソングも、かぶる。どんなに個性的だと言われている作品でも、テーマが恋愛だとなぜか通じる。片想いも、両想いも、失恋も。個性がないわけでなく、どこかで共感してしまう。
 あなたのことばかり考えてる。あなたに出逢えてよかった。あなたのすがたを探してしまう。すべて、今のあたしの心をぎゅっとつかんで、きつく息を止めさせる。
 早瀬さんと話してみたら、どんな感じなのだろう。想像がつかない。ほんとに接点ないな、と同じ教室だというのに、あんまりな他人ぶりに死にたくなる。
 早瀬さんが日直にでも当たったら適当に話しかけてみようかな、と思っていると、ツインテールを親友共に引っ張られて悪態をつきそうになる。でも、もし早瀬さんに聞かれていたら、といい子ぶるなんて吐きそうだったくせに、あたしは何だかしゅんとしてしまう。
『私は確かにしづ様が好き。
 でも、彼女に惹かれてるのはもう容姿だけだからじゃない。
 容姿だけなら、コス会場でも行っとけばいい。
「彼女だから」なの。
 正直、ぱっと見から惹かれたから見かけだけかなあ、といろいろコス写をあさってみたりしたの。
 よほどしづ様らしいレイヤーさんがいるのに、ぜんぜんときめかない。
 笑顔、仕草、声……
 私の心に鮮明に焼きつくのは、彼女だけ。
 はあ、いっそぶっちゃけて「お友達になってください!」って言っちゃえばいいのかなあ』
 最近は、こんなブログ記事ばかり続く。聞いてくれる人がいない、知っている人がいない悩みを、毎日、どこかの誰かに画面越しに伝える。毎日、カウンターは少しだけまわっているから誰かは見ている。
『あいつに対しても、寝たいかどうかじゃなくて、「そばにいたい」という想いの強さが恋かどうかだった。
 その想いのために、努力したいかどうか。
 彼女には……できることはしたい。
 バカかって思うよね、「おはよう。学校でね」って朝にメールをもらって学校で挨拶できる、そんな関係になれれば充分なの。』
 考え事のぶんだけ、吐き出す更新も増える。望み。嘆き。想い。
 感じた重さも思いつく視点も、脈絡なく、とりあえず文面にして整理する。
『自分のことが分かる切っかけを作ってくれて、すれちがうことになっても彼女には感謝したいな。
 それまで、自分を分かってなかった。
 彼女のこと好きになってなかったら、きっとまだ「自分は名状できない出来損ない」って思ってた。』
 そして今日もまた、送信ボタンを押す。でも、ふと読み返すとうざったいほど堂々巡りの内容だ。
 そこまで気になってるなら、とっとと動けよ。
 自分のことなのに、いらついてそう思う。意気地なしのままじゃ、いつまでもこのままだ。分かってる、分かってるけど。そして、そんな気持ちをまた記事にしはじめる。
 ──結果を意識した期末考査も終わって、青が突き抜ける空に蝉の声があふれはじめた。夏休みを待つだけの蒸した教室の窓際、あたしたち四人は、ぬるい風に髪とスカートを踊らせながら、また無駄にしゃべっていた。夏休みを待つだけ、と言っても、みんな進学だから、集まっても勉強する予定だけれど。
 あたしは手すりにもたれ、教壇で友達と咲っている早瀬さんを例によって盗み見る。
 うん、かわいい。
 少し空気が冷めている空中で、危なっかしくスマホをいじり、昨日更新したブログを読み返す。
『もうすぐ夏休みになる。
 せめて彼女の友達にでも話しかけなきゃ。
 ぐちゃぐちゃ考えるな、自分!
 好きなんでしょう?
 仲良くなりたいんでしょう?
 もっとしっかりしなきゃ。
 今怖いのは夏休みだけど、それ以上に怖いのは、卒業。
 すごくすごく怖いの。
 そしたら、絶対もう会えないじゃん……
 その前に、何か、何かしなきゃ。
 勇気出さなきゃ。』 
 勇気、かあ。向こうから何か来るなんて、そんな奇跡はしょせんないよな。あたしから動かないと何も始まらない。
 何か始まってほしい。続いていくには、始まらないといけない。始まっても、すぐ終わるかもしれなくとも。あたしから踏み出しておかないと、早瀬さんはあたしに気づくわけがなくて、そのまま通り過ぎて──
「早瀬さん」
 ん、と耳聡く気づき、ツインテールをカーテンにひらひらさせながら振り返る。
「今、進路の話聞けるよ」
 女の担任が、あたしがしたくてもしたくてもできない「友達といる早瀬さんに話しかける」を、平然としていた。職権乱用だ、と深い意味もなく内心歯軋りしていると、一度長い睫毛でまばたきした早瀬さんは、何やらうなずいて友達には軽く頭を下げて、担任についていった。
 残された三人の友人は、ちょっと顔を合わせたあと、また雑談に戻る。あたしは、自分のブログの一文を一瞥した。
『せめて彼女の友達にでも話しかけなきゃ。』
 じっと文面をたどって、唇を噛む。
『ぐちゃぐちゃ考えるな、自分!』
 よし、と昨夜の自分に誓う。スマホはポケットにしまった。そして、胸をふうっと息を吐いてなだめると、「ちょっと」と適当に未佑希を指さして、窓際を離れる。
「あんたののろけから逃げる」
「は?」
 未佑希は眉を寄せ、絵鞠はきょとんとして、海はまばたく。
「何言ってんだよ。小遣い減った話のどこがのろけ──」
「続きはあとでな」
「……壊れた?」
 未佑希はそう言って絵鞠と海を見て、海はあたしをちらりとしたあと、「まあ、見守ってあげましょう」と言った。その台詞で未佑希も感づいて、「ふぁいとー」と絵鞠はガッツポーズをする。
 意を決したあたしは、教壇へと身を返した。心臓を抑えながらつくえを縫い、早瀬さん不在の早瀬さんグループに近づく。
「あのー……」
 あたしに目を向けてきたのは、前髪を眉で揃えたり、眼鏡をかけたり、化粧していなかったり──みんな、まじめそうな子たちだった。が、やっぱり、早瀬さんのグループだ。みんな美形だ。前髪を揃えているのはロリータっぽいし、眼鏡は知的なイメージだし、化粧なんか施さなくても肌綺麗だし。あたしツインテのヲタだよ、とヒキながらも何とか笑顔を作る。
「早瀬さん、進路で何かあるの?」
 三人は怪訝そうに目を交わし、それでも、ロリータが首をかたむけて口を開いた。
「ちょっと、いろいろ希望で悩んでるみたいです」
 敬語かよ! 壁に顔面ぶつけた気がしたけど、何とか笑顔を保つ。
「そ、そうなんだ……いや、そうなんですか。まだ悩んでるって、けっこう響かない……ですか?」
「無理に敬語使わなくてもいいですよ」
 眼鏡が静かな口調でさらりと述べる。ちょっとビビって、ちょっといらっとした。こいつが奴らなら殴ってる、と三人を一瞥すると、みんなこちらを観察している。
「早瀬なら大丈夫だと思いますよー」
 ノーメイクはそうにっこりとした。にっこりとしているのに、目になぜか圧力がある。
「実力はある子だから、きっと第一希望受けますよ」
「まあ、早瀬は慎重な子ですからね」
「昨日のメールでも、だいたい気持ちは決まったって書いてましたから」
 メール。小さなトゲが心に刺さる。そうか。この人たちは、早瀬さんにメールをもらえるのか。当然のように早瀬さんのメアドを知っているのか。何気ない朝、スマホには早瀬さんからの言葉が──。
 ずき、とトゲはさらに食いこんで心臓を痛みで蝕む。

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