Koromo Tsukinoha Novels
まずは連絡を入れないまま、家のそばまで行って待ち伏せしてみた。顔見たら普通に声かけたくなるけど、それは果たしてストーカーなのか、ただのサプライズじゃないのかとか考えていたら、夕暮れが雲で色彩を織る中、深光さんは朔馬さんを連れて帰宅してきた。
これじゃ声かけられない、とさっそくストーカーみたいに路地に身を隠すと、「朔馬あ」と聞いたことのない深光さんの甘えた声がした。
「何ですかー」
「家、もうおねえちゃん帰ってるらしいからー」
「変なことはできませんなあ」
「……だから、」
「ん?」
「意地悪っ。分かってるでしょ?」
「えー、じゃあそこの路地入る?」
路地って──ここかよ、と焦って俺はおろおろしたけど、次の瞬間、視界に映った光景に固まった。人通りのない、橙色が透ける通りで、深光さんは背伸びして朔馬さんに抱きつき、唇を重ねていた。
心臓にずんと鉛玉が貫通する。息が完全に止まる。口の中が渇いて、喉がひりつく。膝のあたりがかすかに引き攣るけど、駆け出せないから、俺は突っ立ってその光景を見つめつづけた。
「……好き」
深光さんの小さな声にはっとする。
「朔馬に好きって言えるようになって嬉しい」
「深光──」
「ほんとに、いつ彼女紹介されるか怖かったよ」
「……そんなん、俺もだわ」
「じゃあ……好きって、言って?」
「好きだよ、深光のこと。大好きだ」
そうして抱きしめあい、ふたりは照れるような笑みを交わすと、家に入っていった。「おかえりー」という美糸さんの声が遠く聞こえた気がした。
俺は頭も心も目玉もぱっくりさせたまま、ふらふらと帰り道に着いた。ストーカーが好きな人のすべてを監視することなら、あまりにも精神的負担が大きいと思いながら。俺には耐えられない。好きな人が好きな人と咲っているところなんて、落ち着いて観察できない。
花びらをこぼす夜桜を横目にマンションに帰宅すると、俺は自分の部屋に直行し、ベッドでふとんをかぶった。
もう疲れた。好きなのに。こんなに好きなのに。俺は深光さんの彼氏どころか、ストーカーにもなれない。嫌だ。こんなにうまくいかないなら、いっそ死んでしまいたい。何もしたくない。深光さんが訪ねてきて、俺の名前を呼ぶまで、ふとんからは出たくない。
そう思ったまま、俺は部屋をほとんど出ないようになって、二年生が始まっても登校することができなかった。
しかし、俺を揺り起こす魔法の声が聞こえてきたのは、意外と早かった。
突如として引きこもりになった俺に、もちろん両親はとまどっていた。ゴールデンウイークには好きな場所に連れていくと言われたが、ひとりになりたいから、むしろふたりで旅行でも行ってくれと伝えた。
両親は渋った。今の俺をひとりにしたら、自殺でもすると思ったのかもしれない。「ちゃんと待ってるから」と俺が言うと、ふたりは顔を見合わせ、「ゆっくりしてみなさい」と二泊三日の旅行に出かけていった。
俺はベッドに横たわったまま、ぼんやりと過ごした。腹は減っても、レンジ調理くらいしかしない。その日は徳用ナゲットひとふくろをまとめて温め、フォークで機械的に口に運んだ。だが全部食べ切れずに、床にほったらかす。
カーテンどころか、雨戸も閉めていて、部屋の中は昼間でも暗い。俺はふとんにもぐって目をつむって──どのくらいそうしていただろう。
「茉樹くん? 入っていいかな」
そんな声とノックが重なり、俺はぴくんと目を開いた。
「おじさんとおばさんに、心配だから様子を見に来てあげてって、鍵を預かってたんだけど──私も、ずいぶん既読つかないの心配してて」
鍵なんかないドアが開いて、逆光の中に女の人のシルエットが浮かぶ。髪型とロンスカのシルエットから、深光さんだと分かった。
「……朔馬さんもいるの?」
「えっ」
「どうせ、朔馬さんも連れてきたんだろ……帰ってよ」
「朔馬は連れてきてない。私ひとりだよ」
「……ほんとに?」
「うん。大丈夫」
きし、と深光さんが俺の部屋の床に踏み出した足音が聞こえた。俺もゆっくり起き上がると、うつむいていて表情はよく窺えない深光さんを見つめる。
「茉樹くん──」
「……こないだ、見たよ」
俺がぼそっと切り出すと、「えっ」という声が返ってくる。
「家の前で、朔馬さんと……」
キスしてた、という言葉はつらくて言えずにいると、「……うん」と深光さんは小さく息をつく。
「気づいてた」
俺は目を開き、「気づいてたの?」と責めるように言った。深光さんは俺のかたわらに立つと、「ちゃんと言わなきゃいけないと思って」と聞き取りづらいかすれた声で告げた。
「茉樹くん、ごめんなさい。私、朔馬のことが本当に好きなの」
「………」
「ずっと、朔馬とつきあえることが夢だった」
……やめろ。息が苦しい。
「茉樹くん、もしかして私が……って感じることもあったけど」
やめろ。視覚が反転する。
「私、それに応えることはできなくて」
やめろ……! 指先が震える。
「もし、そのことでそんなふうに落ちこんでるなら、私──」
やめろ!
俺はシーツに手をついてベッドを飛び降りると、深光さんの手首を鷲づかんだ。その細さを強く引っ張った反動で、彼女をベッドに押し倒す。スプリングのきしみに重なった、短い悲鳴を顔にまくらを押しつけて殺した。暴れる手足は抑えつけ、さらにどすっと深く腹を殴って脱力させる。
びりびりっと服を引き裂いて、ブラジャーをずりさげると、蕩けるように柔らかい乳房を粗雑に揉みしだいた。ロンスカはたくしあげ、下着をちぎるようにもぎとる。
初めて目の前で見る女性器は、室内の暗さと陰毛でよく分からなかった。が、俺はスウェットを引き下げ、焦れったく勃起しかけている自分をこすって硬くさせる。
深光さんの脚のあいだを押し広げて、陰毛をかきわけた奥にあった赤い部分をさらした。ぐちゃぐちゃにこねくるみたいにそこを探り、何とか入口らしきものを見つけた。
中指と人差し指を一気に刺しこみ、かきまわして乱暴に中を広げる。すると、酸っぱい匂いをともなった液体がねちゃっとあふれてきて、何だよ、感じてんじゃん、と思わず笑ってしまう。
指を引き抜き、すぐに俺は反り返った性器と刺し替えた。野獣みたいに喉の音で唸りながら、奥へと突き進んで、深光さんの体内に俺の欲望をすべてをおさめる。
自然と息が弾み、頭が狂おしい高揚感でほてっていた。深光さんの内壁にこすりつけながら、締めあげてくる圧迫からの快感に、もっと気持ち良くなることしか考えられない忘我状態で腰を振る。
そのとき、何とか顔面のまくらを取りはらった深光さんが、泣きそうな声で朔馬さんの名前を呼んだ。一気に萎えそうなほど気分を害された俺は、いらだった舌打ちをすると、容赦なく深光さんの頬を引っぱたいて「うるせえっ」と激しく怒鳴る。
「お前みたいな奴、好きじゃない、ぜんぜん好きじゃないっ。思い上がってんじゃねえぞ、このまま殺してやるっ。お前なんか最低だ、俺のことを弟とか、キス見せつけるとか、だいたい、断りもなく彼氏って何なんだよっ」
わめき散らしながら、俺は深光さんの首にぐいっと手をかけた。喉元を捕らえると、ぎゅうっとそこに親指をめりこませる。膣が跳ねるように痙攣する。その刺激を突き破るくらいに、荒々しく突き上げる。
そうしながら、なぜか俺の視界はじわりと緩んできた。頬がべたべたと女々しく濡れていく。
「くそっ……好きじゃない、俺はあんたを愛してるのに……もう憎いよ、めちゃくちゃに憎い! あんたなんか死ねばいい、俺の前から消えちまえばいいんだっ」
嗚咽に呼吸を荒げながら、不意に視界の端に映った、食べかけのナゲットに使ったフォークを腕を伸ばしてつかんだ。ついで、一瞬の躊躇もなく、その銀色で深光さんの喉を突き刺した。
赤い飛沫が飛ぶ。いったん引き抜いても、また刺した。それを繰り返して、喉に穴が空いてくると、くりぬくようにぐちゃりとえぐった。そうしながら、俺は長い長い射精をして──深光さんの軆が大きくびくんと引き攣り、やがて動かなくなっても、俺は息切れしながら深光さんの中を穢しつづけた。
何度達したか分からないあと、ようやく、ちぎれていた脳内の回路が復旧しはじめた。静かに動きが止まっていって、俺は虚ろな目で、精液が染みこんだシーツに座りこむ。
意識から毒が抜けていく。麻痺は残って何も考えられない。
狂気にゆだった部屋が、ゆっくり、沈むように冷えていく。かすかに、目玉の奥に頭痛だけが名残った。
からん、と手から血みどろのフォークがこぼれたとき、不意に着信音が鳴った。ここのところ、ずっと無視していた着信音。深光さんも、既読がつかなくて心配だと言っていた。
誰だろ。親かな。
てか、俺の人生、ガチで終わったんだけど。
そんなことを思いながら、ベッドスタンドのスマホを手にして、俺は眉を寄せた。
『深光さんからメッセージが届いています』
……は?
深光さん、は……今、俺が馬乗りになった状態で死んでるだろ。
慌ててメッセを開く。
『今起きたら、おねえちゃんがいなくて、『幸せになってね』って書き置きがあって──
最後まで読まずに俺を目を剥き、ベッドを降りると、久しぶりに室内に電気をつけた。
俺のベッドの上にいる、見るからに乱暴されて殺された女の人──顔を覗きこみ、そばかすを認めた瞬間、心臓が詰まって、思わず吐いてしまった。未消化のナゲットがどろりと口からしたたる。
美糸さん……
そのとき、激しいドアフォンとドアをたたく音がした。びくっとその場に固まると、鍵がかかっていなかったのか、すぐドアが開けられてしまった音がする。
何だ。警察か。俺……
しかし、あわただしい駆け足と現れたのは、朔馬さんだった。部屋の真ん中で、スマホを持ったまま茫然と突っ立つ俺を見たあと、すぐに美糸さんの死体に気づく。
「てめえっ……!」
朔馬さんは腕を振り上げると、灼熱のような怒りを発するものすごい眼つきで、俺を殴りはじめた。俺ががくんと膝をついても、それでものしかかって殴ってくる。痛みがあったかどうか分からないが、歯なんて食い縛らなかったので、口の中がざくざく切れまくり、ゲロ臭い口元から血が流れていった。
「美糸さんに、お前には気をつけたほうがいいって言われてたんだ……っ」
俺は弛緩してぼんやりした目で、朔馬さんを見る。
「朝、美糸さんから『深光をお願い』って連絡が来て、すぐにお前のところに行ったんだって分かった。だから急いで来たのにっ……お前、話し合いにさえ応じなかったのか⁉」
「だって……深光さんだって……」
「深光が何だよっ」
「深光さん……だって、俺に何も言わなかったから、だからっ……」
「まさか、深光だと思ってあんなことしたっていうのか⁉ じゃあ、なおさら美糸さんの予感が当たったんじゃないか……くそっ」
いっそう力をこめて、がつっと朔馬さんは俺の顎を殴りつけたあと、いったん息を吐いて目を伏せた。
「もうすぐ、深光もここに来る」
「えっ……」
「深光に決めさせる」
「決める……って、」
「深光にとって、美糸さんがどれだけ大切だったと思う? 警察も逮捕も裁判も、そんなもんぬるいんだよ」
俺は朔馬さんを見つめ、喪心していた。朔馬さんはようやく俺を放すと、苦しげな表情で美糸さんの死体にふとんをかけた。
まもなく、深光さんは本当に俺の家にやってきた。「どういうことなの?」と朔馬さんの腕をつかみ、朔馬さんは感情を抑えてすべてを明かりのもとに引きずり出すように説明した。
美糸さんが俺の深光さんへの想いに気づき、気にかけてくれていたこと。しかし、次第に俺の様子に不穏なものを感じはじめていたこと。あの日の深光さんと朔馬さんのキスを見つめる俺が、家の中から見えたこと。そして、妹の幸せを分かってほしくて、俺と話合いをしようとしたこと──。
「でも、あの人、何か深光さんのふりしてたから……それで、俺……」
俺が泣きそうな声で言い訳めいたことを言うと、深光さんはばっとふとんを剥いで、横たわる美糸さんを見た。姉の悲惨なすがたを、その目に焼きつけた。そして、「私にこんなひどいことをしたつもりになってたの?」と深光さんは言って、俺も口ごもってしまう。
深光さんは床に膝をつき、美糸さんの手を握った。きっともう冷たい手。しばし耐え切れないように肩を震わせていた。けれど、不意にこちらを振り返った深光さんは、凄絶なほど冷たい目で言い渡した。
「私、絶対、茉樹くんを赦さない」
◆
深光さんと朔馬さんは、自失する俺は交えず、これからの相談をした。
まず、俺を警察には引き渡さない。
しかし、遺体を隠すことはしない。
見るからに怨んで殺害されたこの状況は、朔馬さんが罪をかぶることになった。
相応の動機を捏造し、それで、警察の目は朔馬さんが引き留めておく。
深光さんは、俺を自宅に連れていった。
そこで、俺を死んだほうがマシなぐらいに虐待し、拷問すると彼女は言った。
◆
かつて美糸さんの部屋だった南向きの部屋で、俺は深光さんに監禁された。初日に、まず自力で逃げられないよう、両足のアキレス腱をざっくり切られた。
爪をじっくり剥ぎ落され、膿む指先には、待ち針をくまなく突き刺される。沸騰した湯を頭からかぶせられ、火傷で爛れていく皮膚に、ざりざりと音を立てて塩を塗りこまれる。臑には金槌で釘を打たれ、その状態で正座を強いられた。
食事なんてもらえるわけがない。虫が混ざった腐植土を食べろと言われて、俺は泣きながら毎日それを食べた。それでも出る排泄物は垂れ流しで、その臭いのせいで日に何回も吐いて、呼吸も障るぐらい喉の奥が腫れてきた。
「この性犯罪者が」
抑揚なく言った深光さんは、包丁を手にして、あの日から穿いたままのスウェットを引きずり下ろすと、ついに俺の性器も切り落とした。
──女の人に、あんなことをした。
俺はもう、人として、男として、陽の当たる場所にはいられないはずなのだ。なのに、なぜ俺は、いまだにこんなに温かい陽の射す部屋にいるだろう。
ずっと朦朧としていて、よく分からなくなってきた。
赦されない俺は、あまりにも赦されない俺は、この陽当たりの良い場所で永遠の罰を受ける。
瞳が黒い闇に堕ちた深光さんが、今日も俺を見下ろす。
軽蔑して、憎悪して、唾棄する瞳。愛する人に、蛇蝎のごとく見下されるという罰。
今日も、部屋の中は温かく明るい。俺はいつ死ねるのだろう。もう陽に当たりたくない。日陰者になりたい。
しかし、俺は優しい陽だまりの中で、彼女にゆっくりと破壊されていく──その罰から、永劫に逃れられない。
FIN