IN BLOSSOM-13

伝えたい

 土曜日の深夜は、コンタクトより眼鏡をかけて宿題や予習といった勉強をやる。予習なんておもしろくなくても、成績がいいからあたしはしづ様につぎこむお小遣いをもらえている。ちなみにバイトは学校に禁止されている。最もおいしくないのに最後に残してしまった数学を片づけたときには、時刻は零時をまわっていた。
 一時間くらいネットやるか、とノートやプリントは押しやってPCを開く。まずは“水鏡”を見るけど、今のところ何の更新もなかった。
 それ以外に覗くサイトなんて、今ではそんなにない。昔、ネット中毒だったときは怠らなかったメル友のサイトのチェックも、高校生活をやっているうちにいい加減になってしまった。結局、自分のブログの管理室に入る。記事を読み返して、何か思って、書いて、しばらくしてまた読み返す。相変わらず最近はそれを続けている。頬杖をついてマウスを動かし、記事をさかのぼっていく。
『「試験勉強、頑張ってね」ってメールを送るだけでもしたいけど、それすらできない。
 友達に励ましてもらってさ、彼女のこと、好きでいいんだって思えたよ。
 けど、私は誰かと恋愛で愛しあったことがないなって気づくの。
 そう思うと、すぐ二次元に逃げたくなる。
 だって、二次元はただ愛してればいい。
 想いは届かなくて、それが当然。
 私が誰かに愛される日なんか来るのかなあ。
 ひとりぼんやりベッドにいると、「しづ様がいればもういいじゃん」って逃げそうになる。』
 しづ様を想うのには、苦しみがない。一応、次元の問題はあるけど。
 早瀬さんは、ちょっと苦しいときがある。早瀬さんが咲っていれば幸せ。半面、この恋には幸せがそれしかないことが虚しい。メールくらい、本当はしたい。あたしの気持ちは絶対に押しつけない。だけどせめて、早瀬さんの毎日にあたしも加わりたい。それは、そんなに贅沢な望みなの?
『パートナーってすごく憧れるけど。
 愛されてみたいよ。
 誰かのそばにいて幸せになりたいよ。
 でももう、片想いじゃない恋愛が分かんないや。
 片想いばっかやって、両想いが謎すぎる。
 相互に想いを交換できる……友達ならたくさんいるんだけど。
 やはり友情なわけで、恋愛とはちょっと違うって感じで。』
 絵鞠、未佑希、海と、早瀬さんは違う。あいつらもまあ大切だけど。早瀬さんへの気持ちは、うまく相違を説明できないのだけど、友情じゃない。
 友情は自然と発生する。恋には努力がともなう。綺麗になろうにしたって、自分から話しかけようにしたって。相手に近づくために、何かを頑張る。
 雰囲気で恋人同士になるなんて、あたしには分からない。そういう恋がないとは言わないけど、あたしの恋には鮮明な「切っかけ」がある。早瀬さんへの恋は、まだその「切っかけ」もつかんでいない。
『「好き」という気持ちを持てるだけ幸せ……
 って言ったって、話したいよ近づきたいよって思っちゃうのが本音。
 好きな人のそばにいられないのは、やっぱり切ない。
 好きな人にとって自分が他人なのは、やっぱり寂しい。
 もし今、彼女がここにいればなあって望んじゃう欲張りな自分が、ほんっと情けない。』
 欲張りなのは、自分でも分かっている。何かあって人間不信とかで恋さえできない人もいる。あたし自身、そうなってもおかしくなかった。
 けれど、早瀬さんに恋をすることができた。まだ現実で誰かを求めることができた。あたしはマシだって分かっている。それでも──
『彼女と、ゆっくり話をしてみたいと思う。
 どんな音楽が好き?
 最近見た映画は?
 お茶したり、メールしたり、電話したりして……どうでもいいことを、仲良くなって話してみたい。
 あの初恋で初期にしていた本来の交流を、彼女に求めてる。
 でも、あの男にすがりついてさんざんなあつかいを受けた私は、恋に“未来”は望んではいけないと思うようになってた。
 迷惑だと思われたくない。
 うざいと思われたくない。
 せめて嫌われたくない。
 こんなんじゃない、そう思っても、私は彼のそばにいたくて……
 いまさら、あなたとはただ話をしたいのだと言ったら、「つまらない」と言われるかもしれない。
 関係が切れるのが怖くて、ほかにどうやったら彼をつなぎとめられるのか分からなくて、私は服を脱いでた。
 だから、恋はすべて失恋にして、恋心は未来もろとも殺そうとしてしまう。
 あの初恋は、本気の恋だった。
 だからこそ、分かるのだけど。
 彼女に私は本気なんだって。
 でも、私の“本気”なんか、ただ鬱陶しいんじゃないかって……怖くて。
 重荷になったことがあるから、彼女の重荷にだけはなりたくない。
 私に想われたって迷惑だろうなとしか考えられなくて、失恋という道を選びそうになる。』
 ぐちゃぐちゃ考えて、あきらめようと思う瞬間はある。面倒なのではなくて、あたしには恋は重すぎる。それこそ、あの男のせいで恋愛不信になっている部分もあって。嫌われたくない。好かれたい、ではなく、嫌われたくない。その恐怖が先に来て、あたしは恋を投げたくなる。二次元に還りたくなる。
『私は変わらなきゃいけない。
 いつまでもあの初恋に縛られていてはいけない。
 もっと恋に未来を夢見ていい。
 彼女のことを好きでいていい。
 これから、なんて忘れてた。
 それを求めるほど嫌がられたから。
 でも、彼女があんな男と違うのは信じたい。
 違うと言い切ることはできない、でも、だからこそ「これから」なんだ。
 恋心の息の根を止めることは、もうちょっと思いとどまろう。
 もうちょっと、彼女への想いを大切にしてみよう。
 失恋には、まだ少し待ってもらう。
 彼女の笑顔が、まだ好きだから。』
 ブログのタブを閉じて、管理室に戻った。少しだけ空中を眺めたあと、今日も情けないひとりごとの記事を書き始める。
『「何もない」のが痛いよ。
 彼女のグループに話しかけたわけだし、ちょっと期待してた。
 いや、むしろ「あの子レズかもしれないから無視しよう」とか言われてんのかな。
 分かんない。
 何か、応えてほしい。
 応えてもらえるほどのアクションではなかったのかもしれないけど。
「何か心配してたよ、あの子」って言ってくれないかなあ、友達の人。
 それが切っかけになって、何か始まらないかな。
 グループに入りたいとは思わないけど、何か、つながりを持てないかな。
 仲良くなりたい。
 軆が欲しいなんて、どっちみち思ってない。
 お茶したい。
 メールしたい。
 電話したい。
 つながりたい。
 彼女は進路のことで悩んでる……
 そう、卒業したら、ほんとのほんとに他人だよ?』
 迷ったけど、ここで送信ボタンをクリックした。「あのこと」も吐きたかったから消化不良だけど、文章にするときっと陰口になる。辺境とはいえ、誰が見てるか分からないし、書けない。
 PCを閉じると、つくえの前の水澄さん描き下ろしの超美麗カラーの『クリスタルメイズ』のカレンダーを見る。
 来週は終業式だ。買い替えるお金がまとまらない熱っぽいPCに伏せり、昨日、学校で見かけた光景が悪い夢のようにフラッシュバックする。
『あれ、早瀬は?』
 放課後、夏期講習の日程に親友共と絶望していると、不意にそんな声がした。「ごはん」という単語を聞きつけた犬みたいに、あたしは聴覚を研ぐ。
『え。あれ、いないね』
『どうせ塾じゃない?』
『ふうん……』
 その語感が思わしくなくて、ちょっとそちらを見た。ロリータが前髪を気にしつつ、教室の雑音に紛れる声でつぶやいた。
『早瀬って、最近つきあい悪いよね』
 え。
『勉強に必死すぎる感じはあるね』
 眼鏡が早瀬さんの空席に目を投げる。
『あんな大学目指すって言っても、ねえ』
 目に威圧感があるノーメイクがそう言って、ロリータは気分が悪そうに吐き捨てる。
『勉強のためにうちら放置って、どうなのよ』
 その黒い目の毒々しさを、あたしは「怖い」と思った。
 名前を呼ばれて首を戻すと、親友共が帰ろうとしている。あたしは適当にうなずいて、荷物はすでに持ち帰って軽いスクールバッグを手に取る。そして、その三人も帰宅しようとしているのをちらちらかえりみながら、親友共と教室を出た。
 こいつらに相談しようかな、と何だか鼓膜がちぐはぐで聞こえないから混ざれず、前方で会話する三人を見た。でも、相談したところでどうなるのだろう。あの子たち、早瀬さんのこと、よく思ってないみたい。ブログに書いてもそうだけど、何だか、ただの悪口ではないか。
 だったら、あの子たちに言うのだろうか。頑張ってる早瀬さんを、あなたたちは分かってあげて。あたしは何様だ。口うるさい先公か。
 というか、あの子たち怖い。いつも柔らかく咲っている早瀬さんを、あんなふうに受け取っているなんて。
 早瀬さんが何でも頑張る人なのは、あの子たちが一番知っているのではないのか。放置とか。ヤンデレか。ロリータはヤンデレなのか。いや、あいつら全員ヤンデレなのか。早瀬さんは、いつも柔らかく暖かく咲っているけれど──
 あたしが心配なのは、そこなのだ。
 早瀬さんが幸せで、咲ってくれていればいいと思っていた。それがせめてものあたしの幸せだった。でももしかして、あの子たちの中で、早瀬さんは……
 分かっている。分かっているのだけど。言ったって早瀬さんを傷つけるだけだ。でも、ほんとは言いたい。伝えたい。あたしは、早瀬さんは頑張ってるんだって分かってるよって。あたしでよければ話聞くよって。……陰口たたく子たちの中で、無理しないでって。
 真正面のしづ様のポスターを見つめた。単行本には現在未収録の、“水鏡”でラフが発表されているしづ様の短編を思い出した。
 告白とかつきあうとかいう話ではない。ただ、主人公目線のしづ様ルートで、調理実習のお菓子をしづ様に思い切って渡す話だ。もちろん、しづ様は親友にあげてやってとやんわり断る。
「私は」
 ぼんやり、主人公の台詞が唇を伝う。
「会長に『おいしい』って言ってもらいたいんです」
 しづ様は困ったように咲ったけど、やっと受け取ってくれる。「あいつには内緒だよ」と言いながら。
 主人公が去ったあと、しづ様は生徒会室でハート型のクッキーを口にする。でも、しづ様はおいしいとは言わない。ちょっと咲って、「甘いかな」とつぶやく。そして、自分を制する渋めの紅茶を淹れにいくところで、その短編は終わる。
「しづ様」
 ポスターを見つめるまま、小さくつぶやいた。
「あたしも──早瀬さんに、伝えたい」

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