Fade in
家を出て、いつもの角に来たら会える。だからガキの頃は朝が来るのが楽しみだった。
今は反対だ。朝が来たら、それぞれの生活を始めて、一日じゅう離れなくてはならない。もうひとりにしない、泣かせないと誓ったのに、それを確認できない現在はもどかしい。
贅沢だと分かっていても、本当に、一度は俺と南を引き裂くすべてを憎んだから。もう失くしたくないのだ。いつだって、朝目覚めると隣にいるこの男と一緒にいたい。
スマホのアラームが響いて、夢の中にあった意識がすうっと薄らいできた。カーテンを引いていても、夏の太陽は寝室をぼんやり照らして、その光はまぶたにも沁みこんでくる。
腕の中で南が動いて、でも、起きたのではなさそうだ。鳴っているのは南のスマホで、とりあえずアラームをオフにすると、俺は寝ているあいだに固まった軆を伸ばしてあくびをもらす。
何秒か天井を見つめて、朝か、と思った。また朝だ。こんなに惜しむくらいだから、できればひと晩じゅう起きていたいけど、徹夜できる歳でもなくなった。昔は、起きていたければ、夜は永遠のようだったのに。
身動ぎして左側にいる南を覗きこんだ。アラームなど障ってもいないようだ。
明るい茶髪に染まったくせ毛を指に絡めると、俺の直毛と違って蕩けそうに柔らかい。南が泣いたときしか、この髪に触れられなかった。だから、南が泣き出すと俺は飛んでいった。
あの時期を覗いては。
南がよりによって俺のせいで泣いていると知りながら、あわよくばそのまま捨て置こうとした。南をそっと抱き寄せて、その体温を肌になじませ、ごめん、といまだに何度も詫びたくなる。
「……南」
耳元に口を寄せると、南はかすかにうめいたけど起きない。いつもまず南がキッチンに立って一日を始めるから、子供たちは南は目覚めがいいと思っているようだが、起こしているのは実はたいてい俺のほうだ。
南は昨夜も、遅くまでデスクで作業をしていた。俺は半分眠りそうになりながら、一緒に起きて見守って、やっとキリのついた南をぎゅっと抱いて眠った。南に何か言われた気がするが、いつもはっきり憶えていなくて、ただ一緒に寝るのを譲らないのだけは憶えている。
「南。朝だぞ」
もう一度ささやくと、南の睫毛がぴくんと揺れた。それから唸りが聞こえて、ゆっくりと瞳を開いて、こちらに顔を上げてくる。
「司……」
「おはよ」
「ん、うん。暑い……」
「じゃあ、一緒にシャワー浴びるか」
「恥ずかしいよ……」
特に否定はせず、南も俺にしがみついてきた。背中に来た南の手が、俺のパジャマをつかむ。
「もう、朝?」
「さっき、アラーム鳴ってた」
「え、じゃあ五時。起きなきゃ」
南が身を起こそうとして、「三分」と俺はその肩と腰にまわす腕に力をこめる。俺の胸に顔を抑えつけられた南は、小さく息を吐く。
「嫌?」
そう言って南を覗きこむと、睫毛が重なりそうな距離で瞳が触れ合う。南の白皙がほのかに染まる。
「……ずっと」
「ん」
「ずっとが、いい。いつも、三分だけで寂しいよ」
南の瞳が潤んで、でも、時計の秒針の音は鼓膜に刻まれていく。
かわいい。愛おしい。奥まで欲しくなる。
息遣いがそっと絡まり、引っ張られて結わえられるように口づける。南の味。匂い。熱。全部、もう俺のものだ。
こんな自分はおかしいと思った。俺は男。南も男。かけがえのない親友だった。だから、何度自分を踏み躙ったか憶えていない。嫌われたくなかった。気持ち悪いと思われたくなかった。それが何より、南を傷つけていた。でも、そんなの都合がいいと怯えてしまうだろう? 南も、俺を狂おしいくらい想っていたなんて。
本当に、俺と南はおかしいのかもしれない。お互い以外の相手に恋をしたこともない。いつだって、一番なのだ。理解されなくても、軽蔑されても、俺たちは親友だった男を友情から踏み外れるほど愛している。
不用意に触れることすらできなかった軆を、今はこんなにきつく抱きしめられる。舌を伸ばして、口の中の過敏なところをたどると南はびくんと震えて、唇を曖昧にちぎる。
「司、」
「あとちょっと」
「ダメだよ。もう、……我慢できなくなる」
「だから、一緒にシャワー浴びればいいだろ」
「ダメだってば。これで今朝はおしまいっ」
そう言って南は軆を離し、上体を起こす。その火照った頬の横顔を見つめ、南の細い手を握る。南はその手を振りはらうことはせず、恋人つなぎで握り返してくれる。
秒針が進んでいく。三分と言いつつ、いつも何分も過ぎる。朝はよくこうして、俺が引き止めてしまう。
「まだ……」
「ん?」
「まだ、怖い」
「え」
「司と一緒に暮らしてる。キスしてもらえる。片想いじゃない」
南の指先が俺の関節を抑える。
「こんなの、何を奪われても足りない」
俺は胸に疼きを覚えても、身を起こして南を背中から抱くと、南の腹の上でもう一方の手も手に重ねた。
「大丈夫だよ」
「……ん」
「ずっとこのままだ」
「ほんと?」
「ほんと。この三分は、ずっと毎日だ」
南がやっと、ちょっと咲う。それに俺も咲い、おとなしく南の軆を解放する。南はダブルベッドを降りると、昔から変わらないはにかんだ微笑を向けてくる。
「じゃあ、支度してくる」
「おう。俺もすぐ行くよ」
そのとき、寝室の外で足音が聞こえてきた。振り返った南は、「起きちゃったか」と言いながら、寝室を横切ってドアへと歩いていく。
「南」
「うん?」
「いつでも俺のこと呼んでいいんだからな」
ドアノブに手をかけた南は、俺のナイト気取りに困ったように微笑んだけど、こくんとうなずいた。
たとえ、過ごす空間が離れても、俺たちはきっとつながっている。不安になればたぐりよせて、安心することができる。昔は放課後になっても。今は朝になっても。
そう、だから俺はほかの誰でもなく、南を好きになったのだと思う。
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