風切り羽-101

放課後【2】

 さいわい、隣の人は画面に見入っていた。淫靡な喘ぎとため息が、耳から心を痛めつける。
 汚かった。下品だ。不潔だ。こんなのは嫌だ。観たくない。聞きたくない。怖い。何で悦べるんだろう。
 僕はセックスなんかしたくない。一生あんなことはしない。穢らわしいだけだ。もうここにもいたくない。あんなの──。
 肩が震え、それで隣の人が僕が目をつぶっているのに気づいた。その人は僕のうなじをまた撫でた。僕はその人を見た。拍子、唇を重ねられて、目を開いた。
 舌が入ってきて唾液をすすられ、僕の喉は痙攣する。その人は顔を離し、「観ずにこうしてたほうがいい?」と訊いた。僕は反射的にかぶりを振った。その人は満足そうにして僕にポルノを観せる。何でこんなに執拗に観せたのかは、数十分後に分かる。
 画面が切り替わった。ベッドのきしみがした。女の人が男の人の腰にまたがって、歓呼をあげて醜く腰をくねらせている。茶髪の長い髪が、汗で背中にべったりはりついている。
 モザイクはあっても、結合している部分が画面いっぱいにひろがった。流れる体液はモザイクをはみでて、異様に肌で輝く。
 胸が悪くなった。喘ぎ声が耳障りだ。女の人は快感に流されるまま、ぐにゃぐにゃと軆のかたちを変えた。下敷きになったり、うつぶせになったり、四つんばいになったり。
 僕は目も耳もまずい毒にやられて、真っ暗になっていた。
 隣の人が、突然僕を抱きしめた。僕はびくんと軆を硬くさせた。その人の息は荒くなっていた。舌がうなじを這い、鳥肌が立った。
 やめて、と言おうとした。声は引き攣れてかたちにならなかった。
 その人の股間が僕の脚に当たる。硬かった。
 その人は、僕に性器を触れるのを要求してきた。僕は止まっていた。だから、みずからは行動できなくても、導かれたらされるままになった。
 僕の手はその人のファスナーをおろす。そして、トランクスの中に入る。陰毛が指先にまといつく。その先で、怒張が手のひらを支配した。
 ちゃんと触れと言われても、力が入らなかった。こすれと言われて、それはできなくもなかった。
 僕は放心状態で、その反ったものを上下にこすった。その人はしばらく僕にそれをさせていたけど、すぐ床にひざまずくよう言った。僕は終わっていた。真っ白すぎて、主体性をもがれていた。肩をつかまれるまま、床にへたりこんだ。
 その人は、僕の頭を股間に押しつける。喉が苦しくて顎は外れそうで、脈打ちがこめかみでじかにがんがんする。頭痛がしていた。頭蓋骨が揺れている。これは髪をつかまれて揺すぶられているせいなのか、僕のめちゃめちゃの脳みそのせいなのか。
 精液が喉をいたぶった。床に吐こうとした。そしたら顎をつかまれ、無理やり飲みこまさせられた。喉を粘ついた液体がすべりおちていく。
 泣きたくなった。いや、もう泣いていた。精液を飲まされるのは、初めてではない。それでも、屈辱がひとしおなのはいつまでも変わらない。
 精液を飲んだ。男なのに。男の白濁を飲んだ。けれど、その衝撃に浸る間もなく、ほかの人に腕を引っ張られる。
 床に押し倒された。頭の上では、四つんばいの女の人が乱れている。情交というより、交尾だ。動物のごとく叫んで、腰を振っている。
「これと同じことさせろ」と言われた。僕の軆は硬化した。だが、この部屋では僕の意思など無だった。僕の神経は麻痺して、抵抗も悲鳴もかぶりを振ることすらできなかった。
 制服を剥ぎ取られた。うつぶせにされて床に手をつかされ、腰を支え上げられた。錯乱しすぎて、何が何だか分からなくなっていた。ただ、自分の吐く息が青臭いことに虫酸が走っていた。
 肛門に唾を吐かれた。そして、その湿りによって犯された。下腹部に容赦ない圧迫が来て、それはすぐさま鈍痛に取って代わる。
 腕の力が抜けて、僕は顔を床に突っ伏した。腰を揺すられるたび、急かすように痛みもなぶられる。弱いうめきがもれ、床にすれた頬で顔が涙にぐちゃぐちゃになった。荒い息遣いと、女の人の嬌声が頭上で入り混じる。
 軆を手が駆けまわった。視界の端に、誰かの手淫が映る。引き裂かれるみたいに肛門が痛み、そこからえぐられるような激痛が送りこまれる。痛みは意思を持って僕を突き破りそうに膨脹し、暴れ狂った。
 熱かった。硬さが分かる。触るより見るより太く感じられる。反り返りが僕の内部にこすれる。内部を射精で刺激されたのはまもなくだった。
 死んだほうがマシなめまいが、眼前をゆがませていた。
 僕はそこにいた人みんなにまわされた。何度も侮辱的にビデオの女の人のかたちにされた。下敷き、うつぶせ、四つんばい──もっといやらしい、誰が考えついたのかと思う剥き出しのかたちに。そのたび、僕は腫れあがった性器を挿入され、さもなくば頬張らせられた。精液の臭いがくらくらし、空気は猥雑に濃くなっていく。
 軆がぼろぼろになっていくのを、早送りみたいに一挙に体感した。涙さえ止まって、壊れたすすり泣きだけがもれていた。痛みも分からなくなって朦朧とする。
 いつのまにか、笑い声がしていた。軆がばらばらだった。これが何なのか分からなかった。周りがうるさすぎて、自分の心がどう悲鳴を上げているか、聞こえなくなってしまった。
 永遠よりそうしていた気がする。現実には一時間弱だった。その時間の短さに打撃を受けた。たった一時間で、心身をぼろぼろにされてしまった。僕が弱すぎるからか、相手がむごすぎるからか。分からなかった。
 部屋は急速に冷めて、静かになっていった。切断された意識がゆっくりと戻ってくる。明瞭になっていくごとに、例の虚しさが襲ってきた。
 何をしていたんだろう。これは何? 僕は犯されていたのか。男に。同級生に。何で。どうして。何で僕がこんな──
 寸裂になって麻痺していた軆が、固体へとまとまっていく。すると感覚が覚醒し、僕は痛みを知覚した。
 涙がこぼれた。感情も起きた。屈辱や嫌悪が、じわじわとせりあげてくる。
 だるさをおして起きあがった。みんなが僕を見た。僕の涙に、不思議そうにする目は死ぬまで忘れられそうになかった。
 もう何もされたくなかった。帰りたかった。今日は何にもしたくない。おとうさんが早く帰ってきたら、出前でも取ってもらおう。呼吸するのも鬱陶しかった。
 のろのろと服に手を伸ばした。すると腕を触られてびくっとした。涙が頬や喉を伝った。精液だらけの肌が濡れる。
「嫌」と言った。この部屋に来て、初めての声だった。うわ言みたいな無意識の声だった。
「い、いや、やめて。もうやだ。助けて」
 僕は、怪訝そうな目しか捕らえていなかった。相手の顔も何も分からない。自分が何て言っているのかも把握していなかった。
「いや、もう、誰にも言わない、から。言わないよ。だから離して。もう助けて」
 とりあえず、腕をつかむ手は離れた。僕は服を着た。ベッドを転げるように落ちた。「大丈夫か」と訊かれ、凄まじい憎しみを覚えた。
 大丈夫? そんなわけない。そんなことも分からないのか。自分たちの行為が、何も及ぼさないみたいに──
 一瞬だった。それ以上、毒づく精神力がなかった。とにかくこの部屋を出たかった。この人たちが信じがたい良心を働かせ、腕を取って支えてきたりしないうちに。送るなんて言わないうちに。
 僕は気丈にすることに死力をそそぎ、その部屋とあとにして、家も出ていった。
 外は夕暮れだった。橙色と桃色が溶け合って、すごく綺麗だった。その光を頬に受け、唇を噛んだ。こんな道端では泣きたくなかった。服を乱してふらつきながら歩いていたので、誰かに声をかけられた。逃げるようにその人を振り切っていった。
 どうやって家にたどりつけたのか分からない。すっかり陽は落ちていたとはいえ、自分で奇跡だと思った。鍵を開けて中に入った。途端、砕けたガラスのように暗い玄関に崩れ落ちた。
 涙があふれてきた。シャワーを浴びたくても、それさえつらかった。何もしたくない。動きたくない。全身が重い。腰の痛みが脳髄に響いてくる。これ以上何かするのは死に等しかった。
 真っ暗だった。鬱すらない。煩わしい頭痛がする。死ぬ気力もない。
 なぜこんなに泣いているのか。泣けば泣くほど、意識が遠のいて、心の痛みが鮮やかになる。
 何でこんなに痛いんだろう。ずきずきするんだろう。だるくて気分が悪い。
 どうして僕は、こんな気持ちを毎日味わって生きてるんだろう。
 しんとした地面にうずくまり、嗚咽をもらした。ずっとずっと泣いていた。ひとりで。冷たく。壊れ物になって。放置されたみたいに泣いていた。
 誰も彼もが怖い。僕はいつまでもひとりぼっちだった。

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