まさかのライバル
『今日、一緒にお弁当食べていい?
友達が休みだよー。』
一時間目が終わって、スマホを見るとメッセの着信があり、確認するとそよ乃だった。
開いてみるとそんな内容で、俺は『由哉が寄ってきてもいいなら構わねーぞ。』と返した。休み時間のせいかすぐ既読がつき、『じゃあ、お昼そっちの教室行くね。』とぽんとメッセージが表示される。俺は『了解』と短く打って送信し、スマホをリュックのポケットにしまった。
由哉なら何だかんだで文句は言わねえだろ、と次の時間の教科書をリュックから取り出し、相変わらずにぎやかに囲まれてにこにこしている神凪を一瞥して、いらっとしながら黒板を見つめた。
四時間目が体育だったから、更衣室で着替えて教室に戻ると、そよ乃が勝手に俺の席に座って、スマホをやっていた。そよ乃がスマホをいじっているとき、八割くらいは電子書籍を読んでいる。
基本、電子書籍で読むのはさくっと読むものだけらしいが、実際読んでみて気に入ったら紙書籍まで買ったりしている。ほんと好きだよなあ、と思いながら「そよ乃」と声をかけると、そよ乃は顔を上げて「お腹空いた」と言った。
「はいはい」と俺は前の席の椅子に勝手に座り、リュックから弁当の包みを引っ張り出す。
「由哉くんは?」
「そのうち帰ってくるだろ」
「一緒に帰ってこなかったの?」
「そんなべったりじゃねえし」
「べったりかと思ってた」
「男は友達とべたべたしないの」
「べたべたしたら腐女子が騒ぐもんね」
「それもある」
弁当の包みをほどき、二段になっている弁当箱の二段目をはずす。そよ乃もふくろから弁当箱を取り出し、ふたを開けて「わあ、今日も素敵な昨日の残り」と言った。
俺はちょっと笑って、「おかず、やらないけど交換ならいいぞ」と言った。するとそよ乃は俺の弁当箱を覗き、あれこれ交換を始めた。そうしていると、「あれ、そよ乃ちゃんだ」と案の定弁当を提げて由哉がやってくる。
「友達が休みだと。一緒にいいだろ」
「俺は構わないけど君らがいいのか」
「由哉が気にしないなら」
「っそ。じゃあお邪魔します、っと」
隣の席のつくえとつくえをくっつけて、椅子を拝借し、由哉も弁当箱を開く。弁当の中身の変更に納得がいったそよ乃は、もぐもぐとたまご焼きやらミートボールを食べる。
「あのさー」
楽しくしゃべりながら食うでなく、黙々と食事する俺とそよ乃に、ふと由哉がそんな声をはさんでくる。
「ん?」
「俺たち、異様ではないよな」
「は?」
「視線を感じるんだけど」
「視線……?」
「見たい奴は見てればいいよ。ししゃものフライおいしい」
そう言ってそよ乃は気にせず食べているが、「俺が緊張するわ」と由哉が視線の主をしめしたので俺はそちらを見た。
思わずどきっと肩をこわばらせた。教室に入ってきたところで、こちらを見ていたのが神凪だったからだ。
一瞬、きっかり目が合ってしまった。俺はぱっと視線をそらし、「あいつ、何の用だよ」と由哉に訊く。
「知らねえよ。たぶんそよ乃ちゃんじゃね」
「そよ乃? がつがつ食ってるから?」
「……お前は幸せだな」
「何だよ」
「そよ乃ちゃんって、神凪に興味ないの?」
そよ乃は由哉に顔を上げ、ごくんと咀嚼したものを飲みこむと、「私が興味あるのは森羽だから」と言った。由哉は変な顔をしたあと、「お前は幸せだなっ」とさっきとは違う力んだ口調で俺の肩をたたいた。
俺は眉を寄せて肉じゃがを口に入れ、染みこんだ味を噛み砕きながらもう一度神凪をちらりとする。神凪は自分の席に向かって、もうこちらを見ていなかったけど──
「今日の昼休み、神凪がそよ乃のこと見てたよ」
放課後は、例によって靴箱でそよ乃と落ち合う。靴を履き替えて昇降口を降りると、手をつないだそよ乃の手を握り返し、俺はそう言った。
そよ乃は俺を見上げると、「はあ」と気の抜けた声で言った。
「『はあ』って」
俺こそ「はあ」と言いたくなりながら言うと、「それしかないし」とそよ乃は首をかたむける。
「神凪だぞ」
「そうなんだ」
「みんな大好き瑠斗くんだぞ」
「私は森羽しか興味ないって言ったでしょ」
そよ乃を見つめる。そよ乃は屈託なく見つめ返してくる。俺はため息をついた。
「お前、変わってんな」
「みんなのアイドルより自分の彼氏ー」
そう言ったそよ乃は、俺の手を引いて歩き出し、俺はその右側に並ぶ。こいつって昔から良くも悪くも俺しか見てないよなあ、と思う。彼氏としては安心でありがたいけれど。
「森羽のほうがいいよ」
下校する制服の流れの中で、校門を抜けながらそよ乃は俺にくっつく。
「ん?」
「森羽のほうがかっこいい」
「……それは、」
「小説だって、森羽のほうがおもしろいもん」
「………、」
「確かに大衆受けはしないかもだけど。読者を意識してない暴力的な文章がいい」
「あんま褒めてない」
「読んでもらえるように媚びた文章は嫌い」
「読んでほしいとは俺も思ってるけどなあ」
「だからって書きたいことがふらふら揺らぐことはないでしょ」
「書きたいこと揺らいでたら書けないだろ」
「そういうとこが、すごいと私は思うの」
「そうなのかな」
「みんなもっと、書きながらふらふら考えちゃうと思うよ」
「俺は何も考えてないのか」
「考えてないでしょ」
「……まあな」
「それでも作品を仕上げられる森羽が私は好きだよ」
俺はアスファルトを踏むスニーカーを見てから、「サンキュ」と小さく言った。
そこまで分かってくれるそよ乃が俺も好きだよ、と思ったけど口にするのが恥ずかしい。けれど、言わなくてもそよ乃はその台詞を察しているようで、にこっと微笑んでくる。くそかわいいな、と俺は色ボケたことを思って、すっかり神凪の視線のことなんか忘れてしまった。
だから、翌朝、教室であくびを噛みながらスマホをしていて、突然「訊きたいことがあるんだけど」となめらかな声に話しかけられたときには、怪訝な面持ちを上げてしまった。
一瞬ビビる。同じクラスになっても、話しかけることも話しかけられることもなかった、でも勝手に意識しまくってきた、神凪瑠斗が涼しげな眼を眇めて俺を見下ろしてきていたのだ。
「何ー?」と取り巻きまで俺を覗きこんでくる。俺は無意識にスマホの画面を落とし、「何だよ」と問い返した。
「昨日、一緒にお昼食べてた女の子」
あ──……
少しめまいがしたものの、「はい」と俺は平静を繕って答える。
「かわいかったね」
「そうですね」
「妹?」
「違う」
「だよね。似てないし」
こいつ何か言いたい──いや、何かも何も言いたいことは予測がついている。だから言ってほしくない。
「彼女、名前は何ていうの?」
「城峰そよ乃」
「城峰さんかー」
舌に転がすようにそう言ったあと、神凪は俺ににっこりとした。アイドル様の笑顔はまぶしい。
「彼女じゃないよね?」
「彼女ですね」
「似合ってないから別れなよ」
何こいつ、わけ分からん。こいつがどういう奴かなんて知らず、一方的に謗ってきたけど、実際に嫌な奴なのか。
「似合ってないとか、いきなり言われてもだな」
「似合ってないじゃん」
「好きでつきあってんだよ、ほっとけ」
「でも僕、城峰さん気に入ったし、君がいると邪魔っていうか」
こいつ、頭大丈夫か。「別れなさいよー」とか神凪を応援する取り巻きも頭大丈夫か。
俺は息を吐いて、「俺はそよ乃とは別れないし」とはっきり言った上で続ける。
「そういう交渉は、そよ乃のほうに言ってくれねえかな」
「これでも、君に気を遣って先に確認したんだよ」
「それはどうも。でも、俺からそよ乃と別れることはない」
「……ふうん。じゃあ、城峰さんに話しかける許可はもらったよ」
その許可が欲しかっただけか、といまさらはっとしたけれど、神凪を引き止めて、そよ乃に話しかけるんじゃねえとはこの流れでは言えない。俺は仏頂面でそっぽを向き、勝手にしろオーラで神凪を謝絶した。
「生意気ー」「ムカつく」とか取り巻き連中に言わせながら、神凪は自分の席に向かい、くっそ、と俺はつくえに額をごつんと押し当てた。
すっげえ嫌な奴じゃねえか!
何なんだよ。自己中野郎か。俺様か。僕って言ってたけど。そういうキャラだったか、お前。テレビやネットでの露出では、そんな奴だったろうか。もっと言葉少なで気だるい感じだった気がする。ずいぶんな肉食じゃねえか。
てか、何だ。あいつは俺の恋敵になったのか。あの神凪瑠斗がライバルか。何という詰みゲーだ。
とはいえ、あのそよ乃だから。昨日あれだけ俺を包みこんだそよ乃だから。神凪より俺だって言ってたし、そう簡単に落ちるとは思わない。みんなのアイドルより彼氏の俺。
いや、しかし……神凪がひとりの男として迫ってきた場合はどうなるんだ。神凪の文章が合わないとかいう発言もしていたが、それは文章であって、人柄はどうなのか。実際話してみて楽しかったら、俺に勝ち目は──
やばい。俺、けっこうそよ乃のこと好きだな? 奪われるかもしれないとなると、猛烈な執着心が湧いてくる。自分でヒくほどの火炎だ。今までのほほんとつきあってきたけど、よりによって目の敵にしている奴にそよ乃を盗られるのか。
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