カラーサークル-12

「明日もよく晴れるでしょう」【3】

「推薦で入ったら、やっぱ陸上がメインになるんだよな?」
「大会のために授業休んだりすることもあるみたいだよ」
「マジか。それは耳寄り。でも分からん。そのまま走り続けることになる覚悟を十五歳で決めろって、無理あるよなー」
「授くんは走り続ける価値持ってるよ」
「陸上以外の能はないよなあ。勉強おいしくない」
「私は、授くんが陸上続けても続けなくても一緒にいるよ。でもね、授くんが走ってるところは好き」
 授くんは私を見ると、「俺の将来の夢は陸上じゃないしなー」と階段を上る。
「したい仕事あるの?」
「したくない仕事やってでも、桃を幸せにするの」
「私は、授くんがしたくないことやってるのは哀しいかなー」
「何というジレンマ。ん、ジレンマで合ってんのか?」
 思わず咲っていると、手前の私の教室に到着する。「また昼休みにな」と言われてこくんとした。授くんは私の頭をぽんぽんとして、ちょうど通りかかったクラスメイトに声をかけられると混雑に混ざっていく。私はそれを見送って、ざわめく教室に踏みこんだ。
「今日も一緒かー」
「ほんと仲いいよねえ」
 席に着くと、このクラスになって仲良くしているふたりがいつも通りつついてくる。「朝練があるもん」と私は肩をすくめる。
「よく続くなあ。あたしには無理だった」
「無理とか言えるだけマシだわ」
 フリーのふたりだけど、本命の好きな人はいる。ふたりが言うには、本命の人に告白された私は稀なケースなのだそうだ。実際告白されたから、贅沢な意見なのかどうかよく分からないけれど、ふたりとも本命くんにもっと近づけばいいのにと思う。
「水瀬って、悠長に部活出てるってことはやっぱ推薦?」
「うーん、悩んでるみたい」
「悩むとか! 推薦もらって悩むとか」
「あいつ推薦受けるしかないでしょ? 二年のとき同じクラスだったけど、授業ではダメだったよ、水瀬って」
「授くんと同じクラスとかいいなー」
「桃はどうすんの? 高校」
「とりあえず公立」
「え、のんきに部活出てる場合なの? 塾は?」
「そんなお金ないしなー」
「塾も行かずに公立ってありうるの」
「厳しいんじゃない?」
「でもお金かけたくないから」
「おかあさん、すっごいキャリアウーマンなんでしょ。いいと思うけどなあ、少し甘えても」
 あやふやに咲ったとき、チャイムが鳴った。顔を上げたふたりは、「またね」と自分の席に戻っていく。騒いでいたクラスのみんなも落ちついたとき、担任の先生が入ってきて、先生は出欠を取ると今日一日の予定を話しはじめる。
 高校かあ、とさすがに私も少し悩む。公立なのも、塾に行かないのも変えられない。勉強しなきゃいけないのかな、と思っても、まだ実感が湧かない。周りもまだそこまでぴりぴりしていない。でも確かに、授業でも先生たちから「受験」という言葉を聞くのは増えてきた。年末には授くんもさすがに推薦かを決めて、部活も引退していて──
 授くんのマネージャーでいたくても、公立共学からの推薦なんてあるのだろうか。あれば、私も授くんも当然そこを目指すけど。まあ、授くんへの推薦が本人ののんきさに較べて多いのは知っている。授くんが私のサポートを必要としてくれるのなら、志望校はそれに合わせて考えたいという方向がいいのかもしれない。
 昼休み、給食を食べていると、いつもさっさと食べ終わってしまった授くんが私の教室にやってくる。私もなるべく早めに食べてしまって、揶揄われながらふたりで教室を離れる。
 学校はどこも暑いから、いつも渡り廊下の窓を勝手に開けて、ふたりで抜ける風に当たる。私が進路のことを話すと、「さすがに部活は引退しなきゃいけないよなー」と授くんはちょっと寂しそうに、ぬるい風に前髪を揺らした。
「今日あたり、先生に言うかなー」
「今日引退するの?」
「正式にはまだだけど。進路の相談、顧問にもしたほうがいいみたいなこと言われたし」
「担任の先生?」
「そお。そんなに言うなら、桃ごと受け入れるところを優先するって条件出してもいいんじゃないかって」
 私は授くんから雲もない青空に目を移す。それっていいのかなあ、とちょっと思っていると、「大丈夫」と授くんは笑う。
「よく考えたら、条件飲んだ高校が、陸上で有名である必要はないんだ」
「え、だって──」
「俺が有名にすればいい」
 思わず睫毛をしばたくと、「へへ」と授くんは自信にちょっとはにかみを差す。
「何か、桃がサポートしてくれるなら、俺は走れるだろうなと思ったんだ。授業中に」
「授くん──」
「だから、同じ高校には行こう。俺にも桃にも合った高校を探そう」
 授くんを見つめて、私は微笑むとうなずいた。授くんは私の頭を自分の肩に抱き寄せる。授くんの肌の温度と汗の匂いは心地いい。
 その選択が、別の高校に行ったら不安だとか、そういうわけではないのは分かる。ただ私たちはこうしてくっついていたいのだ。司さんと南さんみたいに。
 放課後、私と授くんは顧問の先生に自分たちの気持ちを話した。初めは色ボケもいい加減にしろと言われた。授くんはもちろん、私も自分の気持ちを伝えた。授くんの走りは三年、私が誰より見てきた。何かあれば私が一番サポートできる。授くんのマネージャーが私の志望だと。
 スポーツが選手ひとりの問題ではないのは、先生だって顧問だからよく知っている。しばらく唸って考えていた先生も、ついには折れて、どのみち推薦が多すぎるから、その条件を出してみようと言ってくれた。
 そして、これからも話し合いはしつつも勉強には専念しろ、と今日限りで授くん、そして私も部活を引退することになった。三年生はみんな夏休みで引退したのに、なぜか残っている私たちを、受験をよく知らない後輩たちは陸上でやっていくと思っていたらしい。だから、「引退」の言葉を授くんが発した瞬間、「先輩はずっと走ってください!」とみんな泣き出しそうに騒いだ。
 そこを顧問の先生が説明して、私もくっついていけるところをふたりで探すと伝えると、みんなほっとしてくれて、「俺も水瀬先輩と同じ高校行きます」とか「時野先輩がついてるなら安心です」と言ってくれた。
 少しだけ、日が暮れるのが早くなった。私と授くんは、久しぶりに部活で遅くなることなく、夕陽に影を長く引きながら帰路に着いた。「これからいそがしくなるなあ」と授くんは夕焼けに染まりながら背伸びをして、「どこから推薦来てもいいように、私も勉強しなきゃ」と私も夕射しに染まりながら言う。
「え、推薦でも勉強するのか?」
「授くんはいいと思うけど、私はしなきゃいけないんじゃないかな」
「桃も免除でいいのになー」
「私は、授くんと同じとこ行けるのを先生たちが分かってくれたのだけで嬉しいよ」
「俺たち、たぶん親は文句言わないしな」
「うん。今日ママに伝える」
「俺も司と南に話そ。あー、いい夕焼けだな。明日も晴れだなあ」
 授くんはそう言って、夕映えに目を細める。ゆったり流れる風が、ちょっとだけ涼しい。私もまだ残る青さと沈む太陽を見て、明日も晴れ、と思った。
 そう、いつだって私の心は晴れている。曇るかもしれないという日があっても、結局授くんが晴らしてくれる。明日もよく晴れる。今までも。これからも。授くんの隣で、私の心にはきっと青空が広がっている。

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