抜け殻の想い
メールにあった、親友共の待つファミレスに着いたあたしは、とりあえず三人のすがたを捜した。
ざわめく店内には、ちらほらカップルもいる。死ねばいいのに、と思いながら目的のテーブルに近づくと、三人の声を聞かずに、空席の絵鞠の隣にどさっと腰をおろした。ウェイトレスがやってくると、メニューも見ずに無機質にアイスティーとオレンジタルトを注文した。
すぐウェイトレスが去ると、息をついてテーブルの白い塗装を見つめる。甲高い声のグループがぶつかり合ううるさい店内で、そのテーブルだけ静かだった。視線が集まっているのは感じる。言わなきゃいけないのも分かっている。
でも、この気持ちが、どんな言葉になるっていうの?
「季羽」
あたしは、顔をあげた。
咲った。
今にも、泣き顔に、崩れてしまいそうに──。
ノンセクって、何というか、綺麗事に聞こえる。話ができればいいとか。笑顔を見たいとか。でも、綺麗事に聞こえるからこそ、「この気持ちはそこまで迷惑ではないかも」、そんな賭ける心が出てきて、あたしは、いきなりに取られかねないあの行動ができたような気がする。
本当に、友達さえ無理だったのかな。片想いなら迷惑かけないと思ったけど、実はこの気持ちに感づいて、それすら許してもらえてなかったのかも。もし、彼女が男だったらどうなってた? 一応あたしをキープしてたんじゃない? 本当は、あたしのこと気持ち悪いって……。
同性に想われるって、ストレートには耐えがたい苦痛なのかな。分からない。前はストレートのつもりであったくせに、もう分からない。
ああ、でもやっぱり、あたし気持ち悪かったかな。接したくもなくて、笑顔も引き攣るから、とっとと消えてほしかったかな。
それは間違いだろ、と頭では分かっている。でも、そうでも思わないとつらい。同性だから失恋したなんて、思いたくない。そんなに自分を否定できないし、そんな失恋を肯定したら、早瀬さんがひどい人間、みたいになってくる。
──「好きです」なんて言わなかった。ただ一生懸命、伝えたいことを伝えた。早瀬さんがいつも頑張ってること。そのすがたに励まされていること。遠くに行くのならなおさら、友達になりたいこと。だからメールアドレスだけでも交換したいこと。言いたかったことは言えた。自分の気持ちを自分の言葉で伝えた。あいつのときのような、言わされた感じはなかった。ちょっと言いまわしとかもかっこ悪かったかもしれない。それでも、ここまで伝えたら後悔はないところまで言い切った。
黙って聞いていた早瀬さんは、あたしの言葉が切れるとちょっと首をかしげた。あの瞳は驚きからとまどいに揺れる。
「私も、お友達になりたいですけど」
早瀬さんは言いながら困った笑顔を見せて、それで、すでにあたしの脳内は白くフリーズした気もする。
「何か、せっかくお友達になったのに、私は春にはここを離れるっていうのも失礼かなって。それに、そのために今は勉強したいから、お茶とかもできないし。メールもそんなに」
何か言おうとして、でも、喉がイカれたみたいに声が出なかった。それでもいい。アドレス交換だけでもいい。言えばいいのに、分かってしまうのだ。
たぶん、それも、断られる。
「でも」
ふわっといい香りと優しいぬくもりが伝わって、あたしはどきっと硬直した。早瀬さんが、あたしに、そっとだけど、ハグしていた。突然すぎて軆を動かせずにいると、早瀬さんは軆を離して、優しく言ってくれた。
「私は何もできないけど、大学合格できるように、頑張ってくださいね」
たぶん、きちんと、うなずいた、と思う。本当にフリーズしていた。記憶が真っ白に飛んでいる。早瀬さんはあの柔らかな笑みを見せると、「好きな人に応援してもらえるといいですね」と言った。
「えっ?」
「しづ、さんでしたっけ。彼氏さんですよね」
「あ、え……」
「その人がすごく好きなんだなって思ってました」
微笑んだ早瀬さんに、ぽかんとしてしまった。あは……あはは。そんな話まで聞かれてたのか。
バカか。バカか、あたし。
覚悟を決めて、早瀬さんにぱっと頭を下げた。長々とは話せない。むしろ、じゅうぶん話させてもらった。さっと顔を上げると、大好きな女の子にこう言った。
「これからも、どこ行っても、頑張ってくださいねっ」
泣かなかった。ちゃんと咲っていた。すごく、びっくりするぐらいの笑顔を、早瀬さんに渡せたと思う。
けれど、まだ二学期には教室で見かけるのに、「じゃあまた」とは言わなかった。軽く頭を下げて去っていった早瀬さんも、言わなかった。
伝えたいことは伝えた。返されることは返された。二学期の教室でも、何も変わらず縁はない。なのにくずおれなかったのは、心のままやりきって未練がなかったのではなく、単に、そのまま一生立ち上がれないのが怖かっただけ。
「──何かね」
やってきたアイスティーのストローからシロップの甘さを飲みこんで、つぶやいた。
「早瀬さんが行っちゃって、ハイテンションが完全に抜けた。きっと、それでも『やっぱり好き』だったら、片想いでもその恋は続くんだよね」
相変わらず、周りは夏休みが始まった学生で発狂したみたいなのに、このテーブルだけしんとしている。
「でも、あたしはダメだった。言われたのが体のいい言葉か、本音かも分からないけどさ。何か、やっと意識がはっきりした感じだった。振られたんだって。それが大きくて。失恋したんだ、って事実が、頭の中ですごくて」
泣きそうなのに、涙も出ない。ただ、表情が崩れ落ちそうで、ときどきぎゅっと目をつぶって引き締める。
「だからね、『好き』は忘れるよ。でも、いろいろあたしにあたしを教えてくれたことへの『ありがとう』は大切にするの。振られたけど──本人振った自覚もないけどね、早瀬さんを憎んだり怨んだりしたくない。バカなんだかお人よしなんだか分からなくても、あたしは、この恋が無駄だったと思いたくない」
三人とも、あたしを見つめていた。
絵鞠はあたしの肩にもたれて、「季羽、頑張ったね」と言った。あたしはうなずいた。
海はめずらしく優しく微笑し、「本気の恋ができて、よかったのよ」と言った。あたしはうなずいた。
未佑希は湿っぽい空気をため息で一掃し、「あんたなら応える相手いるよ」と言った。あたしはうなずいた。
うなずいた、のに。そのはずなのに。
【第十六章へ】