Koromo Tsukinoha Novels
始まりはいつも、『今夜ヒマ?』とか『明日何してる?』とか、そんな忠幸から来るメッセだ。
あたしはスマホのランプに気づいてから、自分に対して少しだけ考えるふりするけど、やっぱり既読をつけて返信を送る。『夜は空いてるよ』とか『ヒマしてますが?』とか、たいてい答えは同じで、『ごめん、いそがしい』とか送ることはほとんどない。
この瞬間から、共犯者としての駆け引きは始まっている。
『そうなんだー』
『そうですよー』
『笑』
『忠幸は何してんの?』
『何もしてないよ』
『同じかよ』
『いや、デートから帰ってきたとこだし』
あたしは部屋の時計を見上げた。二十一時。相変わらず、大切にしてるというか、慎重だというか。
『楽しかった?』
そのひと言を送信して、既読がついた一分後、通話着信がついた。
来ると思った。そう思いながら、あたしは『応答』をタップしてスマホを耳に当てる。
「もし」
『もしー』
「何かあった?」
『んー』
「何だよ」とあたしは含み笑ってから、忠幸の気配を受け取って、いつもの合図を送る。
「あたしでよければ、話聞くよ?」
そしたら、反応はふたつだ。雪崩のように彼女への愚痴が始まるとき。あるいは、『そっち行っていい?』とあたしを窺うとき。この二パターンに決まっている。
前者の場合は、でしゃばらずにうんうんと素直に話を聞く。後者の場合、「えー」と一応渋ったりしつつ、「いいよ」と受け入れる。『じゃあ、酒持ってく』と忠幸が言ったら、だいたいあたしたちの犯行は決まりだ。
あたしは、部屋を軽く片づけながら忠幸を待つ。特にベッドとバスルームは綺麗にしておく。けっこう髪の毛落ちてんだよなあとコロコロしていると、チャイムが鳴るのはきっかり三十分後だ。あたしは「はあい」と答えながら、インターホンは無視して玄関に向かい、チェーンをはずして鍵も開けて、ドアを開く。
そこにいるのはもちろん、「よっ」とコンビニのふくろを掲げて見せる忠幸だ。
「こないだうまいって言ってた、スムージーの酒買ってきた」
「気が利くなあ」
笑いながら忠幸を部屋に通すと、あたしは鍵もチェーンもしっかり閉ざす。完全犯罪は、やっぱり密室にしておくのが大事だ。
「実桜の部屋って、いつも綺麗だよなー」
「そうかな。でも、じろじろ見ないで」
「別にいいじゃん、俺、彼氏でもねえし」
「君が彼氏じゃなくても、あたしが女子なの」
「女子って。俺らアラサーだぜ」
あたしは適当に笑っておく。
ほんのり暖かい日も出てきた四月、あたしも忠幸も同じ高校を卒業してちょうど十年だ。高校のとき、「実桜と忠幸ってつきあってんの?」とよく言われた。あたしも忠幸も、そう言われたら決まってげらげら笑って否定してきた。実際、あたしたちは一秒間だって恋人同士になったことはない。
ただ、お互い就職してしばらく経った初夏、忠幸が彼女と喧嘩したといきなり部屋にやってきて。あたしはびっくりしながらも彼を招き入れて。「仕事がいそがしいのを信じてくれない」「浮気なんかしてないのに」「俺、あいつのこと好きでいいのかな」と忠幸はさんざん並べ立てたのち、やや唖然としつつも聞いていたあたしを見て、「ごめん、愚痴ばっかりで」とうつむいた。
あたしは言葉に迷ったのち、「まあ、愚痴くらい聞くけどさ」と言った。沈黙が流れたのち、忠幸はあたしの肩にもたれてきた。
そこからは、なし崩しルート。
忠幸は結局その彼女と半年後に別れたけど、かといってあたしとつきあうこともなく、しれっと新しい彼女を作った。
でも、あたしの部屋をたまに訪れるのはやめなかった。そして、彼女について理解できないところをあたしに吐きまくり、そのあとばつが悪そうにしつつ、髪に触れる、あるいは手をつなぐ、あるいは──
「今日、彼女ちょっと機嫌悪くてさ」
ベッドサイドに腰かけて、お酒を片手に、今日も忠幸は彼女について愚痴りはじめる。あたしは隣で、例のスムージー仕立ての林檎のお酒をすすり、たまに相槌を入れる。
「デートプランAからCまで、全部『微妙』って言われて、『じゃあどこ行きたいの?』って俺が言ったら、『そんなの忠幸くんが考えてよ』とか言うわけ。何なの。Cまでつぶされて、俺も手づまりなんだよ。分かるだろ」
「分かる」
「仕方ないから、俺が気になってた映画に観に行ったんだよ。思いつくの、もう映画しかないじゃん。俺が観たかったの漫画を実写化した奴だったんだけどさ、そしたら彼女、堂々とポスターの前で評判を検索して、また言うんだよ。『微妙』って」
「口癖?」
「そうかもしれない。よく言われる気がする。それで俺もさすがにいらっとしてきたけど、頑張って言ったの。『もしかしてあの日?』と」
あたしは笑ってスムージーに口をつける。
「そんなでかい声では言ってないよ? でも、そしたらちらっとこっち見た奴がいてさ。彼女、マジ切れだよ。そいつがイケメンだったからかなあ。彼女がここにはいたくないって言うから、駅前をぶらぶらして、最終的にウィンドウショッピングだよ。ふざけんなよ。ウィンドウショッピングが嫌だからこそ、デートプランをCまで練る俺の努力を分かってなくね?」
まだまだ忠幸の愚痴は続いて、あたしはそれを聞いている。何だかんだ、ずうっと彼女の話なんだよなあとか思いながら。
忠幸はお酒のペースを上げながら、ぶつくさ言い続けていたけど、急に醒めたみたいに口ごもる。「ん? どした?」とあたしがうながすと、「俺、あいつの悪口ばっかだな……」と忠幸はしゅんと口調を落ちこませる。
そうだね。って、言いたいけど。だったら別れちゃえば。って、言いたいけど。あたしにしとけば、って──
「彼女のこと、それだけ好きなんだなって思うよ」
正解の合言葉は、こんなクソみたいな分かったふりの言葉。忠幸はため息をついて、二本目のチューハイを空にしてから、「実桜」とあたしの名前を呼ぶ。「うん」とあたしが首をかしげてみせると、「ちゅーしていい?」と忠幸はこちらをちらりとする。あたしがまばたきをすると、その隙に、忠幸は身を乗り出してあたしに素早くキスをする。
瞳が至近距離で触れ合う。その瞳が蕩けるみたいに濡れる。忠幸の手があたしの手をつかむ。
もう一度キス。今度は深い、お酒の味に染まった舌を溶かしあうようなキス。
あたしは忠幸の手を握り返して、スムージーの缶は安定したベッドスタンドに置く。それから、忠幸はあたしを抱きしめて唇を浮かし、舌をつうっと首筋に移す。あたしは小さく声をこぼし、しがみつくように忠幸の背中に腕をまわす。
かくして、今回もあたしたちの計画的犯行は、後ろめたい微熱の中を泳ぐように始まる。
もう何回忠幸と軆を重ねたか、憶えていないし、数えるのもやめた。あたしたち、ずっとこうなのかなあ。忠幸はけしてあたしのことを愛しているわけではない。あたしは? あたしは……
ほてった吐息を絡ませながら、忠幸はたまにそのまま分け入ってこようとする。あたしはそれを受け入れてもいいやと思いつつ、「こら」と一応その肩に手を置く。そうすれば、「あー、忘れそうになった」なんて言い訳を口走りながら、忠幸はつけてくれる。
忠幸が奥まで届いて、湿った音が響くほど突いてくる。隣人の皆さん、ごめんなさい。ヘッドホンをつけて、お好きな配信でも観ていてください。あたしのほうは、なじますような忠幸の動きに、どうしても声を出さずにいられない。切なくて、泣きそうなのをごまかすには、はしたなく喘ぐしかない。
終わる頃にはお酒が完全にまわりきっていて、忠幸はいつも寝落ちしてしまう。あたしも軆の奥の、快感で割ったアルコールにくらくらして、かなり意識が危うい。
でも、寝る前には必ずいつもスマホを見る。
……今日も来てないや。
彼氏からの着信。
音信不通は三日め。
たった三日、連絡が取れないだけで不安になる。
それくらい、君が好きなのに──
あたしはスマホをマナーにして床に置くと、忠幸と一緒にふとんにもぐりこむ。素肌の熱がこもってちょっと暑い。忠幸の匂いがする。別にその匂いが嫌いなわけじゃないけど、あたしはこの人がシャワーを浴びて明け方に帰宅していったあと、念のためにシーツを洗濯機に突っ込むのだと思う。
犯行は証拠隠滅しなくてはならない。
あたしと忠幸は、きっとこのまま一生共犯者なのだろう。相手が結婚したって、お互い愛していなくたって、不安になれば頼ってしまう。
やばい薬をまわし打ちするみたいに、ばれたら人生が終わるって知りながらも、この触れ合う体温があまりにも同じで、この関係をやめることができない。
FIN