結成のとき
「父親と仲を裂いたのには感謝してるとか、あんただってあたしといたくないでしょとか、だから断ってやったとか母親は言った。最後の別れ際、母親は俺といるのを突っぱねた理由を耳元で言ってきた。そばには、時間が来て呼びにきた施設の人がいたから。『あんたは何をするか分かんなくて気味が悪い』って」
母親から息子への言葉、だろうか。それで、紫苑さんはおかあさんとは最後になった。おとうさんやおにいさんと異なり、おかあさんは取り逃がした。“White Carnation”はそういうことなのか。
だが、生き別れになったのなら、何で曲を作ったとき、今生きていると断定できたのだろう。死んでいたら、あのタイトルはいきなり愛情になってしまう。
そのときに曲を作った──のではなさそうだ。作ったときはもう梨羽さんたちと出逢っていたようだし、そもそもそのときはギターを始めていなかったようでもある。
紫苑さんの話は終わらない。
「親戚に引き取られる日、俺はにいさんの部屋にあったギターを持ってた。これだけど」
紫苑さんは、横たわるギターに軽く触れる。そうなのか。よく見ると、ライヴのときなどに使っていたものより傷んでいるふうだ。
「施設の人は優しかった。でも自分たちは何にもできなくて、してほしいことはないかとか俺に訊きまくった。俺はあのギターが欲しいって言った。それでもらえた。何で欲しかったかは分からない。とにかく欲しかった。音楽を趣味にしたりする気はなかった。持ってるから弾いただけだった。作曲もしなかった。それでも俺は、ギターを弾いてると、家のことを思い出してた。今も思い出す。梨羽が神と歌うみたいに、俺は地獄でギターを弾いてる。俺の音はむちゃくちゃだって言う人がいるけど、それは俺の家への憎しみとか嫌悪感が反射されてるからだと思う。ゆがめばゆがむほど、俺は憎しみでいっぱいになって、頭の中では家族をぶん殴ってる」
紫苑さんのギター。確かにすごい。むちゃくちゃにゆがんでいる。
そういえば、聖樹さんも紫苑さんは憎しみでギターを弾くと言っていた。紫苑さんも、梨羽さんのように自虐的にみずからを掘り下げてギターを弾き、あのひずんだ音を生んでいるのだ。そしてそのひずみで、梨羽さんの内閉を守っている。
にしても、紫苑さんに“家がない”というのもようやくうなずけた。精神的に“ない”のかと思っていたが、本当にないのだ。みんな散り散りになっている。
とはいえ、受けた痛みは忘れられないのが、紫苑さんの爆音の要因なのだろう。
「ギターを離さない理由は、俺もよく分からない。ただ、このギターが手元にあるって保証されてないと俺はおかしくなる。親戚の家に行って、しばらくはそんなに一緒じゃなかった。そこの家の俺より年下の子供が、このギターを勝手に部屋に持っていった。そのとき俺は、狂ったみたいにギターを探した。死ぬ前に、にいさんを道連れにしてやるって決めたときみたいに。取り返したギターにすごい憎しみが湧いた。また逃げやがってって。何でそう思うのか分からない。けど、そうなるから俺はギターを離せない」
僕は膝を抱え直す。陽射しに肩が暖まり、室温に頭がぼうっとしかけている。
ギターがひとりで逃げるはずもない。さっき、そう思った。紫苑さんにはそうではないのだ。それはおにいさんのギターだ。自分を地獄に置き去りにして逃げた、おにいさんのギターだ。
紫苑さんがギターを離そうとしないのは、もう二度と自分を置いて逃げないように──そう狂信する、紫苑さんの幼く切断された部分の象徴なのかもしれない。
「親戚の家は、優しくても他人行儀だった」
紫苑さんは、床に虚ろでさえないつかめない視線を停滞させている。
「ギターを離さない俺にもとまどってた。中学生になった。教室にギターを持っていくことから否定された。授業中にも離さないのを毎日説教された。それでも俺は譲らなかった。ギターを離すのが怖かった。だいたいずっと学校なんて行ってなくて、小学校の六年間の勉強をこっちに来た一年半で押しこまれて、それで普通の中学に送りこまれた。父親のことは新聞に載ったりもしたし、俺がどういう環境にいたのかはみんな知ってて、笑ったり無神経に詳しく知ろうとする奴もいた。勉強も集団行動もわけが分からなくて、ますますギターに固執した。それで普通の教室に置いてても和を乱すって、奥の教室に連れていかれた。そこで要と葉月に逢った」
僕は紫苑さんを盗み見る。XENONの話もしてくれるのか。
もちろん、紫苑さんが話してくれるのなら聞いてみたい。紫苑さんが、ほかの三人をどう思ってるのか興味もあった。
「最初は、クラスメイトとかと同じ印象しかなかった。ギターのこと訊いてきたり、『暗い』って言ってきたりして。学年が違ったんで、俺の家族のことはふたりは知らなかった。俺は無視してた。そしたら、ひとつ同級生と違うことで、ふたりは三日もせずに構ってこなくなった。突っつくのに飽きたって感じだったけど。あのふたりはその頃から仲がよくて、煙草吸ったり、ポルノ雑誌を読んだりしてた。俺は隅にあった椅子に座って、勉強もせずにずっとギターを抱えてた。あのふたりが何で教室を外されたのか、そのときは知らなくて、しっかり教室でやっていけるんじゃないかとも思ってた。俺が来てひと月くらいして、梨羽が来た。要と葉月は俺のときと一緒で、音楽聴いてる理由を訊いたり、童顔だとか揶揄ったりして、梨羽が黙ってたら飽きて、ふざけるのに戻った。梨羽はいつも無表情に音楽を聴いてて、でもたまに震え出したり、どこかに行って目を真っ赤にして帰ってきたりしてた。梨羽は要と葉月は無視しても、俺のほうはときどき見てきた。けど、何も言わなかった。ずっと、一日じゅうその物置みたいな部屋に四人でいた。教師もほとんど来なかった。俺たちは被害者じゃなくて教室の荷物だったし、鬱陶しがられてたんだ。夏休みが明けて一ヶ月くらいして、要が『ギター弾けるのか』って訊いてきた。最初のときの軽い感じじゃなくて、口はきかなくても半年話を聞いててわりと筋は通ってるって分かってきてて、少しうなずけた。その日は、『ふうん』で終わったけど、次の日にはバンドやろうってことになってた。初めは自分も入ってるとは思わなかった。梨羽もそうだと思う。でも、いつのまにかギタリストってことになってた」
そっか、と心でうなずく。要さんと葉月さんが紫苑さんを引きずりこんだ、というのは聞いていても、バンド結成の詳しいいきさつは今知った。四人がどういった感じで出逢ったかも、考えれば知らなかった。
「聖樹に逢ったのは、二年のなかばだった」
聖樹さん。紫苑さんのほうに顔をあげる。
何となく、家庭のことを話していたときより無表情が冷えこんでいない。錯覚だろうか。
「梨羽が、たぶん何かされたあとでどこかにいた聖樹を引っ張ってきたんだ。卒業はしてても要はよくその教室に来てて、みんないた。要と葉月はおもしろそうにした。俺は誰だとしか思わなかった。聖樹はあの教室がどういう教室か知ってて怯えてた。要と葉月は俺と梨羽にしたみたいに聖樹をつついて、でも聖樹は無視したりできなくて、はっきり沈んだ。そしたら梨羽が怒ってふたりを睨んで、聖樹を椅子に座らせた。あとは構ったりしなくて、聖樹も何か困ってた。睨まれたふたりは面食らってて、一応聖樹に謝ってた。そのあと梨羽は、聖樹を見つけるたびに教室に連れてきて、少しずつ聖樹が休み時間とかに逃げてくるのも増えてきて、たまに授業もサボって遊びにくるようにもなった。俺はずっと四人でいると思ってて、それに慣れてきたところで、正直聖樹にどう接したらいいのか分からなかった。結局、要と葉月と話したりして気持ちが楽になった聖樹が俺に気を遣ってきて、それで俺も聖樹を受け入れられた」
なるほど、と僕も納得する。いつだったか、聖樹さんも紫苑さんが分からなかったと語っていた。
四人が五人になる際、すんなりいかなかったのは実は聖樹さんと紫苑さんだったのか。
「葉月と聖樹が卒業していって、教室には俺と梨羽だけになった。その頃には俺も梨羽も学校に行かずに、スタジオにいたり俺か梨羽の家で楽器いじったりしてた。放課後とか休日には聖樹も混じって、中学を卒業しても五人でいた。オリジナル始めて、ライヴハウスに出演するようにもなって、俺と梨羽には引き抜きの話も来たりした。俺も梨羽もその場で断る。俺は同じステージにあの三人がいないと、憎むのに流されて、ギターを弾くのが止められなくなって頭がおかしくなりそうなんだ。後ろに要のベースと葉月のドラムの冷めた音があって、前には梨羽の強烈な歌があって、俺はそのあいだに収まってて人前でもギターが弾ける。ほんとは、誰かがいるところでギターを弾くのは、恥ずかしくて嫌だ。梨羽の歌はともかく、要と葉月の音がすごくて、俺にとってどんなに重要かは俺じゃないと分からないと思う。それで、聖樹にだったら代わりにギターを預かってもらってても疑わなくてよかった。要と葉月の稼ぎでそうやってて、だんだん楽器だけ持った住所不定になって、その頃に要が運転免許取ってあの中古車が俺たちの部屋になった。軽く遠出するようになって、すぐ全国を出歩くようにもなって、要が俺のために鍵つきのギターケースを発注で買った。ここじゃないときの聖樹の代わりだって」
“EPILEPSY”のとき、紫苑さんは僕にギターを預けた。聖樹さんに言われたときは曖昧にしか信じられなかったけど、ようやくあれが、紫苑さんがそうとう僕に気を許してくれていた証拠だったと窺える。
「要と葉月がバンドを広めようとしないのは、自分たちが面倒なのも、梨羽がそんなのについていけないのも、俺の過去もあると思う。全国をうろつくようになって、俺の父親が刑務所にいるっていうのがその筋では流れた。だからバンドの活動が利益になるほど有名になるのは逃げて、そのおかげで激しくならないうちにうわさ程度ですんだ。要がわざと隔離教室にされてたのを明かして、イジメで自殺させた人がいるって自分のほうになびかせて俺から目をそらさせたのもある。葉月が学級崩壊させたのもばれたし、そんな背景で俺たちは社会から抹殺される感じになって、どっちにしろ大衆のバンドになるのはむずかしくなった。もともとなる気もなかったんで、そのままこんなのに落ち着いた。ただ、そういうのが水面下で騒がしかったとき、あのバンドのギタリストが俺だってことが母親に知られた」
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