IN BLOSSOM-14

瞳の中に

 終業式の日、あたしはいつも通りきゅっとツインテールを絞ると、ちょっとメイクに念を入れて家を出た。朝の冷たさはなく、早くも白い太陽と蝉の声が空気を熱している。満員電車ではやっぱりつぶされ、おっさんの背広とOLの香水が混ざった臭いに吐きかけながら、高校の最寄駅で降りる。
 朝来ていたメールは五通。三通はおなじみで、あとは例のブロ友でもあるメル友だった。ブログで一応カムしたことになるあたしは、ブログを読んだメル友たちと、ちょっとだけ揉めている。
 リア友のあいつらのがすんなり分かってくれたなあ、と思う。応援してくれるメル友ももちろんいる。鬱陶しいのは、メル友というかヲタ友で、あたしがしづ様のファンとして『クリスタルメイズ』を裏切ったと感じているようだ。実るあてもない恋だけど、リアルでの恋は許せないらしい。
 同性相手であることについて、差別や軽蔑を受けるわけでない。「同性愛なんてやめときなよ」って言われる。「そんな恋また苦労するよ」って言われる。「傷つく恋愛は応援できない」って言われる。うんざりして返事を止めたら止めたで「偏見はないから」とか来る。
 今日は、そんな奴らをさらにうるさくさせそうだ。
 早瀬さんに、話しかける。
 心は決めてきた。言いたいことは、伝えてみよう。うまく言葉になるか分からなくても。何こいつ気持ち悪いとか思われるかもしれなくても。このままでは、早瀬さんとの距離が縮まるのは厳しいという現実を感じてきた。
“好きな人がいる幸せ”を大事にしなきゃとか。見返りを求めずに誰かを「好き」と思えるだけでも幸せなことだとか。読み返しては書くブログもそうだけど、そんな能書きを昨夜、無数にまくらに並べ立てた。
 でも、そんなまくらもとに、早瀬さんの声があればなあと思った。悩んで眠れなくて、早瀬さんに電話すると、あのカフェオレの色の声が心配してくれる──。けれどそんなのはありえなくて、早瀬さんはあたしのこんな状態さえ知らなくて、その距離が本当に痛い。
 早瀬さんが幸せであってくれればいいと思っていた。なのに、あの友達の人たちの黒さがあたしをどんどん不安にさせる。そして、思い出す早瀬さんの笑顔に恐怖さえ感じるのだ。
 友達だから。グループだから。仲良しだから。それで、無理をしているの? あたしが好きになった笑顔は、偽物なの?
 中学時代、無理に咲うのが嫌で、あたしはぼっちで。あの頃、咲うことが本当にできなかった。笑顔を作る、それだけが本当にきつかった。
 だからこそ、あのときのような気持ちを早瀬さんは味わってるのかと思うと、あの笑顔がつらい。痛々しくてつらい。もう見たくないとさえ感じる。いや、見たくないというか、もう咲わなくていいよって言ってあげたい。
 心から惹かれた、早瀬さんの笑顔。想うほど、どんどん泣きそうな笑顔だったと錯覚してくる。
 考えすぎだよね。ちゃんとあの子たちと仲いいよね。造ってなんかないよね。そう思っても心配は暴走して、夏休みが始まってしまう前に、声をかけずにはいられなくなった。
「──今日の放課後、あたし、ちょっと抜けるわ」
 ありがたく冷房がついた澄んだ朝の教室で、夏休みの話をする親友共に、あたしは話題をぶった切ってそう告げた。みんな怪訝そうな顔をしたけれど、あたしはそれをガチで睨み返す。
「夏休みの予定立てる話をしてるのよ」
「あとから合流する」
「新刊の限定版なら、どうせ予約で抑えてんだろ」
「それは明日フラゲ」
「……早瀬さん?」
 絵鞠が声を抑えて、あたしはそちらを見てこくんとした。すると、みんなすぐあたしの決意は飲みこめたようだった。「どこでお茶してるかメールするわ」と海は微笑み、「夏休み始まるんだもんなー」と未佑希は妙に納得して、絵鞠はあたしの頭をぽんぽんとした。
 あたしは、あの子たちといる早瀬さんをちらりとして、波のように泡立つ打ち寄せに深呼吸した。早瀬さんが欲しいとは思わない。軆の話ではなくて。心も別に欲しいとは思わない。求めていないし、応えてほしいとも思わない。ただ、早瀬さんにとって自分が「他人」なのがつらい。
 手をつなぐ? 一緒におでかけ? 長電話? 違う、そんなのじゃない。ただ、単なるクラスメイトじゃない、早瀬さんと連絡が取れる「つながり」が欲しい。
「好きです」なんて言わない。ただ、これだけ伝える。
 こんなあたしでよければ、メアドをスマホに入れて、たまに話をしたい──
 どうなるかは分からない。登録してくれるかもしれない。登録してもメールはくれないかもしれない。そもそも、登録しないかもしれない。
 でも、それはそれで、あたしがゆいいつ渇望する「早瀬さんの答え」だ。それを知った上で、次を考えようと思う。「早瀬さんの答え」を知れば、最悪の結果でも、時間が味方についてくれる。
 もう、愛とか恋じゃない。いつのまにか、早瀬さんの笑顔が必要になっている。叶うことなら、あの柔らかな笑顔を見守っていたい。
 上の空で終業式が終わると、教室はさっさと帰宅と夏休みムードになった。親友共はあえてあたしをそっとしていた。早瀬さんは、あの子たちといる。あいつら五秒でいいから消えねえかな、と思っても、そこまでうまくいかない。
 放課後を選んだのはまずかったか。もう放課後しか残っていないのに、まずかったと気づいても仕方ないのだけれど。仕方ない。ここは、奴らが壁のように早瀬さんを囲んでいようが、ずうずうしく入りこむ!
「あ、あのっ。すみませんっ」
 終礼が終わると、スクールバッグをつかんで一気に崩れた教室を縫って、そんな声を上げた。訝って振り返る奴がいても無視する。
 騒ぐ教室の中から、早瀬さんのグループに何とかたどりつく。そして、初めてあの大きな、凛とした、綺麗な瞳に自分を見つけた。
「何ですか?」
 首をかたむけたのはロリータで、やっぱこいつ早瀬さんにヤンデレ、ととっさに思いつつも精一杯にっこりとした。
「ちょっと、早瀬さんとお話がしたいんですけど」
「え、あー、私たち、このあと約束してるんですよね」
 ノーメイクのひかえめな苦笑が、正直、胸をめちゃくちゃに傷つけてくる。
「すぐ終わります」
「どうする、早瀬」
 押したあたしに面倒そうに言った眼鏡に、早瀬さんはそれこそ花が笑むようにくすりと咲った。
「すぐ終わるならいいじゃない。何なら、先に行ってて」
 マジか。マジかマジかマジか。
「いいの?」
 ロリどういう意味だ。
「待ってるよ、別に。──すぐなんですよね?」
 ノーメイクがこちらを一瞥して、あたしは何度もうなずく。早瀬さんが笑いをこらえているのが見えて、視線がキョドりそうで、頬がゆだる。
「じゃあ、どうぞ。できれば手短に」
 眼鏡が早瀬さんの肩を押して、微笑んでうなずいた早瀬さんはあたしの前に歩み出た。
 やばい。早瀬さんに見られてる。つか、隈ないよな、あたし。隠したよな、夕べぐちゃぐちゃ考えて寝つけなかったから、朝に薄くあったけど。
「教室でいいですか? それとも、出ますか?」
「えっ、あ、はい。いや、教室は出る感じですね」
 日本語できてない!!
 内心自分で突っこんでいると、「じゃあ、出ましょうか」と艶やかな黒髪とスカートをひらりとさせて、早瀬さんは出口を向いた。綺麗すぎる、と突っ立ちかけたあたしは、振り向かれて首をかしげられる。変な声が出かけたのを何とか抑えて、あえて早瀬さんの友達は見ずに、早瀬さんのあとを追いかけた。
「そういえば、同じクラスになって初めて話しますね」
「えっ、ああ。そう、ですね」
「でも、私の受験のこと、心配してくれてたってあの子たちに聞きました」
「はっ?」
 ぱっと顔を上げたので、初めてうつむいていたのに気づいた。きょとんとした早瀬さんに、「あっ」とあたしは口を抑える。
「いえ、せ、先生と話してた……から」
 どきどきして発音がおかしいぞあたし。十八年近く日本人やってるのに。早瀬さんは、どう見てもおかしいあたしに咲いながらも、廊下に出て並行してくれる。
「おもしろいですね、よくお友達とも楽しそうですし」
 見られてたのか!
 もうやだ、壁に頭ぶつけたい。あとこの真っ赤になってるだろう顔に冷水ぶっかけたい。
「このあたりでいいですか?」
 そう言って早瀬さんが立ち止まったのは、このあいだ、あたしが逃げこんだ廊下の突き当たりだった。あたしはうなずいたあと、ちゃんと声出さなきゃ、と気づいて「大丈夫です」とうわずりそうな声を何とか落ちつける。
「それで、お話って」
 お話。そうだ、話。話があるって言っちゃったよあたし。話というか──いきなりメアド訊いていいのか、この流れ。それは突拍子ないか。
「あ、えと、進路は、結局どんな感じで」
「ああ、決めましたよ。何とか」
「そ、そうですか」
「そんなに悩んでるように見えました? 恥ずかしいな」
「いえっ、あ、あたしもけっこう、あれなんで。同じかなーとか。はい」
「まだ決まってないんですか?」
「……進学、で。わりと近くの大学で」
「そうなんですか。私は遠くの大学だから悩んじゃって」
 遠く。え、早瀬さん、遠くに行っちゃうの?
「と、遠くって電車でどのくらいの」
「いえ、もう飛行機じゃないと」
 飛行機!? マジか。そんな。だったら、いっそう言わなきゃ。
「あ、あの……」
「はい」
「あの、あたしっ」
 黒く大きな瞳にあたしが映る。
 お願い。お願いお願いお願い。あたし、この目に映りたかったの。映っていたいの。あたしからこの人への想いを奪わないで。
 好きなの。どうしようもなく好きなの。女の子同士だけど。“先”には進めないけど。
 ただ、あたしに、この人の笑顔を見守る資格を──

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