仲間として
日が落ちると明かりをつけて、カーテンを閉める。日が短くなるごとに、ここにやってきて時日を重ねた実感をする。そして、聖樹さんの帰りが遅くなっていると錯覚しそうになる。
今日も聖樹さんは、十九時前に買い物ぶくろと帰ってきた。眼鏡を外して着替えて、僕も手伝って夕食の支度が始まる。魚の煮つけや煮物といった、和風の献立だった。
洗濯物でしまうのが分からなかったもののことを伝えると、「してくれたんだ」と聖樹さんは申し訳なさそうにする。「好きでしたんです」と僕が言うと、微笑んでうなずいてくれた。
夕食後に聖樹さんは洗濯物を片づけ、悠紗を風呂にも入れる。僕は食器を洗い、あまった時間は雑誌を読んで過ごした。
そうしていると、ふたりは帰ってきて、僕は入れ違いに風呂をもらう。帰ると、髪を乾かされた悠紗はゲームを、聖樹さんは仕事をしていた。髪を乾かすと、僕は悠紗のゲームを眺める。
二十一時過ぎに悠紗は寝室に収まって、戻ってきた聖樹さんも仕事にキリをつける。
僕に紅茶を作ってくれた聖樹さんは、ゲームに散らかるテレビを見やって苦笑した。「何ですか」と訊いてみると、聖樹さんはコントローラーを片づけに行って咲う。
「あの子、ずっとゲームしっぱなしなのかな」
「え。ああ、まあ。勉強もしてますよ」
「そう。いいのかな。視力に悪そう」
ちょっと僕も咲う。親だなあと思った。
「萌梨くんはしないんだね」
「僕は観てるのでいいですし」
「はは。僕と一緒だね」
「一緒」
「僕も昔、沙霧がやってるゲームを観てるだけっていうのよくしてたんだ。『つまんない?』とか訊かれるんだけど」
「おもしろいですよね」
「自分ではどうせやれないしね」
うなずき、紅茶を飲んだ。暖かいものを飲んで、軆がほてるのがこころよくなった。
ゲームを片づけた聖樹さんも、座卓のかたわらに座ってカップを取った。
「あの子、毎日ゲームとか勉強ばっかりなの」
「四人のとこにも行きますよ。あ、けど、そこでもゲームかギターですね」
聖樹さんは息をつき、かごに盛られたお菓子の包みを開ける。
屋上にも行くのを思い出しても、話していいのか決めかねた。あそこでは、悠紗は聖樹さんへの不安をよく語ってくれる。悠紗が実はすごく考えているのを、聖樹さんに明かすのは気が引けた。空を見ているだけ、というのも怪しい。下手な漏洩でふたりをぎくしゃくさせたくなくて、伏せておくことにした。
「悠紗がそういうの、気になりますか」
「いや、悠がしたいことならそれでよくてもね。萌梨くん、ヒマじゃない?」
「僕」
「上に行ったら要たちが構ってくれるか。ここだったら、もう、隣で観てるだけ?」
「まあ。悠紗、しながらでも話してくれますし。あと、よく分からなくても雑誌読んだり。何でですか」
「いや、洗濯してくれたり。そうしたほうがいいほど、ヒマなのかと」
「あ、いえ。そういうことじゃないですよ。僕、それぐらいしかお返しできないんで」
聖樹さんは咲い、「僕にしたら、してもらってるんだけどね」と割ったバタークッキーを口に放る。僕もホワイトチョコレートがかかったスティックをかじる。
「音楽聴いたりもしますよ」
「音楽。あ、梨羽たちの」
「はい」
「そっか。あれ、奥のほかのも聴いていいよ。梨羽がくれたんだ。ほとんど洋楽でも、何枚か邦楽もある」
「梨羽さん、聴くんですか」
「いや、聴かないからくれたんだよね」
「そ、ですか」
「ライヴハウスうろうろしてて、ただでくれたりするアーティストもいるんだって。そういうの。洋楽は買って聴いて、気に入らなかったのとか。勝手にそこに押しこんでいくんだ。聴きたくなっても手元になくて、買って二枚になったのとかもあるよ」
「はあ」
「まあ、萌梨くんは梨羽たちのがいいか」
こくんとして、紅茶を口の中に流しこむ。
XENONの音楽、といえば、さしあたりの僕には“DAYFLY”が連想される。思い出してしまうと気になってくる。ぐるぐるしていた疑問が堰を切る。
盗み見た聖樹さんは、空になった包装紙を座卓に置いていた。僕の視線に気づくと、「何?」と咲う。
「あ、あの」
「うん」
「訊いても、いいですか」
「どうぞ」
「聖樹さんは、その、梨羽さんたちの曲、聴きますよね」
「え、それはまあ」
「アルバムも聴きます?」
「くれたらね。どうして」
僕は何秒か躊躇い、ここまで来たならと遅疑を捨てた。
「僕、今日も音楽聴いてたんです」
「あ、そうなんだ。うん」
「一枚めの『EIRONEIA』に、“DAYFLY”って曲ありますよね」
聖樹さんは僕を見て、思いのほかちょっと咲った。「引っかかるの?」と問われて、僕はぎこちなくうなずく。「そっか」と聖樹さんはひと口紅茶を飲んだ。
「分かる人には分かっちゃうんだね。あれは、梨羽が僕にあてて書いた曲なんだ」
「それ、は、悠紗も言ってました。意味は分からないとも」
「あ、そうなんだ。ふふ、梨羽の経験とかではないよ」
懐疑を言い当てられた僕は、つい愧赧する。
「今は信じられなくても、昔は梨羽は自分以外のことも題材にしてたんだよね。詩の書き方とか、自分の気持ちのまとめ方が分からなかったせいだと思う」
「はあ。聖樹さんはよかったんですか。詩にされたりして」
聖樹さんは即答せずに考え、「複雑だったかな」と言った。
複雑。やはり、さらりとは受け流せなかったのか。
「詩は梨羽が先に書いたんだよ。できあがって、紙に書かれたものを僕は渡された。曲に乗せる前であったんだよね」
「そう、なんですか」
「うん。紫苑に曲もらって、どうしてもイメージが僕にしかつながらなかったらしくて。アルバム製作に取りかかる直前で、梨羽たちはここにいた。僕は二十歳であの彼女とひどい状態になってた。そのときのタイトルは“BOY”って言った」
「ボーイ」
「男の子、だね。そのときの詩はあれより僕の内面に触れてたよ。読んでるだけで暗い気分になってきた。梨羽って言葉の拾い方がストレートなんで、特にね。梨羽もそのへんは自覚してて、僕が嫌だったらこの詩はなかったことにしてもいいって言った」
僕はスティックを包んでいた包装紙をいじり、「しなかったんですね」と確認する。
「うん。というか、僕がつらいものは削っていったんだ。いつもの梨羽は、詩にそんなことされたら怒るけど、この場合はそうしてって梨羽自身が頼んできた。そうやって穴だらけになった詩を、今度は梨羽と曲に合うようにしていった。紫苑も手伝って曲いじってくれたか。それであんな、はたで見たら妙に抽象的なのに落ち着いた。曲になったものも、デモテープで一番に聴かせてもらったよ。梨羽っていうひと弾みがあって、悪い気分にはならなくても、まだ削っておけばよかったかなあって思ったところもある」
僕にも突き刺さってきた箇所だろうか。全体が突き刺さってきたけれど、とりわけずしっと来たところもある。
最後のはよかったのかを訊くと、聖樹さんは不明瞭に微笑んだ。
「よくはないかな。残したのは僕でも、ほんとは全部つらかった。怖いよ。あの曲を聴くのは苦しい。で、曲ができあがっても、発表はまた別の問題で、アルバムに入れるかどうかは考えた。あの四人は、ライヴでは発表しててもアルバムには入れてない曲とか、本当に危なすぎたり、梨羽が歌いきれなかったり、発表してない曲も持ってるんだよね。で、あの曲をアウトテイクにするか、発表するかって話にはなって」
「した、んですね」
「うん。僕も精神面では仲間ってことを残しておこうって。アルバムって、あの四人にはほんとに残しておくアルバムだから。売り物にはしないって約束で、ライヴには絶対あの曲は出てこない。梨羽も歌入れしたきり歌ってないらしいよ。梨羽には、僕が苦しいのは他人事でもないしね。まあ、そういう、梨羽たちの仲間っていう証明としては嬉しいかな」
「そう、ですか」
僕はサンドクッキーの個装紙をひらき、聖樹さんとあの四人と深さを改めて実感する。
あの四人は、外部の人間を自分たちのアルバムに並べるなんて、好んでやりそうにない。聖樹さんはそれをさせる。やっぱりすごい。梨羽さんがあの詩を綴ったのは、何よりもの聖樹さんへの許容でもある。
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