茜さす月-6

呪いのような夏【3】

 その人は私の隣に座り、「萌香ちゃんは有栖くんの面倒を見て、いい子だね」と頭を撫でてきた。私は黙って、アイスが溶けた名残を噛みしめた。その人の手は私の頭を撫で、肩に腕をまわして、耳たぶをくすぐり、顎から頬にかけてを覆った。
 やっぱり、手汗をかいている。
 指先が唇をたどって、その人は私の耳元に身をかがめてきた。
「チョコがついてる」
 指先が、私の唇についたアイスをすくう。そして、その指が口を開かせたので、私はとまどいながらも、その人の指を口に含んだ。
 チョコの甘味より、汗の塩味がした。
 指がゆっくり、私の口の中を探る。熱っぽい息遣いが耳元にかかる。私は視線をどこにやればいいのか分からず、フローリングの木目を見つめていた。
 手の中で、アイスが溶けていってしまう。
 その人が腕に力をこめて、私はもっと抱き寄せられた。大人の男の人の筋肉の感触に、肩がこわばる。
「大丈夫」
 その人の抑えた声が、吐息と鼓膜に流しこまれた。
「怖くないから」
 口の中から、指が引き抜かれた。ほっとしたすぐあとに、その人の手は、胸元から私の服の中に忍びこんできた。ふくらみかけた、まだ下着を着けるほどでもない乳房を手のひらでつかまれる。
 引き攣った軆をもう一方の腕が抱いて、その人は、私の手からアイスを奪って床に置いた。そして、つかんだ手をみずからの脚のあいだに導いた。ジーンズ越しに、妙に硬く腫れぼったいものがそこにあった。
「今のと、同じことしてくれる?」
 意味が分からなくて、私はその人を見た。いやに瞳がぎらぎらしているのに気づいた。
「今、口でしたこと」
 眉を寄せると、その人は私の指をつまんで、ジーンズのジッパーを下ろさせた。薄い下着越しに、硬いものが大きくふくらんでいる。
「触ってみて」
 やだ、と泣きそうなほど首を振りたかったけど、その人が手を放してくれなくて、下着から取り出された黒い毛から反り上がった赤黒いものをつかまされる。生温かくて、先端が濡れていて、表面の血管の脈が手のひらに伝わる。
 それを私の手にこすりつけて、その人は何とも言えない声と息が混ざった奇妙な喘ぎをもらした。私は肩に大きな麻酔を打たれたみたいに、そこから指先までが麻痺してしまって、自由に振りほどけず、その人にされるまま手を摩擦に使われた。
 怖くて、気持ち悪くて、動けずにいると、その人は不意に胸を揉んでいた手を服から引き抜いて、アイスのカップを手にした。チョコレート色は溶けてしまっていた。その人は、甘いだろうその液体を股間のそれに塗りつけた。少し笑って、私の耳元でまたささやく。
「こうしたら、おいしいからできるでしょ?」
 それでやっと、意味を解した。私は涙を滲ませて、かぶりを振ろうとした。でも、抵抗したら何をされるか怖い。有栖だって、そこにいる。私ならともかく、有栖をぶったりされたら──。
 恐る恐る身をかがめて、透明な雫を垂らす先端に唇を当てる。チョコレートの味がした。甘ったるい匂いもした。でも、アイスだったはずなのに、その口当たりは生温くて吐きそうだった。私の口の中に入り、それはさらに硬さと太さを増した。
「甘いところを舐めてごらん。それですごくいいから」
 咳きこみながら、私は言われた通りにチョコレートの味を探して舌に絡め取った。こんなにおいしくないチョコレートは初めてだった。表面に塗っただけのチョコレートは、すぐ私の喉の奥に流れこんでいった。
「涎をいっぱい出して、それでしゃぶって。歯は立てちゃダメだよ」
 私は目をつぶって、唾液を刺激してそれを口に含み、吸い取るように舌を動かした。早く終わってほしかった。終わりなんかあるのか分からなかったけれど。
 その人は、次第に腰を揺すりはじめた。喉を塞ぐようにぐっとつらぬかれて、息ができなくて、頭がさらに混乱する。何度もえずいているのに、その人は私の髪をつかんで、さらに頭蓋骨を揺さぶった。
 涙はとっくにあふれてきていた。私の喉の奥と、その人のそれの先端が、何度もぶつかる。そのたび、吐きそうな感覚がせりあげて咳きこんだ。
 苦しい。顎がはずれそうで痛い。臭い。毛が舌にざらざらする。こぼれてくる取り留めのない声が気持ち悪い。
 もうやめて。早く離して。嫌だ。助けて。お願い──
「……っあ、出る……っ」
 その人がつぶやいた瞬間、口の中にびちゃっと生臭い液体が大量に浴びせられた。途端、やっと手を離されて、私は床にそれを吐いた。口元から、白い液体がすうっとしたたった。牛乳の水たまりのようなそれに、私の涙がぱたぱたと降った。
 その人は、私と軆も離して、大きく息をついて壁にもたれかかる。私は口をぬぐって、涙もはらうと立ち上がった。
 いつのまにか、有栖はゲームの手を止めて、こちらを見つめていた。その目はまばたきもせず、すべてを撮影していたカメラのようだった。
 私はランドセルを取り、有栖に駆け寄った。有栖は私を見上げる。
「帰ろう、有栖」
 有栖は壁でだらしなく虚脱するその人を見てから、こくんとして立ち上がった。有栖がランドセルを背負っていると、背後からその人の声がかかってきた。
「また来るよね?」
 びくんと私はこわばった。何を言っているの。来ない。来るわけない。二度とこんな──
「有栖くん、おねえちゃんをまた連れてきてくれるでしょ?」
 有栖は、もう一度その人を見た。そして、とっさに信じたくなかったけど、「うん」と有栖はうなずいた。そして私を向いて、あのカメラのような目のまま微笑んだ。
「もっと、あのおねえちゃんを見たい」
 呼吸が浅くなったのを感じた。その人はさも楽しそうに大きな声で笑って、「やっぱり、男の子は話が分かるなあ」と言った。私はまだあの青臭い味がする唇を噛んで、有栖の手を乱暴に引っ張ってその部屋をあとにした。
「大丈夫だよ、おねえちゃん」
 外は相変わらず青い空と蝉の声で発狂しそうだった。喉がからからで、あの味が口の中にむせかえって、今すぐうがいをしたかった。熱気に汗がむしりとられていく。
 私が家までの道をつかつかと歩いていると、不意に有栖がそんなことを言った。私は立ち止まって有栖を見た。
「おねえちゃんには、僕がいるから」
「……私はっ、」
「僕が、何度も忘れさせてあげる」
「え……?」
「また僕におねえちゃんを見せて」
「………、」
「綺麗にしたいから、もっとあの人と汚いことをしてほしいの」
 私は有栖を見つめた。有栖は不意に無邪気に咲うと、私に抱きついてきた。そして、私の脚に股間をすりつけてくる。
「あれがむずむずする」
「……有栖、」
「おうちに帰ったら、僕にもやって」
 そう言って、私の胸に顔をうずめる有栖を、じっと見た。「おねえちゃん」と有栖は目を閉じて、浮かされたような声でつぶやいた。私は震えそうな息を吐いて、そっと、有栖の髪に触れた。その艶やかな感触に、自分の目が濡れるのを感じた。
 有栖。かわいい有栖。私の有栖。誰にも懐かない。私にしか懐かない。
 あの男には懐いたと見えたのもこの事態に持っていくためだった? 有栖なりに考えた、私に触れる方法。私だって有栖を誰にも渡したくない。でも弟だから触れられなかった。
 あの男に私が穢されれば、私たちは決壊できる。有栖はそれを望んでいる。
 私は? 私は、有栖のこと──……。
 ゆっくり、有栖の頭を撫でた。有栖がまた私を呼ぶ。私はこらえきれず、まだ細いその軆をきつく抱きしめた。
「……ほんとに、私を綺麗にしてくれるの?」
「おねえちゃんは僕が綺麗にしてあげたい」
「分かった。またあの部屋にも行く。あの人に汚してもらって、全部有栖と忘れる」
「約束だよ」
「有栖も約束して。私だけでいて」
「おねえちゃん以外の人なんていらない」
「私も、有栖がいれば──
 有栖がいれば、いい。有栖がいれば、それでよかったのに。いつのまにか、普通の姉弟みたいにかけはなれてしまった。
 分かっている。私が突き放したのが悪いのだ。でも、あのまま私は、有栖が中学生になっても、あるいは現在に至っても、関係していてよかった? 私はよかったけど、有栖はよかった? あのとき、私は穢されることはなくなっていた。それでも変わらず、有栖は私を抱いていてくれた?
 汚れた私を愛してくれた。じゃあ、汚れなくなった私は、果たして愛されたの? 有栖に突然、「やめよう」と言われるのが怖かった。だから私から言った。もうこんなことはしなくていい──本当は、有栖、あなたが欲しくて欲しくて気が狂いそうなのに。

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