中2ヒーロー-2

どんなに悔しくても

 風呂を上がると、部屋にこもってノートPCと向かい合った。
 高三になって、考えることが多くて、あんまり小説は進んでいない。ストーリーはノートにまとめて決まっていて、その通り書けばいいのに、書けないときはどうも書けない。場面が鮮明に浮かばず、言葉にならない。苦し紛れに何行か書くと、PCの電源を落としてベッドに転がった。
 神凪はスランプとかなさそうだなあ、と思い、舌打ちするとまくらに顔を伏せた。
 翌朝もよく晴れていて、雲ひとつ見当たらず、初夏の陽射しが強かった。駅に向かう前にそよ乃の家に寄って、夜更かしばかりで朝が弱い彼女を回収する。
「おはよお……」と目をこすりながら現れたそよ乃は、案の定、昨日買った本をすべて昨夜のうちに読んだらしかった。「宿題やったのかよ」と訊くと、「友達の写すー」となまけたことを言う。
 俺は肩をすくめると、「遅刻しますよ」とそよ乃の腕を引っ張り、「太陽があああ」とか言いながら、そよ乃は俺の肩に顔を伏せた。
 押しあう満員電車では、そよ乃を腕の中に収めて守る。そのあいだにそよ乃も目を覚ましてきても、俺の胸に顔を埋めて甘える。体温が同化していって、ちょっとのぼせる。
 一度乗り換えをして、高校の最寄り駅で降りると、同じ制服の群れがきらきらと挨拶や笑顔を交わしている。学校までの桜並木の道は、すっかり緑が鮮やかな葉桜になった。
 校門をくぐって靴を履き替えると、俺とそよ乃はクラスは違うので廊下で別れる。「またあとでね」と教室に入っていくそよ乃を見届け、俺はその奥の自分の教室に踏みこむ。
「おはよ、森羽」
 つくえにリュックをおろすと、そんな声がかかって顔を上げる。高二から引き続き同じクラスで、仲のいい由哉よしやだった。茶髪のくせ毛をヘアピンで留め、丸っこい瞳のせいか童顔だ。「はよ」と答えた俺は、リュックを脇のフックにかける。
「昨日テレビ観た?」
「一瞬観た」
「神凪が新曲歌ってたよ」
「それは観てない」
「今回もかっこよかったなー。あの時間帯にあの歌詞」
「………、何か、本出してるのは見た」
「あ、小説出してた気がする。小説は読めないから分からん」
「読めない」
「本は漫画じゃないと無理」
「……っそ」
「神凪って漫画もいけそうじゃね? 絵もうまいじゃん」
「そうですねー」
 無気力に頬杖をつく俺に、「お前さあ」と由哉は俺の頭をわしゃわしゃかきまわす。
「ほんと、神凪に無関心だよな」
 ほんとはめちゃくちゃ意識してるけどな、と内心つぶやきつつ、「どうでもいいし」とか言う。
「俺は神凪がクラスメイトとかテンション上がるけどなー」
「お前ミーハーだもん」
「るさいな。これが一般的な反応だ」
「お前、神凪と話したりするわけじゃないだろ。そういうのって、クラスメイトだけど他人じゃん」
「他人だけどさー、すげえなって奴が同じ教室にいるのは尊い」
「尊い……」
 分からん、と頬をふくらませていると、「瑠斗くーん!」「おはよーっ」という女子の甲高い声が耳を突き抜けた。
 由哉と共にそちらに目を向けると、神凪が女子共を軽く受け流しながら教室に入ってきていた。艶やかな黒髪をなびかせ、みんなと同じ制服すがたなのに凛としている。
「昨日テレビで新曲聴いたよー」とかいう声に、「ありがと」とわりと軽やかに笑顔も見せる。「さわやかだわー」と由哉がつぶやき、俺はふんとそっぽを向く。
 予鈴が鳴って生徒は自分の席に戻りはじめ、チャイムと共に担任が教室に入ってくる。出欠を取ってホームルームが始まり、俺はぼんやり担任の話を聞きつつ、窓の向こうを見ていた。
 神凪の笑顔を思い、俺にはあんな愛想もないなあと思う。にこにこしているから、周りも期待して、あれもこれもさせてくれるのだろうか。いや、神凪だって今の地位に立つまでに、努力をしただろうことは分かっている。
 でも、それが報われない奴が多くいる中で、なぜ神凪は実ったのか。やらせたら何でもかんでもやってみせたからなのかなあ、とため息をついていると、ホームルームは終わって、すぐに一時間目の授業が始まった。
 神凪は仕事での遅刻早退欠席はあんまりなくて、毎日きちんと放課後までいることが多い。なので成績もよく、教師にも気に入られている。何か欠点はないのか、と小さく歯軋りしていると、今日も神凪は颯爽と終業と共に帰宅していった。
 また嫉妬しすぎて疲れた、とつくえに伏せると、「何でそんなに疲れてんの」と由哉が声をかけてくる。俺はのろのろと顔を上げ、「いろいろあるだろ」と答える。「進路?」と首をかしげた由哉に、俺は息を吐いて席を立った。
 由哉は俺のリュックをフックから取り上げて渡してくれる。俺はそれを受け取り、椅子をつくえにしまってリュックを背負った。
「今日もそよ乃ちゃん?」
「だなー」
「仲がよろしいことで。中学からだろ」
「あいつといると楽だからな」
 そんなことを話しつつ由哉と教室を出て、一階に降りた。下校する生徒の混雑の中、そよ乃は靴箱に貼られたポスターの上に寄りかかって、スマホを見ていた。
「そよ乃」と声をかけると、彼女は顔を上げ、「遅ーい」とスマホをかばんにしまう。「はいはい」と俺はそよ乃の頭をぽんとして、自分の靴箱の前に向かった。
 上履きを靴箱に押しこんで、スニーカーを履いて、そよ乃もローファーに履き替えると俺の手を引っ張る。
 俺はその手を握り、「じゃあな」とかえりみて由哉に空いている手を振った。「明日なー」と由哉は俺に手を振り返し、俺はそよ乃と一緒に下校の波に飲まれて学校をあとにする。
「けっこう長いんだよなあ」
「ん? 何が?」
「そよ乃とつきあって」
「あー、中三の春からだね」
「三年か」
「早いね」
「そよ乃には隠すことがないからなー」
「今でも?」
「俺のこと、一番知ってるのはそよ乃だよ」
「もともとは一読者だったのにね」
「そうだな」と俺は笑ってしまう。
 風が流れて、桜並木の木漏れ日がざわめく。
 そよ乃とは中学も同じだった。でも、一度もクラスが同じになったことはない。なのに知り合って、こうしてつきあうようになったのは、そもそもの出逢いがリアルでなくネットだったからだ。
 そよ乃は、例の中二病サイトに公開していた俺の小説を読んでいた。感想のメールをもらって、やりとりしているうちに年賀状を交換することになり、住所を教えあった。
 そしてお互い驚いたのが、かなり近所に住んでいることだった。何となく会ってみようかという話になって、同じ最寄り駅の改札で落ち合うことになった。このとき、まだ年齢は知らなかったから、実際対面して同世代であることにまた驚き、通っている中学校まで同じだと分かると笑ってしまった。
 いきなりつきあうことはなかったけど、よく会って行動を共にしていたので、自然とそういうことになった。たまにキスとかしないこともないけど、友達のようなノリでじゃれているほうが多い。
 そよ乃とつきあうようになり、運営がおろそかになっていったのもサイト閉鎖の理由のひとつだ。「まだ森羽の小説読みたかったのに」とそよ乃が言ったので、彼女のPCにだけ今でもPDFを送信して、読んでもらっているわけだ。
 そよ乃は俺の小説が好きだと言ってくれる。あの神凪の小説よりも。だから、俺もそよ乃にだけは正直な文章をさらせる。
 高校生になって、バンド活動している同級生がいるのは聞いていた。そして、そのバンドから引き抜かれて、高一の夏にひとりでデビューしたのが神凪だった。
 神凪はCDのジャケットのイラストを手掛けたり、楽曲にまつわる短編小説を文芸誌に寄稿したりして、その多才ぶりを一気に世に知らしめていった。美しい容姿にいつもまとっているゴシックファッションも話題になったし、熱狂的なファンから追われる様子はまさにアイドルだった。そうこうしているうちに、不況の出版業界を切り開くようにベストセラーになる長編小説を発表して、奴は一気に俺の反感を買った。
 あいつがやりたいことは、いったい何なのだろう。音楽なのか。文学なのか。絵なのか。ファッションなのか。何でひとつではないのだろう。何でいろいろできるのだろう。
 俺なんか、小説をやっと書けるくらいで、それも認められているわけではなくて。こんな無能な人間もいるのに、あいつばっかり、ずるいではないか。
 いろいろできるけど、実際、本当にやりたいことなんてないのではないか。だから、ひとつを極めるということができないのではないか。
 あるいは、自分は手を出したものすべてを極められると思っているのか。だとしたら、何でそんなに欲深く思い上がれるのか分からない。
 俺にも何かひとつ才能があればよかったのに。何で俺はこんなに普通なのだろう。たったひとつでも、自慢できる何かがあれば、あわよくばそれが小説だったら、こんなに醜く神凪を妬むこともなかった。
 しょせん俺は誰の目も引けない素通りされる凡人で、神凪とは程遠く、魅力のかけらもないのだ。

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