romancier obscur

Koromo Tsukinoha Novels

ゆらいでひらいて-3

 スクールバッグを手にして、「ばいばい」と声をかけてくれるクラスメイトに同じ言葉を返して、教室を横切って廊下に出た。咲って立ち話する生徒たちとすれちがいつつ、もうじき中間考査だなあと思う。
 何もなければ、もちろん緋咲に勉強を見てもらうけど、今回はどうしよう。いつもそうしてきたから、ひとりでの勉強は心許ない。かといって、鷺乃を呼べば中和されるというわけでもなく、むしろ刺激が強くなる。
 鷺乃はもともと、あんまりまじめに勉強しない。ほんとにあいつ高校中退するんじゃないの、とか思いながら靴を履き替えて、また暮れずに青い空を眺めやりながら、駅まで歩いた。
 地元に着くと、ファーストフードとカフェで迷って、行き慣れたファーストフードにした。オレンジジュースとフライドポテトのSを受け取ると、四人掛けの席を禁煙席を確保しておく。
 煙草の匂いは、同じ銘柄じゃなくても、鷺乃を思い出す。でも、緋咲の胸の中も、毎朝いい匂いがする。
 そこまで思って、何を考えているのかとひとりで恥ずかしくなり、ずずず、とジュースをすする。
 やがて、広海と彼氏さんがやってきた。ふたりはハンバーガーにポテトとナゲットをつけていて、がっつり食べるようだ。相変わらず仲がよさそうで、それを見ていると、心がなごむようなカップルになりつつあった。
「由麻、何かあったんだよね」
 広海に心配されて、「私もいっそ彼氏を作ればいいのかもしれない」とか言ってしまう。すると、「俺の友達なら紹介できますよ」と彼氏さんが言ってくれた。それには首を振って、「とりあえず片づけなきゃいけないのがいるので」と私は言う。
「男のことで悩んでるの?」
 広海が意外そうにきょとんとする。「そんなとこ」と私が酸っぱいオレンジジュースをストローから吸うと、「それは泣くだろうなあ」と広海はつぶやいた。
「え、誰が」
「由麻って幼なじみふたりいなかった?」
「………、いるけど」
「由麻はそういう感じで見てなかったみたいだけどさ、あのふたりは、どんな女子に告られても『好きな子がいるから』って断ってたらしいよ。それって、絶対由麻じゃない」
「え……そ、そうなの?」
「この子、ほんとに気づいてなかったよ」と広海は彼氏さんを向いて、「由麻さん、モテるんですねえ」なんて彼氏さんものんきなことを言う。
 これは、ちょっと、ほんとに切り出さなくてよかったかもしれない。今、まさに、その幼なじみふたりと微妙になっているなんて。私の鈍感もいいところだ。私はため息をついて、「広海たちはいいなあ」と頬杖をついてしまった。
 夕暮れが、しっとり駅前の景色を橙々色に染めていく。それを見て、私たちはファーストフードを出た。
 広海と彼氏さんは、商店街のアーケードをのんびり歩くのだそうだ。改札前でふたりを見送り、いいなあ、と私はその仲睦まじい背中を見ていた。
 そうしていると、不意に肩をたたかれてびくっと振り返る。
「あ……ごめん」
 そこで引いた手を宙に浮かせていたのは、鷺乃だった。何だ、とほっとして私は首を横に振り、めずらしく鷺乃が学ランを着ているのに目を止める。
「学校行ったの?」
「試験がどうとかで呼び出された」
「そっか、もうすぐ中間だもんね」
「学校だるい」
 私が少し笑うと、鷺乃は少しふてくされてから、私が投げかけていた商店街への道を見やった。
「さっきの、例の彼氏?」
「えっ」
「由麻、さっきカップルと一緒にいただろ」
「……見てたの?」
「階段のぼってきたとき見えた」
 私は、改札の先にあるホームにつながる階段を一瞥する。「まあ、うん」と曖昧にうなずいてから、商店街とは逆の住宅街方面に歩き出す。鷺乃は隣に並ぶ。
「やっぱり、あの彼氏が気になる?」
「どう、なのかな。……分かんない」
 分かんないも何も、意識する余裕さえなくなっている。けれど、それを言ったら、必然的に鷺乃と緋咲への意識を知られるから、答えがうやむやになる。
「あの女子は見たことある気がする。名前は知らないけど、中学のとき由麻と仲良かったよな」
「うん、まあ」
「大事な友達だろ」
「……うん」
「だったら、俺はやっぱり、やめといたほうがいいと思う」
 鷺乃の横顔を見上げた。白い肌に夕映えがなじんでいる。風はないけど、歩くリズムにさらさらの髪が揺れている。
 私はうつむき、「鷺乃は」とおそるおそる訊いてみる。
「緋咲に、やめといてほしかった?」
「………、」
「裏切られた、って思ってるの?」
 鷺乃は何も言わず、ただ歩く速度を速める。私はそれを追いかけ、「鷺乃」と呼んだ。すると、突然鷺乃は立ち止まり、息苦しいほどの瞳を向けてくる。
「勇気が出なかったのは俺だ」
「……でも、」
「緋咲は悪くない。俺と一緒にビビってる必要はなかった」
 住宅街への車道沿いの道で、人通りは少ないけど、そばを車が騒々しく行き交っている。空が緩やかに闇に堕ちていく。
 鷺乃は手を持ちあげ、優しく、私の頬に触れた。少し肩がこわばる。背の高い鷺乃は、やや窮屈そうに身をかがめて、私にそうっと口づけた。
「好きだよ、由麻」
「……何、で。何で、鷺乃も緋咲も──」
「ずっと、好きだったんだ」
 瞳が涙で震えてしまう。
 そんなの、言わないでよ。私がはっきりすればいいだけだけど、大事なふたりに優先順位をつけるなんて、とてもできない。
 やっぱり、適当に彼氏を作って、とりあえずふたりとも振ってしまうのがいいのかな。そうしたほうが、ふたりの傷も浅いかな。
 あるいは、ふたりともきっと私に本気だから、そんなごまかしはかえって傷つける? だとしたら、私は鷺乃と緋咲にどう応えたらいいのだろう。
 このままでいられないの? 鷺乃と緋咲の想いからすれば、私の言う「このまま」なんて、そもそもなかったのかもしれないけど。
 中間考査は、結局、緋咲とは勉強せずに迎えた。どのみち、もう高校が違うのだから、緋咲のレベルと私のレベルを同じにした勉強はできないのだ。
 鷺乃は出席だけはしているようでも、家の前の通りとかで会うと、かったるそうに煙草を吸っている。私の中間結果は、あれこれ悩んでいたわりにはマシなほうだった。そして緋咲は、学年トップだったらしい。
 それを聞いた一緒の帰り道、思わず「すごいねっ」と言ってしまうと、緋咲はにっこりして「ハグしていい?」と言った。緋咲の気持ちを知らなかったほうが、かえって「もちろん!」と即答していた気がする。私は躊躇って、断るのも感じが悪いし、ほかに渡せるお祝いもないし──こくんとすると、緋咲は私の家の前に着いてから、改まって抱きしめてきた。
 朝のラッシュで毎日そうされているのに、何だか、鼓動がより速くて頬が熱くなる。緋咲の胸の中はやっぱりいい匂いがする。制汗剤とかとは違う感じだから、香水かもしれない。
 その匂いに不思議と落ち着いていると、ふと緋咲が軆を離した。私は緋咲を見上げる。緋咲は、私の肩越しを見ている。振り返って確かめる前に、舌打ちが聞こえた。
 すぐかたわらを背の高い男の子──鷺乃がすりぬけていった。ふわりと煙草の匂いが名残る。緋咲は私の頭を撫でて、「俺と鷺乃の問題だから、由麻は悩まないで」と柔らかく言った。
「でも、私……が、答えないと」
「答えてくれるのか?」
「……すぐにはちょっと」
「だろ。それは俺も鷺乃も分かってる」
 緋咲はそう言って、私の髪に優しくキスをすると「じゃあ」と自分の家へと歩いていった。私は突っ立って、それを見届ける。緋咲が手を振って家に入ってしまってから、私は鷺乃の家の前に行って、いつも鷺乃が腰かけている段差に座った。
 あんまり遅かったら帰るけど、とスマホで十八時前の時刻を確認し、まだ明るさは残るもののブルーが濃くなってきた空を見上げていた。不意に「由麻」という声がしてそちらを見ると、コンビニのふくろを提げた鷺乃が、わりあいすぐ戻ってきた。
「……緋咲は?」
「帰ったよ」
「そうか」
「コンビニ?」
 鷺乃は答えずに私の前に来て、じっと見下ろしてきた。臆しながら見上げ返すと、鷺乃は息を吐いて泣きそうに咲った。
「俺なんか、ダメだよな」
「え……」
「何か、いろいろ。学校とかもちゃんとできてないし。由麻には幸せになってほしいのに、俺じゃきっとそうしてやれない」
「鷺乃……」
「でも、緋咲ならできる。それは俺が一番知ってる。だから、由麻には緋咲がいいんだよな」
「………」
「ごめん、俺まで……資格もないのに好きになって」
 鷺乃の弱々しい声に、私は何か言おうとした。でも、何を言えばいいのか分からない。
 言葉に迷っているうちに、鷺乃は私の頭に軽く手を置いてから横を通り過ぎて、自分の家に入っていってしまった。私はドアの閉まる音を振り返り、長年の幼なじみの勘だけは働くもので、鷺乃がひとりで泣くのが分かった。
 子供の頃、私たちはいつも三人一緒で、三人で何事も片づいた。たとえば、鷺乃が転ぶ。緋咲が助け起こす。私が傷を手当てする。絆創膏を貼ったら、三人ともまた咲っている。
 緋咲は、しっかりしている。正直、私が好きであっても、私がいなくて大丈夫だと思う。でも、鷺乃は私が応えなかったら……?
「それは、同情ではないのか?」
 鷺乃を選ぶべきなような気がして、でもそれに強い自信は持てないまま、私は緋咲にそのまま相談するみたいに打ち明けてみた。私の部屋でひと通り聞いた緋咲は、ベッドサイドで膝に頬杖をつき、椅子に座る私にそう言った。私はうつむいて、膝の上で握る手を見つめる。
 同情。そうなのかな。……そうかもしれない。ひとりにしたら危ういという理由は、「好きだからつきあう」とは違う。
 でも、「好きだから」なんて理由を追及したって、答えは出ない。鷺乃も緋咲も、私は大好きなのだ。何だろう。私はこのふたりに、どんな答えを出せばいいのだろう。
「由麻」
 悩んでうつむいていると、緋咲に名前を呼ばれて顔を上げた。緋咲はベッドサイドを立ち上がると、私の前に来て、包みこむように肩を抱いてきた。どきんと固まると、髪を撫でられて、首筋に唇が伝う。
「由麻は、好きになった人に、可哀想だからって理由で選ばれて嬉しい?」
「う……れしくない、よね」
「うん。だから、一緒にいたいと思うほうを選べばいいんだよ」
 緋咲の低い声がすぐそばで響いて、どきどきして、それでも私は何とか答える。
「選べない、よ。緋咲と鷺乃のどっちかなんて、」
「ふたりともとつきあいたい?」
「そういうわけじゃないよ。それは、最低でしょ」
「まあ、そうだな」
 緋咲は軽く失笑して身を起こし、私を間近から覗きこんでくる。いい匂いがふわりと香る。
「どっちを男として見れるかってことだ」
「男……の人」
「教えてあげようか?」
「え」
「男として意識するっていうのが、どういうことか」
 私がまばたきをすると、緋咲は外した眼鏡をつくえに置いて、私の顎を持ちあげて口づけてきた。え、と一気に頭に混乱が湧いて、ぽかんとした隙に舌が口の中に入ってくる。
 思わず硬直したけど、緋咲の舌はまろやかで、荒々しくかき混ぜることはしない。自然と私の舌もすくいとって愛撫して、そうしながら肩を抱いていた緋咲の手が胸に触れてきた。私はとっさに顔を離し、「ちょっと待って」と落ち着こうとする。
「あの、私、……え、と」
 緋咲は私の手を取って、椅子を立ち上がらせ、そのままベッドに引っ張ってシーツに押し倒した。「緋咲、」と言いかけても唇を塞がれて、その手は私の軆をたどる。
 押し退けたほうがいいのかな。でも、すごく嫌だとも感じない。私が嫌がれば、緋咲がやめるのは分かっている。なのに突き飛ばせない。緋咲の唇や舌は柔らかく、手つきも優しい。
 緋咲は私の上になってから、ゆっくり唇をちぎって軆に隙間を作った。
「由麻……」
 緋咲はため息をついて、私の瞳を見つめてから、髪をさすってくる。
「抵抗しろよ」
「……でも」
「ほんとに続けるぞ」
「嫌じゃない、し」
「………、」
「緋咲がしたいなら」
「由麻は?」
「え」
「由麻は俺でいいのか? 初めてじゃない?」
「初めて……だけど」
 緋咲はちょっと瞳をつらそうにして、私の耳元に口を埋める。

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